第26話 真相を暴く


「スズネ様、仰っている意味が分かりません。私は貴女を狙う犯人の打った矢で腕を負傷しています。あの弓を引いていた人物こそが犯人ではないのですか?」

「ヨルさんは私の言葉ではなく里にいる人を疑いました。少しでも犯行をしやすくするために、貴女は自分を犯人候補から外そうとしたんですよね。私はともかく、シンヤさんを相手にするのは大変だろうから」

「スズネ様、お戯れが過ぎます。マツから話は聞いております。存在しないはずの『三人目の精霊様』が現れたこと。精霊様本人か、その契約者が犯人であるという推測をされていたはずですが……どうして私が犯人ということになるのですか?」

「最初から三人目の精霊なんていません。三人目の精霊が現れなくたって、もう一人、マナを使える人間がいるはずです」


 リンの声音は酷く穏やかだった。その推理は的外れだと言わんばかりの声音に、スズネは内心冷や汗を滝のように掻きつつ、決して彼女の雰囲気に呑まれぬように、静かに首を横に振った。

 杖をきつく握りしめる。スズネの言葉を聞く度に、リンの表情は僅かながらに曇っていった。そうさせるのは、彼女の苛立ちか、焦燥か。どちらにせよ、スズネはその言葉を止められない。

 スズネは、声の震えを必死に押し殺しながら断言した。


「大精霊と契約した人間は、マナを扱えるはずです。リンさん、貴女が大精霊と契約した人間なんですよね? だから、貴女はマナを扱えるはずです。例え三人目の精霊がいなくても、貴女なら、マナを使うことができる。正体が人間だから、私もシンヤさんも、犯人を精霊だとは感じなかった」

「――仮に私が大精霊様と契約した人間だとしましょう。では、あの弓を引いた人物は誰ですか? 私はあの時、スズネ様とシンヤ様の眼前にいたかと思いますが」

「里内の誰かですよね。貴女一人の犯行ではありません。最初に言った通り、リンさんは自分を犯人候補から外すために、犯人役から私を庇う役を演じたんです」

「自分を選択肢から外すためだけに腕を負傷するのですか? 『犯行をしやすくするために』という理由で犯人候補から外れたいはずの私が? 腕を一本失う方が、余程犯行が難しくなると思われます」

「腕なんて負傷してませんよね。あのとき射貫かれたのは、貴女がマナで作った義手でしょう? だから、リンさんの右腕は、実は今も動きます。この方法なら、貴女は何を失うこともなく、自分を犯人候補から外すことができます。あの時、貴女が動かしているのは左手だけでした。あれは、義手の右手を動かすことができなかったからです。さらに、私が手当てをするのを拒否してわざわざマツさんを呼んでこさせたのは、義手を私から隠すためです」


 如何ですか、と挑戦的に視線を投げかけたスズネに、リンが僅かに肩を跳ねさせる。しかし、彼女はその無表情の仮面を外すことはなかった。淡々とした声が、スズネの推理を潰そうと部屋の中に落ちた。


「私が大精霊様と契約したという根拠はどちらにあるのでしょうか?」

「一つは、マツさんのマナへの怯え方です。私をあらぬ誤解で罵倒した後、彼女は自分の勘違いに気付き、酷く取り乱して謝罪しました。マナだけは勘弁してくれと懇願しながら。……これは私がシンヤさんに脅迫されて、身を以て知ったことですが、その脅威が分からない凶器を向けられても、私達は恐怖を感じることができない。私はシンヤさんの水の鞭の威力が分からなくて頬にそれを当てられても何も思いませんでしたが、その武器が樹の幹がスッパリ斬れるほどの威力を持っていると知ってから初めて恐ろしくなりました。威力がよく分からない武器に、私達は人格が変わるほど怯えることはできません。マツさんがマナに怯えるのは、貴女が半年前、シンヤさんを止めることをできなかった彼女を叱る際に、マナを使用したからではないんですか?」

