第9話 激戦の庭と林檎


 コハルに手を引かれながら、屋敷の中を歩く。いくつもの曲がり角を曲がったり、背後にいるヨルやシンヤから「そっちじゃない」と時折指摘を受けたり。そうしてコハルが導いた先は、広々とした庭だった。

 美しい芝生が広がり、巨木に行く道を塞がれている。どうにも屋敷の最奥に存在する庭と里の終わりは一緒らしい。大精霊の結界のおかげか、巨大な幹の隙間からは外の様子が見えない。影のように黒く塗りつぶされている。


「ここで二人と遊んだりするの。シンヤくんとヨルが手合せするのも大体ここだよ」

「手合せ、するんですね」

「うん。マナの使い方の練習にもなるからって。二人は外でもよく戦うから」


 コハルは笑顔で肯定する。スズネは背後の二人を一瞥して、それからおずおずと尋ねた。


「……どっちが強いんですか?」

「僕」

「俺」

「は? 僕の方が勝率高いじゃん」

「何言ってんの、俺のが勝ってる」

「僕のが強い」

「俺のが強い」


 同時に帰ってきた返答はそれぞれ矛盾している。勿論、想定内の反応ではあった。

 両者間で激しく散る火花を見て苦笑したスズネは、何となく彼等の距離感が分かってきた。所謂、好敵手というやつだろう。それは互いに対する態度から読み取った事情と、コハルに対する態度を汲み取った末に行きついた答えだった。

 スズネはコハルに視線を向ける。ん? と小首を傾げた可愛らしい仕草に、二人が好敵手となった理由の一端を感じ取ったのだ。

 つまり、二人はコハルに惚れている。シンヤは分かりやすいけれども、ヨルもきっとそうなのだろう。

 コハルが庭に行きつくまでに何度か道に迷いかけたとき、指示する声は何処までも優しかった。呆れたフリをしつつ面倒を見て付き合う様子を見ていれば、彼がコハルに対して好意的なのはよく伝わってくる。スズネに対する壁を一枚挟んだような態度より、コハルに対する態度の方が身近で親しげなのだ。

 コハルはシンヤへの好意を分かりやすく伝えるけれど、ふとした時に声を掛けるのは――スズネが確認した限りでは――ヨルの方なのだ。道中で確かに見て取れた二人の静かな信頼関係を見守ったスズネは、妙に心臓を騒がしくさせていた。所謂三角関係というやつだ。正直、こんな知識が出てくるよりも、記憶の一つや二つを取り戻したい。けれども、スズネの中に出てくるのは二人がコハルを取り合う姿という妄想だけで、他は何も頭を過るものがなかった。


「コハルさん、実際のところ、どっちが強いんですか?」

「え、うーん……どっちも強いから分かんないや」


 コハルはそう言って無邪気に笑うと、思いついたように両手を叩いて、今にも掴みかかりそうな雰囲気のヨルとシンヤに視線を向けた。


「あ、じゃあさ、どっちが速くスズネちゃんにマナの使い方を教えられるかで決めたら?」

「……えっ」

「スズネちゃんはマナの使い方が分かるし、二人は勝敗つけられるし、一石二鳥じゃない?」


 どうかな、と言うコハルの瞳は悪戯っぽく輝いている。スズネが否を言う前に、返答をしたのは背後の二人だ。


「望むところ」

「そうと決まればさっさとやるよ新人。手厳しくいくから」


 ヨルの穏やかな瞳も、シンヤの静かな瞳も、既に戦意に燃えている。目に映っているのは互いだけで、動揺するスズネの姿など微塵も見えていないのだろう。スズネは「いや」と声を零したが、最早その声を聞き届けるものはいない。

 助けを求めてコハルに視線を投げても、発案者である彼女がその選択肢を選ぶはずもない。人懐っこい笑顔で「頑張れ」と応援されて、スズネは自らの逃げ道が断たれたことを自覚する。

――これは、出会って間もない恩人達の恋愛事情を、浅はかにも勝手に想像したことへの、罰なのだろうか。

 スズネは自分の顔から血の気が引いていくのを感じた。しかし、その場の誰も、そのことには触れないのだった。



◆ ◆ ◆



「まず、手のひらに意識を集中させて。そしたら何かが生まれるような感覚がするから、それを引っ張り出す感じ。そしたらマナが使えるよ」

「とりあえず構えはこう。それから手の平の、特に中指の付け根に力を込めるようにして神経を尖らせる。自分の中から力を引き出すように、他のことは何も考えずに、マナを感じることだけに集中して」


