第25話 名指しの犯人

 スズネは、自分に用意された客室の椅子に腰かけていた。犯人の襲撃を抑えるため、窓は既に閉め切っている。木製の窓用の扉に視界を遮られて外の様子を確認することはできないが、屋敷に戻る直前には既に周囲が薄暗くなっていたので、恐らく外は闇に包まれていることだろう。

 窓から風が流れてこないせいか、これから起こることを予測したせいか、スズネは何だか落ち着けないでいる。先ほどからずっと手を強く握ったままのスズネを見て、窓辺に寄りかかっていたヨルが苦笑した。


「心の準備はできてる?」

「できてるかできてないかで言われると……正直よく分かりません。でも、やれるだけのことはやりたいです。折角、ヨルさん達に協力していただくので」

「うん。――キミの推理が正しければ、覚悟が必要だね。そうじゃないといいなとは、思うけど」


 その先の言葉はない。彼の晴れない表情から、その望みの可能性はほとんど諦めていることが察せる。スズネに協力すると言うことは、そういうことだ。

 二人きりの部屋には妙な沈黙が落ちていた。それがまた、何だか落ち着かない。スズネは椅子の座に立てかけたままの杖を見つめて、静かに唇を結ぶ。

スズネが協力を求めた後に、自分なりの推理を纏めて話せば、ヨル、シンヤ、コハルの三人は、各々反応を零しつつ、最終的には納得して助力してくれることを約束してくれた。

 コハルとシンヤも、今頃自分達の形で協力体制を整えてくれている。スズネとヨルは、ここで『時』を待つのだ。

 その緊張感からか、ヨルの言葉数は少なく、また、スズネも上手く話題を見つけることができない。恐らく、スズネは元より会話をするのが苦手なのだ。このように大事な場面ともなると、尚更言葉を見失ってしまう。しかし、このまま黙っていると気まずい。そんな感情に押し出されるようにして、スズネは「あの」と控えめにヨルに声を掛けた。


「ヨルさんは、昨日、どうして里の外を歩いていたんですか?」

「え? 僕?」

「はい。ヨルさん、というか、シンヤさんもいましたけど。他の里と交流の必要がなくて、その上盗賊や湖の民に襲われる危険もあるのに……どうして、御二人はあそこにいたのかなって」


 彼等がいてくれたからこそ、スズネは盗賊の手から逃れることができた。しかし、只管に不思議なのである。

 スズネの視線を受けて、ヨルはゆっくりと瞬きを繰り返した。それから、何かに想いを馳せるように目を伏せる。憂いを帯びた表情と淡い夢を見た後の穏やかな表情の間を行き来してから、ヨルは小さく呟く。


「スズネは、過去のことを断片的に思い出すことがある?」

「え? あ……あります。何となく、ですけど」

「そっか。僕もキミと一緒。何となくの風景とか、誰かと一緒に過ごした記憶とかを時々思い出すことがある」


 ヨルの言葉は、スズネの問いかけに対する答えではなかった。質問したはずが、逆に問いかけられてしまって、スズネは僅かに困惑を滲ませた声で返答した。それに頷いたヨルは、小さく笑いながら言葉を継ぐ。

 その笑顔には、無理に捻りだしたような切なさが漂っていた。


「僕の中には、忘れてしまったけど忘れられない人がいるんだよ」


 ヨルはそう言って、自身の心臓を胸の上から撫でた。まるでそこに誰かがいるかのような、酷く優しい手付きだった。

 今にも泣きだしそうなヨルの表情を見て、スズネはそれまでに抱いていた彼の印象を僅かに改めた。

 強気で、何かに臆することなく恐怖に立ち向かえる人だと思っていた。シンヤと激しく言い合う様子から、盗賊に対して勇敢に立ち向かっていく様子から、スズネを守ると微笑んだ様子から。

 ヨルの対応はいつも優しくて、頼りになって、そして一枚壁を挟んだようだった。応接室で隣り合って座ったスズネとヨルの間は一人分空いていたし、今だって、二人の距離は十歩分空いている。

 この優しい少年は、コハルのように無邪気に距離を詰めることも、シンヤのように冷たく突き放すようなこともしない。ただ、何処までも無干渉だっだ。必要があれば手を差し伸べてくれる。その態度から、ヨルが優しいということはよく伝わってくる。しかし――その際に浮かべている笑顔が彼の本心かというと、きっと、そうではない。


