第17話 動悸の図書館

「お代、本当にいいんですか? お役に立てないかもしれませんけど、お手伝いくらい……」


 スズネが杖を握りしめて尋ねれば、店主は豪快に笑ったまま頷いた。

スズネが金品を持っていないことを見越したのか、杖の代金を請求されなかったのである。まさか無条件に受け取るわけにもいかない。手伝いをしようと食い下がるスズネを見て、店主は腕を大きく横に振った。


「いいんだよ、精霊様に金を請求したり、こんな店の手伝い頼めるわけねぇですし。なんてったって、精霊様は里をお守りくださる、いわば宝みたいなもんですので」

「わ、私、ろくにマナも使えないような役立たずなのですが」

「だったら尚更、その仕込み杖がねぇとですね。大丈夫、きっとスズネ様にとっていい相棒になりますよ。ソイツ、里の人間が使うにはちっと力不足だったんで、寧ろ持って行ってもらえるとこっちとしても助かるし」


 多少砕けた敬語で紡がれた言葉は、何処までも大らかで優しい。スズネが杖を胸元に抱き寄せるのを見た店主は、ニッと笑って手を振って見せる。四人が店を出るのを見送る彼は、スズネが扉を閉める瞬間に、小さな声で呟いた。


「まあ、扱う機会なんてのは、ないと思いますけどね」


――振り向くと同時に、武器屋の扉が閉まった。何も語らぬ扉に視界を遮られ、スズネは瞬きをする。僅かに聞こえた店主の声がやけに低かったような気がするけれど、気のせいだろうか。


「ねえねえ、スズネちゃん! 次はあっちだよ!」

「あ、はい」


 嬉々としたコハルの声がスズネを引き寄せる。お勧めの場所へと案内してくれるのだろう。慌てて前を向いたスズネは、杖を片手にコハルの元へと駆け寄った。

 コハルは見るからに上機嫌で、鼻歌混じりに歩みを進めている。その横を通り過ぎていく里の住人もまた、彼女を見掛ける度に「あら」と声を上げて笑顔になった。どうにも、コハルはこの里の人気者らしい。――否、よく見れば、コハルだけでなくヨルもよく声を掛けられている。武器屋の店主の言う通り、精霊というのは里の宝のような存在らしい。

 シンヤに関しては、無愛想な性格が影響しているのか、あまり声を掛けられるところを見かけない。彼自身はそれを気にしている様子もなく、寧ろ様々な人に声を掛けられて嬉しそうにしているコハルを見て嬉しそうにしている。彼の性格を考えれば、干渉されない上にコハルを見つめていられる現状が最も良い環境なのだろう。


「ついた!」


 コハルの声が一際跳ねる。彼女が足を止めたのは、「図書館」と看板が下げられた四方形の建物の前だった。白く塗られた木の壁に、薄い青の屋根が良く映える。周囲に暖色の屋根が多いからこそ、薄い寒色が良く目立っていた。

 武器屋とは違って落ち着いた雰囲気を漂わせたそこは、他の住宅より一回り大きいようだ。扉を開けて中を確認すれば、部屋の中は天井まで届く大きな棚と、そこに隙間なく詰め込まれた本で支配されていた。机と椅子が壁際に並び、二十人程が座れるようになっている。

 図書館。スズネの知識の中には、その単語が存在していた。人間が創造した物語を紙に書き綴った、所謂本と呼ばれるものを管理したり貸出たりする場所のことである。

 どんな本があるのか、というのは、知識というより記憶に含まれるのか、或いは読んだことがないのか、思い当たるものはない。

 外観から予測される広さと比例して、ここで管理されている本の種類は膨大な数になりそうだ。スズネが思わず息を吐くと、入り口付近のカウンターに座っていた女性が顔を上げる。美しい柳色の瞳は、スズネ達を見つけた刹那に見開かれる。それから女性は瞬時に「ひっ」と悲鳴を上げると、大きく音を立てて椅子から崩れ落ち、カウンターの下に潜っていってしまった。その間、僅か二秒。


「えっ、あの」

「ご、ごめんなさい! ごめんなさい! 私、また何か粗相をしてしまったでしょうかぁ!」


 スズネが動揺して声を掛けると同時に、女性は酷く怯えた声で「ごめんなさい」と叫ぶ。先ほどまで静謐だった図書館は、あっという間に賑やかになった。読書をしている人間も、本を吟味している人間も見当たらなかったので、問題はなさそうだが。

 カウンターを覘きこめば、その場にしゃがみ込んだ女性は手に持っていたらしい本を頭に乗せて震えていた。一つにまとめられた亜麻色の長い髪まで細かく振動しているのが見える。まるで襲われた小動物だ。

 尋常ではない怯え方に困惑したスズネの横で、コハルが笑顔で声を掛けた。


「マツさーん、私です。コハルです」

「こ、こ、ここここ、コハル様。おはようございます。私、また何か、問題を起こしてしまいましたか?」

「ううん、本を借りに来ただけ。読んでもいい?」

「は、はい、どうぞ! それはもう、お好きなだけ、存分に、紙が擦り切れるまで!」


 マツと呼ばれた女性は、そう言ってカウンターの影に隠れたまま出てこない。スズネ以外の三人は特に動じることなく、図書館の奥へと進んでいく。置いてけぼりを喰らいかけたスズネが慌てて三つの背中を追いかけると、カウンターから離れた頃合いで、ヨルが小さく苦笑しながら呟いた。


