第11話 大広間と食事ときのこ


 コハルがスズネの背を押して向かった先は、屋敷の中央に存在する大広間だった。部屋の中央には長方形の食卓と、深い赤色の座と焦げ茶色の背凭れ、という落ち着いた雰囲気の椅子が四つ配置されている。壁に掛けてある白と黒だけで描かれた独特の絵は、樹の里独自の文化の一つなのだそうだ。小さくて愛らしい赤い実をいくつもつけた細い枝が花瓶に活けられている様は、部屋の気品高い空気を助長させていた。

 また、部屋の天井には巨大な蔦のようなものが這っており、所々に実って膨らんだ小さな丸い実から白い光が漏れている。ずっと眺めていても目が痛くならない程度の優しい光で、部屋中が包まれていた。日中の間に溜めた光を夜に放出する性質を持った植物なのだという。それを説明したコハルは何処か得意気だった。

 リンが恭しく四人を迎え入れ、部屋で待機していた女性達に椅子まで丁寧に案内されて。

 スズネの知識は、こういった対応をされるのは人間の中でも特に上の立場にいる者だと言っている。まるで自分が偉くなったようだと夢心地に呟けば、リンは言葉静かに教えてくれた。


「偉そうなのではなく、偉いのです」

「え?」

「精霊はそもそも私達人間を纏め上げるための統率者として創られた存在ですので」

「大精霊が偉いのはお話を聞いて分かりますけど……普通の精霊は人と一緒に里を創るんですよね? 契約だってするらしいし、だったら、立場は同じじゃないんですか?」

「いいえ。我々は契約をさせていただく身。立場が同等なんて恐れ多いことです」


 そう言って、リンは物静かに頭を下げた。彼女の長い三つ編みが左右に揺らめくのを見ながら、スズネは漸く、里の代表である彼女に何処となく使用人のような雰囲気が漂う理由を悟った。彼女は単純に、自分より立場が上とされる精霊に対して敬意と礼儀を払っているのだ。

 だからと言って、これは敬意と礼儀を払いすぎている気もするけれど。

 スズネは目の前に広がった光景に眉尻を下げる。大きな食卓に所狭しと並んだ料理は、四人で食べるには聊か量が多すぎる気がした。四人というのは、スズネ、シンヤ、ヨル、コハルのことを指す。リンやこの部屋を準備した里の住人は別の時間帯に別の部屋で食事をとるらしい。この部屋は精霊が食事をするときか、村の重要な話し合いをするときに使われるのだという。精霊の食事と村の重要な話し合いが同等の扱いであることに、スズネは一瞬目を回しかけた。精霊とは、そんなに偉い存在なのだろうか。

 食卓に並んでいるのは、林檎や桃等の色鮮やかな果実盛りから始まり、透き通った黄金の野菜スープ、彩り豊かなきのこと野菜の炒め物、鶏肉と豆の煮込み、ベリーのタルト、焼きたてのパン等、だ。そう、『等』である。驚くべきことに、食卓に並んだ料理はまだあるのだ。

 決して一皿に盛られた量が少ないわけでもない。四人分というには多すぎる料理は、食べきれる気がしない。スズネは冷や汗を垂らして、自分の隣に座ったヨルに視線をやった。


「あの、これ、全部?」

「うん、僕達の」


 ヨルは何でもない顔で頷くと、近くの木の籠からパンを一つ取り出した。決してこの光景を不審に思う素振りはない。既にリン達は「ごゆっくりどうぞ」と言い残して部屋から去った後だった。本当に彼女達が共に食べるわけではないのかと、スズネは瞬きをゆっくりと繰り返す。


「大丈夫、これ全部樹の里で作ってるからちゃんと美味しいよ」


 食卓の向かい側で、コハルが無邪気に笑ってそんなことを言う。その隣に座ったシンヤは、既に黙々と口の中に料理を放り込んでいた。所作は美しいのに一瞥しただけではそう見えないのは、食事の速度が目を疑うほどに速いからだろう。

 そんな彼の様子を静かに見守りながら、スズネは「はあ」と気の抜けた声を漏らす。


「全部自分達で作ってるんですか?」

「そう。結界の影響で他の里の人達と交流ができないから、自給自足しないといけないんだ」

「すごいですね。そんな貴重なもの、私がいただいていいのかな……」


 他の人達を優先したほうがいいのでは、という言葉がスズネの口から零れたとき、ヨルが「え?」と首を横に傾げた。どうして? と言いたげな顔に、スズネは慌てて首を横に振る。


