第五話

「さて、そろそろ私の馬車が来る頃だ。リリィ、どうする? 乗って行くかい? それとももう一晩ここで過ごすかい?」

 ひとしきり談笑したのち、アンジェラ女史は「どっこらせ」と掛け声をかけてソファから立ち上がった。

 日は中天に近い。今汽車で帰れば夜中には魔法院に着く時間だ。特等の切符があるからアンジェラ女史の席の隣に座っても問題はないだろう。

「はい……」

 リリィはひとしきり考えたが、やっぱりすぐに帰ることに決めた。キキの事が心配だったし、ダベンポートの顔も見たい。

「そうですね、わたしも帰ります」

「もう一晩いらっしゃっては如何ですか」

 マチルダはリリィに言った。

「私のことであればお気遣いなく。ここはリリィ様のお家です」

「いえ、ここにいてもする事がないし……。それにお祖母様の事ならどこからでも偲べます」

「そうですか。ぜひまたおいでくださいませ」

 マチルダはさほど引き止めることをせず、それだけを言うと頭を下げた。


「でも、アンジェラ先生はどうやってここにいらっしゃったのですか?」

 教会の前で馬車に乗り込んだ帰り道、少し不思議に思ってリリィは向かいのアンジェラ女史に訊ねた。

 この村の駅前には宿屋がない。普通に汽車に乗っても到着は夜になる。どうやって朝、ここに来たのだろう?

「夜行の汽車が一便だけあるのさ。特等であればベッドが使える。でも汽車の中では眠れなくてね、難儀したよ」

 草に覆われた道を走る馬車に揺られながらアンジェラ女史は顔を顰めた。

「まあ」

 思わず片手が口元に伸びる。

「エディスには世話になったからね。しかし、マチルダも卒がないよ。私にまでテレグラムを寄越したんだ。惜しいねえ、あれも優秀なハウスメイドだったんだが」

「そうでしたか」

 リリィは頷いた。

 きっと、マチルダさんは立派なハウスメイドだったんだわ。あんな人見た事がない。まるで家の一部みたいだったもの。

 でも、不思議とリリィはマチルダには憧れを抱かなかった。優秀なハウスメイドなのだろうと尊敬はするが、わたしはもっと旦那様の近くに居たい。マチルダの距離感はどこかよそよそしく感じた。

「まあ、惜しいと言うこともないか」

 ふと、アンジェラ女史は含み笑いを漏らした。

「ハウスメイドが家の主になることは少ないんだ。ところがエディスはひょんな事からあの別荘をもらってね。だから私のところのハウスメイドを辞めたんだが……それを引き継ぐマチルダも運が良いと言えるかもねえ」

「そうですね」

 リリィは頷いた。

 将来のことなんて考えたことなかった。

 わたしはお婆さんになった時にどうしているんだろう? きっとキキは虹の橋を渡っちゃう。その時でも旦那様はわたしと一緒に居てくれるだろうか?

 でも、旦那様が誰かと結婚してしまったら……

 リリィは怖い考えを払うようにふるふると首を振った。

「まあ、あんたは坊やと一緒になれば良いよ」

 アンジェラ女史はリリィの考えを読んだかのように目を細め、柔らかい笑顔を見せた。

「放っておけばいずれ坊やダベンポートの方から結婚を申し込んでくるはずだ。まあ受けるかどうかはあんた次第だが、それも良いんじゃないかい?」

 いたずらっぽい笑顔。

 リリィが耳まで赤くなる。

「そんな、そんなこと……だいたい、身分が……」

「ハッ!」

 真っ赤になった頰を両手で隠し、モジモジと身を捩るリリィの言葉をアンジェラ女史は笑い飛ばした。

「リリィ、魔法の勉強っては常識を疑うことから始まるんだよ。まあ、見ておいで。あんたらが相思相愛なのを私は知っているんだ。せいぜい坊やに尽くすことだね」

…………


 汽車が駅についたのはもう夜の十二時近くだった。

「帰ってきたねえ」

 タラップを降りたアンジェラ女史がトランクを足元に降ろし、「んーっ」っと唸り声を上げながら腰を伸ばす。

「やあ、おかえりリリィ。お疲れ様でした、アンジェラ先生」

 駅に降り立った二人を待っていたのは平服姿のダベンポートだった。

「旦那様! どうして!?」

 嬉しいお迎えに思わずリリィの頰が緩む。

「なに、テレグラムをもらったのさ」

 ダベンポートはリリィとアンジェラ女史のトランクを両手に持つと先に立って歩き出した。

「リリィのお家のメイドさんは優秀だね。汽車の到着時間とアンジェラ先生が一緒にいることを僕にテレグラムしてくれたんだ」

「そうだったんですか」

 リリィが頷く。

 ふと、リリィは

「キキはどうでしたか? ちゃんといい子にしていましたか?」

 とダベンポートに訊ねた。

「キキはずっと寝ていたよ。僕が相手では退屈らしい」

 ダベンポートは隣に並んだリリィに言った。

「ところがあまり食べなくてね。適当に焼いたステーキのカケラをやったんだが、あまり食べなかった。夜中に一人で何か食べていたようだ」

「あの子、暖かいお肉は食べないんです」

 リリィは笑顔を見せた。

「キキにあげるときは冷ましてからあげないと食べないんです。なぜかは判りませんが」

「ふん、グルメな猫だな。甘やかしすぎたんじゃないか?」

 ダベンポートが眉を顰める。だが、その様子は楽しそうだった。

「まるで夫婦だねえ」

 そんなやり取りを後ろから見ていたアンジェラ女史は二人をからかった。

坊やダベンポート、この前も言っただろう。もうとっととリリィと結婚しな。そのほうが坊やのためだ」

「先生、僕たちはそういうのじゃないんですよ」

 すぐにダベンポートが反駁する。朴念仁のダベンポートにはリリィの気持ちが判らない。

「リリィ、坊やの言うことは言葉通りに受け取るんじゃないよ? この子はまだ自分のことすら判っていないんだ」

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