第14話 ラブホテル

「嫌です! 離してください! 」


 愛理の抵抗も空しく、男は愛理を抱き抱えるようにラブホテルの入り口をくぐる。肩に、脇腹に回された手が気持ち悪く、愛理はその手を引き離そうとじたばたと暴れるが、男はそれをプレイと勘違いしているようで、嬉しそうにニタニタ笑っていた。


「うん、真面目キャラを無理やりとか、なかなかストーリー性があっていいよね。でもさ、さすがに受付では普通にしてよ。勘違いされちゃうから」

「普通って何ですか!? 離してください! 」

「だ~か~ら~、静かにね。それとも何? 金額が納得できないの?君、この体型でさすがにそんなにボッタらダメだよ。普通にしてたらウリなんかできなさそうなんだから」


 男は愛理のささやかな胸に手を伸ばそうとし、愛理は両手で胸を隠すようにして、両目をギュッと閉じた。すると、後ろから凄い勢いで引き離され、愛理を連れ込もうとしている男とは違う腕にスッポリ包まれる。


「何だよ、あんた! これは無理やりとかじゃないぞ。それとも何だ?! 美人局みたいなやつか?こんなんでそれはないだろ」

「……こんなん?! 」


 怒りをはらんだ低い声に、男は明らかにびびった様子で、ジリジリと後退る。


「いや……まあ、いい値払うよ。でも、二万がギリだよ。ホテル代だって出すんだから」

「二万!! 」

「二万五千! これで勘弁してよ」


 男は半べそになりながら、財布から現金を出す。


 愛理は聞き覚えのある声に、恐る恐る目を開ける。目の前には黒っぽい布地の洋服があり、広くて固い胸板に手が触れた。見上げると、茶髪にピンクのメッシュが入った忠太郎が、眼光鋭く男を睨み付けていた。


 あ、また髪の色が変わった……。

 最初会ったときもピンクメッシュだったから、ピンクメッシュはお気に入りなのかな?


 愛理は、今の状況と関係ないことを考えながら、忠太郎の顔を間近に見上げ、不安が一気に溶けてなくなるのを感じた。


「この娘はそういうんじゃない!SEXしたいなら、金で買える相手を探せ」

「えっ?ああ、そうなの? だって、こんな場所に一人で立ってるから。いや、じゃあ、まあ、そういうことで」


 男は一人ですごすごとホテルから出ていく。


「お客さん、入るの?入らないの? 後ろがつまっているから、さっさと決めて」


 受付から覗くように中年の女性が顔を出し、仏頂面で愛理達をねめつけながら言った。


「は……入りません! 」


 愛理は忠太郎の袖を引きラブホテルを出た。


「たろさん、凄い偶然です! 助かりました」


 愛理が深々と頭を下げると、忠太郎は怒るのを通り越して、笑いだしてしまう。


「あ……あの? 」

「まあ、無事でよかった。でも、女性一人でこんなところにいたら、勘違いされても仕方ないんだよ。わかるね? 」


 愛理がこっくりうなづくと、忠太郎の視線が柔らかくなった。


「あとね、こんなとこで偶然会ったとか思わないように。それって、ちょっと問題だから」

「じゃあ……? 」


 忠太郎がさっきの居酒屋についた時、すでに愛理達は店を出て階段を激走していた。

 店でついさっき出て行ったことを聞くと、すぐに店を出て愛理に電話をした。しかし愛理は電話に気がつかず、店の外にたむろしていた大学生に聞いたら、愛理達が走っていった方向が分かり、とにかく走り回って探した……ということらしい。


「あの、本当にありがとうございました。でも、何で……」


 わざわざこんなところまで来て、しかも走り回ってまで愛理を探す理由がわからなかった。


「そりゃ……雇用主だからじゃないか? 」


 忠太郎も、何故そこまでするのか? と聞かれても、明確な返答はなかった。とにかく、無性に放っておけない。危なっかしくて、まだ歩きたての子供の後ろで両手を広げてついて回る保護者の気持ちで、ついついこんなところまで飛んできてしまった。

 まあ、忠太郎がこなかったら、危うく個室に連れ込まれ、とんでもないことになっていたかもしれないのだから、結果的には来て大正解だったのだが……。


「バイトの? 」

「ああ、明日のバイトに差し障りがあっても困るし、バイト前に約束した展示会にもきてもらわないと。あんなメルヘンチックな絵に囲まれて一人とか……想像したくない」

「ああ、そう……ですよね」


 愛理は納得しつつ、残念に思っている自分を叱咤する。


 ちょっと優しくされたからって、またフラフラ~と好きになったりしたら、痛い目を見るのは自分だし! たろさんが優しすぎるからって勘違いしたら、たろさんに失礼過ぎるわ!


