第53話 その影を追って

「ダン様が攫われ……?」

「俺達、ダンというよりはダンと会う約束をしてる奴と会うためにここに来たんだよね。ダンが今相手してる奴って、ジンって名前の商人じゃなかった?」

「え、ええ……何故分かるんです? 攫われたって、どういうことですか?」

「ソイツが精霊攫いなんだよ。俺達は今ソイツを追ってるの。今人気が無い場所でダンが袋に詰められてるのを確認した。奪還しようとしたところを攻撃されて、情報だけ持ち帰ってきたみたい」


 シンヤがサメの身体に触れながら、難しい顔で呟く。

 今にも世界が終わる、とでも言うように、店員は絶望に顔を蒼く染めた。立ち尽くすことしかできない彼女の隣で、スズネは静かに拳を握りしめる。

 神都にジンを招き入れてしまったのはスズネだ。馬車への同乗を提案しなければ、こんなことにはならなかっただろう。

 どれだけジンが悪人と言えど、結果的にそれに手を貸してしまった事実は変わらない。犯してしまった罪は、何処かで償わなければならない。この場合、それはダンや他の精霊が売られてしまう前に取り戻し、ジンを捕縛して警衛に突き出す行為にあたるはずだ。

 スズネは静かに杖を握りしめ、シンヤの目の前に歩み寄った。シンヤは鋭い瞳でスズネを一瞥した後、小さく呟いた。


「次は庇ってやれるか分かんないよ。アイツ、ポンコツそうに見えてそこそこ手強いと思うから」

「はい」

「君が躊躇ったら君も俺達も危なくなる。分かってる? できないなら足手纏いなだけだし留守番させるけど」


 どうすんの、と低い声で問いかけられて、スズネは静かに首を横に振った。ヨルの手に僅かに力が入っている。それを感じて、スズネはその手を思いきり握り返した。驚いたように手を跳ねさせたヨルが、丸い瞳でスズネの表情を見守っている。

その視線を感じながら、スズネは深々と頭を下げた。


「連れて行ってください」


 その一言と覚悟を、シンヤが否定することは無かった。シンヤは次の瞬間にはスズネから視線を外していた。それが、興味の消失ではなく『その言葉を信じる』という意思表示であることは、明白なことだった。

 であれば、最早スズネがするべきことは自責でも頭を下げることでもない。自分を卑下するために使う思考を、少しでも事件解決のために巡らせるべきである。


「ねえシンヤくん、攫われたのは確かにダンくんなの?」

「うん」

「だとしたら変じゃない? どうしてわざわざダンくんなんだろう。ダンくんって星の精霊でしょ? 里を持ってる精霊なら、神都よりも道中を狙ったほうが効率がいいし確実なのに。スズネちゃんも言ってたけど、神都にわざわざ潜り込むなら、ここにしかいない精霊を狙うんじゃないの……?」


 例えば、と呟いて、コハルの視線が遠くの空に向いた。腕を翼に変化させて空を飛び回る精霊達は、こんな事件が起きているとは微塵も思っていないような無邪気な笑顔を浮かべている。彼等は分かりやすくこの神都だけにいる精霊だ。他にも、彼等のように里を持たない精霊達は山ほどいるだろう。

 この神都において、攫う精霊の選択肢は多数ある。その中で選ばれたのがダンであるということには、何か意味があるように思えて仕方がない。


「確かにそうですね。ダンくんとジンさんは昨日も接触をしています。無差別に攫っているとは思えません」

「……ダン様は、元々星の大精霊様の補助を務めていらっしゃいました」


 店員が、ぽつりと震えを帯びた声で呟く。顔を蒼くしていた彼女は、弾かれたように深々と頭を下げた。


「先ほどの無礼をお許しください。私は星の民、サイと申します。ダン様の契約者で――まだまだ半人前ですが、皆様にお話できる範囲での情報をお伝えすることができます。どうか、ダン様を精霊攫いから助けるため、お力添えください」


 そういって、彼女――サイは、縋るような眼差しをスズネ達に向けた。今にも泣きだしそうな程に潤んだ瞳が、彼女にとってのダンが如何に重要な存在かを物語っている。数刻前までの濁流のような勢いのある喋り方は、既に影を潜めていた。

