第52話 明かされた事実


 スズネ達が向かったのは、昨日案内人を務めてくれた少年、ダンとその契約者の露店だった。

 ジンは、今日ダンの店に訪れるという約束を交わしているのである。その約束が確実なものであるという確証はないが、当てもなく神都中を練り歩くよりずっとジンと遭遇する可能性があるだろう。

 それに、四人が露店に居る間、シンヤが作りだした十二匹のサメがジンを探して神都中を泳ぎ回っている。もし約束が破られたとしても、露店で待機している時間は無駄にはならない。既に、サメ達はジンの捜索に放たれていた。神のマナが溢れている神都だからこそできる力業である。

 密集率の高い人混みの中は、蒸されるような温い空気が漂っている。肌に張り付くような不愉快な感覚に堪えながら、どうにか四人はダンに紹介された場所まで辿りついた。


「こんにちは、星に導かれしお客様方。是非お足を止めてご覧になってください! どれもこれも星の加護を受けた素晴らしい商品ばかりですよ!」


 そこでは、青みがかった黒い髪を持つ女性の店員が、独特な呼び込みを行っていた。周辺にダンの姿はない。黒と青の中間にある暗い布が脇道に敷かれている、という形式の露店で、布の上には何も入っていない透明な小瓶や、星や月を模した装飾品が所狭しと並んでいた。

 透明な小瓶の群れの前に、一つだけ蓋が開けられた瓶が置いてある。瓶の中では橙色の炎が、先端を揺らめかせながら燃え盛っていた。瓶の口から伝わってくる確かな熱気で、スズネはそれが星のマナであることを確信した。これが、ダンが昨日紹介していた『空気に触れると発火する携帯用の炎』だろう。


「あの……すみません」

「あらお客様、素敵な耳飾りですね。そちらの耳飾りに良く似合う、こちらの髪飾りは如何ですか? 我が星の里で採掘された宝石を磨き、あしらえたものです。本物の星に劣らぬ美しくも静謐な輝きを放ち、お客様の艶やかな黒髪の美しさを一層引き立たせて――」


 遠慮がちに声を掛けたスズネに対し、店員は流れる川のような勢いで言葉を紡ぎ始めた。その目は星を思わせるような光に満ちていたが、星と呼ぶには聊か爛々としすぎているように思える。商人の目、もとい、餌を求める獣の目である。

 まともに耳を貸せば購入意欲を刺激されること間違いなしである。スズネは慌てて店員の言葉を遮った。


「だ、ダンくんの契約者の方ですかっ!?」

「まあ、ダン様のお知り合いの方ですか?」


 その一言で、激しい雨のように降り注いでいた声が一瞬で止まった。獣のような鋭さを帯びていた目許が和らぎ、親しげな微笑みが眼前に浮かぶ。その変化に胸を撫で下ろしたスズネの隣で、数秒前まで呆れた顔をしていたシンヤが口を開いた。


「俺達は今日ダンと会う約束をしてるんだけど。ダンは何処?」

「他のお客様に応対しており、現在この場を離れていらっしゃいます。もう少しで戻ってくると思いますけれど」

「そう。じゃ、ここで待たせてもらってもいい?」

「ええ、勿論です! ダン様とお知り合いの方を、私が邪険にするはずありません。――ああ、お待ちいただく間に私達自慢の商品をご覧になっては如何ですか? いい時間潰しになると思いますよ!」

「ああ、はいはい。じゃあこの携帯用の炎いくつか頂戴」

「お買い上げ、有難うございます! お客様に星のお導きがあらんことを!」


 女性店員は、華やかな笑みを浮かべながらも言外に『ここにいるなら何かを買ってくれ』と主張した。それを正しく汲み取ったシンヤが、多少面倒くさそうな顔をしながら透明な小瓶をいくつか指で指す。すると、その笑みをさらに明るくした女性店員は、溌剌とした声で購入への感謝を述べた。

