第27話 貴方と共に

「些細なものでした。でも、確かな綻びがあったんです」

「聞かせていただきましょう」

「リンさん、昨日、応接間から去るときに、私に対して『里内には珍しいものが沢山ある』って言いましたよね」

「ええ」

「それです」

「……申し訳ありませんが、それの何処が綻びなのか、私には理解が及びません。この樹の里には独自の文化が御座います。それを珍しいと称することの何処に問題があるのでしょうか」

「どうして私にとって樹の里の文化が『珍しい』と知ってるんですか」


 スズネの遠まわしな言い方は、彼女を僅かに苛立たせたらしい。眉尻が僅かに上がったリンの表情を見ながら、スズネは確かな綻びの部分を突いた。

 確かに、スズネにとって樹の里の文化は珍しいものばかりだった。あの時点で、スズネはヨルから「君は少なくとも樹の里の出身ではないようだ」と明言されていた。だからこそ、彼女に「この里には珍しいものがある」と言われても別段気にならなかったのである。

 しかし、冷静に考えてみればその言葉は可笑しい。この答えに辿りつくには、ある一定の条件を満たさなければならないのだ。


「あの時、私は自分が樹の精霊じゃないことを知っていました。それは、私が樹の里独自の建築物である鳥居を知らなかったからです。でも、私が鳥居を知らないという情報を、貴女は持っていない。それを知っているのは、里に入る前に一緒にいたヨルさんとシンヤさんの二人だけですから」


 スズネの言葉に、リンが僅かに息を呑んだ。そうして初めて、自分の綻びを自覚したかのように。

 リンが右手を強く握りしめる。先ほどまで微動だにしていなかったその手が力強く拳を作ることが、この件に関しての答えとなるだろう。矢に打たれたはずの右腕に力を込めても、彼女は痛がる素振りを全く見せなかった。まるで、腕の痛みなんて最初からなかったかのようだ。


「『鳥居を知らない私』を貴女は知らない。私はマナを確認できていないからどこの精霊かも分からない。でも、リンさんは私にとって樹の里を珍しいと明言した。私が樹の里の精霊じゃないことをあの時点で察する方法が、もう二つほどありますね。一つ目は、里ができてからの百年間、里内で生まれてきた精霊を全て把握して、その中に私がいないと判断すること。二つ目は、百年前の何処かの里で生きていた精霊の中に私が居て、その私を貴女が知っていること。ここ百年は他の里との接触を断っているんだから、貴女が他の里の精霊である私を知り得る機会は百年前にしかありません」

「それは……」

「どちらにせよ、貴女が百年以上生きていないと成り立たない話です。人間である貴女が百年という長い月日を生きるためには、大精霊と契約して長寿になる必要がある。そうでしょう?」


 見掛けが変わっていないのは、マナの影響を受けるからだろうか。ともかく、彼女が大精霊と契約していなければ、全ての話は成り立たない。

 人間は短命だ。スズネの知っている人間で、最も長生きした例でさえ五十代で亡くなっている。とても百歳を迎えるのは困難であるし、仮に百年生きたとしても、容姿が変わらないのはどう考えても人間の力では成し得ないことだ。

 大精霊と契約しているとしか思えない。それでしか、彼女の綻びは説明がつかないから。

 スズネがそこまで言い切ると、リンは静かに瞬きをした。天井から降り注ぐ光が僅かに弱まる。植物が蓄積した光が、底を尽きかけているようだ。


「――スズネ様」


 徐々に薄くなっていく光の中で、スズネはリンから目を離さなかった。部屋が闇に包まれようとしている。スズネが強く仕込み杖を握りしめた刹那、リンはその口元に、鳥肌が立つほど美しい冷笑を浮かべてみせた。


「お見事です」


 そうして、彼女の右腕が振りかざされる。同時に彼女の手の平からはマナの光が溢れ、部屋の中に暴風が巻き起こった。

 スズネの髪も、スカートの裾も、激しく揺れる。風の勢いに目を細めた一瞬、スズネの足元がリンの手元と同じ光に包まれた。飛び退こうと地面を蹴り上げた足首に、光から発生した白い木の枝が素早く巻き付く。その枝に身体を引っ張られ、重心を崩したスズネの四肢は、あっという間にリンの樹のマナによって捕らえられてしまった。

 スズネの体は簡単に木の枝によって持ち上げられる。手足と手首を拘束されたスズネは、咄嗟に声を上げようとするが、それを防ぐように喉にも枝が巻き付いた。硬い皮の感触が肌から直に伝わってくる。リンが広げた指を僅かに曲げれば、それに伴ってスズネの体に巻き付く枝の力が強くなった。喉元の枝は容赦なくスズネの喉を締め上げる。

