第6話 愛理自宅
しばらくズンズンと歩いていたるりが、ピタリと立ち止まると、いきなりしゃがみこんでしまった。
「るりちゃん? 」
「ごめん……。ちょっと、ショックが大きくて……」
キャピキャピしていて、いつも強気なるりが、珍しく低い声で語尾まで普通に話していた。
そんなるりの背中を見つめ、愛理は自分の受けたショックは置いておいて、るりの心配をしてしまう。しかし、なんと声をかけたらいいかわからず、るりの回りでオロオロするしかなかった。
るりは、しばらくブツブツつぶやいていたかと思うと、スックと立ち上がっていつものるりスマイルを披露する。愛理が声をかけることもなく、一人で浮上したようだ。
「やあねぇ、何回も騙されちゃったわぁ。あいつったら、今回で懲りた。愛理には誠心誠意謝って別れたから……とか言うからぁ、ついつい信じちゃったわぁ。あらぁ、この人誰? 」
るりは、今初めて気がついたように忠太郎を見た。一度は会ったことあるし、会話だってしてるはずなのに、るりは全く覚えていないらしかった。個性的な忠太郎を一度見たら、忘れる人間はあまりいないのだが、眼中にない人間(主に男)は記憶に残さないのがるりだった。
「るりちゃん、ほらお財布の」
「お財布ぅ? 」
「公園で拾ったでしょ。その持ち主の武田さん」
「ああ! で、何でその武田さんがいるわけぇ? 」
愛理は今までの流れを説明する。
「あなた、ナイスだわ。たぶんこの子だけだったら、いいように言いくるめられてぇ、二股されてたはずだもん」
上から目線だが、騙されていたのは愛理同様るりもだし、こんなんでこれから先大丈夫なのか? と他人事ながら不安になる。
「二人共、送って行くよ」
「私は平気! 口直しに、男友達呼び出して遊び行くしぃ。愛理も一緒するぅ? 」
愛理は、ブンブンと首を横に振る。
「男の人はもう十分! 」
「まあ、君はその方がいい。じゃあ、大通りまで一緒に行こうか」
三人でタクシーを捕まえるために大通りへ行き、先にるりを乗せ、次にきたタクシーに愛理と忠太郎が乗り込んだ。
「今日は、色んな面でありがとうございました」
「いや、君とする食事は楽しかったよ。たまに仕事と無関係の人間と飲み食いするのはいいもんだ。気分転換になるから」
「それは良かったです」
自分と話して楽しいと言ってくれた異姓は、忠太郎が初めてだった。大樹とは、ほとんど会話もなく、会えばすぐにキスしたり身体をもとめられたりで、話しをしようとすると、そんなのはいいから……と会話にすらならなかったから。
忠太郎は、愛理の頭を撫でると、軽くその頭を引き寄せた。
「あ……あの? 」
「我慢してるのかなと思って」
「……」
「あんな奴だけど、好きだったんだろ? 泣きたかったら我慢しなくていいから」
涙腺が壊れてしまったかのように、愛理の目から一気に涙が溢れ出す。それは酔いも手伝って、しゃくりあげながらの号泣になる。
背中をポンポンと叩かれながら、愛理はその振動に、泣きながらも徐々に悲しい寂しいという感情以外のものを感じるようになった。
よくよく考えれば、男性の胸にしがみついての号泣とかまずあり得ないはずなのに、今はこの広くて固い胸の存在が有り難く、しがみつく手を離すことができなかった。
そうしているうちに次第に涙の量も減り、嗚咽から静かな息づかいに変わっていく。
それが寝息に変わったのに気がついた時には、タクシーは迷走状態に突入していた。
「愛理さん、愛理さん? 」
大体の場所は聞いていたから、愛理の家の近くに来ているのは確かなのだが、詳しい場所がわからない。大きな公園の回りをタクシーはグルグル回り、愛理のマンションを何回も通り過ぎた。もちろん、忠太郎もタクシーの運転手もそんなことには気づかない。いつまでもタクシーをベッド代わりにするわけにもいかず、忠太郎は少し強く愛理を揺さぶり、声をかけたが愛理が起きることはなかった。
