第79話 紐解かれる歴史

 上まで登れば里の全貌が見渡せそうな高い塔。里の賑わいの中心部から少し離れた場所にあるその建築物こそが、星の里の図書館だった。

 昼間だというのに、図書館内には人の気配が全くなかった。木製のカウンターの中で、司書が黙々と何かの書類に文字を書きこんでいる。図書館にいるのは仕事に夢中な司書とスズネくらいのもので、その他に見当たるものは、夥しい量の本だった。

 決して低くはない天井から床まで、大きな本棚が立ち並ぶ。その中身は一様に一寸の隙間もなく敷き詰められた本でいっぱいで、歩いているだけで目が回った。この中から必要な本を探し出す、という行為が完遂できるとは、スズネには到底思えない。

 絶句して立ち尽くしたスズネの横で、ふと来客に気が付いたらしい司書が顔を上げた。

 司書は、その顔を薄紫色のベールで隠していた。体格から女性であることはうかがえたが、そのベールによって視線は遮られ、その顔を見ることはできない。緩やかに波打つ藍色の髪が艶やかで、司書が身動きをとると、甘い香りが鼻孔を擽る。花の香水をつけているようだった。一言で纏めると「大人の女性」といった雰囲気である。


「何の本をお探しなの?」


 おっとりとした女性の声が、スズネに問いかけた。顔が見えなくても、目の前の人物が美しいことが十二分に分かる。思わず背筋を伸ばしたスズネは、圧すら感じる本棚の大群を見上げ、おずおずと口を開いた。


「あの……ダンくんの弱点が書かれた本とか、ありませんか?」

「ダンの弱点?」


 司書の訝しげな声に、スズネはぎこちなく頷く。そうしてから、事情を知らない相手が聞けば警戒される内容の発言であったことに気が付き、慌てて言葉を付け足した。


「私、湖の精霊のスズネといいます。今、ダンくんに戦闘訓練をつけてもらっている最中なんですけど……」


 そこまで言えば、司書はスズネが言わんとすることを悟ったようだった。ベールの向こうで、くすりと小さな笑みが零された気配がする。


「ダンは、この里でセイに次ぐ強者だもの。そう簡単に突破できるわけないわよね」

「え、あ、はい」

「いいわ。とってあげましょう」


 司書は柔らかな声でそう言うと、静かに右手を持ち上げて見せた。肌が透けて見える不思議な生地に包まれた腕が、緩やかに何かを呼びこむように動く。手招きのような仕草を何度かした後、遥か上空の本棚から、一冊の分厚い本が女性の手の平に正確に飛び込んできた。

 女性からは精霊の気配がしない。しかし、それは決して人間業ではない。女性が契約者であることを悟りつつ、スズネは、その本を覗き込んでみた。

 茶色い表紙の古びた本である。題名は、「星の里の歴史」。紙は日焼けしているものの、革製の表紙には一切の傷がついていない。その本は、長い間非常に大事に保管されているようだった。観測者というだけあって、星の里には、本を長く補完する技術が根付いているのかもしれない。


「はい、どうぞ」

「あ、ありがとう、ございます」

「またいつでも言ってくださいな。難しい試練を熟すのは大事なことだけれど、せめて切っ掛けくらいは教えるべきだと思うの。セイの悪い癖ね。そんなことで観測者としての任務が解けるわけでもないでしょうに」


 困ってしまうわね、と、大して困った様子もなく呟く司書は、再び何かの書類を書きだす作業に移った。伸びた背筋は美しく、一文字を書く事に揺れる羽ペンが女性の優美さを引き立てる。

 ただ普通に仕事をしているだけで、人を惹き寄せるような魅力を備えた女性。司書の魅惑的な雰囲気に触れたスズネは、思わず心臓をドキドキさせながら、近くの椅子に座る。利用客はいなくとも、清掃はキッチリと熟されているらしい。埃一つない図書館内は、清潔で室温も丁度良く、非常に過ごしやすい環境のはずなのに、何処か緊張感のある空気が漂っていた。

 ダンの弱点、という要望で、歴史の本が出てきた。試しに一頁捲れば、細かい文字が紙の上を規則正しく蹂躙している。目を通しただけで酔ってしまいそうな文字列に、スズネは一瞬本を閉じかける。

 しかし、この本の何処かに望んだ情報があるのだ。一瞬目を閉じた後、スズネは意を決して本を読み始める。溢れかえる手元の情報の洪水から、自分の必要なものだけを切り取るのだ。

 閲覧視覚の問題か、本は所々文字がぼやけて見えない。どうやら、本はそれぞれに特殊なマナが掛かっているらしく、閲覧禁止の部分はどう足掻いても見ることが叶わないようだった。