 スズネは手足を大きく振って抵抗を試みるも、枝に巻き付かれた状態ではまともに動くことができない。苦しさに顔を歪めて必死に息を吸い込めば、薄く微笑んだままのリンが再び手を開く。同時に首を絞める枝の力が弱まり、突然確保された呼吸に、スズネは激しく咳き込んだ。


「ここまで言い当てられては、誤魔化すのも無理があります。素直に認めるとして――聞きたいことはまだいくつかあるのです。どうせならお聞かせください。どうしてヨル様とコハル様がこの里に百年いなかったとお分かりになったのですか?」

「それに関しては、殆ど勘です。まず、この里は閉鎖的空間です。その上、近くには水場がありません。地下水脈はあると思いますけど、地下の生き物は確認できないでしょう? 昨晩、あれだけご馳走が並んだにも関わらず、その中に魚はありませんでしたし。だから、この里に居る限り水中の生物を知る機会なんてないと思いました。でも、ヨルさんもコハルさんも、シンヤさんが作り上げた水中生物に驚くことなく、慣れた様子で名前を呼びました。それって、その生き物を知る機会が二人にはあったってことじゃないですか。シンヤさんがマナで水中生物を創るのは、湖の精霊である彼にとってその生き物が身近なものだから。つまり、湖の里には水中生物が当たり前のようにいたはず。その生物を知っている二人は、百年前――湖の里と樹の里が一つだった頃を知っている精霊ということになります」


 里が別離した後に生まれた精霊では、この閉鎖的空間で水中生物の名前は勿論、存在すら知ることができないだろう。必然的に、ヨルとコハルは湖の里の様子を知っているということになるのだ。

 スズネの言葉を聞いて、リンは目を細める。彼女が僅かに表情を出すようになったのは、隠し事をしなくてもよくなったからだろうか? 感情を見せずに無表情を貫いていたリンよりも、感情を僅かにでも表に出すリンの方が余程怖い。

 リンは張り付けたように微笑を浮かべたまま、スズネに問いを投げかけ続けた。


「成程。しかし、シンヤ様に教えていただいた、という線は考えなかったのですか? 貴女がこの里にやってくるまで、御三方は半年間を共に過ごしています。その間に生き物の名前の一つや二つは教わる機会もあるでしょう」

「考えました。でも、それだったら可笑しい点が一つあります。まず、私もサメとくらげの名前を呼ぶことができました。私の基礎知識の中にその名前があって、それを当たり前のように思いだすことができるということは、私にとっても水中生物は身近な存在だったってことです。だから、必然的に私が湖の精霊だという可能性が高くなります。『鳥居を知らないから樹の精霊ではない』と考えることができるヨルさんなら、『水中生物の名前を直ぐに言えるから湖の精霊かもしれない』と考えることもできるでしょう。でも、彼は私にそう言いませんでした。それは、彼の中でも『水中生物の名前を言えることは特別なことではなかったから』ではないでしょうか」

「と、言いますと?」

「シンヤさんに水中生物のことを教えて貰ったなら、余計に『教わらなくてもサメやくらげの名前を言える私』は湖の精霊に見えるはずです。でも、ヨルさんは私が湖の精霊だとは言わなかったし、考えもしなかった。それは、彼の中で、この里では水中生物を見ることができないという感覚が薄いから。里同士が別離した後、ずっとこの里にいれば、彼にはこの里で水中生物を確認することはできない、という基礎知識が備わるはずです。それがあれば、私を湖の精霊だと思っても可笑しくない。でも、ヨルさんはそうじゃなかった。彼の基礎知識に水中生物の特殊性が備わっていないということは、ヨルさんにとって水中生物は身近なものだということ。でも、それを身近だと思うためには、湖の里と一つだった百年前を知らなければならないし、その後の樹の里に慣れない必要がある。彼はこの里ができた直後から、何らかの理由でこの里から姿を消したんです。コハルさんと一緒に」


 里から精霊が消えて、二人が見つかるまでに空白の九年間がある。その存在を知っておきながら、リンは九年間も彼等を探しに行かなかった。それは、二人が既に消滅したと考えていたからではないだろうか。そうでなければ、精霊を崇拝するリンが、危険の芽が山ほどある外にヨルとコハルを放置しておくはずがない。里の精霊が絶滅した状況なのだから、尚更。