「泣き疲れて、爆睡モードに入っちゃったみたいっすね」
タクシーの運転手が一度タクシーを停車させた。
「そう……みたいだな」
「うちの娘もそうなんすけど、泣いて疲れて寝ちまうと、叩いてもつねっても起きないんすよね」
「娘さん? 運転手さん若く見えるけど、結婚してるんだ」
「ええ、この間三つになった娘がいるんすよ」
タクシーの助手席の前に置いてある運転手の顔写真入りのプレートには、山田太郎二十四歳とあった。
三才の娘と同等に思われるのもどうなんだろう? と思いながらも、薬などを盛った訳じゃないから、泣き疲れで寝入ってしまったのは間違ってはいないのだろう。
「ちょっと、スマホ借りるよ」
忠太郎は、寝ていて無反応の愛理に一応声をかけると、愛理の鞄からスマホを取り出した。電話帳を開き、さっきのるりという女の電話番号を探す。
しかし、フルネームを知らなかったので、るりと瑠璃子の二人を見つけ、どちらがさっきのるりなのかわからなかった。
こうなるとしょうがない。自宅の電話番号を探した。
これはすぐに見つかり、忠太郎は一瞬躊躇したがすぐに通話をタップした。
『はい、はい。愛理、どうしたの? 』
娘からの電話だと思って、母親が気楽に電話口に出た。
『あの、夜分遅くに失礼します。私、武田と申します。お嬢さんに財布を拾っていただきまして、そのお礼に夕飯をご馳走させていただいたんですが、少し飲ませ過ぎてしまったようで、おうちまで送る途中で寝込んでしまわれたんです』
『まあまあ。それはご迷惑をおかけしまして』
『いえ、それで家の場所がわからなくて』
忠太郎は、今いる場所を説明し、愛理の家の場所を聞いた。
タクシーの運転手にその場所を伝え、もう一度公園を半周して愛理のマンションに到着した。
マンションの前には中年の女性が立っており、タクシーが停まると近寄ってきた。
「あらら、本当に爆睡ね」
タクシーを覗き込んだ女性がつぶやき、タクシーのドアが開くと、愛理の頬を叩きながら声をかけた。
「愛理、愛理! 朝よ、起きなさい!! 学校に遅刻するでしょ」
いつも起こすようにしてみたが起きない。
しょうがなく、タクシーの運転手と二人がかりでタクシーから下ろし、忠太郎の背中に背負った。
「ごめんなさいね。重いでしょう? 」
「いえ、全然」
そのままエレベーターを使い、八階の愛理の家へ向かう。角部屋のようで、廊下の一番奥のドアまでくると、母親はドアを開けて忠太郎を家に招き入れた。
「悪いけど、部屋まで運んでくれる? 夫は今日は出張でいなくて。まあ、いてもあなたみたいに愛理をおんぶして運ぶ腕力もないだろうけど」
愛理の部屋は、玄関から入ってすぐの右手にあった。
部屋に入ると、女の子らしいクリーム色に小さな花柄の壁紙、カーテンやベッドは淡いピンクで、家具は白で統一されていた。
見た目が地味で、質素な色使いの洋服しか着ない愛理にしては、ブリブリの少女チックな部屋だった。
忠太郎は、この部屋を見てインスピレーションが湧いた。下着の柄や形が頭に浮かび上がる。
「そこのベッドに寝かせて……あら? もしかしてそれ愛理のヨダレかしら? 背中にも、口紅が! 」
ヨダレというか、愛理の涙なのだが、それを言ったら母親が心配すると思い、忠太郎は曖昧にうなづいた。
「あらイヤだ、染みになっちゃうわ。すぐに洗うから脱いでちょうだい」
「いや、大丈夫ですから。作業着みたいなものですし」
「だめだめ、今お父さんの部屋着持ってくるから」
「タクシー、下で待たせてますから、本当にこれで……」
「ああ、そう! タクシー、お金払ってこなくちゃ。ちょっと待ってね」
愛理母は、忠太郎が止めるのも聞かずに小走りででていってしまう。
それにしても、爆睡している娘と見ず知らずの男を同じ部屋に放置して家を空けるとか、危機管理に問題があるんじゃ? と思わざるをえない。
