第51話 覚悟の独り言

「『私はヨルの好意を断っておきながらはぐれた大馬鹿者です』。はい、復唱」

「わ、私は、ヨル……くんの好意を断っておきながらはぐれた大馬鹿者です」


 宿屋の前で、冬の外気に晒されて冷え切った水面の如き冷ややかさを帯びたシンヤの視線が、スズネを突き刺していた。彼の無愛想な声に促されるまま、スズネは震える声で反省の言葉をなぞりあげた。

 そんなやりとりを、不安そうな顔をしたコハルと呆れた顔のヨルが見守っている。道行く人々は異様な光景に好奇の眼差しを向けたが、先を急ぐのか、将又関わり合いにはなりたくないのか、妙に早歩きで四人の前を通り過ぎていった。


「『しかもはぐれた先で非合法の商法及び商品に引っかかりそうになった愚か者です』。はい、復唱」

「しかもはぐれた先で非合法の……あの、そろそろ、本題に入ってはいけませんか」

「これ言い終わったら聞いたげる」

「……しかもはぐれた先で非合法の商法及び商品に引っかかりそうになった愚か者です」

「『もう絶対に、二度と、勝手な行動はしません。ヨル、コハル、シンヤの誰かと一緒に行動します』。これで最後」

「もう、絶対に、二度と、勝手な行動はしません。ヨル……くん、コハル……ちゃん、シンヤ……さん、の、誰かと一緒に行動します。」

「そこまで反省してるならもう良いよ。はい、顔上げて」

「……全部、シンヤさんに言わされた反省なんですけど……いえ、反省はしているので間違ってはいませんが」


 いくつかの反省文を強制的に復唱させられた。肩を竦めたスズネが遠慮がちに視線を投げるのを、シンヤは厳しさが漂う鋭い目付きで見ている。今の彼に口答えは厳禁だ。口元で転がした細やかな意見を呑み込み、スズネは小さく手を横に振る。

 どうやらこれはシンヤなりの罰則のつもりらしい。

 水のサメで宿屋の前まで運ばれたスズネとヨルを見かけた途端――否、この表現は正しくない。シンヤはスズネを視界の隅に捉えた瞬間に、平生から鋭い目付きをさらに尖らせた。それだけで伝わってくる怒気は相当なものだったが、勿論、彼は伝わったからと言って問題を放っておくような性格はしていない。二人が無事着地したのを見届けた後、簡単な事情をヨルから聞いて、低い声でスズネに反省文の復唱を促し始めた。それが冒頭のやりとりに繋がるのである。

 ミカのことも、ジンの正体も報告しなければならない。気を取り直したスズネは、一度咳ばらいをしてから会話を切り出した。


「よ、ヨルくんが説明してくれた通り、少し危ういところをミカさんという方に助けていただきました。曰く、彼は『神都の全てを守る者』。彼もジンさんを追っているらしいんです」

「私達と同じだね。神都を守るってことは、そのミカって人は警衛さんなのかも。でもどうしてジンさんを追ってるの? ……あの人も、非合法の商法してたり?」

「商法、といって良いかは分かりませんが、確実に非合法かと。ジンさんは、精霊攫いなんだそうです」


 精霊攫い。その一言で、不安そうなコハルの表情がさらに引き締まる。眉尻が下がったコハルは、精霊攫い、と一言復唱して、シンヤの表情を伺った。彼もまた、先ほどまでの冷ややかさを消してその顔に緊張を漂わせている。ただ、それを隠すように震えも怯えも感じさせない強かな声音で言葉を紡いだ。


「……この神都には結界が張ってあるって、他でもないアイツが言ってたと思うんだけど。俺の記憶違い?」

「いや、僕も確かにそう聞いた。ここは精霊とその契約者しか立ち入ることができない領域のはず。彼自身が、盗賊がこの場所で仕事をするにおいての難易度を語ってたと思う」


 僅かに緊張を孕んだ表情のヨルが、低い声で呟く。その場の全員の脳裏を、飄々としたジンの言葉が同時に過っていた。

 結界には、『精霊と無理やり契約を結んだ盗賊』を弾くことができないという抜け道がある。潜入できたところで周囲は強力なマナを扱う精霊と契約者だらけで、その上神都には至る場所に警衛がいる。盗賊の一人や二人が入ったところで悪事を働くのは難しい。――これを説明したのは、ジン自身だったのだ。彼自身が難しいことを承知していることを、わざわざするだろうか? 彼は二つの顔を持っていて、ここには商売をしに来ただけなのかもしれない。

