第78話 木陰の心音


 星の里には、世界中の記録が集まる。この里は、神から直々に『観測者』の役割を持たされた場所。故に、スズネが知りたいと願うことの殆どは、この里に集結していた。

 そういった情報や記録が残されているのは、図書館である。訓練の合間にサイが零したそんな言葉を思い出して、スズネは星の里内にある図書館に向かっていた。

 スズネの晴れない内心とは裏腹に、天気は煩わしいほどの晴天を見せつけている。太陽に照らし出された星の里は活気に溢れており、図書館への道のりは、星の民達の活発な雰囲気で満たされていた。


「スズネ様、本日の戦闘訓練は宜しいのですか?」


 通り際、星の民の女性がスズネにそう声を掛ける。既に星の里にはスズネ達の存在や目的が知れ渡っており、度々こうして声を掛けられるのだった。


「あ、はい。一応……午前は戦闘訓練に当てたんですけど、ダンくんには中々勝てなくて。強いですね、ダンくんは」

「ふふ、それはそうでしょうね。ダン様は我が里が誇る最年長の偉大な精霊様ですから」


 スズネの控えめな返答に、女性は酷く得意そうに胸を張った。

 女性の腕には、大量の黒い鉱石が入った籠が抱えられている。非常に重量がありそうなそれを片手で抱き上げ、さらに他愛のない会話を繰り広げる女性の胆力には脱帽だ。商人として切磋琢磨した結果か、それとも単純に星の里の気質か、どうにもこの里の女性は強かな人が多いように思える。


「ダン様は大精霊様にも信頼されていらっしゃるんです。何かあれば、大精霊様はまずダン様にお声を掛けられるのですよ」

「真っ先に?」

「ええ、真っ先に」

「……オウくんやメイさんには声を掛けないんですか? ダンくんはもう、大精霊の補助ではないと聞きましたけど」


 スズネの不思議そうな声を聞いて、女性はぴたりと動きを止める。まるで、触れてはいけない話題であったことを思い出したかのような態度である。その場には不自然な沈黙が流れ、女性の視線はどんどんスズネから逸れていった。


「え、ええ……まあ、その、御二人は戦闘型ではありませんから」

「それも、不思議に思っていたんです。私達はそれぞれに得意分野が分けられるのに、どうして星の里は精霊同士の役割分担が同じ同士なのかなって。大精霊が精霊を統べるとはいえ、もう補助ではない精霊を現在の補助精霊より頼るっていうのは、何だか違和感があります。それだと、大精霊を補助するっていう目的が果たせていない気が――」

「それよりスズネ様! 先ほど、図書館の外れでメイ様とヨル様が個人的な訓練に勤しんでいらっしゃいましたよ! ダン様に勝つ手掛かりが得られるかもしれませんし、顔を覗かせては如何でしょう!」


 スズネの言葉を強引に遮り、女性はにこやかに会話を終了した。引き留めなければすぐにでも「それでは」とその場を去っていきそうな気配を感じる。

 メイとヨルの名前が出たことで動揺したスズネは、一瞬鈍くなった思考を必死に巡らせて、咄嗟に女性に声を掛けた。


「あ、あの! その石、無光石ですよね? それ、ここで採れたものなんですか?」

「え?」


 女性が抱きかかえている籠の中には、漆黒の艶やかな石――無光石が大量に入っている。研磨されている状態ではないため、正確に見分けることは難しい。しかし、スズネの知っている黒い石など、無光石くらいであった。女性を引き留めるための適切な言葉が、それしか浮かばなかったのである。

 女性は去っていこうとした足取りを止め、訝し気な表情を浮かべた。己の抱く鉱石とスズネの顔を見比べた後、小首を傾げて質問に応答する。


「ええ。この大陸で出回る殆どの鉱石は、この里で採れたものなんですよ。これは最近採れたばかりの種類で、正確な名前はまだついていないんです。皆各々名前をつけて商品にしています。無光石、というのは、どなたかが分かりやすい商品名としてつけたものでしょうね」

