第77話 残された時間

――ダンとの戦闘訓練が始まって、早二週間。

スズネ達は、一日の時間の殆どを戦闘訓練とダンへの奇襲に費やしたが、そのどれも実を結ばなかった。思考を読めてしまうダンに奇襲は意味を成さず、かといって、正面からダンを抑え込む実力もない。一人での先頭は勿論、どれだけ四人で纏まって行動しようとも、乱れた連携のままでは全く歯が立たない。

 完璧な停滞を迎えて、二週間。その停滞は、スズネ達に強い焦燥を覚えさせていた。

 正午。宿屋の一室にて、スズネは小さく肩を竦める。ここは、シンヤの部屋だ。相変わらず清潔に保たれた室内には、スズネの他に、二人掛けの長椅子に座るシンヤと、その肩に凭れて眠たそうにしているコハルがいる。

 部屋に落ちた沈黙は重い。それが、ダンをいつまでも突破できない現実からくるものか、それともヨルがこの場にいないことに対しての個人の感想か、最早スズネには判断しかねる領域の話であった。


「もう何度目か分からないダンへの対策会議だけど」


 重い空気の中で、シンヤが多少疲労の見える声を絞り出す。この面子の中で最もダンに奇襲を仕掛けているのはシンヤである。彼が疲労しきっているのは当然のことだったが、彼はそれを指摘してはほしくないようで、強がるようにコハルの頭を撫でていた。


「正直、もうこれ以上話すことはないってくらい色々試した。食事中、娯楽中、会話中、仕事中、全部駄目。気配を消そうが堂々と近付こうが、特に相手の反応に変わりはない。この状況で、ダンに短剣当てられる自信がある奴ってまだいるの?」


 眉間に皺を寄せたシンヤは、肩を竦めて投げやりな言葉を口にする。無論、彼の態度は当然の反応だと言っていい。

 ダンは、想定以上に強い。幼い見掛けに躊躇って実力が出せない、という時期は、とっくに終わっている。本気を出しても尚、彼の戦闘訓練を完遂することは不可能なのだ。


「認めたくないけど、現状の俺達じゃ無理。でも、今から個人で鍛え直すには時間が掛かり過ぎる。安直に考えるなら、誰かに協力してほしいところだけど――」

「……難しいよね。自分の里にいる精霊じゃなくて、他所の里の精霊の味方をする人なんていないだろうし。オウくんにも言ってみたけど、これは私達の訓練だからって断られたし……」


 スズネが控えめに呟けば、シンヤからは重々しい溜息が返ってきた。何百回にも及ぶ奇襲が失敗するともなれば、流石のシンヤも堪えるらしい。

 この停滞という言葉を具現化したような二週間でも、変化したことはいくつかある。

 まず、ヨルがダンへの対策会議に参加しなくなったこと。これは、既に会議に意味はないとヨルが判断したためである。誰も具体的な案を出せなくなった頃合いで、ヨルが「部屋で時間を浪費するくらいならば攻撃の種類や自身の実力を高めたい」と希望した。それをシンヤが承諾して以来、ヨルはあまり三人と行動を共にしなくなった。――正確には、スズネを避け続けているのだろう。


「……ヨルとはまだ何も話してないわけ?」

「……うん」


 シンヤの低い声音での問いかけに、スズネは小さく頷いた。

 二週間前の夜以降、スズネとヨルは会話はおろか、視線を交合わせることすらできていない。それが悲しいのか、それとも安堵しているのかは、最早スズネにすら判断することができなかった。

 シンヤ、コハルとヨルの連携は以前と変わらず熟せるのに、スズネとヨルの連携だけが上手くいかない。付き合いの期間が一人だけ短いせいか、それとも、スズネ自身もヨルのことを避けているせいか。二人の連携は、目も当てられない悲惨なものになり果てている。


