第64話 二人の信頼

 一通りの説明が終わった後、その場には一瞬の沈黙が落ちた。神の怒りを鎮める、という抽象的な言葉に、スズネは小首を傾げる。もう少し具体的な説明を求めようとした矢先、目の前を歩くシンヤがやや面倒くさそうな低い声で、メイとオウに抗議した。


「何で俺達が君達の尻拭いするのさ。呪いなんて自分達で解けばいいのに」


 眉間に深く刻まれた皺が、彼の抱いた大きな不満を抱いている。勝手にやれば、という突き放した言葉に、メイは緩やかに首を横に振って反論した。


「それがそうもいかないの。一部と言っても神様が手加減なしで繰り出した逆鱗の炎だから、大精霊か、その補助を務める特別な精霊じゃないと消せないんだ。……それに、あれは星の里の罪を示すもの。星の里の住人には決して消せないようになってるから、大精霊様でもあの炎は消せない。だからこそ、何百年もの間、あの炎はこの里で封印されてるというわけ」

「それはそれは。で? 封印されてるなら消火の必要なくない?」

「あるある、大ありだよ。あの炎は、封印されていても尚死んだ精霊や人間の魂を焼くの。そうすると、今後すべての来世も含めて、その生命の存在は世界のあらゆる場所からも消滅してしまう」

「……なにそれ」

「例えば、私が今死んだとしたら、神の怒りの炎に魂が吸い取られて、焼かれてしまうの。生まれ変わることは永遠にできないし……私が身に着けていた衣類も、書き残した文字も、絵も――私が生きたという証は全部消えて、他者の記憶の中にしか残らない」


 酷い呪いでしょう、と呟いて、メイは何処か寂しそうに笑った。伏せられた睫毛は静かに上下して、彼女の空色の瞳に濃い影を残す。しかし次の瞬間、彼女はその儚げな雰囲気から一転して、先ほどのように弾んだ声音と溌剌とした笑顔を浮かべた。


「でも、それこそが私達星の里が犯した罪。そして、その罪を償う機会が漸く回ってきた! 神の試練はあの炎を鎮火すること! 皆が試練を乗り越えた時、私達はその呪いの炎から解放される。魂は生まれ変わるし、生きた証を残して死ねる。何もなかったことになんてならない。私達はこの世界に足跡を残すことが漸く赦されるようになる!」


 その瞬間が待ち遠しい。メイの表情は、鮮明にそう物語っていた。白い頬がほんのりと赤く色付き、何処か恍惚とした色を乗せる。メイはそうして喜ぶと、自分の手で包んでいたヨルの手を強く引いて、再び試練の場所への歩みを進め始めた。


「だから、私が死ぬ前に来てくれてよかった、ヨルくん。もし死んでたら、ヨルくんは二度と私と会えなかったんだよ。私は生まれ変わることもできないし、手掛かりになるようなもの何一つ残せなかったんだから」

「精霊って、寿命がないんでしょ?」

「でも、いつかは死ぬでしょ? 事故でも、仕事を全うしてでも。人間と違って時間に左右されないってだけで、精霊だって不死なわけじゃないからね」

「……そっか。生きててくれてありがとう。メイ」

「どういたしまして! ふふ、素直に感謝されると何だか擽ったいけど、嬉しいよ。さ、行こうヨルくん。頑張って試練乗り越えようね! 皆もこの里の人も助かっちゃうよ!」


 ヨルの声が確かな感謝を紡ぐと、メイは心底満足したように、軽やかな足取りで硬い地面を駆けていった。ヨルは一瞬驚いたような声を上げたが、手を引かれるままに彼女の後ろを辿っていく。メイの言葉に何かしらの返答はすれども、彼は一度もスズネ達の方を振り向くことはなかった。

 既に、メイが駆けていく道の方向には半球型の建物が見えている。それが祠だと、スズネ達に向けて、オウはそう説明してみせた。

 スズネ達は、無意識の間に足音を殺しながら祠へと近づいた。昼間だというのに、辺りは嫌な静寂で満ち溢れていた。

 色鮮やかに壁を塗装されている住宅とは違い、その建物は飾り気のない黒い石のみで形成されている。また、人々が密集した場所からは離れた場所に建造されているためか、周囲に人気がまるでない。周辺に緑がないことも相まって、祠付近には生命の息吹がまるで感じられなかった。

 祠の入り口には冷ややかで分厚い鉄の扉が設けられており、それを挟むようにして鉄製の篝火が二つ設置されている。篝火に灯る青白い炎は、近づくだけで肌を焦がすような熱を以て、その先に危険があることを忠告していた。

 神経を研ぎ澄ませなくとも、祠の中からは既に異様な気配が漂っていた。側に立つだけで背筋に悪寒が走る。立っていることも恐ろしくなるような雰囲気を目の前に、僅かに眉尻を下げたコハルが小さな声で呟いた。


「祠っていうか、何だか闘技場みたい。丸いし、広いし」

「うーん、大して間違ってないかも。でも、そこらの闘技場よりもずっと頑丈だよ。セイ様のマナで造られた祠だもん」

「ま、間違ってないって?」

「言ったでしょう、皆はここで神様の怒りを鎮めるの。あの炎、『強い』から十分に気をつけてね。結構早いし」


 メイは何気なくそう呟いた。何を今更、と言いたげな軽い声の調子に、コハルとスズネは目を見合わせる。先ほどから心臓がうるさいのは、この先の展開に何となく予測がついた故だろうか。