「――星の精霊、ダン。現在、精霊で最も長生きをしている、生きた歴史」


 歴史書には、里の成り立ちや各精霊の経歴が事細かに記されていた。その中でも、ダンの項目は取り分け長い。長生きをしている、もしくは、元々重要な役職に就いていたせいか、他の精霊達よりも、彼の項目は非常に文字量が多かった。

 スズネは、白藍色の瞳を細める。


『彼は900年間の内、約785年間を星の大精霊セイに捧げた精霊である。補助精霊という役割から外れた現在でも、里の全体から厚い信頼を受け、その実力は損なわれていない。大精霊セイが最も信用する精霊である』


 その文章は、簡素ながらにダンへの敬意を明確に示したものだと理解できた。

 人生の半分以上を大精霊に捧げた精霊。あの幼い容姿からは想像もできない長い月日を、彼は自分に与えられた任務に費やしたことになる。

 ダンの様子から見ても、大精霊への信仰心が厚いのは明らかなことだ。それだけ長い間仕えた君主であれば――恐らくは、補助役を降りた今でも君主だと思っているだろう――当然のことなのかもしれない。

 歴史書には、それまでダンが行ってきた仕事内容が、歴史順に並んでいた。

 戦闘型である彼は、主に、里内の規律や、外部から攻め込んでくる盗賊から里を守ることを仕事としている。どんな犠牲も出さずに里や民を守り抜く実力は、歴史書でも『優れた能力』だと評されていた。本を読めば読むほど、弱点どころか長所ばかりが見えてくる。スズネは思わず苦笑したが、その直後、すぐに小首を傾げることとなった。

 最新の仕事内容は、『神都における商売、及び、神からの依頼』。日付は真新しく、丁度スズネ達が神都にいた時期と被る。

それまで、物事が起きた解決の手順までが詳細に書かれていた文章とは裏腹に、その部分だけは簡素な一言で終わっている。極秘任務、ということなのだろう。全く詳細が語られない文章は、いくら眺めてもそれ以上の情報を落としはしなかった。


「……ダンくん、あんな小さいのに、こんなにお仕事を……」

「すごいでしょ。この里には商人が沢山いるけれど、あの子が一番働き者なのですよ」


 思わず零れた独り言に、くすりと笑った司書が返答した。沈黙が制する図書館の中では、独り言が会話になってしまう。自分の態度に恥じらいを持ったスズネとは裏腹に、司書は面白そうな声音で言葉を継いだ。


「そうねぇ。セイが彼を一番『すごい』と称する仕事は、512年前の事件を生き延びたことかしら」

「……大精霊が直々にすごいと認めることが、生き延びた、こと?」

「歴史書を見たらきっと分かるわ」


 司書に勧められるまま、スズネは歴史書に目を通す。

 512年前の星の里。その年の出来事には、『神の怒り』という一言が書き記されていた。


「メイやオウから聞いた? ミカ様がこの里の出身で、髪の色を理由に迫害されてたって話」

「あ、はい。それで、神様が怒って、この里ごと世界を滅ぼそうとした、というのも」

「そう。その時、この里の一部は神様の怒りの炎に焼かれてしまった。ミカ様が鎮めてくださったけれど、犠牲者が出なかったわけじゃない。当時、ミカ様を迫害していた人間や精霊が何人も死んで、生きた痕跡を何一つ残さないまま消滅した」


 恐ろしい歴史を語っていても、司書の声は穏やかなままだった。それは、かつての里が犯した罪を受け入れている姿勢のように思える。決して美しくはない里の歴史を、彼女は、薄くしい態度のまま語り切ってみせた。


「ダンの相棒はその時炎に巻き込まれて死んでしまったわ。ダンは大精霊を盲信していたから、かつてミカ様を迫害することに何の躊躇いも感じていなかった。相棒を失ったことで、初めて、大精霊を含める自分達が間違いを犯したことに気が付いたの」

「……メイさんやオウくんがダンくんの後輩だっていうのは、ダンくんの後に生まれたから……」

「ええ。あの二人は、その一件で一人になってしまった補助精霊の補完で後から生まれた子達なの。当時、その一件でセイは衰弱していたから……ダンが生き延びたことがセイとこの里を生かしたといっても過言ではないでしょうね」

「どういうことですか?」

「補助精霊は、保有するマナの量が多いから。一度大精霊の中で眠ることで、大精霊は己の力を素早く回復することができるのよ。まあ、そのまま消化されちゃうこともあるから、ダンが生き延びたのは奇跡以外の何者でもないけれど」


 ダンを取り込んだ大精霊がすぐに回復したことにより、星の里は辛うじて生き延びたのだと、司書は語った。

 それを聞いて、スズネは樹の里での出来事を思い出す。彼女がスズネやシンヤを狙った理由は、『衰弱した樹の大精霊を蘇らせる』ため。彼女は、スズネ達が大精霊の補助役であることを知っていた。大精霊を蘇らせる燃料には最も適した素材だったのだろう。