「えっと、精霊石の反応を打ち消す性質の石、で、あってますか?」

「ええ、よくご存じですね……って、スズネ様、よく見たら耳飾りがこの石なんですね! 私達の里の商品を買っていただけて光栄です! 有難うございます!」


 女性はスズネの耳飾りが無光石であることに気が付くと、分かりやすく上機嫌になった。商人の性なのか、里を愛する気持ちが強いのか、どちらにせよ、引き留めるために出した話題が思わぬ成果を出してくれた。もしかしたら、このまま何か情報を聞くことができるかもしれない。

 スズネは耳飾りが良く見えるように髪の毛を耳に掛けてみせた。そうして、耳元で揺れる青いマナ色の耳飾りを、指先で突いてみせる。


「これは、ジンという名前の商人さんからいただいたものです。……その石が全くの新種でこの里でしか摂れない、というのなら、ジンさんはここでこの石を入手したと思うんですけど……ジンという商人はご存知ですか?」


 精霊攫いのジン。神都で散々苦しめられたその人物は、ダンを攫った張本人でもある。

 しかし、ダンの実力が露わになった今では、あれらの一件全てが仕組まれたものだった、という可能性が見えてくる。

 ジンとダンが神の試練のために手を組んだ関係だったなら、今この状況すらも仕組まれたものなのかもしれない。それを証明することができれば、スズネは初めて、オウやメイを疑う資格を得られる。

――それを得て、自分がどうしたいのかは、答えを出せないでいる。けれど、縋る様な気持ちでいるのは確かだった。


「ここには商人が沢山集まります。もしかしたら来たかもしれませんね」


 しかし、スズネの疑問は、女性の曖昧な返答で濁されてしまった。それは、確信には程遠く、疑いを持つにはあまりにも不確定な言葉であった。

 女性はそれ以上話をする気はないらしい。それでは、と颯爽とその場から去っていった女性の背中を見送って、スズネは暫く黙り込む。

 もしもこれらの全てが仕組まれたことなら、スズネとヨルはきっとまた前のように過ごすことができるだろう。

 そこまで考えて、スズネは緩やかに首を横に振った。

 こんなことは考えるべきではない。巡り始めた思考が、自分の感情を浮き彫りにしていく。そのことに対する恐怖で指先が震えるのを誤魔化して、スズネは静かに拳を握る。

 再び図書館への道のりを歩きだしたスズネは、ふと、先ほどの女性の言葉を思い出した。

 図書館付近に、ヨルとメイがいる。二人の仲睦まじい様子が簡単に予測できて、スズネの胸はまたひりひりと鋭い痛みを訴え始めた。


「……好きじゃない」


 ぽつりと一言、自分に言い聞かせる一言を呟いた。スズネの声は雑多とした人々の声に掻き消され、最初から無かったことになる。

 おまじないに縋る子供のような心境で、スズネは自分にそう言い聞かせ続ける。自分が好きなのはオウなのだ、と、何十回と繰り返した言葉が脳内で反響した。

 シンヤの言葉を思い出す。スズネの個人的な理由で、四人全体の連携を乱すのは本意ではない。そのことが原因で神の試練を突破できない、という事態に陥れば、四人全員が命を落とす。そんな状況で、自分の私情を優先できるはずもない。

 『何事もない』を装わなければならない。そうして、何もなかったことにして、自分さえも騙すことができれば、全てが円満に終わる。

 そう判断したスズネは、深い溜息を吐いた。ばくばくと大きな音を立てる心臓に、気付かないふりをする。

 スズネの足取りは、図書館から少し外れた道を歩き始めた。



◆ ◆ ◆



 ヨルとメイの訓練の跡だろう。周囲が岩場に囲まれた図書館の外れには、不自然なほどの木々が生えていた。

 狭い範囲ではあるが、其処だけが小さな森のようになっている。全てはマナの乖離を少しでもなくすための、ヨルの努力の末だろう。規模が小さいとはいえ、一人で森を創り出すのは相当なマナを必要としたはずだ。

 スズネのマナは、未だある程度余裕を残している。湖のマナの性質上、少しはヨルの休憩を手助けすることができるかもしれない。

 周囲を見渡したスズネは、微かに誰かが息切れしている音を聞きとる。僅かに木の幹から顔をのぞかせれば、そこには、屈んだまま両膝に手をつくヨルの姿があった。そして、それを正面から見つめているメイの姿も。


