第3話

 田中と藤井は、自習のときの話の続きをし始めた。お互いに結論が同じなのにどうしてこうも話すことがあるのかと呆れた。中谷は二人を見ているだけだった。

 「単純な言葉しか言ってないのってさ、どう考えても馬鹿なJKにウケるために必死な感じやろ?」

 「そうそう、文学性というか。オルタナみたいな意味不明さまでは要らんけど、でも受け手の想像力を刺激しないっていうのがクソ」

 「歌謡曲くらいまでいくとうざいけどな」

 「演歌って早送りで聞くとメッセージが伝わりやすいで」

 珠希は教室を見渡した。どの班も協力しての話し合いなんてしていない。

 千賀が席を離れたのをみた。トイレに行くのだろうかと、その行方を眺めていたら、ポケットの中のスマホをやたらに気にしていた。そして、明確に彼が何をしようとしているのかがはっきりした。

 ――学校でオナニーすんなや

 珠希は、元とはいえ、こんな奴と恋人だったのかと思うと頭が痛くなった。彼が教室を出るとすぐに、中谷もトイレと言い残して席をたった。

 青樹が、珠希の肩を叩いたので耳をかした。

 「男子、うざいから何か言って」

 珠希は小声で言った。「自分で言いなよ」

 「言いすぎる気がする」

 珠希は笑いながら言った。「別にいいんちゃうの?」

 中谷が戻ってきた。なぜかじっと珠希の顔を見つめているものの、彼女にも何がなんだか分からなかった。

 そして、千賀がぼんやりとした表情で戻ってきた。

 男子たちの隠語で、オナニーしたあとの虚脱感を賢者タイムというそうだが、あれがそうなのだろうか。珠希にでさえ何を考えているのか分からないほど彼は呆けていた。

 田中と藤井は依然として薄っぺらい音楽論を話している。

 すると突然、青樹がシャーペンを投げ捨てた。その音に二人は、会話を止めた。 


 「耳も頭も悪い糞がいっぱしに語ってんちゃうぞ、アホ」


 口悪くね? と珠希はツッコミそうになった。

 「は?」と田中はイラつきながら言った。


 「まず音楽の詞を文学の詩のように理解するセンスがゴミ。石器時代の人間かよ。メロディがあってそこにのせることを目的に作られることも理解できひんのかよ。

音楽ならば一緒に響く楽器の音色と詞との兼ね合いがあるし文学の詩ならば形式や韻律とかもあるし、とにかく単純に比較できないことも分かってない馬鹿よりも西野カナの方が何兆倍も賢いから。

んで、なんやったっけ。文学性? 笑かすなや。発表された時代の言語や語彙の使用状況があるやろ、馬鹿かよ。

たぶん、どんな造形が成り立っているか聴きわけるセンスがないから原始人でも理解できた部分しか話さないんやろうけど、「表層にとどまる」っていう技法を知ってたら単純に言い切ることができないよなぁ。お馬鹿チャンでいたくなければ勉強しな」


 田中はあまりのことに脳味噌が硬直しているが、どこから青樹に反論しようか迷いつつも自分が馬鹿にされたという事実以外は何を言われたのかすら理解できず黙るしかできなかった。珠希は、これがぐうの音も出ないというやつかと感心した。

 藤井はあまりのことにチンコが硬直しているが、どこから青樹に性的な魅力が出ているのかに迷いつつも自分が馬鹿にされたという事実以外は何を言われたのか理解できず青樹に惚れた。珠希は、これがマゾヒストというやつかと感心した。


 言い切った青樹は背伸びをして、中谷の前にプリントをおいた。中谷はぼんやりと、しかし、つつがなく仕上げた。その頭の動きさえ、珠希には知覚できなかった。


 放課後、図書室で青樹から読んでみてと渡されたフーケのウンディーネに目を落としていた。どうやら彼女に気に入られたのはいいが、その頭のなかに「読まなきゃキレる」という固い意志がみえたため、恐々とページをめくっていた。

 田中は半泣き、藤井は高鳴る胸の音に戸惑いながら、帰っていった。トイレから戻ってきた後の千賀は、ずっと無心であった。中谷に似ていた。そういえば、と、中谷は青樹の剣幕に物おじしなかった。


 突然、肩を叩かれた。

 振り向くと、中谷が無表情で立っていた。

 「お聞きしたいことがあるのですが」

 えらく丁寧だが敬意や、反対に敵意のようなものを感じない。何も感じさせない。銅像や人体模型でさえ何かを語っているが、中谷の顔にはそれすらない。珠希には、中谷の顔に類するものを知っていた。

 ――デスマスクみたい……

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