「君達の問題だからあんまり立ち入りたくなかったんだけど、流石に聞いていい? 何であの夜からさらに仲悪くなってるの? 俺はてっきり和解したんだと思ったんだけど」


 シンヤの不可解そうな声が鼓膜を揺らす。彼の顔は相変わらず無愛想だったが、声音が刺々しくないことから、その問いが心配から来ていることは明確なことであった。今まで、敢えて触れていなかった部分に触れたのは、その気遣いをしている余裕が無くなったからだろう。二人の問題を解消すれば、ダンとの戦闘も少しはまともなものになるはずだ。

――あの夜。気付いてはいけない感情を押し殺した日。

 胸の痛みを思い出したスズネは、分かりやすく表情を顰めた。しかし、シンヤが問いかけを撤回することはない。スズネは一瞬息を止めて、それから震える声で言葉を紡ぐ。


「何でもないよ。ヨルくんの大事な人はメイさんで、私の大事な人はオウくんで……それだけ。折角会えたのに、あの二人の間に私が立ち入ったら邪魔だろうから」


 嘘ではないが、真実でもない。スズネは、ヨルに抱いている感情を終わらせないために、物事の始まりを迎えない選択をした。

 好きになってはいけない、という、自分自身に刻み込んだ呪いの言葉を実行する。ヨルのことを好きにならなければ、スズネの感情は終わらない。メイとヨルの関係に悲しむこともなければ、オウと自分の関係を嘆くこともない。

 誰も傷つかない、悲しくない結末を、スズネは求め続けている。

 きっとそれが、シンヤには歪に見えるのだろう。彼は表情は分かりやすく不快感を示した。その眼差しには、何処か問い詰めるような色が浮かんでいる。


「……それ、前から思ってたけど、明らかに変でしょ」

「変、って?」

「いつも変なことばっか考えるくせに、こういうところだけ頭を使わない。俺はそれが不思議でならないよ、スズネ」


 シンヤに名を呼ばれ、スズネは自然と背筋を伸ばした。空気に漂った緊張感が、スズネの心拍数を早くする。


「まず、どうして君達の最愛が他の里に居るわけ。限りなく関わりが薄いのに、どうしてそんな関係になり得るの」

「……私達は大精霊の補助精霊だもん。仕事の一環で関わることくらいあっただろうし、それで仲良くなって、互いを大事に想うことは何も不自然じゃない」

「本当にそう思ってる?」

「オウくんは、百年前の私がした約束を知ってるんだよ。二人しか知らない約束なの。記憶の断片で見たから間違いない。それに、最近夢に出てくる大事な人はいつもオウくんの姿をしてる。これが全部の答えなんだよ、シンヤ」


 シンヤの疑念を取り払うように、スズネは丁重に言葉を投げかける。無意識の内に声の震えを押し殺していた。まるで言い聞かせるような口調で断言を続けるスズネに、シンヤの刺すような視線が注がれ続ける。居心地が酷く悪いのに、逃げることは赦されていない。彼は、そんな有無を言わせぬ雰囲気を纏っていた。

 全ての記録を知ることができる星の里で、『かつての大事な人を知りたい』と願ったとき、現れたのはメイとオウの二人。

 それぞれがヨルやスズネの大事な人を自称しており、それの証拠として、互いにしか知らない約束や出来事を覚えている。

 それ以上の情報は要らない。それらは、ヨルとスズネが探していた大事な人が、メイとオウであることの立派な証明だ。

――一瞬でも、互いがそうかもしれない、なんて思ってしまった自分が、恥ずかしい。

 スズネは目を伏せて、心の内でその言葉を掻き消す。そんな乱れた思考に剣を突き刺すように、シンヤはあくまでも冷徹な声で言葉を吐いた。


「ここは星の里なんだから、百年前の些細な約束くらい簡単に調べられるでしょ」

「…………」

「君からあの星の精霊の奥義内容も聞いた。それ、応用すれば君の夢だと偽って自分の望む光景を見せることができるね。その証拠に、ここ二週間、アイツはどれだけやめろって言っても君の部屋に行くのをやめない」

