第三話
リリィの祖母にはリリィ以外に身寄りがいない。
したがって、半ば自動的にリリィが祖母の葬儀の喪主となった。
神父の助言を受け、リリィは翌朝から日付が変わるまでをお通夜にした。
寝室に眠るように横たわる祖母を時折近所の人が弔問し、そして静かに帰っていく。
お通夜の明けたまた翌日、リリィの祖母の葬儀は粛々と行われた。
朝に大きな馬車が家の前に静かに止まり、棺に収められた祖母を村の男性たちが運び出す。悲しげに黙りこくった男たちは馬車の後部ドアから棺をゆっくりと中に収めた。
観音開きのドアが閉められ、棺を乗せた馬車がゆっくりと教会の裏の墓地に向けて歩き出す。
緑の草の茂った丘の向こうに青い海が見える。
教会の前にはすでに人が集まり始めていた。どの顔も知っている顔だ。お隣のおじいさん、小間物屋のおばあさん。年老いた村の人たちが悲しそうに顔を伏せ、静かに立ち尽くしている。
参列者たちが一礼し、近づいてきた馬車に道を譲る。
水色の薄曇りの空の下、祖母の棺を乗せた馬車は教会の横の小道へと入っていった。
リリィの祖母は基本的に無宗教だった。
「もちろん、神様はいらっしゃるわよ」
時折教会の話題になると祖母はリリィに言ったものだ。
「でも、神様は教会にはいらっしゃらないわ。それに歌をうたったりお祈りをしても神様がお喜びになるとは限らないでしょう? 神様はね、信じること。それで十分なの」
だからリリィの祖母は教会にも行かなかったし、お祈りもしなかった。
(そうか、お祖母様は魔法院にいたから……)
今では何となく判る気がする、馬車の隣を歩きながらリリィはぼんやりと考えていた。
魔法院は究極のリアリストの集団だと以前ダベンポートが言っていたことがある。
(旦那様と一緒だ。旦那様も教会は本を借りる時くらいしかいらっしゃらないもの。もっとも旦那様の場合、そもそも神様のことを信じているかどうかすら怪しいけど)
集まった人たちは少なかった。全部で三十人くらいだろう。小さな村なので、大人が全員参列してもそれくらいの人数にしかならないのだ。
馬車が墓所の先に停まると、待っていた墓守が観音開きのドアを開いた。誰に指示される訳でもなく、周囲の男たちが馬車から棺を運び出す。男たちは棺を穴の横に安置し、その場で一礼すると参列者たちの後ろに回った。
神父が棺の前に立ち、参列者たちを穏やかに見回す。
「では、これより葬儀を始めます」
質素な僧服を身にまとった神父は無言の参列者に向けて厳かに式の開始を宣言した。
…………
神父が村の儀礼に則り葬儀を進めていく。故人を祝福する言葉と送る言葉、それに故人を暖かく迎えて欲しいという神への願い。落ち着いた、だがよく通る声で参列者たちの頭上に向かって呼びかける。村人たちは昔からの取り決め通りに願いの言葉を唱和し、そして一緒に聖歌をうたった。
「それでは、故人に最後のお別れを」
棺が開けられ、中からドレスに包まれた祖母が現れた。
両手を重ねて横たわるその姿は本当に眠っているかのようだ。
「お祖母様……」
リリィは隣に佇むマチルダから手渡された百合の花を祖母の顔の横に供えた。祖母の隣にまっすぐに立ち、静かに祖母の顔を見つめる。
もう、リリィは悲しいとは感じなかった。昨日のうちに十分にお別れはした。
もう、別離の痛みは感じない。
自分でも不思議なくらいリリィの心は平穏だった。
「リリィ、人は誰でもいつかは死ぬわ」
一度、祖母は柔らかな夕方の日差しを浴びるロッキングチェアに揺られながらリリィにそう言って微笑んだ。
「でもね、それはお別れとは違うの。むしろ逆よ。肉体があるという事は不自由な事。でも肉体の呪縛から解き放たれれば人は自由になるのよ」
その時は祖母が何を言っているのか、リリィにはよくわからなかった。
でも、今は判る。
「常しえに、安らかに」
昔から決まっている弔いの言葉。リリィは最後に祖母に上品に礼をすると、次の人に場所を譲った。
リリィに続いて村民たちが次々に花を棺の中に手向けていく。中には目に涙を浮かべた夫人もいる。
(不思議な人……)
祖母に花を手向けてリリィの隣に帰ってきたマチルダを横目で見ながらリリィは考えていた。
問わず語りに本人が話してくれた事によれば、前の屋敷から
リリィが魔法院に旅立った後、祖母は急激に衰えたようだった。マチルダが一緒にいる時は窓際のロッキングチェアで微睡んでいる事が多かったらしい。
(お祖母様もお加減が悪いのならお手紙くらいくれれば良かったのに。でも、そうしたら帰ってきちゃったかも。だからこれで良かったんだ)
リリィは人見知りだ。だから、知らない人がいたら緊張する。
だが、不思議なことにマチルダに対しては全く緊張する事がなかった。
リリィが着いた夜、
「お待ちしておりました、リリィ様」
とマチルダが濃い青色のドアを開けた時もリリィは不思議なくらい何も違和感を感じなかった。
懐かしい祖母の匂い。それ以外には何もない。
マチルダは祖母と同年代か、あるいは少し年下の老女だった。背の高さはリリィと同じくらい。後ろでまとめた茶色の髪には白髪が混じっている。茶色い暖かな色の視線はとても優しい。
そして、まるで空気のような存在感のなさ。
口を噤んだマチルダには全くと言って良いほど気配が感じられなかった。
「ありがとうございます」
ドアを開けてくれたマチルダにリリィは頭を下げた。
「ではリリィ、私は行くよ。大丈夫だね?」
後ろからリリィに神父が訊ねる。
「はい、大丈夫です」
どこかふわふわとした頼りなさを感じながらリリィは答えた。
とりあえず、かつて自分の部屋だった二階の寝室に荷物を上げる。一階もそうだったが、二階の造作も二年前と全く変わっていなかった。
「こんなものまで残してあるんだ……」
リリィはドアの横の壁に貼られた長細い紙を見て思わず微笑んだ。
これは祖母が作ってくれた、リリィの成長を記録するための紙だった。
三角定規を使い、時折祖母はリリィの背丈を計るとその紙に太い線と日付を記してくれた。
「ほらリリィ、あなたまた一センチも背が高くなったわよ」
そう言って祖母が嬉しそうに笑ったのがつい昨日の事のようだ。
普通、メイドが来れば家の雰囲気はどうしても変わる。片付けも掃除もすべてを取り仕切るハウスメイドであればなおさらだ。
それなのに、マチルダの場合は家の雰囲気を全く変える事なく、まるで以前からそこにいたかのように溶け込んでいた。
まるで空気か水のよう。
(特別なメイドさんなのね、きっと……)
「やっぱり! リリィじゃないか!」
つと、リリィは後ろから話しかけられてハッと現実に引き戻された。
この声は?
びっくりして身体ごと振り返る。
そこに立っていたのは、ダベンポートも恐れる魔法院のアンジェラ女史だった。
「アンジェラ先生!」
思わず声が少し大きくなる。
「なぜ、アンジェラ先生がここに?」
「それは私のセリフだよ。リリィ、なんであんたがここにいるんだい?」
黒い喪服に身を包み、黒いベールをかぶったアンジェラ女史は驚いたようにリリィを見つめた。
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