第63話 創造主の黒、祝福の白

 試練を行う場所までは、整地がされていない荒い道が続いている。黒っぽい硬い土を踏みしめながら、一行の最先端を歩くメイは、朗らかな声で呟いた。


「これから皆にはね、神様の怒りを鎮めてもらうんだよ」

「……神様の怒り?」

「そう!」


 不可解そうなヨルの声を聞いて、メイが突然彼と繋いでいた手を離す。そうして腕を広げて回転しながら、彼女は行く道を阻む様に立ちはだかった。その表情は何処か楽しげで、子供のような無邪気さが目立つ。

 シンヤの背中に隠れていたスズネは、目元だけを覗かせてそんな彼女の様子を見守っていた。彼女の首元で、白い首巻が風に靡いている。布が風に合わせて不規則に揺れるのが、何処となく不穏な気配を漂わせているように見えて仕方がない。彼女は清々しい空色の瞳を細め、面白がるような声音で言葉を続ける。


「むかーしむかしのこと。私が生まれるずっと昔。この里では、白が災いを齎す色だと信じられていたの」

「……白、って、あの白ですか?」


「そうだよ、スズネちゃん。雲とかの真っ白で汚れのない美しい色。今となってはこの里で白と言えば祝福を齎す色って言われて有り難がられるけど、ずっと昔――神様が神官様と契約するまでは、その真逆だったの」


 メイはその瞳を三日月形にすると、芝居がかった仕草で自らの細腕を自分の胸に当てた。もう片腕は空に向かって斜めに伸ばされている。彼女は舞でもするかのような華麗な動きを付けくわえながら、その昔話を続けた。


「里に生まれる人間や精霊には、とある法則性があるの。マナに色があるように、里にも色がある。人間や精霊は、髪や目にその色を宿して生まれるんだ。例えば、この星の里であれば、夜空の黒、月の黄色、青空の青、みたいな感じでさ。里の色に準じた色を持って生まれるのが普通なの」


 自分の長い髪を手の甲で払いながら、メイは静かに微笑む。彼女の言葉を借りるなら、メイの髪の毛は夜空の色で、その瞳は青空の色だ。確かに、現在スズネ達の頭上に広がっている澄んだ青空と彼女の瞳の色はよく似ているし、漆黒の髪は夜空の色と言えるだろう。

 では、オウは。瞳の色こそメイと同じ空の色だが、彼は清らかな白髪を持っている。風に靡く真っ直ぐな白い髪は、日光を浴びて絹糸のように美しく輝いていた。

 スズネの視線を浴びていることに気が付いたのだろう。ふ、とスズネに視線を向けたオウは、その表情に柔らかな微笑みを携えて呟いた。


「僕は、なんだろう、希少種みたいなものだよ。本来、白は星の里の色じゃない。極稀に、里の色を持たずに生まれてくる者がいる。僕はソレ」

「希少種って……色が違うだけなのに?」

「色が違うだけでも昔は大きな問題だったんだよ、コハルちゃん。もっと色鮮やかな色なら自慢にもなったんだけど……白だけは例外だったの」

「どうして?」

「神様の色が黒だったから」


 僅かに眉を潜めたコハルとは対照的に、メイはあくまで笑顔を保ったままそう説明した。彼女の長い髪の毛がさらりと風に持ち上げられる。黒、と聞いて咄嗟に思いついたのは、マナを注ぐ前の無光石だったが――何故今になってそれを思い出したのかは、自分でもいまいち分からなかった。


「神様の黒は夜空の色とは違うの。全てのマナを集めた色――即ち、この世界の創造主である証の色。神を信仰していた人々は、彼が纏う色すら信仰していた。それ故に、その反対となる白は、何者でもない、何も宿さない無の色として、人々から忌み嫌われていたの」


 メイは自分の髪の毛を指先で軽く撫でる。説明はあくまで歌うような軽い声音で、子供を寝かしつける母親の声によく似ていた。しかし、眠気を誘うには少々恐ろしい話である。神の色や瞳の色が白というだけで、人間は他者を恨むことができるのか。

 スズネが息を呑むと、それを見越したように、彼女が視線を寄越してきた。決して冷たくはない、温もりを帯びた視線が、今回の場合は何処か底知れぬ恐怖を帯びてスズネの肌をなぞり上げる。

