第8話 垣間見える
重々しい沈黙の中で、シンヤは顔を顰めたまま林檎を食べ進める。それを見ていたヨルは、わざとらしく鼻で笑ってから、一言呟いた。
「ふぅん。コハルのことはともかく、キミが僕のことそんなに好きだったとは知らなかった」
「はあ? 己惚れないで、君なんてついでだよついで。不本意だけど、コハルは君がいなくなったら悲しむでしょ。コハルのために君はいなくちゃいけないから仕方なく守護対象に入れてあげてるだけ」
「はいはい。お優しい心遣い有難うね」
そう言ってシンヤを軽くあしらったヨルは、その顔に嘲笑ではない微笑を浮かべていた。多少重くなった空気が緩和された。ヨルは空気の変え方がうまい。
ほ、と息を吐いたスズネは、自分の紅茶を一口飲んでから問いかけた。
「盗賊って、私達が出くわしたあの人達ですよね」
「そう。精霊捕まえて売ったり旅人の持ち物奪ったりする暇な連中だよ」
「精霊に需要がある、みたいな話でしたけど……精霊を買って、人間に何の利益があるんですか?」
精霊がマナを扱えるのは分かった。けれど、無理やり捕まえられた挙句に売られた精霊が、買い取られた先でマナを使って暴れ回る未来しか見えないのだ。スズネはまだマナの扱いが分からないからともかく――ヨルやシンヤが何かの間違いで売られてしまっても、その先で買い取った人間をマナでねじ伏せて帰ってきそうな気がする。
やや暴力的な絵面が脳内に浮かんだ。マナは強力な力かもしれないが、それを使いこなすのは難しいだろう。大金を払った上で自分の命すら危うくなるかもしれないだなんて、随分と釣り合わない話である。
「スズネ様、精霊は気に入った一人の人間と契約を交わすことがあるのです」
「契約?」
「ええ。精霊と契約した人間は、人離れした能力を一つ手に入れることができます。本来は、共に里を創るための力なのですが――悲しいことに、それを悪用する人間もいます。そういった層に、精霊という存在は需要があるのです」
リンが悲し気に目を伏せた。憂いを帯びた瞳が弱弱しい光を揺らす。
全く迷惑な話だね、と呟いたシンヤは、漸く林檎を食べ終えたらしい。――芯が見当たらないが、それも食べてしまったのだろうか? マナで作った林檎なのだから、普通の林檎とは訳が違うのかもしれない。
「人間に比べれば丈夫だけど、精霊も不死なわけじゃないからね。剣で刺されたら普通に痛いし、ずっとそうされてると死んじゃうから。拷問は精霊にも有効なんだ」
「……買い取られた先で拷問されながら契約を迫られるということですか?」
「そういうこと。精霊と契約すると、精霊と同じようにマナが使えるようになるんだ。契約は、神にマナを使うことを許可されている精霊から人間にもマナを扱う許可を渡す行為だから。大精霊との契約ともなると、マナの使用に加えて、大精霊と共に生きるために人間が長寿になるらしいよ」
成程。盗賊に捕まった以上、買い取った精霊は捕縛されているだろうし、そこから拷問をするのは容易いことなのだろう。強力なマナを得るためなら、大金を厭わない理由も分かる。それ程までに、シンヤのマナは圧倒的だった。
ヨルの説明に頷いたスズネは、そこで自分が盗賊に捕まっていたら、という未来を考えた。訳も分からないまま手酷い拷問を受けて、契約をしろと迫られるのだ。しかし、スズネには契約の仕方など分からない。その上、マナも扱えないから反撃もできない。
契約の方法を思い出すいつか分からない未来まで、或いは、うっかり拷問の末に息絶えるまで、そんな日々が続いただろう。
背筋に悪寒が走った。本当に、彼等が来てくれなかったら地獄の日々が待っていた。顔を蒼褪めさせたスズネが何を考えたのか分かったのだろう。ヨルは優しく微笑みながら「大丈夫だよ」と囁いた。
「ここは樹の民か樹の精霊を連れていないと入れない。アイツ等がやってくることはまずないから」
「もし、あの人達が樹の精霊を捕まえて、契約をさせられた精霊がここに連れてきてしまったら? 里が大変なことになるんじゃ……」
「あり得ませんね」
スズネの想像を一刀両断したのは、リンだった。それまで、穏やかで静かという印象を貫いていた彼女の声は、その時だけやけに明瞭だった。
