第8話 人間嫌いは温厚な人である

 退職した。61歳。脳梗塞やって救急搬送されて、後遺症に取り纏われて、限界だった。

 人間関係にも辟易していた。もともと人間嫌いというか対人恐怖症というか、他人と会っているのが苦痛なのだ。特に電車の中で学校の同級生などに会うのは最悪だ。逃げ場がない。

 職場は仕事だと割りきる。しかし、苦痛は降り積もっていく。少しずつ蝕んでいく。

 職場の人間は、僕を温厚で全体をうまく取りまとめる人間と思っているだろう。しかしそれは人間が嫌いで、醜いところを見たくないからそれを回避し、職業である以上成果を上げなければならないから、必死の思いでやってきたことなのだ。だから、毎日くたくたになった。酒で紛らわせようと思った時期もあったが、金と時間の無駄だと思ってやめた。

 何故、社会に出て人間と関わらなければならないのか。そりゃ若いうちはそうしないと生活できないから仕方ない。しかし還暦すぎだぜ。もう勘弁してくださいよ。別に悪事を働くわけではないし、一人で自分のことは自分でしていくんだから放っておいてもらえませんかねえ。人間嫌いの人間は、相手が嫌なことをしないように、よーく観察している。少なくとも僕はそうだ。だから、相手に気づかれないようにいかにして距離を保つか、距離を離していくか、一生懸命工夫している。

 相手を無視して粗暴にふるまうというのは、単なる馬鹿なのであって「人間嫌い」ではない。

 ほんとの人間嫌いは目立たないように目立たないように細心の注意を払っていると思う。目立つと他人と関りを持たなきゃならなくなるおそれが強くなるからだ。だから疲れる。へとへとになる。

 よく「何でも話せる、相談できる友人がいますか?」なんて言う。冗談じゃない。そんな奴がいる訳なかろう。「何でも話せる」なんて狂ってるとしか言いようがない。上に書いたのと同じで、何でも話してしまうような人間は馬鹿である。何でも聞きたがる奴も馬鹿である。解決しなければならないようなことが起きれば、医師とか弁護士とか守秘義務を負う職業人に話す。法的な罰則を受けないような奴に大事なことを話す訳がなかろうと僕は思う。

 警戒しなくてよい距離、安全な距離で、他愛ない話をしていればいい。もし相手がその境界線を踏み越えたら、一目散に逃走する。

 なんにせよ、自分の始末は自分でつけるしかない。だから、僕にかまうな。

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