第4話 金曜日がやってきました
約束の金曜日、愛理は箪笥の前で悩んでいた。
見ず知らずに近い男性との食事会。下手にお洒落をして勘違いされても困るが、相手が社会人だから、友達と遊びに行くようなフランクな格好もできない。
第一、食事をご馳走してくれると言っていたが、どんな店かもわからなければ、TPOを配慮することは難しい。居酒屋へ行くのか、イタリアンへ行くのか、フレンチへ行くのか、それにより格好は変わってくる。
……と言っても、全体的に地味な洋服しか持っていないのだから、いつも通りの格好をしていれば無難なのであるが、真面目な愛理は悩みに悩み抜き、ノースリーブの膝丈茶色のワンピースを手に取った。
濃い茶色の落ち着いた色合いは、上品そうに見えるし、白いカーディガンを合わせれば、ホテルのディナーでも大丈夫そうだ。居酒屋みたいなとこならカーディガンを脱げば少しくだけて見える……かもしれない。
でも、そう思っているのは愛理だけで、実際はピアノの発表会にいそうな格好なんだが、愛理はさらに洋服に合わせて小物類を選び、発表会らしさに輪をかけていく。
無難に茶色のバックに茶色の靴。髪をとめるシュシュも茶色にした。
どんどんピアノの発表会感が増す中、礼儀として化粧もしてみる。
あまり馴れていないせいか、不自然が半端なかった。
「あら、出かけるの? ずいぶんお洒落してるわね」
洗濯物をしまいにきた母親が、愛理の格好を見て目を細めた。
母親は、愛理に恋人ができたことに気がついていた。夜中に抜け出ることも、快くは思っていなかったものの、下手に叱りつけて家出されるよりはと、静観することに決めていたのだ。
そんな愛理がお洒落をし、いかにもデートに行くような格好をしているのだ。もしかしたら、彼氏の話しが聞けるかもしれない。娘の恋バナの相談を受けるのを心待ちにしていた母親は、今がそのチャンスとばかりに、愛理の隣りに立ち、化粧をした顔を覗き込んだ。
「あらま、なんかチークを入れる場所がおかしくない? 」
「そうなの? 」
一応、雑誌を参考にやってみたのだが、確かにしっくりこない。
母親が手直しすると、若々しいというより若干ケバメな化粧になる。
「濃くない? 」
「大丈夫よ。で、誰とお出かけ?」
「えっと、この間お財布を拾ってね。そのお礼に夕飯をご馳走してくださるって話しになって」
「男性? 」
彼氏ではなかったのかと、表情を曇らせる母親を見て、愛理は慌てて嘘をついてしまう。
「女の方よ」
「そう……あまり遅くならないようにね」
「うん、わかってる」
何故か気落ちして部屋を出る母親を不思議そうにチラリと見つつ、今の格好が正解か分からず頭を悩ませる。ただ一つの正解は、実は見えないところにあった。
愛理のつけている下着だ。
忠太郎の名刺に書いてあったHPからたどり着いたあの下着。申し込んでから二日という、びっくりするくらい最短時間で届いたのだった。
今日初めてつけた新品の下着は、程よく愛理の身体を補正し、姿勢までよくしていた。つけ心地もよく、苦しかったり痛かったりするところがない。
ほんのわずかかもしれないが、二割増しでスタイルがよくなった気がし、それが自信につながる。
愛理は鏡台の前に座り直すと、拭くタイプのクレンジングシートで化粧を全部落とした。
化粧をするのも礼儀なのかもしれないが、馴れない化粧は全く似合ってなかったし、逆に見る人に悪い印象を与えかねないと思った。
薄いリップだけ塗って部屋を出た。
★★★
約束の時間の十分前に公園についた。
虫除けを塗り、ベンチに座って待った。もう九月とはいえ、まだ蚊は健在で、こんなところで動かず十分もいたら、足は虫刺されだらけになってしまうだろう。
約束の十七時になっても、忠太郎は現れなかった。五分待ち、十分待ち、まさか七時の間違いか? とラインを確認してみたが、やはり文章では十七時となっていた。
それに、さすがに七時だと辺りは真っ暗になってしまうし、そんな時間に公園で待ち合わせはないだろう。
三十分待ったらラインをしてみようと、愛理はスマホを膝の上に置いておいた。
あと一分というところで、奇妙な格好の男性が走って公園に駆け込んでくるのが目に飛び込んできた。
またもや着物のようなロングスカートのような不思議な洋服を着て、前はピンクのメッシュが入っていたはずだが、全体金髪に変わっていた。
「わ……悪い、遅れた」
忠太郎は、息が切れて話せないようで、大きな身体でしゃがみこみ、ベンチに手をついてゼーゼーしていた。
「走っていらしたんですか? 」
「ライン……うとうか……と思ったんだけど……その時間も申し訳なくて」
「ああ、ごめんなさい、話しかけちゃって。少し呼吸を落ち着けてください。私は大丈夫ですから」
愛理は忠太郎の息が整うまで、何も言わずに待った。
三十分も遅れたのに、一つも怒っている様子のない愛理に、忠太郎は安心しつつ、こんなに人が良くて大丈夫だろうか……と、他人事ながら心配になる。
「ちょっと仕事でトラブルがあって、本当に悪かった。こんなことなら、店とかで待ち合わせすれば良かった」
誠実に頭を下げて謝られ、愛理は逆に恐縮してしまう。