「これだけできれば上等だよ、ヨルくん。そろそろ休もう?」

「……これでも、戦闘訓練には足りないかな」

「使い方次第だよねぇ。まあ、ダンの突破はそんなに簡単じゃないかな」


 メイとヨルの、そんな会話が聞こえてきた。何となく声を掛ける機会が掴めず、スズネは静かに木陰に身を隠す。二人は決してスズネの存在には気付いていない様子で、その後も真剣な会話を続けていた。

 盗み聞きをすることに対する罪悪感やら、自分への情けなさやらが波のように押し寄せてくる。硬い木の幹に背中を押し付けたスズネは、足元に視線を向けながら、二人の会話が途切れる瞬間を待った。

 心臓は、破裂寸前だと錯覚するほどに激しく音を立てている。

 仲間と、その好きな人に声を掛けるだけ。何十回とその言葉を繰り返しながら、スズネは息を押し殺す。

 冷静を装って、笑顔で、蟠りが一切ない態度を貫けば、きっとまた元通りになる。そうすれば、上手く連携をとってダンを突破することができるはずだ。


「……ねえ、メイ。百年前、何が起こったかはどうしても教えてくれないの?」


 ヨルは、多大な疲労が伺える低い声でそんなことを呟いた。スズネからは見ることができないが、声音から神妙な顔つきをしていることは容易に想像ができる。


「駄目駄目。教えたいのは山々だけどね。星の精霊、及び民は、神様から直々に『観測者』としての仕事を預かってるの。観測者は人々や精霊に不干渉のまま、出来事を出来事として記録していく。ヨルくんが記憶を取り戻す仮定を記録することは、私に課せられたお仕事。私が手助けしちゃいけないんだよ。例外は、神様か大精霊様が直々に許可をくださったときだけ」

「キミや僕が頼んだら、許可もらえない?」

「もらえない。私達、神の試練の挑戦者とその観測者なんだよ? 神様は試練中の全ての言動記録を見て結論を弾きだすんだから、これも大事な試練の内だよ」


 ズルしちゃいけません、と、メイは揶揄うように言う。からからと転がるような明るい笑い声が小さな森の中に響いたが、反対に、ヨルの反応は思わしいものでは無かった。

 木々が風に揺らぐ音がする。葉と枝が擦れ合って立つ自然の音で誤魔化すように、ヨルはか細い声を絞り出す。


「……そうだね。僕が守るべきはキミで、それが全てだ。取り戻すのは後からでもいいはず、だよね」

「ヨルくんは昔から紳士だね。ふふ」

「そうでもないよ」


 二人分の笑い声がスズネの鼓膜を撫でる。――この場にはいない方がいい、という自己判断ができる程度には、思考が巡っていた。そのことに感謝しつつ、スズネは小さく息を押し殺す。

 仲間の仲直りは当然大事だが、想い合っている二人の間に割って入るのはあまりにも無粋である。もう少し、まともな機会で話し合いをした方がいいだろう。これでは、逆に『邪魔をされた』と疎まれてしまうだろうから。


「……ふわ……ぁ」

「眠い?」

「ごめん。最近何してても眠くて……ああ、ごめん、駄目そう」

「いいよ、また起きたら宿屋に移動して休もうね。ここ、丁度ヨルくんの木があるし……幹に身体預けて、うん、そう」


 心臓の痛みを堪えつつ、スズネがどうにかその場を離れようとしたところで、ヨルの盛大な欠伸が響き渡った。コハルと同じく、多大な眠気に襲われているらしい彼は、人前では珍しく睡魔に負ける無防備な様子を見せる。くすくすと楽しそうに笑うメイの声に応答はない。どうやら、たった数秒の間に眠りに落ちてしまったようだった。

 思い返せば、ヨルが必要時以外に睡眠をとる様子を、スズネは見たことがない。スズネがうたた寝をすることはあれど、ヨルはいつもそれを眺めたり支えたりする側だった。

 良くも悪くも隙が無い人物であるヨルが、ここまで無防備な姿を晒すとは。それ程までにマナの供給が上手くいっていないということなのだろう。それに加えて、現在彼の側にいるのは、恐らく彼が最も信頼している最愛の人物だ。眠ることに対して、躊躇いが無いのは当然のことなのかもしれない。