「彼女はかつて精霊と契約していました。その際にマナの威力を知っているはずです」

「結界が張ってあるこの里に、脅威となる存在はいません。それに、マツさんの職業を考慮するに、契約した精霊は補助役です。戦闘役でもない精霊が進んでその力を振るうとは思いませんし――彼女の人格が変わったのは、貴女に叱られてから。マツさんの怯えようは傍から見ても異様ですよ」


 その姿を見て、声も出せなくなるほど畏怖するなど。ただ叱られたからという理由ではないだろう。そんなもの、叱るというより恐喝である。まさしく、マナを使ってスズネを脅したシンヤのような図が思い浮かぶ。

 リンは眉間に僅かに皺を寄せる。それから、小さく首を横に振った。


「一つは、というと、まだ何かあるのでしょうか」

「はい、いくつか。弓を引いたほうの共謀者が、途中までマナを使わなかったこと。本当に私を――いえ、私とシンヤさんを殺したいなら、最初からマナを使って不意打ちをすればいい。なのにそうしなかったのは、その共謀者がマナを『使えなかったから』です」

「――といいますと?」

「共謀者はマナを扱えないただの人間です。契約する精霊がいないのだから、当たり前ですよね。共謀者はシンヤさんに追い詰められてからようやくマナを使った。それはリンさんが二人に追いついて、影に隠れてマナを使ったからです。マナを使ったのは、共謀者ではなくてリンさん。リンさんが井戸の前にいる間は、マナなんて出せるはずないんです」

「私はその頃、マツに手当てを受けていますが」

「貴女の伝達にも、マツさんの挙動にも可笑しいことがありました。リンさんが矢を受けた場所の知らせ方が『井戸の前』。可笑しいじゃないですか」

「何も可笑しくありませんよ。私は井戸の前で負傷しました。スズネ様もご存知でしょう?」

「私、ヨルさんにも同じことを説明しました。そしたらヨルさんは『どこの井戸?』って聞き返しましたよ。この里には複数井戸があるのに、どうして『井戸の前』だけで通じるんですか? それは、予め負傷する場所を話し合っていたからですよね。つまり、貴女とマツさんも共謀者です」


 当時のことを思い出せば、多少不自然な点が浮かび上がってくる。

 図書館に入ってくる人物を見ただけでカウンターに隠れるほど臆病なはずのマツが、どうしてリンに弓を引いた犯人のことを恐れずに、迷わず外に飛び出すことができたのだろう? 彼女はリンに酷く怯えていたはずなのに、どうしてそこだけは躊躇わなかったのだろう?

 彼女は『自分が襲われないことを知っていた』のではないだろうか。彼女は、こう思ったのではないか? 予めリンに指示されていた通りに動かなければ、再びマナによる罰を受けなければならないのではないか、と。

 恐怖に裏付けされた行動力は、マツの臆病な性格とは釣り合っていないのである。


「私達に合流してきたのがマツさん一人だったのも、リンさんがあの近くに隠れていたからですよね。貴女はシンヤさんの動きに合わせてマナを扱わなければならなかったから、直ぐ近くで様子を見ていたはずです。そこから合流したフリをするのは難しいから、結界の確認に向かったことにして、私たちが図書館に向かうまで隠れてたんです」

「スズネ様は想像力が豊かでいらっしゃいますね。犯人が油断を誘うために敢えてマナを隠していたのかもしれません。実際に、シンヤ様は不意を突かれて犯人を取り逃がしたとマツから聞きましたよ。私が隠れている根拠は何処にも御座いません」

「ならどうして貴女は真っ先にヨルさんとコハルさんの無事を確認しに来なかったんでしょう? リンさんがお二人のことを大事になさっているのはよく知っています。貴女は昨日、里内に盗賊が入り込むことは有り得ないと私に言いました。ここは二人と大精霊を守るための里だと。そうまで言い切るのに、予期せぬ事件が起きても尚二人の無事を確認しに来なかったのは、二人が怪我をしないことを知っていたからでしょう?」