「ところで、ポケットのスマホが光ってるんだけど」


 忠太郎に指摘されて、始めてスマホが着信していたことに気がつく。

 電話にでると、まずるりの怒鳴り声が響いた。


『愛理、どこいるのよ! 大樹の奴、ラブホに入っちゃったじゃない!! 』

『どこって……』


 土地勘が全くないのだから、説明しようがない。困って忠太郎を見上げると、忠太郎が電話を代わるようにジェスチャーした。


『もしもし』

『……あんた誰? 』


 それはそうだ。いきなり前触れもなく男性の声に代わるのだから、るりの声が警戒するように低くなる。


『愛理ちゃんの友人の武田です』

『はあ? 何で愛理の友達が……ってぇ、今はそれどころじゃないのぉッ!! これからラブホに突入しなきゃだからぁ、愛理にこっちに来てもらわないと! 』


 忠太郎はるりに場所を聞き、すぐに向かうと電話を切った。

 るり達がいる場所につくまでに軽く説明をすると、忠太郎の顔がどんどん険しくなっていった。


「……あの、たろさん? 」

「つまり、そんなクソ野郎に騙される形で、愛理ちゃんは付き合ったってこと? 」

「いや、まあ、そうかもしれないけど、大樹君のこと好きだって気持ちはあったわけだし、私のことはもういいの」


 忠太郎は、よくないだろう!! と叫びたい気持ちをグッと堪えた。


 るり達は、一本道を入った裏にあるラブホの前にいた。愛理は、その外観を見てもしかして……? と思う。ほとんど記憶にないが、大樹に連れ込まれたのは、こんなラブホテルだったような気がする。


 入り口が半地下のようになっていて、入ってすぐに部屋の写真がパネルになって置いてあり、その部屋のボタンを押すと、鍵がボックスから出てくる仕組みだ。さっきのラブホテルのように受付がある訳じゃなく、精算も部屋から行えるため、従業員と顔を合わせることがない仕組みになっていた。


「右下の部屋のボタンを押してたよ」

「どうするぅ? とりあえずぅ、さっきの娘が被害に合う前にぃ、何とかしないとぉ」

「女だけじゃこういうホテルは入れないんじゃ……」


 るりはチラリと忠太郎を見て微笑む。


「あらぁ、男性なら愛理が調達してきてくれたじゃないのぉ。まあ、女だけでもお金払えば入れるけどぉ、せっかくいるんだから手伝ってもらいましょ」


 るりに腕をとられ、忠太郎はここまでついてきたらしょうがないかと観念する。第一、愛理がるりと二人でラブホに乗り込んだり、逆にるりと杏がラブホに乗り込み、愛理が一人で待たされることを考えると、自分が行った方が数百倍良い。

 大樹のようにヒョロッとした相手なら、万が一殴り合いなどになっても負ける気がしなかったし、気の強そうなるりと行くのがベストだろう。


「変な男とかが声かけてきたら、すぐに電話して」


 忠太郎は、心配そうに見上げていた愛理の頭に手を置いて言った。


 ラブホテルに入って行く忠太郎とるりの後ろ姿を見て、愛理の胃がギュッと締め付けられるような痛みを感じる。


「愛理さんの……彼氏さんですか? 」

「まさか! たろさんは私なんかにはもったいないいい人ですから。それに、大樹君とは最近までゴタゴタしてて、新しい恋愛なんてとても……」

「ああ、そうだったよね。普通、ただの知り合いで、たいした事情も知らずに、こんなことに付き合ってくれないよなと思って」

「それは、たろさんがものすごーくいい人だからです! 」


 力説する愛理に、「そうなんだ……」と若干納得いかなそうにつぶやくと、杏はラブホテルの入り口に目を向けた。

 それだけではない気がしたが、本人がそう言いきってしまうのだから、知り合ったばかりの他人がああだこうだ言っても、きっと納得しないだろう。


 三十分ほど待っただろうか?

 若い女子二人でこんな場所に立っているものだから、さっきの男みたいに勘違いして声をかけてくる男も多々いたが、杏は気が強いタイプの女子だったらしく、きっぱりと断ってくれて助かった。おかげで、忠太郎を呼び戻さないですんだ。


「あ、出てきた! 」


 忠太郎はフラフラした女子を支えるように、るりが大樹の腕をがっつりつかんでラブホテルから出てきた。


「とりあえず、未遂だったよん」


 るりがウィンクしながら言うと、大樹はふてくされたようにそっぽを向く。何も悪いことはしてないと言わんばかりの態度に、るりは思い切りその足を蹴り飛ばした。


「痛い!」


 怒ったり反抗することなく、大樹はビクビクと小さくなる。


 るりちゃん……何したの?


 強者と弱者の力関係を見たようで、愛理は目を丸くして二人を見た。




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