 百年間も里に顔を出さなかった精霊がいれば、誰もが消滅したと思うはずだ。勿論、リンだって例外ではない。

 これが、些細な情報を繋ぎ合わせて弾きだした結論だ。

 スズネは未だに自分のマナを確認できておらず、自分が湖の精霊だという確証は持てていない。けれど、自分が湖の精霊であれば、リンに襲われる理由も、水中生物の名前が当然の様に口にできる理由も、納得がいくのだ。

 スズネは真っ直ぐに視線を返して見せる。それを受け取ったリンは「そうですか」と相槌を打って、今度は容赦なく右手で拳を作る。その瞬間に再びスズネの喉は木の枝に締め上げられた。突然奪われた呼吸に驚いて、スズネの手から仕込み杖が落ちる。

 床に落ちた杖は、からんと無情な音を部屋の中に響かせた。


「スズネ様の口ぶりから察するに、今自分が襲われている理由も既にご存知なのかと思います」


 リンはその拳を握りしめながら、淡々とした声音で呟く。既に部屋は暗闇に閉ざされており、彼女のマナが放つ光だけが灯の役割を果たしていた。

 スズネを捉える枝の力は強く、躊躇いが無かった。シンヤの脅しが可愛く見えてくるほど、リンの攻撃は陰湿で容赦がない。

 当たり前である。だってこれは、脅しではない。本気の殺しなのだ。

 スズネはその顔に苦悶を浮かべ、必死に息を吸い込んだ。喉奥から込み上げてくる息苦しさと顔に集中する熱で思考が遠のいた。手足から力が抜けていく。


「では、その理由を胸に抱いて、どうか大人しく殺されてください」


 全ては大精霊様のためですので。リンの無慈悲な声がその言葉をなぞる。

 スズネは朦朧と仕掛けた意識の中で、静かに、その名を呼んだ。


「――ヨル、さ、ん」


 その声は、助けを求めるにはあまりにも微かで弱弱しい。喉を強く締め上げながらでは、うまく声を発することができなかった。空気を振動させたかも危ういような些細な声を聞いて、リンが大きく目を見開く。

 その声を、彼は決して聞き逃さなかった。

 次の瞬間、硬く閉ざされていた部屋の扉が勢いよく開いた。扉の隙間から入り込んできた人影は、目にも止まらぬ速さでリンとの距離を詰める。


「彼女が襲われたのは、大精霊の供物にするため。そうでしょ、リン」


 落ち着きを払った声の持ち主は、その手に握っていた短剣を大きく横に振るった。咄嗟にその身を仰け反らせて回避したリンは、そのまま軽やかな身のこなしで三度連続の後方転回を行う。彼女は自分に切りかかってきた人物の顔を確認して、浮かべていた微笑を凍らせた。

 その人影は、スズネを拘束していた木の枝を短剣で難なく斬り落としてみせる。枝の拘束が無くなり地面に叩き付けられそうになったスズネを、その人の腕が抱き留めた。

 難なく納まった腕の中で咳き込むスズネの背を、優しい手が往復する。落ち着いて、迅速に呼吸を整えながら顔を上げると、その人は闇の中で微笑んでいた。


「ヨルさん」

「助けを呼ぶのが少し遅いかな。あと五秒遅れてたら自己判断で部屋に突っ込んでたよ」

「すみません」


 その人――ヨルは、安心させるように落ち着いた声音で言葉を紡ぐ。そうしてスズネに応対した後、穏やかだった表情を引き締めてリンの方へ視線を投げた。苦い顔をしたリンは、体制を整えながら静かに呟く。


「……ヨル様」


 その苦々しい声を聞いて、スズネの推理が外れていればいいと願っていた彼は、何を思ったのだろう。

 スズネを緩慢に地面に降ろしたヨルの体が離れていく。ヨルは数拍の沈黙の後、リンではなく、スズネの方を見て囁いた。


「もう大丈夫。キミは、僕が守るから」


 彼のその言葉を聞くのは二度目だった。

 一度目は、彼の胸の奥にいる『誰か』を求めて放たれたものだった。

 なら、二度目はどうだろう?

 スズネが床に落ちた杖を拾い上げる。リンが眉間に皺を寄せて姿勢を低くしたのを合図に、ヨルは揺るがぬ声で断言した。


「今度は、他の誰でもないキミを――スズネを、守るよ」

「有難うございます、ヨルさん」

「どういたしまして。だから、昨日みたいに飛び出しちゃ駄目だよ。スズネ」


 誰かが隣に立っている。その誰かがヨルであることは、スズネに大きな安心感を齎した。

 彼と一緒なら大丈夫。心の何処かで、そんな自分の声がする。

 スズネはそれを聞きながら、ヨルの釘差しの言葉に小さく頷いてみせた。

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