第13話 文鳥の首は無かった

 僕の手にぐにゃりとした感触が残っている。小学2年の時だ。僕は手に子供用の短いバットを握り締めている。

 「殺虫剤を持ってこい!」父親が箪笥を睨みつけながら叫ぶ。僕は台所に走り込み、殺虫剤のスプレーを2本両手に持って駆け戻る。

 父親が1本、僕が1本持って箪笥の両側に夫々立ち、父親の「よしっ!」という声とともに両側から箪笥の裏に殺虫剤を噴射し続けた。

 手乗り文鳥を飼っていた。デパートのペット売り場でひなを買ってきて粟を竹べらで口の中に入れてやって育てた。

 手や肩や頭に乗る。学校から帰ると籠から出して遊んだ。いつも不思議そうな眼をして僕を見ていた。

 夏休み。一泊二日で家族で海に行った。鳥籠にたっぷりの水と粟をいれた。

 文鳥はやはり不思議そうな眼をしていた。

 帰宅して、文鳥の鳥籠がある部屋のふすまを開けた。雨戸を閉めていたので暗い。何の音もしなかった。羽音もしない。電気をつけた。

 鳥籠の金網に文鳥がとまっている。ように見えた。

 けれど文鳥の顔が無かった。

 首が切断されている。首は見当たらない。

 僕は黙って立っていた。何の感情も浮かんでこなかった。

 あとから来た父親が「あっ」と言った。

 ふすまを閉めて二人で鳥籠に近づいた。

 すると後ろの押入れががたっと音を立てた。振り向くと5センチくらい開いた押入れのふすまの間から黒い塊が飛び出してきた。

 僕はとっさに押入れのふすまを閉めた。

 黒い塊は部屋の隅で止まり、こちらを見ていた。ドブネズミだ。大きい。20センチ以上あるだろう。

 「こいつか」僕は壁に立てかけてあった木製の野球のバットに駆け寄り握り締めた。父親は座布団を盾のようにしてドブネズミに近づいていく。

 ぱっとドブネズミは跳ねるようにして僕の方に駆けた。僕は夢中でバットを振り下ろした。

 ネズミは方向転換するため一瞬止まった。そこにバットの先端が走った。

 脇腹に当たった。ぐにゃっという感触があった。

 きいっというような声を立ててドブネズミは箪笥の裏に走り込んだ。

 そして冒頭の場面となる。

 どのくらい殺虫剤を噴射していたろうか。部屋中に殺虫剤の匂いが充満した。

 人差し指が白くなっている。

 「よし。いいだろ。見てみよう」父親が言い、箪笥をずらした。

 ドブネズミは横たわっていた。動かない。

 父親はいったん部屋を出て新聞紙をたくさん持ってきた。

 僕はバットでドブネズミを突いた。動かない。

 父親は死体を新聞紙でくるんだ。

 僕は文鳥を見た。鳥籠に手を入れ、文鳥を取り出した。冷たかった。軽かった。

 庭に行き、柿の木の横にシャベルで穴を掘った。随分深く掘った。

 文鳥を入れ土をかけた。傍にあった丸い石を置いた。

 ちゅんと頭上で雀が鳴いた。

 見上げると雀は不思議そうな眼で僕を一瞬見て飛び立っていった。雀が飛び立っていった空を見つめた。空が滲んでいた。

 

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