 その声を聞いた通行人が、露店の商品に興味を示す。それを見逃さずに素早く声を掛ける姿は、まさしく狩人。ここは血の流れない戦場らしい。

 シンヤはジンから巻き上げた――否、対価として得た金をいくつか店員に手渡した。携帯用の小瓶は一つ一つ丁寧に革袋の中に入れられて、金と入れ替わりでシンヤの手元に渡る。その手付きは、彼女が口を動かすよりも素早く行われた。非常に慣れた無駄のない動きであった。

 堂々と戦場に君臨している店員を横目に、スズネは思わず息を呑んだ。よく見れば、彼女は露店の装飾品を身に着けており、身動きをとるだけで全身の何処かがキラリと光を反射する。それがしつこくない程度に留められていることや、彼女自身の仕草があからさまではないことが手伝って、商品の良さだけが引きたてられていた。

 声の出し方や言葉の選び方だけでなく、一挙一動が商品の売り込みになっている。一件朗らかに笑っているだけの女性が幾千もの修羅場を潜り抜けてきた戦士のように見えた。


「商人さんって、すごいんですね……」

「本当。売り込みがうまいね」


 呆気にとられて立ち尽くすスズネ。その隣で、苦笑するヨル。二人は顔を見合わせると、この光景に抱いている感想が同じであることを悟り、苦笑いを見せあった。勿論、彼女はそんな些細なやりとりでさえ見逃さない。


「お客様方、羨ましくなってしまうほどとてもお似合いな恋人様ですね。よければこちらの指輪をご覧ください!」

「えっ」

「こちら、有名な二つの星を模した指環です! 私達星の民は、それぞれの星に課された運命と物語を読み解くことができます。この二つの星にも物語がありまして。この指環、それぞれ白い宝石と青白い宝石がついています。白い宝石――もとい、白い星が男性、青白い星が女性です」


 二人が恋人であるという条件を前提に話が進められる。スズネは、己の頬に熱が集まるのを自覚した。

 確かに、二人の手は繋がったままだった。けれどそれは、あくまで迷子防止のためである。本当に恋人同士なのは二人の隣にいるシンヤとコハルなのだが、そんな事情など、店員が知るところではない。

 店員は、顔を赤くしながら焦るスズネの心情を察さないまま、彼女の言葉になど耳を傾けないまま、星に纏わる物語を語り始めた。


「あの、私達は、恋人じゃ」

「この二つの星は互いを想い合う恋人だったのですが、恋慕が募るあまり、それぞれの仕事を放棄して、互いに夢中になってしまったのです。それに激怒した神が二人を引き離したのですが、二つの星が悲しみに暮れるのを見て御慈悲をお掛けになり、年に一度だけ、逢瀬をお許しになられた……という、物語があります。離れても決して途切れない愛、素晴らしいとは思いませんか?」

「いえ、あの、だから私達は」

「少し、樹と湖の大精霊達に似ていますよね。いえ、あの二人とは、決定的に違うところがありますが」


 誤解を解こうとするスズネの言葉は、そこで途切れた。何気なく付け足された言葉には予想外の単語が混入していたのだ。

 一気に身体を硬直させたスズネの前で、店員は目を伏せながら口を動かす。彼女の耳元で、三日月形の白い耳飾りがちらりと上品な光を放っていた。


「神は本当に慈悲深いお方です。星にも、大精霊にも、その寛大なお心の一端をお許しになられる。嗚呼、そう考えると、そのように偉大な神が住まう都でこうして仕事ができるだなんて、この身に余る光栄だわ」


 言葉が後半に向かうにつれて、店員はその表情を恍惚とさせた。神への深い信仰は甘い声音を聞いていれば察することができる。頬に手を当てて自分の世界へ飛び立った店員の目の前で、四人は一斉に顔を見合わせた。