「……そんなことする意味なんてないよ」

「俺には十分あるように感じるよ。そんなに気付かないフリしたいなら俺から言ってあげようか?」

「…………」


 厳しい言葉の連続に、スズネは言葉を詰まらせる。無理やり停滞させていた思考が、シンヤの強引な言葉で、少しずつ動きかけていた。

 もうそれ以上は聞きたくない。その意思表示で、スズネは首を横に振る。しかし、それを聞きいれてくれるほど、シンヤは優しくない。――否、彼は非常に優しい。優しいからこそ、スズネが敢えて気付かないフリをしていた事実を、極めて冷静な声で浮彫にした。


「君たちが不仲になることさえ神の試練だとしたら?」


 神の試練、という単語に、スズネは小さく目を伏せた。白藍の瞳に、睫毛の影が落ちる。その憂鬱な雰囲気を纏う姿を、シンヤは厳しい表情で見守った。

 湖の大精霊と樹の大精霊がもう一度『やり直す』ための神の試練。それを行う必要があったのは、二人が神に永遠の愛を証明できなかったから。

 この試練は、永遠の愛を証明するために行われるもの。そうすることで二人の大精霊は救われ、大精霊からマナを供給される四人も生き延びることができる。

――果たして、『神の炎を消す』ことが、『大精霊の愛を証明する』ことに繋がるだろうか?


「百年前、本当に仲が良かったのは君達の方なんじゃないの。でも、何らかの理由で里同士が別離。同時に君達も離れて、永遠の愛は証明ならず。その何らかの理由が今回みたいな出来事だったとしたら、君達はまさしく百年前と同じことを辿ってることになるね?」

「全部憶測だよ、シンヤ。何の証拠もない」

「全部きな臭いんだよね、神の試練とかいうの。里の人間の反応から察するに、神の試練を俺達が熟さなきゃいけないっていうのはどんな精霊や人間でも知ってること。それで、神は大精霊以上に崇拝されてる。――この意味分かる? 試練を熟す俺達にとって、自分達以外の存在が、全員仕掛け人ってことだよ?」


 君ならとっくにこの可能性に気付いてるでしょ、なんて、確信めいたシンヤの声が響く。肩を揺らしたスズネは、逃げ場を探るように、ゆっくりとシンヤから視線を外した。

 うとうとと瞳を細めていたコハルと目が合う。ゆっくりと瞬きを繰り返したコハルは、そこでようやく、シンヤとスズネが深刻な話をしていることに気がついたようだった。


「世界中が仕掛け人。世界中が敵。そう考えた時、君は本当にあの星の精霊達を信じられる? 突然出てきた精霊が『自分が君の大切な存在だよ』って急に名乗ってるこの状況、君は本当に安心して身を任せられる?」


 シンヤの真実を問い詰める声に、スズネは小さく息を呑み込む。微かに震え出した指先を隠す様に、力強く拳を握った。シンヤの鋭い視線は、そちらを見ていなくても良く分かる。

 息が詰まる。その感覚が、どうしてもスズネが考えたくはなかった可能性を示唆し始めた。


――どうしてあんなにも強いダンが、ジンにはあっさり倒されたのか?


――油断したから? それとも、数が多すぎて心の声を読み切れなかったから?


――九百年も生きている元大精霊補助の彼が、ヨルとスズネを知らなかったのはどうして?


――本当にヨルとスズネがメイとオウの大事な人であったのなら、顔を知らないのは不自然ではないか?


――それは、彼が敢えて知らないふりをした結果なのでは?


――何故知らないふりをしたのか?


――それは、全て、『神の試練』をするためなのでは?