――そこまで考えて、スズネは首を横に振った。いや、それは有り得ない。


「ジンさんのこと、既にミカさんは知ってたんです。昨日の内に被害が出ているなら、もう大騒ぎになっているはずだから……ジンさんにはもっと前に、この神都で精霊を攫った前科があるんだと思います。だからミカさんは被害が出る前にジンさんを捕まえたがってるんだと思うんですけど……ジンさんがここに来るのは危険すぎます。自分の顔も名前も割れているのに、わざわざここで精霊を攫う理由はありません。もっと他の、それこそ新都に向かう途中の精霊達を襲ったほうが、よっぽど仕事がうまくいくと思うんです」

「じゃあ、ジンさんはここで精霊を攫わないのかな? 資金集めのために、商人のフリをしてるとか……?」

「いいえ、コハルちゃん。その商人のフリだってここでしたらすぐにバレて捕まってしまいます。ジンさんには『危険を冒してでもこの神都でやらなければならなかったこと』があるのではないかと」

「例えば?」

「憶測の域を出ませんが、他では手に入らない精霊――里を持たない神都の精霊達を狙っている、とか。外では手に入らない分、他の精霊よりも希少なのかもしれません」


 スズネは白藍の瞳で、遠くの空を自由自在に飛び回る精霊達を見つめた。腕が純白の翼に変異している特別な容姿の彼等は、確かに美しい。それを手に入れたいと貪欲になる人間の姿は想像がつくし、そのために金を厭わないと言いだす層もいるのだろう。

 自分の命と同様に商品と金銭を大事にしていたジンである。商品がなくては神都に入り込む口実がなくなってしまうので、是が非でも盗賊から奪い返したかったのだろう。例えその結果が盗賊に追われることになったとしても。その先に、彼が愛しているであろう金品が約束されているのであれば、彼には足踏みをする理由などないのかもしれない。

――否。最初から彼にとっては盗賊なんてものは、恐怖ですらないのでは? ジンの計算は、出会いから始まっていたのかもしれない。

 そのことに気が付き、スズネはハッと息を呑む。ジンの行動や発言を思い返すと、妙に思わせぶりで、また、見透かしたような発言が多かった。その節々に引っかかるものを感じていたのだ。その正体の一端が、今少しだけ理解できた。

 スズネは顔色を蒼くして、思わず声を震わしながら言葉を紡ぐ。


「ジンさんは、最初から私達を利用するつもりだったのかもしれません」

「というと?」

「ジンさん、この耳飾りの効能を紹介するときに、精霊石を用いた実践をしましたよね。あの精霊石を使って、私達に接触したんじゃないかなって。だからあんなに広い草原でも私達の前に都合よく逃げて来れたんじゃないかと思います。……それに、彼はマナを使えます。なのに、盗賊相手にマナを使わなかったのは、誰かに自分を保護させたかったんじゃないかなって。多分、自分で追い払おうと思えば盗賊くらい追い払えたんだと思います」


 スズネの言葉を聞いて、その先を喋らせたシンヤが酷く渋い顔をした。眉間に深く刻まれた皺が、彼に対する嫌悪を物語っている。彼は最初からジンを良く思っていなかったが、それとは比べ物にならない敵意が露わになっていた。

 恐らくは彼も気付いたのだろう。ジンがスズネ達を『利用』したことに。


「――アイツがあんなにしつこく馬車に乗せろって言ったのは、俺達に紛れ込んで神都に侵入するため」

「だと、思います。一人より複数人のほうがずっと侵入しやすいだろうし、精霊攫いが精霊に堂々と紛れてるだなんて思われないはずですから。それに、精霊なら不要なはずの食料を沢山積んでいたせいで、私達もただの商人だと誤認されてしまったんだと思います。だから一人だけ商人が紛れていても怪しまれなかったんです」

「まんまと利用されたってわけ。情けない」


 吐き捨てるように言うと、シンヤは盛大な溜息を吐いた。目元を抑えた彼を、コハルが不安そうな眼差しで見守っている。彼女は俯いて、静かに呟いた。


「私達、大変な人を神都に引き入れちゃったんだね」

「……それだけじゃないかも。事態はもっと深刻かもしれないよ」

「どういうこと?」


 ヨルが顎に指で触れながら、静かに囁いた。通行人に聞かせないようにしているのだろう。それは、耳を済まさなければ周囲の喧騒で容易く掻き消されてしまいそうな声だった。


「そのミカって人、スズネの名前を知ってたんだ。それに、僕がスズネを探してたってことも知ってた。それって、僕達が仲間だって既に知ってたってことでしょ。もうジンさんが神都に侵入してるって情報も掴んでる。……僕達が彼を引き入れてしまったってことを、多分あの人は知ってたんだよ。僕達のこと、全部調べ上げてる可能性がある」