 左の耳からはヨルの声が。右の耳からはシンヤの声がする。スズネは既に目を回していた。

 スズネがマナを扱えるようになるまで教える、という競技が開催されて一時間と少しが経過した。前半三十分はヨルが、後半三十分はシンヤが担当し、二人共――互いに勝つために――甲斐甲斐しく指導を施してくれたが、スズネがマナを扱える気配はなかった。この状況は「一人で駄目なら二人だ」と、勝負を逃したくない二人が共同指導を始めた結果である。青かった空は少しずつ色を暗くして、日暮れの雰囲気を漂わせていた。

 スズネは言われる通りに胸元で手を合わせて意識を集中させるが、どうにも上手くいかない。決して二人の指導の声が重なって集中力が途切れるという訳ではないのだが、神経が研ぎ澄まされている感覚も、マナが手の平に集まる感覚も掴めない。

 コハルは巨木の影の下で激しい指導を温かく見守っていた。時折「頑張れー!」と無邪気な声援が飛んでくる。目を回しているスズネに対してか、それとも二人の勝利を応援しているのかは定かではない。

 スズネの目線は、目の前の二人でも手元でもなく、遠くを見据えている。二人の声が騒がしいのではない。単純に、自分の不甲斐なさに悲しんでいるのだ。


「すみません、やっぱり、これマナだなって感じがないです」

「うーん、マナの出し方って結構感覚だから、改めて説明するのは難しいよね」

「体力をどうやって使いますかって言われてるようなもんだし。まあ慣れとしか」


 ヨルは少し困ったように眉尻を下げ、シンヤは特に興味もなさそうに素っ気なく呟いた。

 困らせてしまった。スズネは申し訳なくなって肩を竦める。精霊にとっての基礎である力を使えない自分は、本当に精霊なのだろうか。そんな疑問が浮上するほどに、スズネはマナの存在を感知することができない。

 スズネが肩を落とすのを見て、ヨルが優しく微笑みながら口を開いた。


「大丈夫だよ、僕達もそんなに早くマナを扱えたわけじゃないから」

「まあ今頃マナの存在を感知することくらいはでき――痛っ!」

「黙って」


 ヨルは笑顔を浮かべながら、踵でシンヤの爪先を踏みつけている。どちらも皮のブーツなので目を背けるほどの大怪我には繋がらないだろうが、随分と遠慮なしに踏みつけたように見えた。

 シンヤはヨルを鋭く睨んだが、肝心の彼は知らん顔をしてスズネに微笑みかけている。そんなに庇わなくとも、スズネがマナの感知をできていないのは事実なので、決して彼は悪くないのだが――ヨルはそうは思わないようだ。

 踵で執拗にシンヤの爪先を踏みにじった後、ヨルは何事もなかったかのように足を退けた。


「もう一回やってみよう。今度はちょっと特別な方法を試してみようか」

「特別な方法?」

「うん。シンヤ、短刀貸して。腰に隠してるやつ」

「自分の使って」

「僕のは人を斬ってるから駄目。キミのは果物用でしょ」

「非常時に使うために隠してるのであって、果物用ではないんだけど」

「現時点では果物用でしょ。皮剥くために使ってるところしか見たことないし」


 ヨルに「早く」と急かされて、シンヤは渋々と言った様子で自分の腰に手を伸ばす。上着で隠れた部分から、艶やかな黒い鞘に収まった短刀が取り出された。

 ヨルはそれを受け取ると、スズネに「見ててね」と微笑んだ。そうして、短刀を握っていないほうの腕を伸ばす。

 空を向いた手の平から、コハルがマナを発動させた時と同じように、鮮烈な光が漏れだした。同時に巻き起こる風は、ヨルを中心に渦巻きながら周囲の芝生を激しく揺らす。ヨルの髪が揺れる様は、彼がスズネを救出するために盗賊の輪の中に飛び込んできたあの一瞬を思い出させた。

 光は掌の上に収束していき、次第に赤く色付いていく。次に瞬きをした瞬間に、ヨルの手の平には、艶やかな赤い皮の果実――林檎が乗っかっていた。コハルが応接間で作っていたマナの林檎だ。