「確かにそこにいた、愛すべき人。僕が一番守りたかった人。目覚めたときから、ずっとここに何かが足りない感じがしてる。……僕は、誰かも分からない誰かを、ずっと探してるんだよ」


 ヨルはそう言って胸の前で拳を作ると、無理やり笑ってみせた。

 誰かに弱点を見せるのを厭っているのが良く分かる。彼にとって、笑顔は自身を守る盾なのだ。微笑みを絶やさないことは弱点を晒さないことと同義なのだろう。

 ヨルは笑いながらずっと埋まらない空虚感に苛まれていたのだ。今までずっと。スズネと会話をしながら――否、スズネがここにやってくる前から、ずっと。

 スズネは息を呑む。『何かが足りない』という感覚は、スズネの中にもあった。

確かに大事で愛おしかった人がいた。なのに、その人の名前も、声も、顔も、何一つ思い出せない。胸の中に残されたのは、白紙の記憶に僅かに滲む言葉だけ。

 目の前の歪な笑顔を見て、スズネは小さく沈黙する。数拍置くと、ヨルはその歪みすらも自身の中に押しこめて、再び美しいほどに整った微笑を浮かべた。


「だから、昨日あの場にいたのは、その『誰か』を探してる途中だったから、が答え。一人じゃ危ないし、僕じゃ足を確保できないからシンヤも付き合わせてたんだ。いるかも分からない誰かを探し求めてたら、盗賊に襲われるキミを見つけた」

「それで、助けてくれたんですね」

「そう。もしもキミが、僕の探し求めてる誰かだったらって思ったら悠長に構えてられなくて飛び出しちゃった。……何処までも利己的でごめんね、スズネ」


 ヨルは苦笑して謝罪する。恐らく、彼が口にした『守る』という宣言は、正しくはスズネではなく、スズネを通して見ていた誰かに向けられた言葉だったのだろう。

 スズネはゆっくりと首を振る。とんでもないことだ。彼に感謝をすることはあれど、謝罪をされるようなことは何一つとしてされていない。


「ヨルさんに助けていただいたことは違いありませんし、ヨルさんが謝る必要なんて何処にもないじゃないですか」

「でも、キミを守るって格好いいこと言っておいて、理由がこれじゃあがっかりじゃない?」

「と、とんでもないです! ヨルさんのご期待に沿えなかったことだけは申し訳ないですけど、私は助かって、今もこうして力を貸していただいているので……がっかりだなんてしませんし、するわけないです」


 スズネが慌てて言葉を紡げば、ヨルは多少驚いたように目を見開いた。今までずっとそれを気にしていたのだろうか。だとしたら、全て「気にしないで」と言ってしまいたい。

 彼が謝る必要なんて、どこにもない。彼が何を求めていたにせよ、生み出した結末は変わらない。

 スズネはヨルに、救われたのだから。

 スズネは口元に、できる限り強張らないように微笑みを浮かべる。


「私も、同じです。すごく大好きだった人がいて、でも顔も声も思い出せなくて。その人のことが大好きだったってこと以外何も教えてくれない記憶がもどかしくて……私も、会えるなら、ここにいる『誰か』に会いたい」

「……会えるといいね、お互いに」

「はい。そう思います」


 ヨルの笑顔から僅かに力が抜けたのを見届けて、スズネは安堵した。彼の言葉に小さく頷く。

 会える確率なんてたかが知れている。スズネの推理は、その願いすら儚く散らすものだ。でも、願わずにはいられない。

 あなたに会いたい。そう願うことの何が罪で、何が悪なのか、スズネには分からない。だから、例え零に等しい確率でも願うのだ。願いは、願わなければ叶わない。……昔誰かが、何処かで言っていた気がする。その誰かというのは、今のスズネには分からないけれど。

 いつか思い出せるかもしれない。その希望を見ることは、決して悪いことじゃないだろう。

 話が一段落したのを見計らったように、扉がコツコツと音を立てた。はい、と返事をすれば、控えめに扉が開かれる。そこに立っていたのは、リンだった。


「スズネ様、失礼致します。……あら、ヨル様もいらしたのですか? 申し訳ありません、お邪魔しましたか?」

「ううん、スズネの護衛についてただけ。リン、腕は大丈夫なの?」

「ええ。暫く動かせそうにはありませんが――問題はありません」


 リンはそう言って強かに微笑んだ。その右腕は力なく彼女の体に添えられている。長袖に隠れて見えない部分には、包帯が巻かれているのかもしれない。リンは「お気遣い感謝致します」と深々と頭を下げた後、スズネに対して静かに言葉を投げかけた。