 コハルやヨルを大精霊に捧げなかったのは、二人が『消化』されてしまう未来を避けたかったのだろう。二人を犠牲にして大精霊が回復したとしても、里の運営には、大量の精霊と『補助精霊』の存在が必要なのだ。回復後の大精霊がそれらを一気に創り出せる未来は、スズネには見えない。恐らくは、リンにもそんな都合のいい未来は見えなかったはずだ。そのまま里の未来が潰えていくのを避けるためには、二人以外の『大きな燃料』が必要だったのだろう。――それが、リンにとっては、スズネとシンヤだったのだ。


「補助精霊は原則二人。それ以上の保有は大精霊のマナが尽きてしまう。それだけ大きなマナを持つ補助精霊を、弱っている状態で創り出すのは自殺行為。ダンが生き延びたことで、セイは死なずに済んだの」

「ダンくんが沢山慕われている理由が、何となく分かった気がします。私が想像しているより、すごい人なんですね」

「ふふ、そうよ。ダンほど尊敬に値する精霊は、他の里を探しても中々いないわ」


 司書は機嫌の良さそうな声で呟いて、再び仕事に戻った。カリカリと文字を書く音が鼓膜を揺らす。その音を聞きながら、スズネは静かに目を伏せた。

――補助精霊は原則二人。なのに、失われた補助精霊の一枠を埋めるために生み出されたのは、メイとオウの二人。これでは、計算が合わない。

 二人が双子のようなものだ、と名乗っていることや互いの態度から、生まれた時期はそう大差ないことが悟れる。ダンが引退をした後であの二人が生み出されたならともかく、かつての補助精霊が死んだ直後に二人が生み出されている。しかし、事件からダンが引退するまでの年数は、簡単に数えるだけで300年は空く。星の里が300年間も三人の補助精霊を抱えていた、と考えるのは、違和感があった。

 何故なら、この里は神を非常に信仰しているから。一度怒りを買った歴史がある以上、神の決めた規則を破ることはしないだろう。再び怒りを神の買うのは本意ではないはずだ。

 思考を巡らせれば巡らせるほど、人数の謎は深まるばかりだ。ややこしい計算が飛び交い、スズネの脳内はすぐに混乱し始める。

 余計なことは、今は考えないほうがいいかもしれない。静かに深呼吸を三回繰り返してから、スズネは再び文章を読み始めた。

 気になるのは、何故そこまで信仰深く信頼の厚いダンが、補助精霊を引退するに至ったのか。

 今も尚大精霊に仕事を任され、本人がそれを喜びと感じるのであれば、引退する理由は多忙さを厭ってのことではないはずだ。司書の話振りやダンの様子からも、大精霊との関係に問題があったとも考えられない。

 細かい文字が溢れかえっているだけあって、歴史書には、スズネが望む情報がしっかりと載っていた。

 ダンの補助精霊引退。それは、約115年前のこと。

 引退理由は、契約者を欲したため。

 契約者は、妙齢の女性。それまで大精霊に従うことを最大の幸せとしていたダンが、契約者を欲した理由。

 それは――。


「……叶わぬ恋をしてしまった、ため?」


 厳格な歴史書に記すには、あまりに個人的な理由である。それまで一切の私情が載らなかったダンの頁に、初めて彼自身の感情が載った。

 困惑したスズネの呟きに、司書が小さく笑う。その反応は予想済み、とでも言いたげな司書は、そのまま、ダンの過去を語り始める。

 それらを静かに聞きながら、スズネは、自分の中でとある予感が育つのを感じていた。

 メイやオウの謎。ダンの過去。それら全てを合わせて考えたとき、スズネの脳内にとある言葉が蘇る。


『スズネちゃん。あたしは、好きな人のためなら何だってする。……スズネちゃんはどう?』


 メイの微笑みが脳裏を過る。それは、好きな人のために何だってしてみせた人物が口にする言葉で間違いない。

 好きな人、という部分が、脳内で響く。全ての真相はすぐそこだと、激しい心音が教えているような気がした。

 ふと目をやった本の頁に、色のついた挿絵が描かれている。

 片方は、笑顔の少年――ダン。その隣にいるのは、白と黒の二つに別れた不思議な髪色を持つ、少年とも少女ともつかない一人の精霊。

 空色の美しい瞳は穏やかに細められ、その白と黒の髪を持つ精霊は酷く幸せそうに微笑んでいる。

 絵の真下には、二人分の名前の記載があった。どちらにも見覚えがある。否、片方は、知っていても理解が追いつかない名前である。

 言葉を失うスズネに、司書はただ、穏やかな声で語りかけるのを止めない。

 その声は、スズネに光を示すように、大きな手がかりを残していった。

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