「ここの管理人、あの人なんだけど、すごく臆病なんだ」

「そうみたいですね。あの、入って大丈夫だったんですか?」

「うん、マツさんはいつもあんな感じだから。前はもっと明るかったと思うけど……シンヤの脱走事件以来ああなった。ね、シンヤ」

「俺は別に彼女を陥れたくてしたわけじゃないんだけど」


 ヨルの少し棘のある声に、シンヤが肩を竦めて呟く。しかしその顔に滲む微妙な表情から、彼が若干罪悪感を覚えているらしいことが察せられた。

 脱走事件、というのは、恐らくコハルが入浴時に話してくれた事件のことだろう。シンヤが来たばかりの頃の話のはずだ。つまり、半年前。


「どうしてシンヤさんの脱走がマツさんの臆病に関わるんですか?」

「ああ、脱走事件のことは知ってるんだね。ええと、彼女はシンヤの脱走の唯一の目撃者だったんだ。言葉を交わす余裕もあったんだけど、マツさんはシンヤの脱走を止められなかったから、リンにキツく叱られてね。それ以来、あんな感じなんだ。――彼女の説得が駄目だったというか、どこぞの真っ黒助が全く聞く耳を持たなかったせいなんだけど」


 ヨルは困ったように眉尻を下げて囁く。その言葉で『どこぞの真っ黒助』本人は気まずそうに目を逸らした。その件について言われると、シンヤは反論することができないらしい。

 しかし、元々シンヤはこの里の精霊ではない。彼が扱うマナから、自分の住んでいた里が明らかになった日の夜に起きた話のはずだ。精霊が自分の居場所に帰る。ただそれだけのことを止めることも、止められなくて叱られることも、何処か違和感を覚える話である。

 つまり、彼女が叱られた理由はそこにはない。恐らく、彼女が叱られた理由は。

 スズネがちらりとコハルに視線をやる。彼女は本棚に視線を滑らせて楽しそうに歩いていた。今はスカートに隠れているため一瞥しただけでは確認できないが、昨日の入浴時に彼女の太腿には傷痕があった。これからも消えないだろうあの傷痕は、シンヤを助けるために負ったもの。

 戦闘を得意とするヨルがついていても尚、コハルは怪我を負った。つまり、それなりに危険な状況だったのだろう。――シンヤが脱出さえしなければ、マツが彼を止めていれば、二人をそんなに危険な場所に送り出さなくても良かったはずだ。

 二人がリンに重宝される理由は、昨日の応接間で聞いたはず。二人が、樹の精霊の最期の生き残りだからだ。

 リンは二人のことを酷く大事にしている様子だった。シンヤが里に戻るのを止められなかったことより、大事な精霊を危険な目に合わせたことで、リンはマツのことを酷く叱ったのだろう。

 納得がいく仮説である。しかし、スズネの胸には一つだけ疑問が浮かんでいた。

 危険の芽を摘めなかったマツを、その性格が豹変するほど叱ったのなら、その原因たるシンヤのことを、リンはどう思ったのだろう。


「三人とも、そんなことよりちゃんと本棚見てよ。面白い本いっぱいあるんだから」


 スズネが黙り込んで考えていると、コハルの拗ねたような声が飛んできた。それにハッとしたスズネは、言われるままに近くの本棚を覗き込む。

 この辺りは、物語というよりかは史実を記録した本が並んでいる区域のようだ。記憶が抜けているスズネにとっては、良い資料かもしれない。

 スズネが手に取った本は、樹の里の歴史を端的にまとめた内容のものらしい。紙が真新しいのは、本が劣化する前に写本を行うからだろう。

 スズネは立ったままその本の最初の頁を捲る。そこには、文章ではなく一枚の絵が描かれていた。

 揺れる水面から、細い樹が顔を出している絵だった。恐らく、この水面は湖か何かを表しているのだろう。樹を中心に、丸が描かれていた。

 いくつにも別れた細い枝には、葉がついているもの、花が咲いているもの、果実を実らせたものがあり、その樹は一本で複数の樹木の役割を果たしているように見える。また、それらに手を伸ばしたり、拝んだりする人間が湖の周囲を囲んでいる。

 湖からは、恐らくそこに住んでいるのであろう生物が顔を出している。スズネはそれを見て息を呑んだ。

 樹に実る果実の中には林檎が。水面から顔を出す生物の中には、くらげとサメがいた。

 そのどちらも、昨日見かけたばかりである。樹の精霊であるヨルとコハルが作り出した林檎。湖の精霊であるシンヤが作り出したくらげとサメ。

 ここに描かれているのもまた、一本の樹と湖だ。三人のマナが作り出した物質も、この一枚の絵の中に全て揃っている。

 スズネの心臓は激しく音を立てた。

 偶然だろうか。その音に急かされるまま、スズネは次の頁を捲る。その本は、こんな書き出しから始まっていた。


『樹の里と湖の里は、元より一つの里であった』

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