「ねえ、君は本当に今まで渡された情報を全部鵜呑みにしてるの?」


 山ほど浮かんだ疑問に止めを刺すように、シンヤの疑問が投げかけられる。知らず知らずの内に息を止めていたスズネは、蒼褪めた顔で再び彼に視線を向けた。

呼吸が乱れる。思考がちかちかと白く点滅している。身体の奥から押し寄せるような眩暈が吐き気を呼びこむ。

 シンヤはスズネの答えを待っていた。決断を迫られている。その状況が酷く恐ろしいのは、どうしても、終わりを迎えたくないからだ。

 唇が震える。言葉を紡ごうとしては閉ざされるそれが、何を言いたいのか分からない。

 自分が自分ではなくなったかのように真っ白になった思考を持って、スズネは直立する。

――そんな様子を見て、微睡んでいたコハルは、小さな声を絞った。


「駄目だよシンヤくん。見守るって約束だったのに」


 ぺち、という弱弱しい音が、部屋に落ちた。

 コハルの手の甲が、シンヤの唇に当たる。大きく目を見開いたシンヤとは対照的に、コハルは今にも眠ってしまいそうな表情を浮かべていた。その中で、無理やり浮かべられたのであろう、睡魔を帯びたコハルの微笑みが、スズネに向けられた。

 問答を止めるというにはあまりにもか弱い音だったが、シンヤを止めるには十分だったらしい。絶え間なく続けられていた問いかけはピタリと止み、部屋には沈黙が訪れる。それを破るのは、ふにゃふにゃとした眠気を帯びたコハルの声だった。


「きにしないで、シンヤくん今ちょっと焦ってるだけだから」

「……コハルちゃん……」

「これが、例えばその試練だったとしても、スズネちゃんやヨルが考えて答えを出すことが大事なんだと思うな。……ふわぁ……そうじゃないと、試練の意味がないと思うし……ヨルも、スズネちゃんも、一体何が大事か考えて、それでゆっくり向き合っていこうね」


 声音の柔らかさとは対照的に、その言葉には真っ直ぐな芯が通っている。それを言い切ると、コハルは細められた桃色の瞳をシンヤに向けた。


「いい? シンヤくん」

「……分かった。ごめん、ちょっと焦ってた」

「うん、気持ちは分かるよ。……私も星の精霊は少し……」


 コハルの言葉は、そこで途切れる。そこから続くはずだった言葉は穏やかな寝息に変わり、コハルはあどけない寝顔を晒して、深い眠りについた。

この二週間で、変わった事。

 それは、コハルが強い睡魔に襲われるようになったことだ。戦闘訓練の途中、或いは、会議中。何をしていても、コハルは自分の意思に関係なく、眠りについてしまう。

 最初は声を掛ければ目覚める、浅い眠りだったのだが――時間が経過すればするほど、彼女の眠りは深いものとなっていった。

 メイから話を聞く限りは、ヨルも同じ症状に悩まされているらしい。彼が会議に参加しなくなったのは、そういった事情も関係する。

 それは、大精霊からのマナ供給が以前よりも上手くいっていないことを意味していた。

 食事を摂っても尚不足するマナを、二人の身体は眠ることによって補っている。この状況が長引けば長引くほど二人の睡眠時間は増え続け、次第には、きっと、目覚めなくなってしまう。

 シンヤが焦燥しているのは、そのせいだ。コハルもヨルも、彼にとってはかけがえのない存在である。勿論、スズネにとっても。


「……コハルはこういってるけど、俺はなるべく早く解決したい。神の試練も、大精霊も、俺としてはどうだっていい。けど、コハルもヨルも……君も。俺にとっては守らなきゃいけない対象だ。そのために手段は選んでられないんだよ。……分かる?」


 幼い子供を諭すように、シンヤの柔らかい声がその場に落ちた。コハルに向けられたシンヤの眼差しは、酷く気遣わしげなものだった。

 停滞し続けている暇はない。スズネはゆっくりと頷いて、コハルの寝顔を見つめ続ける。

 終わらせたくはない。だから始めたくない。けれど、始めなくても近づいてくる終わりがある。そんな現実を突きつけられている気分だった。


「……シンヤ、私、図書館に行ってくる。サイさんが前に、精霊についての資料があるって言ってたから。コハルちゃんたちのことも分かるかもしれないし……ダンくんの弱点とか、そういうのもあるかも」


 行ってくるね、と言う簡素な挨拶には、頷きだけが返された。

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