 樹と湖の大精霊。彼女達について、恐らくどの精霊よりも深い結びつきがあるはずの四人は、未だ確かな情報や知識を得ることができていない。

 分かっていることは、二つの里が、百年前は一つの里だったということと、里同士が別たれた原因は大精霊達にあり、愛故に離別を強いられた、ということだけだ。


「ねえ、その話詳しくして」

「あら? お客様方……もしかして、樹と湖についてのお話を、ご存知でない?」


 シンヤが身を乗り出して話の続きを催促すると、店員はその表情を訝しげなものにした。

 知らないのは可笑しい、と言いたげな顔に、シンヤが眉間に皺を寄せる。追い打ちをかけるように「んんー?」と声を零して首を捻る店員を見て、コハルがすかさず声をあげた。


「知らないの。私達、最近生まれたばっかりだから。お願い。教えてくれたら、ここの商品もう少し買うよ」

「あら、生まれたばかりの精霊様だったんですね! 失礼致しました。そしてお買い上げのお約束、有難うございます!」


 疑念に満ちた表情にころりと笑みを転がして、店員は声を高くしてお礼を口にする。その変化は、何処かジンを連想させた。商人とは、皆共通して強かな生き物なのかもしれない。


「といっても、私も里で教えられた話をそのままお話するしかできないのですけれど。湖の里と樹の里。今や二つは別々の里ですが、百年前までは一つの里だったそうです。私は人間なので当時のことを知りませんが――ダン様はご存知らしいですよ。当時の里のこと。当時の里は、豊かな緑と清らかな水に恵まれた楽園のような場所だったそうです」

「……ダンくんって、もう百年生きてるんですか?」

「ええ。ふふ、精霊様は見掛けと年齢が釣り合わないと分かっていても、ついつい誤解してしまいますよね。あんなに可愛らしいお姿ですと」

「は、はい。そうですね」


 スズネは、脳裏にダンの姿を思い浮かべた。何処からどう見ても幼い少年にしか見えない彼は、もしかしたら、スズネ達よりも年上なのかもしれない。スズネ達には記憶がないので、確かめようもないことだが。


「けれど、樹の大精霊と湖の大精霊は仲違いをして――里は二つに別たれました。けれど、そもそも、樹の大精霊は、神ではなく湖の大精霊の手によって生まれた存在でしょう? この世界の均衡を崩すのでは、と危険視されていたところを、神の御慈悲で見逃されていただけに過ぎない。湖の大精霊が樹の大精霊と永遠を過ごすという条件で許されていたのに、それを破ってしまったのだから、本当に二人の大精霊には呆れてしまいますわ。神の御慈悲をなんだと思っているのかしら」


 星の大精霊様とは大違いです、と、店員は憤った。店員は薄紫色の瞳を細め、やがて声を低くして呟く。


「だからあんなことになるのよ」

「……あんな……?」


 スズネは思わず復唱した。店員は、それに促されるままに言葉を継ぐ。その表情は決して晴れやかなものではない。

 周囲に溢れる熱気や喧騒が、少しずつ遠くなっていく。決して無くなった訳でもないのに、店員の言葉は、それらを忘れさせるような衝撃を含んでいた。


「湖の里は崩壊寸前。大精霊の身勝手に巻き込まれてしまった湖の民には同情します。無論、消えていった精霊様にも。もう湖の里は自力で立ち直ることはできません。他の里の力を借りなければ存続ができない哀れな里。神が危惧された通り、世界の均衡は崩れつつあります。嘆かわしいことです」


 湖の里は崩壊寸前。

 その言葉に、スズネは後頭部を殴られたような衝撃を得た。咄嗟にシンヤに視線をやる。彼は目を僅かに見開いたまま、硬直していた。


「神に従っていれば、湖の精霊様が消えることなどなかったのに。精霊を守れず、あまつさえ表に出ることができなくなってしまった大精霊を持つなんて、湖の民は可哀想。そう思いませんか? お客様。……お客様?」