「マナを摂取すればそれが刺激になってマナが扱えるようになるかも。少し待ってて」


 そう言って、ヨルはシンヤの短刀を使って器用に赤い皮を剥いていく。手際よく剥かれていく皮は、時折途切れて地面に落下した。あ、とスズネが声を漏らしたその瞬間に、鮮烈な赤は淡い光となって宙に舞う。


「これ、結局マナの塊だから、普通の林檎と違って皮まで食べられるのに。なんでわざわざ剥くの? 勿体ない」

「キミだってコハルに林檎を食べさせるときに皮剥いて一口に切るじゃん」

「そっちのが食べやすいでしょ」

「それと一緒だよ。――はい、スズネ。食べてみて。味は保証するから」


 器用に一口サイズに切られた林檎は、真っ赤な皮と相対して美しいほどに真白い。ヨルの手から林檎を一切れ受け取って、スズネはじっくりその林檎を見つめる。

 応接間でシンヤが林檎を齧っているのを見てから、どうにも林檎に対する憧れの気持ちが強かったのだ。じっと林檎を見てしまったので、もしかしたらヨルにそれを見抜かれたのかもしれない。気を遣わせたり、意地汚いやつと思われていたりしないだろうか。

 そうでないことを祈りつつ、スズネは林檎を一口齧る。瑞々しい爽やかな甘さが咥内をあっという間に占領して、思わず目が輝いた。


「美味しい! ……です!」


 思わず敬語が抜けるほどの美味しさだ。とってつけたような「です」を絞り出した後、我慢しきれずにもう一口齧ると、やはり、その甘さは変わらずにスズネの元にやってきた。

 美味しい。とても。感動した。

 感情が全てそちらに持って行かれる。林檎はあくまでマナを扱うための特殊手段だというのに、それを忘れて味わってしまった。

 ヨルはそんなスズネに目を見開いて固まっている。林檎を咀嚼するのに夢中になっていたスズネがそのことに気が付いたのは、一切れを食べきってからだった。


「……すみません、すごくおいしかったので、練習中だってことを忘れて味わってしまって、はしゃぎました。ごめんなさい」

「……え、あ、いや全然。美味しかったならよかった。もう一切れどうぞ」

「いや、そんな……有り難く頂戴します」


 謝罪をすると、林檎を一切れ勧められる。林檎の魅力には抗うのが難しい。だって、あんなに瑞々しく、それでいて自然な甘さを保った素晴らしい林檎なのだ。差し出されると勝手に手が出てしまう。

 結局スズネは林檎を食べる度に「美味しい」と声をあげてしまう。堪えようとしても頬の緩みが抑えられない。とんでもなくだらしない顔をしながら林檎を食べている自覚はあったが、それをどうにかできる手段を、スズネは知らない。

 ヨルはそんなスズネを凝視している。そんなに酷い顔をしているのか、申し訳ない――と一切れを食べ終えたスズネが謝罪をする前に、間髪入れずに林檎を一切れ差し出してくる。その川の流れのように淀みがない動作に、スズネもつい手を出して林檎を受け取ってしまうのだ。

 結局、林檎は一玉全てスズネが食べた。シンヤの言葉通り、恐らく芯も食べられるのだろうが、その部分はヨルが地面に落とした瞬間に淡い光となって消えていく。その光の正体がマナなのかもしれない。マナで作られた林檎は、食べてもゴミが一切でない、環境に優しい食べ物のようだ。


「美味しかった……」

「……また、いくらでも作るよ」

「本当ですか? 有難うございます!」

「うん、キミがそんな顔で笑うなんて予想外……いや、ううん。大丈夫。任せて」


 ヨルの声は前半部分が小さくて上手く聞きとれなかったが、それすらも林檎の約束の前では気にならなくなってしまう。スズネが目を輝かせて頷けば、彼も何処かぎこちない笑みを浮かべた。

 それを見ていたシンヤは「馬鹿らしい」とスズネとヨルのやりとりを一蹴して、自分の短刀を勢いよく回収してコハルの元へ足早に去っていった。彼の罵倒にも荒々しい所作にも、ヨルは文句一つ零さない。彼らしくないな、と顔を覘きこめば顔を背けられてしまったが、その耳は少しだけ赤いように見えた。

 空は橙色に焼かれている。強く輝く夕陽が出ていたので、きっとそのせいだろう。スズネは小さく笑って、それからもう一度「有難うございます」と呟く。

 ヨルはただ、小さく頷くだけだった。

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