第3話 再開の約束

「おまえのせいで、るりと寄り戻せなかっただろ?! 後少しだったのによ! 」

「でも……だって……」


 愛理は、スカートのサイドをギュッと掴むと、うつむいて唇を噛む。


「ったく、これだから女子校育ちの未経験女は嫌なんだよ! 雰囲気読めよ! おまえみたいに地味で恋愛経験ない女より、るりの方がいいに決まってんだろ」

「……」


 愛理の目に涙が浮かび、それでも涙が零れないように必死で耐える。


「たった数回ヤっただけで彼女面とか、ありえねぇんだけど。あんたも、こんなめんどくせー女ナンパとか、マジで止めといた方がいいぜ」


 恥ずかしくて消えてしまいたかった。

 見ることはできないが、きっと困ったような表情をしているに違いない。面倒なのに関わっちゃったと、早く立ち去りたいと思っていることだろう。


「あの、……本当にお礼はけっこうですので……どうか行ってくだ……さい」


 言葉を発した途端、涙がボロボロと流れてしまったが、なんとか頑張って忠太郎に笑顔を向けた。


「最低最悪だな」


 確かに、全く無関係なのに、こんな場面に遭遇してしまい、最悪な気分にさせてしまった。


「……ごめんなさ」


 謝ろうと頭を下げようとしたところ、忠太郎の手が愛理の頭に伸び、ポンポンと優しく叩いた。


「社会勉強だ。いい経験じゃないかもしれないが、さっさと忘れるんだな」


 そのまま愛理の背中に軽く手を当てると、大樹をガン無視して愛理を促しながら大樹の横を素通りしようとする。


「ま……待てよ! 俺はまだ言い足りねえんだよ!」


 愛理の腕を掴もうとした大樹の手を、忠太郎は素早く払いのけ、威圧的に上から見下ろした。二十センチくらいの身長差に、大樹はびびって後退る。


「こ……こんなマグロ女、面白くもなんともねえぞ! 」


 忠太郎の怒りのこもった眼光に、大樹はチッ! と吐き捨てると、駅の方向へ歩いていった。


「ごめんなさい」

「謝ることじゃない」


 堪えきれない涙が溢れ、愛理はうつむいたままごめんなさいを繰り返した。

 荷物を持ってこなかったから、ハンカチもティッシュもない。鼻はたれそうになるし、涙は止まらないし、愛理自身どうしたらいいかわからない状況になってしまう。


「ほら、ハンカチ」


 忠太郎はハンカチを取り出して愛理の目に押しやると、ゴシゴシと拭く。


「ほら、鼻も」


 さらにポケットティッシュを取り出し、「鼻チンしな」と子どもにやるように鼻にティッシュをあてる。


「じ、自分でできます」


 涙も引っ込み、愛理は涙のたまった瞳で恥ずかしげにティッシュを受け取った。後ろを向いて鼻をかむ。


「ハンカチ、洗濯して返します」

「いや、別にいいけど……。そうか、そうだな。じゃあ、そうしてもらおうか。ライン交換いい?」


 ついでに、その時に財布を拾ってもらった礼をしようと思った忠太郎は、ラインを交換しようとスマホを出す。


「すみません。スマホ、今手元になくて」

「ああ、そうだったよな。じゃあ……」


 忠太郎は名刺を取り出すと、裏にラインIDを書く。

 普通の会社員の白黒の名刺と違い、カラフルな模様にロゴのようなマークが入っており、ローマ字でC.Takedaと書いてあった。

 Cは忠太郎の頭文字だろう。

 それにしても、遊びようの名刺だとしか思えない。

 電話番号もスマホの番号で、eメールアドレスはPCのものだろうか? HPのアドレスものっているが、これはロゴの会社のものか個人のものかわからなかった。

 ただ、それを調べてみようと思うほど興味もなかったので、愛理はハンカチを返すためだけにポケットにしまった。


「じゃあ、ハンカチ洗濯してお返ししますから」


 愛理はペコリとお辞儀をすると、るり達の待つ喫茶店の方向へ小走りに走った。

 その後ろ姿を見て、忠太郎は名前を聞いていなかったことに気がついた。


       ★★★


 あれから一週間後、愛理は忠太郎にラインを入れた。


 愛理:ハンカチをお返ししたいのですが、都合の良い日にちと時間帯を教えて下さい


 名前を入れたほうがいいのか悩んだが、名前を名乗った記憶もなかったし、どうしようか考える。しばらく画面を見ていると、既読がつくが返信がない。


 愛理:松岡愛理と申します。以前、お財布を拾ってハンカチをお借りした者です。覚えていらっしゃいますでしょうか? 


 すぐに既読がつく。


 武田:ども、武田です。覚えてます。すみません、仕事中なんで後で連絡します


 愛理は、ごめんなさいと謝っている羊のスタンプを送り、スマホの電源を切った。


 たったこれだけのことだが、愛理は凄まじい疲労感を感じていた。

 まず、よく知らない人に自分からラインを送るのに、十数分の躊躇いを感じ、さらに相手が男性であるということに、その倍以上の時間スマホを握りしめ、文章を作っては消し、消しては作りを繰り返し、たったあれだけの文章を送信するのに、一時間以上を費やしていたのだ。


 愛理は、スマホを握ってテーブルに突っ伏し、時計をちらりと見る。

 ラインを送っても迷惑にならない時間、仕事も終わり、夕飯も食べただろう時間、かといって遅すぎて失礼にならない時間を考え、八時過ぎならと、愛理は夕飯も食べることなく七時くらいからスマホと睨めっこしていた。

