第10話 待ち伏せ
「今日はご馳走さまでした」
「いや、こちらこそ、掃除助かったし。なるべくあの状態を維持しようとは思うけど……無理だろうな」
愛理はクスリと笑う。
「いいですよ。お掃除のしがいがありますから、じゃんじゃん汚しておいてください」
今日は愛理のリクエストで、ファミレスで夕飯を食べた。
昨日はあまりにリッチにご馳走になってしまったので、多少遠慮をしたのもあったが、やはり食べなれた物の方が緊張しないでいいし、あのザワザワした雰囲気も好きだった。
色々話しているうちに、愛理は話しの流れでたろさんと呼ぶようになっていて、忠太郎も愛理のことをちゃん付けで呼ぶようになっていた。
昨日の料理屋の店主の麻璃子が忠太郎のことをたろちゃんと呼んでいたので、何でたろちゃんなのかを尋ねたのだ。
「麻璃子さんは、俺の父親の従姉妹でね。俺のことは昔から知ってるんだ。俺、自分の名前が好きじよなくてさ。ちゅうちゅう鼠とかからかわれたりして、しょっちゅう喧嘩してた。だから、俺は忠太郎じゃなくて、ただの太郎だって、言い張ってさ。麻璃子さんは、そんな俺を知ってるから、忠太郎じゃなくてたろちゃんって呼んでくれるんだ」
そう言えば、初めて会った時も、警察で名前を言うのを嫌がっていたような。よっぽどトラウマなんだろうか? 忠太郎も素敵な名前なのに……と思いながら、愛理はつい心の声が駄々漏れしてしまう。
「私も名前で呼びたいな……。って、嫌だ! あの、なんか名字だと他人行儀みたいで……って、他人なんですけど。ほら、たろちゃんって、何か可愛らしいし」
真っ赤になってシドロモドロになってしまう愛理を、可愛いのは君の方だけどね……と思いながら、そんなナンパなことは口にできない忠太郎だった。
「好きに呼んでいいよ」
「じゃあ、……たろさんで」
さすがに、だいぶ年上の忠太郎をちゃん付けでは呼べない。
「じゃあ俺も愛理ちゃんでいいかな? 」
「もちろんです」
こんな会話をファミレスでしながら、食事をとりつつ健康的にドリンクバーで時間を過ごしたのだ。
特に凄い話した……という訳でもなかったが、自然に時間が過ぎ、気がついたらファミレスに三時間も長居していた。
ファミレスを出て、最初、タクシーで帰そうとした忠太郎だったが、愛理がもったいないから電車とバスで帰ると主張し、それならば危ないから送っていくと、忠太郎もついてきた。
今は、電車とバスを乗り継ぎ、公園の横の道を歩く。
「ここ、夜中は危なくない? 」
「そうですか? 昔は鬱蒼と木が生い茂った公園だったんですけど、今は防犯の面からだいぶ木を伐採したんですよ。電灯も増えたから、夜でもランニングしてる人とかいるし、昔に比べたら全然安全になりましたよ」
そうは言っても、店がある訳じゃないから人通りは少ないし、万が一車とか横付けされて、引きずりこまれたらアウトだ。
「女の子なんだから、防犯はきっちりやっといた方がいいだろうな。遅くなったらお母さんに迎えにきてもらうとか、防犯ブザーを持つとか」
愛理はクスリと笑った。
「たろさん、父親と同じこと言ってる」
「そりゃ、お父さんも可愛い娘なんだから心配だろう」
「私なんか、誰も襲いませんよ。色っぽくもないし、可愛くもないし」
「なんかは禁止な。愛理ちゃんは十分可愛い女の子だよ。自分じゃ気がつかないんだろうけど、君くらいの年頃の子って、みんなキラキラしてるもんなんだ。何て言うのかな、若いってそういうもんなんだよ」
二十歳の女子なんて、水滴が転がるくらいピッチピチで、若いってだけで、夜道に潜む変態にとってはヨダレが垂れるくらいのご馳走だ。
愛理だって、見た目地味ってだけで、素材が悪い訳じゃない。
襲われないなんて保障はどこにもないのだ。
「若いですか? もう二十歳ですよ」
「じゅ〰️ぶん若いから! 」
二人並んで歩きながら、愛理は横を歩く忠太郎を見上げる。
自分のことを本当に心配してくれているのが嬉しかった。
忠太郎の身長ならば、もっと足が速いだろうに、さりげなく歩幅を合わせてくれていたり、車道側を歩いてくれたりと、忠太郎と一緒にいると、愛理を女性として扱ってくれているのがよくわかる。
愛理だからではなく、忠太郎がそういう性格なんだろうが、大事にされて嬉しくない訳がない。
特に男性慣れしていない愛理にとって、忠太郎のさりげない気遣いにドキドキしまくりであった。
「あそこのマンションだよね。じゃあ、俺はここで」
「家に寄りませんか? 母も昨日のお礼を言いたいって言ってましたし」
「いや、もう遅いからね。お母さんには、こんなに遅くまで娘さんを引き止めてしまって申し訳なかったって謝っておいて」
見た目に合わず、紳士的ことを言う忠太郎に愛理は頭を下げた。
「送ってくださってありがとうございました。気をつけて帰ってくださいね」
「ああ、また来週。ほら、マンションに行きなさい」
忠太郎に促されて、愛理は振り返り振り返りマンションへ向かう。忠太郎は、愛理がマンションに入るまで見送ろうと、振り返った愛理に手を振って立っていた。
愛理がマンションの入り口に入ろうとした時、フラフラと酔っぱらった風体の男が、愛理に近寄って行くのに気がついた。明らかに愛理を目指している。