 恐らく、スズネと同じ考えに至ったのであろうシンヤが、そこで盛大に溜息を吐いた。


「戦えっていうんだね、俺達に」

「察しがいいね、シンヤ」

「気易く呼ばないで。戦闘なんて聞いてない。それくらい前もって説明してくれない? 馬鹿じゃないの」

「そう冷たくされると流石に落ち込むよ? 記憶がないって言ってもさ」


 冷水のように冷ややかなシンヤの声に、オウが苦笑を零す。そんな光景にも興味はないと言いたげなシンヤは、祠に入る前から自分の剣を抜いて警戒心を露わにする。磨き抜かれた刃は、青白い炎の光を受けて、何処か残酷な光をその刀身に帯びていた。

 長く息を吐いたシンヤは、そうして神経を尖らせているようだった。戦闘をするために気分を切り換えたらしい彼は、いつにも増して鋭い目付きで祠の扉を睨んでいる。それから、その敵意剥き出しの視線を、自分の隣に立っていたメイに向けた。


「ほら、君もいつまでヨルの手握ってんの。戦闘の邪魔」

「あっ」


 シンヤの手が容赦なくメイの手を振り払う。ヨルは自由になった手は指先を驚いたように跳ねさせ、それから呆然とシンヤを見つめた。その表情に滲む感情が、シンヤには分かるのかもしれない。ヨルの顔を覘きこんだシンヤは、ただ一言、彼に問いを投げかけた。


「戦える?」


 侮辱や小馬鹿にする気配のない、真剣な声だった。いつだって言い争いの耐えない二人の間では、中々聞かない声音である。

 聞いているだけにも関わらず、緊張感が伝わってくる。スズネは思わずシンヤの背中から数歩離れて距離をとった。その時ばかりは、コハルも口を挟まない。それは、シンヤとヨルの二人だけの会話だった。

 数拍を置いて、ヨルが僅かに顔を顰める。不愉快な気分になったというよりは、どうしたらいいか分からない、と言いたげな、子供のような表情だった。


「……やってみないと分からない。君の足を引っ張るかもしれない」

「引っ張れるもんなら引っ張ってみな。君如きが俺の足を引っ張れると思うなら。そんなの思い上がりも甚だしいけど。君を引きずったまま戦うのなんて余裕すぎて足手纏いにすらならないよ」

「でも」

「俺が信じられない?」


 有無を言わせぬ高圧的な言葉に、ヨルが一瞬言葉を詰まらせる。普段の喧嘩とは明らかに違う雰囲気が両者の間に漂っていた。

 恐らく、これがシンヤなりの心配と励ましなのだろう。スズネが口を挟むまでもなく、その真意はヨルにも伝わっている。普段と比べて明らかに様子がおかしいヨルは、それを聞いて、力の抜けた困ったような笑顔を僅かに浮かべた。


「君のそういう強引なとこ、どうかと思う」

「今更でしょ。外で待っててもいいよ」

「いい、やる。いつも通りの動きは期待しないで」

「上等。好きなようにやりなよ、今日は俺が合わせてあげるから。光栄に思いな」

「有難う、君のそういうところ嫌いじゃない」

「……君が素直だとすごくやりにくい。もういいからさっさと剣抜いて、ハイ、早く」

「はいはい」


 シンヤの声に急かされるまま、ヨルは手慣れた様子で革の鞘から短剣を引き抜く。その横顔は、普段通りとまではいかないものの、随分と緊張が解れたらしいことを物語っていた。

 スズネはほっと安堵の息を吐く。ヨルの笑みを久しぶりに見た気がした。シンヤの隣にいる彼が幾分か普段の様子に近付いたことで、スズネの肩からも僅かに力が抜ける。

 騒がしい心臓を落ち着けるように、静かに深呼吸を繰り返したスズネは、両手で杖を握りしめた。その隣で、短弓を手に持ったコハルが小さく頷く。


「魂を焼くってことは、下手をしたら私達の存在も焼かれちゃうってこと、だよね」

「そうだね。危険度も難易度もすごく高い。だからこそ、神の怒りを鎮めることが試練となるんだけど」


 コハルの声は、緊張と恐怖で僅かに滲んでいた。それでもその瞳の光が絶えないのは、他に道がないことを彼女が知っているからだろう。

 コハルの声に、オウが頷いて肯定を示す。彼の方は、怖がっている雰囲気が全くなかった。近くにいるだけで恐ろしくなってしまうような祠の前に立っても尚、オウはその顔色を悪くすることはない。それは単純に、彼が星の里の住人で、この気配に慣れているからだろうか。


「ああ、試練には、試練官として私達が付き添うね。星のマナじゃ炎を鎮火できないから、手助けはできないけど……その分、皆が試練を乗り越えられるか、しっかりと観測させてもらいます。皆の未来のためにも、星の里のためにも、皆、がんばってね!」


 そう言って微笑みを携えたメイとオウは、それぞれ鉄の両開きの扉に手を添える。二人の眼差しは真っ直ぐに四人を捉え、「準備はいい?」と尋ねていた。

 四人が同時に頷いたのを見届けて、試練官の二人は静かに扉を開く。

 扉の隙間から露わになった祠の内部は、重苦しい空気と暗黒で満たされていた。

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