 今は九時少し前。九時を過ぎていたらラインは後日送っただろう。

 しかし、この時間でなお、忠太郎はまだ仕事中だと言う。


「何してる人なんだろう? 」


 名刺を透かして見る。

 もちろん透かし彫りもないし、特別な加工がされている訳ではないので、特殊な文字が浮かび上がることもない。

 会社のロゴみたいなマークのみで、会社名が買いてあるわけでも、役職が買いてあるわけでもない。こんな時間まで仕事をするなんて、何の仕事ををしているんだろうという興味から、HPアドレスを検索してみた。

 忠太郎自身に興味がある訳でなく、純粋な好奇心である。第一、忠太郎の外見で普通の社会人ができるとも思わず、あんな身なりの人が働ける会社って……と不思議にも思ったのだ。


 でてきたのは、下着姿の女性のドアップな写真。

 思わず、エロ画像に接続してしまったのかと、慌ててスマホを閉じる。


 いや、でも、写真の下に名刺のロゴマークがあった気もする。


 愛理は、恐る恐るスマホを開いてみた。

 下着姿の女性はそのままだが、あまりイヤらしい雰囲気には見えない。爽やかというか、裸を強調しているポーズではなかった。

 画面をスクロールさせると、数人の胸のアップやお尻のアップなどもあったが、小さなブラで胸を強調しているグラビアなどと違い、適正な大きさで形良く補正された胸元は美しく、姿勢さえもよく見える。ショーツも同様で、尻が綺麗に見えるように補正が入っているのか、ヒップラインが高く、足が長く見えた。


 こんなに綺麗なボディラインになるのなら、多少高くてもこの下着が欲しいな……そう思わせる写真ばかりだった。


 ほとんど女性の下着姿だったが、からんで男性の下着姿もあり、最後に数人男性の股関のアップや引き締まった尻のアップもあった。


 つまりは……?


 エロ画像サイトの主催会社ではなさそうだが、もしかして……下着の会社だろうか?


 数ある画像の中で、気になる下着の写真をタップしてみる。すると、ビンゴ! 購入画面が出てきた。

 決して安くはない値段だが、あんなに綺麗に胸が見えるのなら、購入してみても良いかもしれない。

 通常65のBの愛理は、サイズを選んで購入ボタンをタップする。

 カードは持っていないので、着払いにしておく。


 そんなことをしているうちに一時間ほどたち、忠太郎からラインが入った。


 武田:すみません、遅くなりました。武田です


 愛理:お仕事終わりましたか? お疲れ様です


 武田:いや、とりあえず休憩です


 もう十時過ぎだ。

 ブラック企業……ってやつだろうか?


 愛理:大変ですね。あの、お忙しいとは思いますが、ハンカチをお返ししたいのですが……。もしお時間のご都合がつかなければ、郵送しても良いのですが。


 ちょっとしたお礼の品とハンカチを送ろうと思っていた。

 いくらハンカチを借りたとはいえ、ほぼ見ず知らずの異性と二人っきりで会うのは、愛理にはハードルが高すぎたから。


 武田:いや、財布を拾ってもらった礼もしたいので、時間作ります。平日と土日、どちらがいいですか?


 会うのか……と気が重くなりながらも、スマホのカレンダーアプリをチェックする。

 昼間なら、土日は空いているし、あとは水曜日金曜日なら大学は午前だけだ。

 それをラインで送ると、少し時差がり返信がくる。


 武田:金曜日の夕方はどうだろう?お礼に夕飯をご馳走したいんだけど


 愛理:お礼なんて気になさらないでください


 武田:いや、俺の気がすまないから


 愛理:では、金曜日に


 武田:了解、金曜日17時にあの公園で


 愛理:了解いたしました


 愛理はラインの終了に大きく息を吐いた。


 ついに約束してしまった。

 しかも、お夕飯まで一緒に……。


 愛理は、カレンダーアプリを開き、予定を書き込む。

 大学の講義の予定ばかり書いてあるカレンダー。

 友達と遊ぶ予定も、もちろんデートの予定すら書いてない。


 大樹とは、あれから連絡を取っていない。向こうから謝罪のメールもなければ、会おうという突発的な連絡もない。

 今まで、デートの約束をしたことはなかったが、今から家にこないかというメールがたまに届いていて、愛理はそれをとアプリには書き込んでいた。


 喉の奥がひきつれるような感覚がし、愛理は咳払いをして唾を飲み込む。


 デートの予定を全て消去し、スマホの電源を落とす。


 もう、忘れよう……。


 愛理は、夕食を食べにリビングダイニングへ向かった。


 両親はすでに寝ており、愛理の食事だけがテーブルの上にラップがかかって置いてあった。


「いただきます」


 レンジでチンすることなく、愛理は夕飯を食べる。

 大学生になってから、サークルの付き合いもあるだろうからと、家族揃って食事をとることが減った。食事がいらない時は朝に言えばOKだし、帰りが遅くても文句を言われたことがなかった。

 突き放されているのではなく、信頼されているんだと理解している。


 だから、大樹のところへ夜中に出かけるのは、信頼してくれている両親を裏切っているようで、心苦しかった。でも、それをおしてなお、初めての恋愛は愛理を突き動かしていたのだ。


 もう、両親を裏切るようなことはしなくていいんだ……。


 それは、ホッとすると同時に、何かを無くしたような寂寥感に襲われた。思い出さないようにしようと決めたそばから、恋愛していた自分を思い出さずにはいられない。

 ただそれは、大樹に惚れまくっていたからではなく、恋愛していた自分がいなくなってしまったことに対する思いであったのだが、経験値不足の愛理には、大樹と別れた切なさと区別がついていなかった。

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