第二話

 リリィの郷里は遠かった。魔法院からだと汽車でほぼ丸一日かかる、北の海沿いの小さな村だ。

 いくつも小さなトンネルを抜け、海沿いへ。汽車はそのまま沿岸線に沿って走る。

 ダベンポートには特等のレストランで食事をしても十分に余るほどのお金を頂いていた。だが今はまったくお腹が空かない。

 ひとしきり泣いたのち、リリィは気を取り直して雑誌をパラパラとめくったりもしてみたが、起きているとどうしても祖母の事を思い出してしまう。思い出すと涙が出る。また泣いてしまうとますます悲しくなるので、仕方なくリリィは少し眠る事にした。

 だが、浅い眠りの間も祖母の夢ばかりを見ていた気がする。


 駅に着いた時、日はもうとっぷりと暮れていた。

 汽車のタラップを降り、懐かしい小さな駅に降り立つ。瓦斯ガス灯は一つだけ、駅舎もない小さな駅だ。丘の向こうからは潮の匂い。明るければ駅から海が見えるのだが、夜の暗い海には漁船の灯りが浮かんでいるだけだ。

「……リリィ、かい?」

 ふと暗がりから声をかけられ、リリィはビクッと身を強張らせた。

 だがすぐにそれが懐かしい神父様の声だと気づき、思わず顔が綻ぶ。

「神父様!」

 リリィは神父に駆け寄ると、膝を折って丁寧に挨拶した。

「お久しぶりです、神父様」

「大変だったね、リリィ」

 黒い僧服の年老いた神父がリリィの両手を握る。

「お祖母様は寝室に寝かせてある。ベッドは用意してくれたそうだから、泊まることは心配しなくていい」

「でも、神父様どうして」

 不思議に思ってリリィは神父に訊ねた。

「リリィの旦那様からテレグラムをもらったんだよ。この時間の汽車に乗せたから迎えに行って欲しいってね。どうやらリリィはとてもいい旦那様のお家にいるようだ」

 神父は優しく、だが少し寂しげに微笑んだ。

「はい。とても良くして頂いています」

 リリィはこっくりと頷いた。

「うん、うん。それは良かった。じゃあ、行こうかリリィ」

 神父は先に立つと、駅の端に停めた馬車にゆっくりと歩いて行った。

 一頭立ての小さな馬車。ハンサムキャブと呼ばれるものだ。リリィが子供の頃は神父が乗っているこの馬車が珍しくて、良く馬車でのお散歩をおねだりした。

 神父と同様に馬も少し年老いたようだった。リリィが子供の頃は元気な馬だったのだが、今は穏やかに佇んでいる。

「この歳になると馬車に乗るのも面倒でいかん。リリィ、ちょっと手を貸しておくれ」

 神父はリリィに手伝ってもらいながら御者台に乗ると、御者台の上から今度はリリィに手を差し伸べた。


 草に囲まれた細く、暗い田舎道をゆっくりと馬車が走る。

「穏やかな最期だったよ」

 リリィの隣に座った神父はしばらく黙って馬の手綱を操作していたが、ゆっくりと口を開いた。

「もうしばらく患っていたようだね。だが、最期は眠るようだった。リリィは何も心配することはない」

「そうですか」

 苦しいことはなかったんだ。良かった。

「でも、わたしがいた頃はそんなご病気の様子なんて全然なかったのに……」

「きっと、隠していたんだろう」

 神父は何かを考えるように顔を伏せた。

「リリィが魔法院に行ったのは確か二年位前、だったかな?」

「はい、そうです」

 リリィは頷いた。

「それなら、もうその頃には具合が悪かったはずなんだがなあ」

 リリィの村では神父が医者も兼ねていた。皆、具合が悪くなると教会に行く。そこで薬をもらい、少々の寄付をして帰るのが習わしだった。

「そんなこと、全然知りませんでした」

「心配をかけたくなかったんだろう。リリィの巣立ちを急いだのも、そして魔法院に行かせたのも、きっと自分がもう長くないと悟ったからなんだろうなあ」

 ふと、神父は小さく微笑んだ。

「しかし、魔法院の連中はどうしてこうも信心が足りないんだろうかねえ。リリィのお祖母様にしても、薬が欲しい時にしか教会には来なかったよ。全く、たまには礼拝にも来て欲しいものだ」

「魔法院の関係者?」

 驚いて、思わずリリィは神父に聞き返した。

「おや、知らなかったのかい? 私はてっきりそれくらいは話しているものだと思っていたんだが……リリィのお祖母様はなあ、若い頃は魔法院で働いていたんだ」

…………


 リリィの祖母の家は小高い丘の上にある小さな一軒家だ。見晴らしが良く、日当たりの良いこの家がリリィは大好きだった。

 神父は馬車を家の前に停めると、

「どっこらせ」

 と掛け声をかけながら御者台から降りた。すぐに振り向き、馬車から降りるリリィに手を差し伸べてくれる。

「大丈夫です、一人で降りられます」

 自分で馬車から降り、家を見上げる。

 リリィが最後に見たときと変わらない。水色の壁の可愛いお家。

 カーテンも変わっていない。最後に見たとのと同じ、花柄のカーテンだ。

 神父はしばらく背後からリリィを見るようだったが、やがて先に立つと紺色に塗られたドアをノックした。

「マチルダ、さっき話したリリィが帰ってきたよ。ドアを開けておくれ」


 マチルダと呼ばれたその女性はすぐにドアを開けると二人に深々と挨拶をした。

「マチルダと申します。この家のハウスメイドを申しつかっております」

 黒い正式なメイド服。ヘッドドレスホワイトブリムの代わりに髪を後ろでまとめ、白い布でカバーしたシニヨンにしている。

「お待ちしておりました、リリィ様。神父様も遅くにありがとうございます」

「ありがとうございます」

 懐かしい祖母の匂い。

「リリィ様、お荷物を」

 マチルダが片手を差し伸べる。

「ただいま戻りました」

 リリィは何も考えずにそれだけを言うと、ごく自然にトランクをマチルダに手渡した。

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