 ヨルはそのまま、緊張感を露わにした声で続けた。


「僕達は疑われてるんじゃないかな。ジンさんの仲間かどうか。だからわざわざスズネに接触したり、質問したりして反応を伺ったんじゃない? 最悪、あの人の仲間だと思われるかもしれないし、そうじゃなくても、『ジンに囚われていたから保護しました』って善意でそれぞれの里に送られたり、連絡がいったりするかもしれない」


 そんな事態になれば、ここまでの逃亡が全て無駄になる。ヨルはため息交じりの声で「厄介なことになったね」と呟いた。

 樹の里は、大精霊の力を取り戻すためにシンヤとスズネを犠牲にしようとした場所である。二人にとっては最早あそこは安全な場所とは言い難く、また、他の精霊達が大精霊に摂り込まれたことを考えると、ヨルやコハルにとっても完璧な安全地帯ではないだろう。

 湖の里はシンヤに襲い掛かり、コハルの身体に傷を残したという前科がある。到底良い場所とは思えないため、当然足を踏み入れたい場所ではない。

 連絡が行くにしても、将又送られるとしても、有り難い話ではない。ジンの仲間と思われて警衛に捕まることはもっと有り難くない。明らかに今後の旅の存続が危うくなる話である。


「……ごめんなさい。私がジンさんを乗せようなんて言ったばっかりに」

「それ止めて。逐一後ろ向きにならないと行動できないの、君。そういうの口に出さなくていいから今は足を動かすよ」

「うっ」


 スズネの脳天にシンヤの手刀が炸裂した。ゴッ、という鈍い音に合わせて、鈍痛がスズネの頭を支配する。思わずよろけたスズネは、見事にヨルの腕で支えられた。

 シンヤはそのまま手をひらひらと振ると、何でもないと言いたげな顔で言葉を継ぐ。反対の手は既に不安そうな表情を浮かべたコハルの手を摑まえていた。


「やることは大して変わんないよ。いい? あのポンコツ商人を見つける、捕まえる、情報を吐かせる、口止めさせる。これに、ポンコツ商人を警衛に差し出して俺達の無罪を主張、さらに最低限の説明を果たして双方の里に情報が行かないようにする。はい、これだけ。簡単でしょ。分かったら行こう。実害が出ると面倒くさい」


 シンヤはそう簡潔にまとめて、スズネが何かを言う前にさっさと歩きだしてしまった。慌ててその後を追おうとしたスズネの手を、ヨルが素早く摑まえる。彼は数秒前とは違って、いつも通りの穏和な笑みを浮かべていた。


「気にするなってさ」

「それはシンヤさんの言葉の意訳ですか?」

「うん、そう。ジンさんが悪人なのはスズネのせいじゃなくてジンさんの元来の性格と性質のせいだよ。憎むべきは自分じゃなくて悪人じゃない?」

「……そう、ですね」

「うん。それでも気にしてしまうなら、責任を持って僕達が彼を止めればいい。大丈夫、きっと何とかなるよ」


 だから行こう、と手を引かれるままに、スズネは一歩を踏み出した。ヨルの手は温かく、力強い。事態は決して良いとは言えないのに、その手を握っているだけで、酷く心強かった。

 押しつぶされるような人波でも、一人にならない安心感がスズネを包む。ヨルも決して平気なはずがない。先ほどの表情を見ていればそのことは容易に察することができる。

 彼は、スズネを励ましてくれているのだ。彼だけではない。シンヤもコハルも、一言だってスズネを責めなかった。それが答えだった。


「……私、絶対ジンさんを止めます」

「うん、その調子」

「はい。一緒に頑張らせていただきますね」


 この人達を失いたくない。スズネは静かに心の中でその言葉を反芻した。

 誰かの未来を奪う行為をするくらいなら、自分の未来を投げ捨てたい。何故なら、他者よりも優先すべき価値が、自分にはないからだ。

 世界の理は常にそうだった。そう信じて止まなかった。価値のあるものを尊び、価値のないものを切り捨てる。世界はそういう風に回っていた。

 けれど、大事な人の未来が奪われそうになったなら、私はその人の未来を守りたい。

 例え、誰かの未来を踏みにじることになったとしても。価値のない自分にも、それができるのであれば、

 大好きな人を守るためなら、私は。


「もう、絶対、躊躇いません」


 スズネは、仕込み杖を強く握りしめた。

 その声は神都の雑多な音に呑まれて消えたが、スズネの胸の内に、確かに深く刻み込まれたのだった。

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