「だって、精霊は人間と違って食べ物を食べなくても生きていけるの……に……?」

「何言ってるの、スズネ。精霊だって食べ物を食べないと生きていけないよ。確かに、人間とは食べる目的が違うけどさ」


 途中で失速したスズネの言葉を、ヨルの困惑したような声が否定する。不思議そうに小首を傾げるヨルを見て、何だか不思議な違和感を覚えた。

 スズネは精霊についての知識がない。それなのに、どうしてよく知りもしないことを知ったような口ぶりで話してしまったのだろうか。無自覚な自分の反応が、自分でもよく理解できない。

 スズネは困ったように眉尻を下げた。


「ごめんなさい、口が勝手に。精霊もご飯を食べるんですね」

「うん。練習中に、マナは体力みたいなものだって説明したでしょ。体力は少し休めば回復するけど、マナは少し休んでも微々たる量しか回復しない。そこで、食物に含まれてるマナを直接摂取することで、僕達精霊はマナを回復するんだ。――精霊はマナの塊だから、マナが無くなると消滅するらしいし。人間で言うところの死だよ」


 さらりと衝撃的な事実を漏らしたヨルは、そのまま控えめに口を開けてパンに齧り付いた。香ばしいパンの香りがスズネの鼻孔を擽り、精霊の死という重要な説明を一瞬頭の中から消しかける。

 ああ、私もパンを食べようかな……と思ったところで、スズネは首を横に振って思考を元に戻した。


「ま、マナが無くなると、死んじゃうんですか?」

「リン曰く。まあ、そんなこと普通はないらしいから大丈夫」

「な、何を根拠に……」

「一度、シンヤと僕が手合せで本気を出しすぎてマナを使いすぎた挙句庭の至るところを破壊したことがあったんだけど、互いのマナが切れても消滅しなかったし」

「なんて危ない真似をしてるんですか!」


 思わず声が大きくなった。スズネは慌てて口を押えるが、ヨルは驚いたように目を見開いた直後小さく笑った。突然声を荒げてしまったことを、彼は怒っていないらしい。

 命の恩人にはなるべく生意気な態度を取りたくない。しかし、言わずにはいられなかった。手合せで本気を出し過ぎたから、だなんていう、子供同士の喧嘩のような理由で消滅の可能性を迎えるだなんて、あってはならないことだろう。


「そうだよ。そのときばかりはヨルもシンヤくんもリンにすごく怒られたんだよ」

「反省はしてるよ。どこぞの真っ黒助が手加減を知らないものだから、付き合ってたらついね」


 僅かに頬を膨らませて怒った顔をするコハルに、ヨルは苦笑する。当時のリンは物凄く怖かった、と小さな声が、何処か憂いを秘めて呟いた。そこから察せる恐怖感に、スズネも思わず身震いする。あの静かなリンが激昂したら、確かに怖そうだ。

 少し青い顔をしたヨルだったが、その後すぐにシンヤの方を見て意地の悪い笑みを浮かべていた。彼はシンヤに嫌味を言うことで調子を取り戻したらしい。尚、シンヤは現在鶏肉煮込みを丁寧に咀嚼しているため、いつもの尖った声での反論はできないようだった。彼の顔だけが悔しそうに歪むが、決して料理を中途半端に呑み込むことはしない。ヨルはそれを見て勝ち誇った顔をしていたが、コハルに「ついで応じるなんてヨルも子供だよね」と指摘され、その表情を曇らせた。同時に、シンヤが「『も』って何さ、『も』って」という顔をしたのを、コハルは敢えて見ないふりをしたようだった。

――賑やかな食事だ。この場に居るのは四人だけで、会話をしているのは主にシンヤ以外の三人だけだというのに、沈黙の時間が少ない。けれど、料理はいつの間にか減っていく。

 スズネが慌ててベリーのタルトを一つ確保した頃合いで、漸く口の中に詰め込んでいた諸々のものを一気に嚥下したシンヤが静かに呟いた。


「マナを使いきっても消滅はしない。けど、マナの配給を断たれたら、精霊は消えるしかない。リンはそう言ってたと思うよ」

「……つまり?」

「さあ。ただ彼女が俺達はある程度食べないと消滅するって言ってたから、それに従うだけ。食物に含まれるマナは微々たるものだから、大量に食べないと回復しないんだよ」

「ああ、成程。それでさっきから沢山、本当に沢山食べてるんですね」

「往復二時間半もの間ずっとマナを出しっぱなし。誰かさんへの援護と誰かさんへの説明のためにもマナを使った。俺がこの場の誰よりもマナを消費してるんだから、沢山マナを回復するのが道理だと思うけど?」