 背筋に悪寒が走った。唇を堅く閉ざしたところで、スズネの脳裏を過る人物がいた。


「……神官のミカさんは、白髪でしたけれど」

「ああ、うん。そう。ミカ様はね、元々この里の出身なんだよ」

「えっ、そうなんですか?」

「ミカ様が神様と契約したことが切っ掛けで、この里では白色が有り難がられるようになったの。白は神に愛された色、祝福を受ける色ってね。だから、オウの側にいたら何か良いことが起こるかもよ? スズネちゃん、隠れてないで隣に行けばいいのに」


 面白がるように口元に手を当てた彼女は、くすくすと細やかな笑い声を零す。それから、自由に宙を滑らせていた手でもう一度丁寧にヨルの手を捕まえた。ヨルの顔を覘きこむメイは、酷く愛おしそうな満面の笑みである。


「スズネちゃんは相変わらず照れ屋さんなんだね。ね、ヨルくん」

「……そうだね」


 ヨルの顔は依然として見えない。その声に胸の奥を突き刺されるような感覚を覚えて、スズネは逃げるように顔を俯けた。ヨルが今、何を思っているのか、少しも分からない。それが何よりも怖かった。


「はあ……。で? 長々と髪の色の話されても困るんだけど。色と試練と、どう繋がるの?」


 スズネが再び背中に隠れたことを悟ったのだろう。溜息を吐いたシンヤは、スズネの言葉を継ぐように続きの質問を投げかけた。相手の反感を恐れないキッパリとした物言いに、傷つく様子も腹を立てる様子もないオウが、余裕を感じさせる笑みのまま答えた。


「色というか、経緯かな。大昔、白い髪を持って生まれてしまったミカ様は、この里の全てから迫害されていたんだ。神を信仰するあまり、その信仰心が、一人の罪無き人間を殺す寸前まで傷つけた」

「うわぁ、最悪」

「僕もそう思う。この里における、清くない歴史の一つだね。……ミカ様は髪が白いというだけで処刑される寸前にまで至ったんだ。それを見て怒ったのが、他でもない神様だった」


 オウは肩を竦め、静かに周囲を見渡した。その瞳に浮かぶ苦笑の気配は、里の過去を語る声にも滲んでいる。


「神様は普段、人間と同じ姿を持って人前に現れる。人を揶揄ったりするのが大好きな、お茶目な人なんだ。でも、本来は、人でも自然でもない、それらを超越した姿なんだ。神様がこの世界でそれを見せたのは、過去に二度だけ。この世界に人間を創った時、彼等の前に神としての照明を示したときと、ミカ様を救うため、この里を滅ぼそうとしたとき」

「……滅ぼそうとした? 神が?」

「正しくは、世界諸共この里を、だね。人間の所業に絶望した神様は、一度、自分の創ったこの世界を滅ぼすことで、その絶望への責任をとろうとした。元の姿に戻り、圧倒的な力を振るって、全てを無に還そうとした。――そして、それを止めたのがミカ様。神本来の姿を目の前にしても動けたのは、大精霊のセイ様を含めてもミカ様だけだった。彼がいなければ、今頃星の里の行いによって世界が粉々だったんだ」


 途方もない話を、オウは真剣な表情で語る。決してそこに冗談が含まれていないことが分かる、真面目な声音だった。だからこそ余計に、その話が如何に恐ろしいかを示していた。

 神の意向で、この世界は簡単に終焉を迎えてしまう。契約者というのは、単純に補佐だけではなく、巨大な力を持った存在の暴走を止めるための防衛手段でもあるのかもしれない。

 ミカの姿を思い浮かべたスズネは、静かに息を吐く。溜息が出るほど神聖で美しいあの人物が、人々に迫害されたり、世界を救った過去を持つ人物なのか。中々想像しにくい光景だが、それらが真実だからこそ、彼は神官として選ばれたのだろう。


「ミカ様のおかげで、この里も世界も救われた。私達星の里は、その一件で己の考えが如何に悍ましいものであったかを知ったの。だからこそ私達は星と神の導きに従う観測者であり、運命に手を加えない傍観者となった」

「そして僕達の里には、その罪を償うための呪いが今も尚残されている。神様の怒りに触れた証拠として、当時神様が広げた滅びの炎の一部が里の祠に封印されてるんだ。長い年月を経て、僕達はようやくその呪いを解く資格を得た」


 オウとメイはそれぞれ視線を交わせ、小さく頷き合う。まるで同一人物が二人いるかのような阿吽の呼吸で、二人は次の言葉を読み上げた。


「皆がその呪いを解くんだ。『神様の怒りを鎮める』。それが、この星の里における試練だよ」

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