「――ヨルくん寝ちゃった」


 メイの独り言を聞いて、スズネは顔を俯けた。

 足りないマナは睡眠によって補われる。その重要な時間を、スズネの存在で邪魔したくはない。

 そんな最もらしい言い訳を心の中で呟いて、スズネはその場を離れようとする。そして、そんなスズネを見越したかのように、メイの明るい声音が空気を振動させた。


「もう大丈夫だよ、隠れなくて」

「…………」

「ね、スズネちゃん」


 そこにいるよね、と付け足され、スズネは思わず背筋を伸ばす。物音や気配には何よりも気を遣っていたつもりなのだが、どうやらメイには悟られていたらしい。先ほどとは違う意味で飛び跳ねた心臓が、ぎくりと音を立てた。

 こっそりと樹の幹から顔を出せば、メイはスズネの方に静かな微笑みを携えていた。樹の幹に背中を預けるヨルの正面に、彼女は座り込んでいる。木漏れ日の中で長い黒髪を靡かせる優美な姿は、普段の嵐のような彼女とは違った印象を抱かせた。


「マナの関係で、こうやって眠ったヨルくんは中々起きないから。安心していいよ? コハルちゃんと同じだし、スズネちゃんも知ってると思うけど」

「……立ち聞きしてごめんなさい。そういうつもりでは……」

「大丈夫、分かってるよ。スズネちゃんならそろそろヨルくんと関係修復に来るかなぁと思ってた。大当たりだったね」


 まるで別人のように大人びた雰囲気を醸す彼女に、スズネは小さく肩を竦める。

――関係修復、という言葉がメイの口から出てくることに、驚愕を隠せない。その単語が出てくるということは、スズネとヨルの間に溝ができていることを把握していた、ということだろう。

 誰にでも分かるような明確な溝ではあったが、メイやオウはそれを全く知らないような態度を突き通していた。故に、彼女の口からそんな単語が出てくるのは予想外のことである。

 知っていた上で、彼女は一連の行動をとっていたらしい。そのことに、スズネの胸中には僅かな黒い靄のようなものが浮かび上がる。それを誤魔化すように視線を外せば、揶揄うようなメイの笑い声が鼓膜を揺らすのだった。


「そんな顔しないで。『あたし』、今からちょっといいこと教えてあげるから」

「……いいこと?」

「図書館にはいろんな書物があるけれど、立場によっては閲覧禁止のものもある。さっきヨルくんにも言ったけど、主に皆に纏わる出来事とか、百年前に起こった事件の真相とか、そういうのはスズネちゃんには見せられないんだ。……でも、私達には読めなくて、スズネちゃんにしか読めない本が一冊だけあるの」


 目を細めて、メイは悪戯っぽく微笑む。桃色の艶やかな唇が薄っすらと描く笑みは、慈愛のようにも、恐ろしい罠のようにも感じられた。


「図書館の中をじっくり探してご覧。その本は、ずっと開かれるのを待ってるの」

「……どうして私にそれを教えてくれるんですか? 不干渉な観測者として、これはいいことですか?」

「ふふ、心ここに在らずかと思ってたんだけど、結構ちゃんと会話聞いてるんだね。別にいいよ? 勿論、信じるも信じないも自由だから好きにして」


 少女、というよりは、女性的な雰囲気を纏ったメイは、空色の瞳をゆっくりと瞬かせた。見せつけるような美しさに圧倒されて、スズネは言葉を失う。


「スズネちゃん。あたしは、好きな人のためなら何だってする。……スズネちゃんはどう?」

「……好きな人……」

「あたしは手段を選ばない。好きな人に笑ってもらうためなら、ね」


 それ以降、メイはスズネから興味を失ったように、その視線を外した。メイの視線は、そのままヨルの寝顔に注がれている。マナの不足のせいか、ため込んだ疲労のせいか、ヨルの寝顔は然程穏やかなものではない。何かに魘されるように眉間に皺を寄せるヨルの額に、メイの指先が触れる。

 スズネは暫くその場に立ち尽くす。メイの言葉の真意が掴める気配は、いつまで経ってもやってこなかった。

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