「犯人を捕らえられなかった以上、スズネ様がまた狙われる可能性があります。ですので、別室をご用意致しました」

「別室ですか?」

「はい。大精霊様の部屋のお側に、一部屋だけ空きがあるのです。大精霊様の部屋は屋敷の内部にありますし、この部屋よりは安全かと。犯人が事前にスズネ様のお部屋を調べている可能性もありますので」


 如何でしょう、と小首を傾げられて、スズネはすぐに「お願いします」と頷いた。

 案内をしようとするリンの背後につきながら、スズネは小さく後ろを振り向く。窓辺に寄りかかったままのヨルが、僅かに手を振った。


「それじゃあスズネ、いい夢を」

「有難うございました。ヨルさん。……どうか、良い夢を」


 おやすみなさい、と挨拶をして、スズネはリンの背中を追う。途中で通りかかった縁側からは、やはり闇一色に染まった庭が一望できた。それを横目に、長い廊下を歩いていく。昨晩は無我夢中だったので全く気が付かなかったが、知らぬ間に随分と走っていたようだ。

 静かで冷ややかな空気がスズネの頬を撫でていく。リンの緩慢な足取りに導かれながら辿りついた先は、大精霊の部屋に続く大扉より、少し手前の壁だった。曲がり角を曲がれば、大精霊の部屋はすぐである。


「ここで御座います」

「有難うございます」


 左手で扉を開けたリンに促されて、スズネは静かにその部屋に入った。

 庭には面しておらず、部屋の位置の関係で窓も存在していない。恐らく、客室としては想定されていないのだろう。客室と比べて僅かに手狭になった室内に、最低限の寝具が置かれていた。天井を這う光を放つ蔓以外に、植物は見当たらない。


「申し訳ありません。客室と比べて華やかさに欠けますが、安全に過ごしていただくのが優先かと思い、こちらのお部屋に案内させていただきました」

「いえ、大丈夫です。この部屋なら確かに、外からじゃ侵入できませんね」

「はい。ですので、ご安心してお休みくださいませ」


 背後で扉が閉まる音がした。リンが恭しくお辞儀をした気配がする。スズネはその手に持った杖を握りしめて、部屋の壁を確認した。

 不自然なところはない。窓が存在しないこの部屋は、扉以外からは出入りができない。隠し扉などを設置できるような場所は存在していない。正真正銘、鍵をかけてしまえば密室だ。

 廊下で歩きながら確認したが、この部屋以外に部屋らしいものは無かった。そればかりか、大精霊の部屋が近づくにつれて、廊下にすら窓が無い。大精霊の部屋を外敵から守るためだろうか。結界を張っているのに、随分と警備が手厚いようだ。それだけ、大精霊がこの里にとって大事な存在だということだろう。

 スズネは小さく息を吐く。それから、後ろを振り向かないまま呟いた。


「あの、質問があるんですけど」

「はい」

「樹の大精霊と湖の大精霊は、どうして永遠の時を共に過ごせなかったんですか?」


――背後で、息を呑む音がした。スズネは心臓を激しく高鳴らせながらリンと向かい合う。彼女は表情を硬くしたまま、言葉を詰まらせていた。


「何のことでしょうか」

「樹の里と湖の里は、元々同じ里だった。湖の大精霊と樹の大精霊は友達だった。でも、里は二つに別たれ、両者は対立している。その理由は、大精霊同士が仲互いをしたからですよね。間違ったこと、言ってますか?」

「申し訳ありませんが、スズネ様が今何のお話をなさっているのか、私には分かりかねます」


 スズネの問いかけに、リンは緩やかに首を横に振った。長い三つ編みがそれに従って揺れる。彼女の右腕は動かないままだ。彼女は真っ直ぐにスズネを見据えている。その視線には、隠し切れない動揺と冷たい感情が、込められている。


「貴女が私を殺したいのは、私が湖の精霊だからじゃないんですか」


 スズネの言葉を聞くと、リンはその双眸を大きく見開いた。瞬きをすることを止め、まるで時間が止まったかのように静止した彼女の反応に、スズネは自分の推理の正しさを確信する。


「昨晩からずっと私を狙っていたのって、リンさんなんですよね」


 スズネの確信に満ちた声音が部屋に響く。リンはその言葉を聞いて、ただ直立していた。

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