 どちらにせよ、ダンを救い出すために動くのだ。であれば、スズネ達よりも情報を持っているサイの協力はあったほうが良い。

 何よりも、ジンを招き入れたことで出てしまった実害の被害者である彼女に、償いをしたかった。スズネは静かにサイと視線を交わせ、「お願いします」と丁重に頭を下げた。


「シンヤ、場所は?」

「神都の端の方。ここから二十分分くらい――だけど、サメを見られたから場所を移動してる可能性が高い。そっちには露店も人気も全然なかった。不自然なほどにね」

「あと一時間ほど後に、マナ火返しが始まります。マナ火返しはこの祭りで最も盛り上がる行事ですから、皆場所取りに移動しているのかと」

「一時間も前から移動するの?」

「神と神官に自分のマナを見ていただける一大行事ですので。我々商人も、マナ火の前後は商売を止めて準備に勤しむくらいです。自分のマナを周囲や神に主張するということは、即ち、大精霊や里の偉大さを形にして見せつけるということでもあります。だから、観光客も商人も関係なく、マナ火返しには参加するのです。マナ火が美しいと認められた里や精霊は、神の加護を得る、といいますから」


 サイはそう言って、周囲を見渡す。確かに、先ほどよりも通行人の数が減っていた。空間に溢れかえっている数多の声に耳を傾ければ、マナ火に対する期待の言葉が紡がれていることが分かる。精霊とその契約者達にとって、マナ火返しという行事は非常に重要視されているようだ。

 マナ火返しが始まるまで、人は何処か一点に集中するということだろう。少なからず、あれだけ密集していた通行人は確実に少なくなり、移動がしやすくなる上に目撃者も減る。それは、ジンにとって最高の状況と呼べるのではないだろうか?


「ジンさんは人がいない間に神都の外に出るつもりなのではないでしょうか。人が少なければ何をするにも楽になると思うので……」

「神都内だけでも広いのに、外に出られたら足取りを掴むのは大変だね。仲間がいないとも限らないし。その場合、ダンの救出が難しいかもしれない。僕達がジンを探してる間に売られてる、なんて可能性は否定できないし」

「そうじゃなくても神都内で叩きたいところだね。ここならマナの回復早いから」


 ヨルとシンヤが淡々と進める話し合いが、耳を傾けなくとも聞こえた。通行人が減って賑わいが遠ざかっている証拠である。先ほどまで纏わりつくように存在していた熱気が減ったおかげで、スズネもどうにか思考を正常に巡らせることができそうだった。

――しかし、思考するのにどうしても情報は必要になってくる。ダンが狙われた理由に『元大精霊の補助である』という要素があげられたが、スズネにはその重要性が理解できない。

 彼女には既に湖の精霊であることが露見しているので、隠し事をする必要性は皆無であった。湖の里が壊滅寸前である今、その精霊というだけでスズネとシンヤがこの場にいたということは、最早隠せないことである。であれば、記憶喪失であることを隠すことにすら、意味はなくなってくるのだ。


「あの、サイさん。教えてください。どうして元大精霊の補助だと里を持たない精霊よりも優先して攫われるんでしょう? できれば、大精霊の補助が何かも教えてほしいのですが」

「ああ……そうですね、すみません。まず、大精霊様には『里を守り、発展させていく』という使命があるのですが、それを果たすために神から決められたことがいくつかあるんです。まず、人間と必ず契約すること。大精霊様と契約した人間が里長となり、人間の代表となるのです。大精霊と共に里を支える、重要な役割です」


 落ち着いた声音ではあったが、喋る速度に焦燥感が滲んでいる。今にも泣きだしそうなのを必死に堪えながら必要な情報を語る姿と『大精霊の契約者』という言葉に、スズネはふとリンのことを思い出した。

 見掛けは若いままだったが、彼女は大精霊と契約を交わして百年以上の時を生きている。精霊たちが姿を消し、大精霊が姿を保てなくなった今、あの里において唯一マナを扱える存在となった彼女が背負う責任は相当なものである。それでも尚感情を押し殺し、常に冷静でいたリンは、里長と呼ばれるに相応しい器を持った人間なのだろう。

 それも、長い時間を駆けて完成させた器に違いない。決して和解することはできなかったが、大精霊の役割すらも請け負った彼女の内心を考えると、酷く胸が痛んだ。きっと彼女だって、サイのように泣き出したくなる瞬間があっただろうに。

 スズネが思わず無言になった理由を、隣にいたヨルは悟ったようだった。静かに手を引かれ、スズネはゆっくりとそちらに視線を向ける。スズネ以上にリンに親愛を向けていたはずの彼は、眉尻を下げながら静かに微笑む。

 今はそれを考えている場合ではない、と言われた気がした。スズネが曖昧に頷くのを見届けると、ヨルは視線をサイに向けて話の続きを促す。


「それで、大精霊の補助って? 普通の精霊とは違うの?」

「ええ。普通の精霊様は里を発展させるために活動し、時に人間と契約を交わします。しかし、大精霊様の補助を務める精霊様は、決して人間と契約を交わしません。その生涯の全てを大精霊様の手足となるために捧げます。里から動けない大精霊様の代わりに他里との交流を直接行う、里が襲われた際に防衛の最前線に出る、指揮を執る等、重要な役割を果たす。それが大精霊様の補助をする精霊様なのです」