しかし、人が良く、信じやすい性格は親子だからなんだろう。似ているのかもしれない。
忠太郎は、デッサンを描きたい衝動を抑えながら、とりあえず愛理の部屋で愛理母が帰ってくるのを待った。
愛理は規則正しい寝息をたてており、微動だにもしない。息苦しそうでもないし、過度の紅潮や蒼白なども見られないし、本当にただ熟睡しているだけなんだろうが、こんなに起きないと心配にもなる。
脈拍を見ようと、愛理の右手を取った時、母親が部屋に戻ってきた。
「あの、これは脈拍を……」
忠太郎が一人焦って言い訳(事実であるが)をしていると、愛理母は特に気にするでもなく、愛理の口元に手をかざして笑った。
「これだけ動かないと心配になるわよね。私もたまにお父さんが酩酊してる時にやるわ。呼吸してるから大丈夫よ。それより、お父さんのシャツで悪いけど、用意したから脱衣所で着替えてくれる? 洋服は手洗いするから、洗濯籠には入れないで置いておいてね」
結構ですと言っても聞かなそうなので、忠太郎は素直に脱衣所に向かった。
上下用意されていたが、取り合えず上だけを着替える。
少し小さめだったが、着れなくはなかった。
「あの、ではこちらをお借りして帰ります」
脱いだ洋服を丸めて持って帰ろうとすると、愛理母に洋服を奪われそうになる。
「ダメよ。きちんと洗うから。それともクリーニングじゃなきゃダメなやつ?」
「いえ、洗濯機OKなやつです」
「なら、私に洗わせてちょうだい。娘のヨダレつきのシャツを持って帰らせたなんて愛理が知ったら、愛理が恥ずかしがるだろうから」
そう言われると持って帰りづらく、忠太郎は素直に上着を渡した。
「それにしても、それ……ズボンなの? スカート? 」
幅の広い袴のような形のズボンを指さして聞かれた。この上に、ロングであわせの着物のような上着を着ていたから、まるでスカートを履いているように見えたが、実際はワイドパンツを履いていたのだ。
「面白い洋服ね。今、流行っているの? うちの娘は流行に疎いから、私もさっぱりわからなくて」
「流行っている訳じゃないです。楽な格好を追求したらこうなっただけで、自分で作ってるので、売り物ではないし」
「まあ! 自分で? プロみたいな縫製だけど……」
「俺はデザインだけ。作るのはうちのスタッフに頼んでいるので、プロと言えばプロですね」
説明不足と感じた忠太郎は、自分の名刺を愛理母に差し出した。
「通販ですが、下着を販売してる会社をやってます」
「あらやだ、社長さん? 」
「そんなに大きな会社じゃないです。最近、親のやっていた下着の卸しの会社から、自社のメーカーを立ち上げたばかりで、規模はめちゃくちゃ小さいですから。俺は社長というよりデザイナーメインでやりたい感じですし」
「デザイナーさんね。なるほどね。うん、なんかそんな感じするわ」
適当と言えば適当な返答であるが、愛理母は真面目に感心しているようだ。
「ではこれで。お借りした洋服は洗濯してお返しします」
「そんなの捨ててもらってもかまわないくらいよ。一枚千円の安物だしね。こっちも洗濯終わったら、後日娘から連絡させるわ」
「あの、あと、タクシー代、申し訳ないので請求してもらえますか? 」
「やだ、娘送って貰ったんだからいいのよ」
愛理母は愛理と違いフレンドリーな性格なのか、気にしないでよと忠太郎の腕を気楽に叩く。
「これに懲りずに、たまにうちの娘を連れ出してくれるとありがたいわ。何せ、ちょっと地味って言うか、インドアな娘だから」
「それはもちろん。仕事以外の付き合いは、俺もリフレッシュになりますし」
忠太郎は頭を下げて暇を告げると、愛理父の(ピチピチ)Tシャツを着てマンションを後にした。
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