忠太郎は咄嗟に走り、男に気がついていないだろう愛理の名前を呼んだ。
「愛理! 」
愛理は振り返り、酔っぱらった男を見て硬直する。
男の手が伸びたのと、忠太郎が駆け寄ったのと、ほぼ同時だった。
男に腕を捕まれるより一瞬速く、忠太郎の手が愛理を引き寄せ、その広い胸にすっぽりと包み込んだ。
「おまえ?! 」
男は忠太郎を見て怒りの声を上げる。
「昨日だけじゃなく、何だって今日もこいつといんだよ! 」
「それは君には関係ない。君こそ、そんなに酔っぱらって、彼女に何の用だ? 」
男は大樹だった。
爽やかな紺と白のストライプのシャツを着ていたが、酔っぱらって着崩しており、ズボンから裾が半分でてしまっていた。
「おまえ! 何で電話に出ねえんだよ! 電源まで落としやがって!何回連絡したと思ってんだ! おまえなんかが着拒とか有り得ねえだろが!! 」
愛理は、大樹の怒声に完全に萎縮してしまい、忠太郎の上着に震える手でしがみついた。
「君は、愛理ちゃんと愛理ちゃんの友達を二股したんだろ? 愛理ちゃんは君とは別れるって言ってるんだ」
「うるせーよ! あんたにゃ関係ないだろ。俺がるりと何しようが、俺とこいつの関係とは別だろが」
それはそれ、これはこれ……と言い切ってしまう大樹に呆れながらも、忠太郎は愛理に確認をとる。
「愛理ちゃん、君はこの男とは別れたいんだよね」
愛理は大きくうなずく。
「別れる? 何でだよ! おまえは俺が好きな筈だ! 別れたいなんて嘘だろ? 」
「昨日、あの後、るりちゃんとよりを戻したんでしょ? るりちゃんからラインきたもの」
「るり? あいつはセフレだよ。おまえなんかよりずっといい女だけど、あいつからセフレ宣言されたし。それに、おまえだけで俺が満足できる訳ないだろ? おまえを彼女にしてやるって言ってるんだ。セフレの数人、いたっていいだろうよ」
本当は、今日のコンパで彼女をゲットする筈だった。
それが愛理のせいでイライラし、そのイライラが顔に出ていたのか、秘書課の女には全く相手にされず、やけ酒飲んでるりに連絡したら、他の男と遊びに行くところだからと言われ、他のセフレとも連絡がつかず……。最後の最後で怒りが爆発し、突発的に愛理の家までやってきたのだった。
うまくいかなかったことの元凶が全て愛理にある気がし、愛理を抱いてイライラをぶちまけようなんて、自分勝手な考えでいた。
「嫌です。セ……セフレがいようといまいと、大樹君とはもう無理なんです。連絡してきても、私は電話に出るつもりはありません。二度とうちにもこないでください」
愛理は、最大限の勇気を振り絞って、忠太郎にしがみつきながら叫んだ。
「何だと! 愛理のくせに生意気だろ!! 」
大樹は怒りに任せて愛理を忠太郎から引き離そうと、その髪の毛に手を伸ばそうとした。
その手を忠太郎が凄い勢いで叩き落とし、愛理を力強く片手で抱き寄せると、大樹を威圧的に睨み付けた。
「おまえは何様だ?! その口で彼女の名前を言うな! 不愉快だ!」
「はあ? おまえこそ何様だよ!」
「武田忠太郎だ! いいか、二度と彼女につきまとうな! もししつこくするようなら、うちの顧問弁護士に頼んで、おまえを訴えるからな。愛理ちゃん、こいつからの着信やメールは証拠になるから消去しないように。あと、思い出せるだけ記録を残すんだ」
「……日記はつけてます」
「はっ! 日記?! やっぱり根暗女はやることがレトロだな」
大樹が嘲ったように鼻をならすと、忠太郎は愛理の頭を撫でた。
「それも証拠になる」
「俺がこんな地味で根暗女のストーカー? バカも休み休み言え」
「今すぐ警察呼ぶか? 」
大樹はフラフラと後退ると、地面に唾を吐いた。
「チッ!! 」
大樹は「マジムカつく!! 」とか叫びながら公園の方へ歩いて行った。
「大丈夫? 」
愛理は、忠太郎の洋服をつかんだまま、座り込んでしまう。
「……たろさんがいて良かった」
忠太郎も、送ってきて良かったと、つくづく思った。
優しく手を貸して愛理を立たせると、背中に手を回してマンションに入るように促す。
「家まで送るから。お母さんは、あいつのことは知ってる? 」
愛理は首を横に振る。
「じゃあ、きちんと話しておいた方がいい。遅くなる時は、迎えにきてもらうんだ」
愛理はコクリとうなずく。
「あと、何かあったら……あいつからまた連絡きたりしたらすぐに連絡して」
「……いいんですか? 」
「バイトとはいえ、愛理ちゃんはうちに勤めたことになるからね。社員の安全を確保するのは社長の義務だよ」
背中に回された手が温かく、愛理の強張っていた身体が自然と弛んでくる。
「まだ三回目なのに……」
「うん? 」
「たろさんと会ったの、まだ三回なのに、たろさんってお父さんみたいで安心します」
「お……父さん……ね」
複雑な気持ちになりながらも、愛理が自分のことを信用してくれているんだと受けとることにする。
エレベーターを下り、忠太郎は家の前まで愛理を送り届けた。
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