「俺達のことは気にせず。続けて。商品もう少し追加で買うからさ。君の考えがもう少し聞きたい」

「あら、そうですか? 私達星の民は神のご意向に背きませんが、湖の大精霊の世話を続けてやるなんて、寛大過ぎると思うんです。樹の大精霊についての処遇は決して文句を言いませんけれどね」


 商品の売り上げが伸びるなら、話が何処まで伸びても構わないらしい。店員は淀みなく会話を続ける。決して明るい顔をしないのは、彼女が樹と湖の大精霊について、あまり良い感情を持ち合わせていないからだろう。

 四人がそれに頷くことも笑いかけることもしないのは、自分達の大精霊を悪く言われているから――などという理由ではない。

 自分たちの知らなかった情報が、あまりにも衝撃的だったためである。


「神は、二人の大精霊に最後の機会をお与えになったんです。大精霊達は、自分に従わずに自滅したというのに。ああ、神よ、なんと慈悲深い……」


 彼女はそう言うと、胸元で手を合わせて祈るような仕草をした。この店員は、心底神を信仰しているらしい。この世界を創り出した存在だ。絶対的創造主を前にしては、こういった態度を貫くのが当たり前なのかもしれない。

 難しい顔をしたヨルが、硬い声音で店員にこう尋ねた。


「その機会って何ですか?」

「ああ……一度証明できなかった愛を、もう一度神に証明する。そうすれば、二人の大精霊は救われる。神はそう仰られました」

「それ、証明できなかったらどうなる、とか、分かりますか」

「無論、世界の均衡を保つために動かざるを得なくなるでしょう。神の世界を乱すことは、大精霊とて許されませんから」


 世界の均衡を保つ。言葉は整っていたが、これまでの話の流れで、決して良いことは起きないというのが察せられた。

 思わず黙り込んでしまった四人を、店員は酷く不思議そうな顔で見守っている。何か変なことを言いましたか、と言いだしそうな彼女を目の前に、スズネは恐る恐る問いかけた。


「その愛は、どうやって証明するんですか」

「ああ、それは、神の試練を――」


 店員は、そこで言葉を詰まらせた。彼女の瞳はスズネ達の頭上を見つめている。硬直した店員の視線を辿れば、そこには、シンヤが出した水のサメが悠々と浮かんでいる姿があった。

 水のサメは、緩慢な動作でシンヤの眼前まで下りてくる。それを見た周囲の通行人達は皆足を止め、好奇の視線を投げかけた。

――そこで初めて、スズネは理解した。

 通行人達が足を止めたのは、恐ろしい姿のサメに驚いたからではない。これが『湖のマナだから』足を止めたのだ。

 湖の大精霊のせいで、精霊達が消えた。その言葉から察するに、湖の里では、精霊が激減しているのだろう。

 どれだけこの場にマナが溢れていようとも、湖のマナではその中に紛れることはできない。存在が危ういマナを使用すれば、否応にも人の注目を集めてしまう。


「――お客様、もしかして、湖の」


 店員はそう呟くと、サッと顔色を蒼くした。次の瞬間、彼女は自分の口を手で塞いでしまい、それ以上は言葉を紡がなかった。

 どれほど商品を買うと言っても、彼女はもう口を開かないだろう。そう確信するスズネの隣で、シンヤは盛大に溜息を吐いた。


「も、申し訳ございません! 湖の方とは知らず、失礼な口を」

「そんなのどうだっていい。俺は里も大精霊も嫌いだから。そんなことより、君の大事な精霊が大変なことになってる」

「……え、ダン様、が?」


 シンヤの声には、珍しく焦りが滲んでいた。いつもよりも早口で告げられた言葉に、店員が一瞬不安げな光を瞳に浮かべる。

 シンヤは、目元に影を落としたまま、断言した。


「ダンが精霊攫いに攫われた」

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