第七話

「蓋は持ち上げればいいのですか?」

 リリィは箱を手元に引き寄せると、両手を箱の蓋にかけた。

「ああ、ただの被せ蓋だ。すぐに開く」

 ダベンポートが頷く。

「はい」

 リリィは箱の蓋に両手をかけるとそれを持ち上げてみた。

「あれ?」

 だが、蓋は動かない。蓋を持ち上げようとすると、箱ごと持ち上がってしまう。

 そんなリリィの様子をダベンポートはニヤニヤしながら見るだけだ。

「旦那様、開きません」

「リリィ、想いが足りないんだ。もう一度、今度はお祖母様のことを思い出しながら開けてごらん?」

 ダベンポートはリリィにコツを教えた。

「その箱は、贈られた人が贈った人のことを想わないと開かないらしい」

「そうなんですか」

 坐り直し、思い出の中の祖母を思い浮かべてみる。

 柔らかい日の射す午後のリビング。窓の外には海が見え、祖母は膝の上に紅茶のソーサーを乗せている。

(お祖母様……)

 リリィはもう一度箱の蓋を持ち上げてみた。


 コト……


「あ、開いた」

 今度はゆっくりと蓋が上がってくる。

 心なしか、蓋のルーンが淡い光を放っている気がする。

 蓋が、開いた。

 同時に広がる祖母の匂い。

「旦那様、開きました」

 少し胸が高鳴るのを感じながらリリィはダベンポートに告げた。

「ああ、開いたね。何が入っているんだい?」

 ダベンポートも身を乗り出す。

「見てみます」

 リリィは蓋を傍に置き、箱の中を覗き込んだ。


 最初に目についたのは麻紐で括った手紙の束だった。

「あ。これ、わたしがお祖母様に送ったお手紙……」

 全部とってあったんだ。

 それぞれには祖母の返信がつけられていた。だが、どうやら送られることはなかったらしい。

「お返事も書いてくださっていたんだ」

 次に目についたのはリリィが子供の頃に描いたお絵かき、綴り方に使っていたノート、それに小さな髪留めやペンダント。祖母と一緒に作った押し花も丁寧に仕舞われている。

「これ、ひょっとして全部わたしとの思い出?」

 思わずリリィは息を飲んだ。

「ああ、どうやらそのようだな。ちょっと見てもいいかい?」

 ダベンポートは真剣な顔でリリィに訊ねた。

「はい、どうぞ」

 いつの間にかにダベンポートが仕事用の手袋をしている。

 ダベンポートは白い手袋で箱の中を吟味した。

「ふむ、手紙、お絵描きか。おや、似顔絵まであるな……」

「それは祖母と二人で似顔絵描きっこしたものです」

 子供の頃のリリィが描いた絵は拙い。今見ると右と左で耳の位置がずれてしまっている。だが、それでも祖母の特徴はよく捉えているようだ。

「どれも想いがこもった物ばかりのようだね」

「はい」

 リリィは少し、目が潤んでいることを意識した。ハンカチを出すとダベンポートが気にするかも知れないので目を瞬かせて我慢する。

「リリィ」

 相変わらず箱の中を丁寧に調べながらダベンポートはリリィに言った。

「因果律の改竄かいざんって、知っているかい?」


 因果律の改竄?

 難しい言葉だ。

「いえ……」

「因果律というのは『原因』と『結果』の結びつきだ。『幸せの箱』はこの因果律を想いの力で改竄すると言われているんだ」

 ダベンポートは顔をあげるとリリィの顔を見た。両手を使ってリリィに判るように説明する。

「時間が流れると『原因』が『結果』に繋がる。この『結果』がまた新たな『原因』となって次の『結果』を呼び寄せる。これが『運命』だと考えた人がいるんだよ。この説によれば、その流れは根から木が枝分かれするように樹状になっているのだそうだ」

「大きな樹のように、ですか?」

「ああ」

 ダベンポートは頷いた。

「その枝分かれの部分が『選択』だ。この選択によって未来が変わる」

「未来が変わる……」

 リリィは両手で口元を抑えながら考えていた。

 未来が、変わる。

 リリィの選択。

 祖母から魔法院に行きなさいと優しく促された時、頑張れば家にいることもできたと思う。だが、リリィは魔法院に行くことを選択した。

 魔法院で仕事先の家を探しているとき、リリィはダベンポートの申し出を受けることを選択した。

 毎日、リリィは献立を選択し、ダベンポートのハウスメイドであることを選択し、そしてずっとダベンポートに仕えようと選択している。

 全ては選択。

「では、この箱はわたしの『選択』に影響を与えているのですか?」

「リリィだけにではない。世界中の全ての人にだよ」

 ダベンポートは微笑んだ。

「僕にも、アンジェラ先生にもマーガレット夫人にも、そしてキキにも。全ての選択が贈られた人にとって最善となるように、この箱は世界に影響を与えるのだそうだ」

「そんな、まさか!」

 では、ダベンポートがリリィを選んでくれたのもこの箱のおかげ?

 キキが逃げないのも?

 そして、祖母の葬儀でアンジェラ先生に会ったことも?

「まあ、正直僕にはよく判らん」

 ダベンポートは両手を挙げて『お手上げ』のポーズをした。

「魔法学者の中には『事象の地平面イベント・ホライゾン』に影響を与えるとか言う者もいるが、そんな抽象的なこと言われてもは僕には判らん。だが、リリィのお祖母様がリリィのことを想っていたことだけは本当なんだろうな。確かにこの箱には何かの力を感じる」

「…………」

 旦那様に判らないことがわたしに判る訳がない。

 不思議な箱。


 ふと、リリィは箱の中に一通だけ「リリィへ」と自分に宛名されている手紙が入っていることに気づいた。

「あれ、これはわたしに?」

 箱の中から封筒を取り上げる。

 その手紙はまだ封が切られていない。

 ダベンポートが渡してくれたポケットナイフを使って丁寧に封を切る。

 その手紙は、

「リリィ、あなたがこの手紙を読んでいる時には、私はもうこの世にいないことでしょう……」

 と言う書き出しで始まっていた。

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