驚いたスズネは、リンの瞳が翳っているのを見る。長い睫毛が照明に照らされて落ちた影、という単純な話ではない。
そこに、計り知れない感情が渦巻いている。強大過ぎて見ただけでは一端も理解できない感情が、リンの瞳を曇らせていた。
「樹の精霊は、大精霊様以外には、ヨル様とコハル様しか生き残っていない。ですので、樹の精霊が盗賊に捕まるなどということはあり得ません」
「……え」
「御二人が私達の最後の希望。最後の望み。この里は御二人と大精霊様を守る場所。決して、盗賊などといった人間を招くような醜態は晒しません。……ご安心ください」
最後の一言は、思い出したように付け足された。その一言をその場に落とす頃には、リンの瞳は静けさが戻ってきている。
スズネが言葉を失っていると、リンは一人掛けの椅子から立ち上がった。
「申し訳ございません。スズネ様のお力になりたいのは山々なのですが、これでも私は里の代表の身。仕事が御座いますので、これで失礼させて頂きます。また何かあれば、里の者に何なりとお申し付けください」
「あ、いえ、わざわざ有難うございました。本当に、何も知らなかったので……助かりました」
「お役に立てて何よりです。それでは、失礼致します。スズネ様にご用意させていただいたお部屋は、後に里の者がご案内いたします。ご自由にお使いください。また、里内はご自由にご覧くださいね。きっと珍しいものが沢山あると思いますよ」
リンはそう言って、扉の前で恭しくお辞儀をした。動作の隅々に洗練された気品が備わっている。里の代表というよりは、物語の中に出てくるような姫の使用人のようだ。失礼だと分かっていても、そんな印象が拭えない。
「ああ、すみません。これだけはお願いしたいのですが」
部屋から立ち去る前、リンは後ろを振り向いて言った。
「大精霊様のお部屋だけは、どうか立ち入らぬようお願い申し上げます」
――その瞳が冷ややかだったのは、気のせいだろうか?
一瞬体を硬直させたスズネは、咄嗟に頷く。それを確認すると、リンは今度こそ応接間を去っていった。その頃には、彼女の瞳の何処にも冷たさを見出すことができなかった。
スズネの中に、言語化できない感情が渦巻いている。思わず胸元を撫でて、それで漸く気付いたことなのだが、自分の心臓が普段より少し駆け足になっていた。
そんなスズネを見て、くらげを手に乗せて戯れていたコハルが「あ」と声を漏らす。
「ねえスズネちゃん、よければこれから私とちょっと遊ばない?」
「え?」
「まだ何か聞きたければちゃんと説明するし、マナの練習したり、動物と戯れたりしてもいいよ! 屋敷の中も案内したいし……ね、駄目?」
強請るような甘い声で鼓膜を擽られ、可愛らしく小首を傾げられた。コハルの親切な申し出を断る理由など、スズネにはない。寧ろ頭を下げてお願いしたいくらいなのだが。
スズネがそれを了承したのは、そのどちらの理由でもない。
シンヤがこちらを見ている。見ているというのは優しい表現だ。見ているなんてものではない、睨んでいる。鋭い視線がスズネを容赦なく突き刺している。その視線が言いたいことは、言葉にされずとも分かった。「コハルの誘いを断るなんて有り得ないよな?」である。もしくは「断ったらどうなるか分かっているんだろうな」だ。
目の前の少女は期待に瞳を輝かせている。断れば、その輝きが失せるのは、初対面のスズネにすら想像がついた。
「勿論、有り難く、寧ろこちらから、よろしくお願いします!」
「わーい、やった! ねえ、シンヤくんとヨルも一緒に行こうよ。スズネちゃんと遊びながら色々教えなきゃ、ね?」
「君が言うなら」
「うん、了解。コハルは言いだしたら聞かないんだから」
冷や汗を流しながら勢いよく頭を下げたスズネを見て、コハルが無邪気な声を上げる。心底愛おしそうに了承するシンヤと、呆れ口調ながら楽しそうに頷いたヨルの声を聞きながら、スズネはほっと息を吐く。
先ほど感じた緊迫感が全身から抜けた気がする。
すっかり温くなった紅茶を飲みほして、四人は応接間を後にした。
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