「全てスズネ様の妄想です。私は犯人をただの人間だと思っていました。マナを扱うことなど知らなかったのです。ただの人間を一人相手にする程度で精霊様が怪我をするとは思えません。故に、安否確認は不要でした」

「リンさんは精霊石を持ってます。あれはマナの反応も感知できるんでしょう? 貴女は外套の人物がマナを放った時点でそれに気付くことができます。シンヤさんのマナにだって反応して井戸の前に戻ってくる貴女が、どうして危険度が明らかに高い今回に限って顔を出さなかったんですか」


 里の外でマナを使ったというだけで顔を蒼くして心配するような人が、マナの反応を感知して引き返してくるような人が、里内で特異なことが起きていることを知りながら様子を見に来ない理由。それは、そうできない理由があったからに他ならない。

 部屋のじっとりとした空気がスズネの肌に纏わりつく。気が付けば、酷い緊迫感から汗を掻いていた。じわりと浮かんだ汗を拭う挙動をすることは、できない。そうすれば、目の前で感情を悟らせない顔をしているリンに、隙を突かれてしまうような気がした。


「弓を引いた共謀者はマナを使えない。マツさんは私達と合流して別の場所に誘導する仕事を熟した。この二人が大精霊の契約者であることはあり得ない。だから、貴女が樹の大精霊と契約をした人です」


 そう言い切ったスズネは、リンを真っ直ぐに見据える。決して臆してはいけない。

 彼女は暫く瞬いた後、小さく溜息を吐いた。その仕草に一瞬肩を揺らしたスズネを、彼女の冷ややかな視線が捉える。


「条件が不十分です。影に隠れてマナを扱う人物がいたとして、それはどうして私なのでしょう? この里にいる皆が容疑者となるはずですが」

「それは、貴女がヨルさんとコハルさんを見つけたときに、何よりも先に樹の精霊だと断言したことが理由です」

「……どういうことですか?」

「マナを見なければどこの精霊かだなんて分からないのに、貴女はマナを確認する前から二人を樹の精霊だと確信しました。それは、二人のことを最初から知っていたからですね。でも、この二人は、最低でも九年は里を空けていたことになります。マツさんが『十年前に里の精霊が絶滅した』と言ってましたから。その間、二人は全く里に顔を出さなかったんです」

「――確かにその通りです。私は御二人のことを知っていましたし、御二人は里を長期的に空けている時期がありました。でも、それがどうして大精霊様との契約の証になるのですか?」

「二人が長期的に里を空けている期間は『最低で』九年です。だから、九年に限った話じゃない。二人はもっと、ずっと前からこの里にいなかった。そうですよね」


 スズネがそういうと、リンはその会話中で初めてあからさまに動揺を顔に浮かべた。

 ああ、突拍子のない話だが、やはり合っていたのだ。スズネは小さく息を吐く。彼女の抵抗が、漸く終わる気配がした。


「二人は里ができてからの約百年間、この里にいなかった。……だから、二人を知っているとしたら、それは百年前にしかない接点を持っていることになる」


 精霊には寿命がない。マナの配給が断たれない限りは、精霊は死なない。

 だから、どれだけ生きていようと不思議ではないのだ。例え、百年という長い月日を過ごしていようとも。

 しかし、問題なのは人間であるリンである。


「百年前の精霊を、貴女はどうして認知することができたのか。それは、リンさんが大精霊と契約をして長寿になった人間だからです。貴女は気が遠くなるような長い時間を、大精霊と共に生きている。……そうですよね」


 スズネの言葉に、リンは首を横にも縦にも振らなかった。

 その場に長い沈黙が落ちる。後もうひと押しだ。スズネは、その推理に至るまでの僅かな綻びを、静かに、丁寧に、言葉で紡ぎ出すのだった。

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