「全然大丈夫ですから。それより、これ、お返しします。ありがとうございました」
愛理が鞄からアイロンをかけたハンカチの入った紙袋を取り出すと、一緒に虫除けも落ちる。
「これ……、ああ、そうか! そうだよな。こんなとこで待ち合わせなんか、蚊に刺されるに決まってるか。しかも待たせてしまって」
「いえ、私刺されやすいので、いつも持ち歩いていますし、それに約束の時間より早くきて本を読んだりするのが好きなんです。だから、待つのは全然大丈夫なんですよ」
慌てて虫除けをしまうと、愛理は立ち上がって、パタパタとスカートをはたいた。
「今日も早く来たのか? 」
「いえ、いえ、今日はちょっと洋服とか選んでいたら時間がなくなってしまって……そんなに早くはついてませんから」
選んだ洋服が……これかと、小学生のお出かけ着のようなワンピースに目をやる。しかし、愛理なりにお洒落をしてきてくれたんだろうと、そのダサさには目をつむる。
「それじゃあ、店に行こうか。待たせたお詫びに、うまいワインをご馳走しよう」
忠太郎が愛理をさりげなくエスコートして歩き出し、忠太郎いきつけの店に案内してくれた。
大通りから一本中に入った住宅街に、看板も出ていないお洒落なドアの店があった。一見、料理屋には見えない。どちらかと言うと、アンティークショップのようにも見える。
「ここ? 」
「ああ、ここは一日三組しか客をとらないけど、ちゃんとした料理屋だよ。昼二組に、夜一組。それ以外は店主の趣味でアンティークを売ってるんだ」
忠太郎がドアを開けてくれ、愛理は店の中に入った。
一階にはアンティークな家具や置物、食器などが飾ってあり、中二階のような場所に、アンティークのテーブルと椅子、真ん中にランプが置いてあり、食事のセッティングがされていた。
「いらっしゃいませ、武田様」
「やあ、久しぶり。今日は急な予約に対応してくれてありがとう」
「いえ、いえ、とんでもございません」
長髪を後ろで結んだ、まだ三十代くらいの若い店主が一人出てきて、忠太郎に頭を下げた。
中二階に通され、店主が椅子を引いてくれて椅子に座る。
「ここはね、メニューがないんだ。その時期の店主のこだわりの料理がでてくるんだよ。和食の時もあれば、イタリアン、フレンチ、中華、よくわからない多国籍料理みたいなときもあるな」
「食前酒はいかがいたしましょう? 」
「おすすめで頼むよ。あと、料理に合うワインを選んでいれてくれ」
「かしこまりました」
もしかして、凄く高い店なんじゃないだろうか?
愛理はワインとか全くわからないのだが、値段とか見ないで注文していいんだろうか?
愛理は緊張して、背筋をピシッと伸ばしたまま、何が運ばれてくるのかと会話どころじゃなかった。
「ルイ・ロデレールクリスタルでございます」
金色の可愛いラベルのシャンパンが運ばれてきて、目の前でポンッと小気味良い音でコルクが抜かれる。
シャンパングラスに注がれたシャンパンも淡い黄金色で、細かな泡がきめ細かくたっており、フワッと甘い香りが漂った。
「鮮魚とアンチョビのマリネです」
前菜も運ばれてくる。
運んできたのは女性で、店主の奥さんだろうか? ショートカットが似合う、切れ長の目をした背の高い女性だった。
「やあ、
「昨日は和食だったんですけどね」
「残念! 〆の雑炊が食べたかったよ」
料理を作っているのは彼女のようだ。コックコートを着ているし、女性ではあるが化粧はしておらず、爪も短く切られていた。
ということは、彼女が店主?
「愛理さん、彼女はここの店主で
「はじめまして、松岡愛理です」
「あらあら、たろちゃんの彼女にしてはずいぶん可愛らしいこと」
「そんな、彼女なんかじゃ……。あたしなんかめっそうもない」
愛理は真っ赤になって否定したが、忠太郎はごく普通に返す。
「こんな若い子が彼女だったら、創作意欲も湧くんだろうけど。それより麻璃子さん、たろちゃんは止めてよ。もう大人なんだから」
「そうね、社長さんに失礼よね」
「社長さん?! 」
愛理が驚いて声を上げると、忠太郎は気まずそうに頭をかく。
「社長っていうか、うちの家業継いだだけで、俺は社長業よりもデザイナーしてたいんだけど」
「あら、ただの卸しからいっぱしのメーカーになったじゃない」
「まあ、通信販売専門だけどね」
メーカー?
通信販売?
そこで、愛理はスマホを出して下着を買ったサイトを開いた。通販のみの下着メーカー、雑誌とかでも最近取り上げられていた。忠太郎はこの会社の社長だというのだろうか? しかもデザイナーでもあるということらしい。
「あの、これですか? 」
「そうそう。名刺のHP見てくれたんだ」
「買いました! 今もつけてます。すごくつけていて気持ちいいです。なんか背筋が伸びる感じがして」
「ありがとう」
忠太郎が満面の笑顔を浮かべた。その笑顔を見て、愛理はドギマギしてしまう。多少格好が奇妙なだけで、モデルでも通るような容姿をしているため、たまに見せる笑顔は破壊的なのだ。
真っ赤になってうつむいてしまう愛理を微笑ましく思いながら、麻璃子は次の料理の準備に厨房へ引っ込んだ。
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