「でも、ダンは『元』なんでしょ? それ、狙われる理由になるの?」

「大精霊の補助役は通常の精霊よりも強力なマナを持ち、さらに特別な技も授かるんです。ダン様も例外ではなく、その力は補助役を止めた今でも彼の中に備わっています。恐らく、精霊攫いはその力を狙ったんだと思います」


 左右に小さく揺れるサイの瞳が、その胸中に抱いた不安の大きさを物語る。落ち着かない様子で手短に話を続けるサイを見て、コハルが小首を傾げた。


「でも、ダンくんはもうサイさんと契約してるし、攫っても仕方ないんじゃない? 精霊って、二重に契約できるもの?」

「いえ、契約は一人一度までです。人間側も精霊側も、それは変わりません。ですので、今回の場合、ダン様は売買するためではなく、資源として狙われたのかと」


 サイは酷く言いにくそうにそう呟いた。その手は微かに震えており、ダンへの心配と精霊攫いへの怒りが用意に汲み取れる。

 資源。その言葉に、スズネは相応の衝撃を覚えた。思わず目を見開いた先で、サイは眉尻を下げて肩を竦める。


「精霊様は、マナの塊ですから。マナは、様々な用途で使うことができます。上手く利用すれば、既に契約済みの人間でもマナを強力にすることが可能ですし、瀕死状態の精霊様を回復することにも使えます。自分が契約した精霊様を大事に思うあまり、罪を重ねてしまう、といった事件が、過去に何度かあったくらいです」


 精霊は一見して人間の容姿とは何ら変わりのない生物である。それを『資源』と言い切ることはこの上なく非情なことに思えたが、確かに、彼女が語った扱いでは資源や道具といった言葉が適切なのかもしれない。

 何より、資源という言葉を使わなかっただけで、そういった件にはスズネにも身に覚えがあった。

 樹の大精霊の復活のために、スズネとシンヤの命を狙ったリン。決して彼女は二人のことを資源とは呼ばなかったが、サイの話を聞く限り、そういうことなのだろう。大精霊の復活のために二人を犠牲にしようとすることと、サイの語った『資源にされる精霊』の話に、特別差異は見られない。


「精霊様を資源として使うなら、どんな用途でも一度はその命を奪う必要があります。さらに特別な魔方陣を組む必要があるのですが……精霊に害を成す魔方陣は、結界に弾かれて神都では扱えないんです。なので、資源としてダン様を狙ったにせよ、精霊攫いは神都を出ると思うんです」

「神都の外に出てしまったら、ダンくんはもう助けられない可能性が高い。そういうことですね」

「はい。あまりゆっくりしている時間はありません。ですので、今すぐにでもダン様を取り戻しにいかないと……」


 サイはその先を話さなかった。その先は言葉にせずとも理解できる。それが彼女にとって、口に出すことすら恐ろしい結末だということも、簡単に想像ができた。

 小刻みに肩を震わしたサイを見たシンヤが、彼女の眼前に手を差し出す。閃光の後、その手の平に納まる程度の水のサメが現れた。驚いて身を引きかけた彼女に、シンヤが手短な指示を飛ばす。


「俺達がすぐにでも追う。君は警衛にこのことを知らせて。このサメの後を追えば俺達と合流できるから。いい?」

「は、はい! ……湖のマナって、こんなことができるんですね。便利です。本当に、先ほどの侮辱をお許しください」

「どうでもいいってば。興味ないし。そんなことよりダンの救出でしょ。なるべく早く警衛連れて来てね」

「承知いたしました!」


 シンヤの指示を聞いて、サイは弾かれたような速度でその場を駆けだした。その場に広げられたままの露店の無防備さが、商人としての自分よりもダンを優先する彼女の価値観を良く表している。彼女にとっては――否、大抵の契約者にとって、精霊は何にも代え難い宝なのだろう。無論、精霊にとっても、自分で選んだ契約者は唯一無二の存在であるに違いない。

 その二人の仲を引き裂くなどということが、許されるべきではないはずだ。

 行くよ、という短いシンヤの合図に合わせて、水のサメが宙を滑り出す。それを追って一歩を踏み出す度、神都の賑わいはスズネ達から遠ざかって行った。

 この先に待ち受けるものが、決して明るい光景ではないことを暗示しているように思える。それでも、スズネ達はその足を止めることはなかった。

責任を取りたい。償いがしたい。それに――確かめたいことがいくつかできた。

 白藍色の瞳は、決して正面から逸らされることはなかった。最早、躊躇うことは許されない。

 日が傾きかけている。それを遠目に、スズネ達はより静謐な空気に包まれる方向へと駆けていくのだった。

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