 シンヤは近くのパンを鷲掴みながら、何処か不貞腐れたように言った。成程、スズネが彼の暴食の様を見て驚いているのに悟られたらしい。文句ある? と鋭く光った彼の瞳にすみませんでしたと頭を下げて、スズネはベリーのタルトに齧り付いた。甘酸っぱくておいしい。確かに、少しだけ体の奥から元気が沸いてくるような気配がした。

 庭で感じた悪寒とは程遠い安心感がその場にあった。それに気が付いたことと、食べなければ恐ろしい結末が待っているという説明をされたことが手伝って、スズネは漸く目の前に並んだ料理を片っ端から全て食べる気になった。

 どの皿からも八割ほど料理が姿を消している。黙々と食べるシンヤと、負けじと口を動かすヨルと、笑って喋っているのにいつの間にか料理を食べているコハルが、着々と料理の山を減らしていたのだ。

 スズネが慌てて食卓上を見渡したところ、一品だけ手がつけられずに出された姿のままで孤立している料理があった。

――きのこと野菜の炒め物である。

 誰も食べないのだろうか。不思議に思いながらもその皿に手を伸ばした瞬間に、コハルとヨルの瞳が一等星の如き光を帯びた。


「スズネ、きのこ食べられる?」

「スズネちゃん、きのこ好き?」

「えっ? いや、多分、大丈夫」


 記憶が無いので確かなことは言えないが、現時点で嫌悪感を覚えない。スズネが曖昧に頷けば、二人はさらに目を輝かせて、同時にその皿をスズネの前にずいっと押し進めた。


「どうぞどうぞ! いっぱい食べてねスズネちゃん!」

「ほら、食べないと消えちゃうから。いっぱい食べな、スズネ」

「え? え?」

「あーんする? 大丈夫?」

「スズネ、ほらこっちにもあるよ、きのこ」


 大丈夫と言っただけで別にきのこが好きとは言っていない。

しかし、スズネの目の前には次々ときのこと野菜の炒め物を乗せた皿が並べられた。二人は期待に満ちた眼差しでスズネを凝視している。


「二人共、きのこ嫌いだからってそれは露骨じゃない?」


 シンヤがその光景を鼻で笑っていた。呆れたように手をひらつかせる彼に、コハルは頬を膨らませる。


「だって嫌いなんだもん。きのこ」

「君はいいんだよ。君のは俺が食べてあげる。代わりにこっちの桃とか食べなよ」

「わあ! 有難う、シンヤくん!」

「どういたしまして」


 拗ねたコハルの表情の前に勢いよく手のひらを返したシンヤは、にこやかに笑って彼女に桃を差し出している。スズネの前に並べられたきのこ料理の皿が一つ、シンヤの元に渡った。

 ああなるほど、二人はきのこが嫌いなのか。納得したスズネは、目の前のきのこ尽くしの光景を見て冷や汗を流してから、静かに隣のヨルに視線を移してみた。


「ねえ、僕のは?」

「君は自分で食べな」


 とんでもないコハル贔屓である。

シンヤは冷たくそう言って、コハルが差し出したきのこ料理をぺろりと平らげた。彼の胃袋は無尽蔵なのか、それとも、彼ではなく精霊の特性なのか――何となくそんなことを想いながら、スズネは分かりやすく眉間に皺を寄せて口を結ぶヨルの肩を、控えめに指で突いた。


「ヨルさんの分は、私が食べますね」


 その一言を告げたときの彼の表情は、まるで希望を見出した子供のような幼い笑顔だった。


「いいの?」

「え? ……あ、はい。勿論!」

「有難う、スズネ。あとでマナの林檎いっぱい作るね」


 この量を食べたら、マナをほとんど使っていない自分は十分な回復を見込めると思うのだが。そう思っても、スズネは口に出さなかった。目の前の表情の輝きを損なわせたくなかったからである。

 ヨルは感激した様子で、スズネに小さく頭を下げる始末だ。本当にきのこが嫌いらしい。ヨルの意外な弱点を見つけて何だか可笑しくなったスズネは、笑いを誤魔化すようにきのこをぱくつく。

 昼間の格好いい彼と少し幼くて可愛い彼の差を知れて、何だかとても嬉しかったのだ。

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