急転直下の部屋

「あ……あっ……なっ…………」


 セクトラル王国の王位継承者であるイラキシム王子は、つい先程瞳に映った光景、そして目の前で起き続けている出来事が心の中で処理できず、ただ唖然としていた。例え一糸纏わぬ絶世の女性が愛おしそうな笑みを浮かべながらベッドの傍に近づいてきても、今の彼は全く反応できずにいた。当然だろう、醜く汚く、まるで芋虫のような姿かたちをした女性・ラルフェが、まるで美しい蝶へと羽化するかのように、すらりとした体形に豊かな胸、夜空よりも黒く長い髪をたなびかせる美女へと変化したのだから。


「言ったでしょう、王子?貴方のお陰で『魔法』が解けた、って♪」

「ま……ま……まほう……」

「そうですよ。ずっと貴方が『醜い』『汚い』『芋虫』だと言っていたあの体から、元の姿に戻れたんですから♪」


 貴方がずっと夢見てきた昔ながらのお伽話――姿や身なりは酷くても心優しい少女が、愛の力で美しく麗しい美女に変化するハッピーエンドを迎えたのだから、そんなに恐怖で顔を引きつらせる必要はない、とラルフェは唇を寄せるような仕草をしながら更にイラキシム王子へと近づいた。だが、ベッドの上で腰を抜かしたような格好の王子は彼女が近づくたびにその身を後ろへ下げ続けた。その理由はたった1つ、ラルフェが変貌した今の姿は、ほんの少し前までこの宮殿で繰り広げられていた宴で、今まで溜まりに溜まっていた鬱憤を晴らすかのように罵り、貶し、そしてその顔を踏んづけた挙句、王国から追放させたはずの――。



「……し……しゅ……シュニーユううううう!!!??!???」



 ――シュニーユ・ニュイジブール伯爵令嬢、そのものだったのだから。


 あらんばかりの叫び声や悪口を張り上げながら、彼は懸命にシュニーユと瓜二つの姿になったラルフェを拒絶しようとした。しかし、どれだけ罵声を浴びようとも、目の前にいる彼女はそれを嫌ったり悲しんだりするどころか、ますますうれしそうな顔をしてこちらに近づき続けた。


「く、来るな!!寄るな!!化け物ぉぉぉ!!!!!!」

「そうですよ、私は『化け物』です。貴方にずっと可愛がられてきた、ね♪」

「や、やめろおおおおお!!!!」


 一糸纏わぬ体のままベッドの中へ膝を踏み入れ、艶めかしい指遣いでラルフェがそっと王子の肌に触れた直後、彼は全身に悪寒を走らせた。そして、一瞬だけ小さな悲鳴を上げた後、次第に彼の顔は歪んだ笑みに包まれ始めた。そしてあの時――イラキシム王子の糾弾を受けた直後のシュニーユのようにきょとんとした表情を見せたラルフェを指さしながら、王子は部屋の中が揺れるほどの大声で怒鳴りつけた。お前は『ラルフェ』ではない、と。


「……何を言ってるんですか、王子?」

「どうしたもこうしたもない、とぼけるな!お前はシュニーユ・ニュイジブール、あの悪役令嬢だろう!!」

「まぁ、どうしてそう思ったのですか?」

「当然だ!その顔!その姿!その声!!どこからどう見てもあのクソ女だろうが!!」

「クソ女……ふふ、それもそうですね♪」


 だが、彼が幾ら大声で威圧しようとも、シュニーユと同じ姿形になったラルフェは全く意に介さずじりじりと彼へ近づき続けた。貴方が言う『クソ女』と同じ姿形だから嫌うのか、姿は醜くても心は優しい私を愛してくれたのではないか、と逆にイラキシムを追い詰めるような言葉を優しい口調で語りながら。彼の口から飛び出し続ける悪口すら最高の魅力である、と言わんばかりにラルフェは満面の笑みを見せたのである。


 そして、すっかり全身が青ざめてしまった男に唇を近づけながら、ラルフェは告げた。

 『何があっても後悔しない』、そう約束したのはイラキシム王子、貴方自身ではないか、と。


「……うるさああああああああああいいい!!!!!」


 直後、王子は大声と共にラルフェの裸体を突き飛ばし、近くにあった鈴を猛烈な勢いで振り始めた。この音色を聞けば、外で待機していた兵士たちが急いで部屋へ入り、王子を脅かす外敵を排除するのだ。そして今回も、慌てたように数人の屈強な兵士たちが王子の私室に足を踏み入れ、目の前で起きている状況をまざまざと見つめ始めた。


「へ、兵士たち!!このクソ女を外へ連れ出せ!!これは命令だ!!早くしろ!!!!!」


 普通なら、幾ら無茶な命令でも兵士たちはすぐさま王子の命令に従い行動を始めていた。だが、どういう訳かイラキシム王子が叫んでも、兵士たちはベッドの近くで立ったまま微動だにせず、裸体の美女がその傍らで倒れるを見つめ続けていた。何度も何度も命令を告げても、決して兵士たちは美女ラルフェを追い出す事もイラキシム王子を助ける事もしなかったのである。


「……いい加減にしろ!!お前ら、王子の命令が聞けないというのか!!!」


 ところが、その言葉を聞いた途端、兵士の1人がゆっくりと口を開き、王子側からすればあまりにも信じ難い内容を口にした。自分たちは今、『上司の命令』に従いこのような行動をしている、と。当然イラキシム王子が納得できるはずもなく、この場にいる一番上の立場にいる人物は自分だから自分の命令を聞くのが義務であり常識であるはずだ、と自分の身を守ってくれるはずの兵士たちを罵倒始めた。そのような事すらわからないボンクラ、図体ばかりでかくて主人の命令にすら従えないクソ野郎――。


「おいどうした!文句があるなら言ってみろ!!」


 ――あの時のシュニーユのように、暴言を吐き続ける王子を興味深そうに眺め続けていた兵士たちは、まるでその言葉を待っていたかのようにゆっくりと、口元を緩ませながら嬉しそうに語り始めた。自分たちに命令を下したのはその人だ、と。身に覚えも何もない王子は再度兵士たちを更に貶し始めたのだが、彼らは意に介さず、ゆっくりと立ち上がり始めたラルフェを横目で見つめつつ語りを続けた。何を言われても、イラキシム王子が自分たちに『命令』を下した事実は揺るがない、と。


「どういう事だよ!ちゃんと説明しろよ、この能無しども!!」

「ええ、了解しました」

「それでは、王子でも分かりやすいよう説明しましょう……」


 その直後であった。王子の目に映る兵士たちの輪郭が少しづつぼやけ始めたのは。やがて、彼は語りかけてくる兵士たちの声が少しづつ高く、そしてぞっとするほど美しくなっていくように感じた。丁寧に説明する内容など全く耳に入らないほど、王子は周りの兵士たちの変化から意識を逸らす事が出来なくなっていたのだ。そして、その理由――不気味さや恐ろしさを感じながらも逃げる事も喚く事も出来なかった訳を知った時、イラキシム王子の美顔は一瞬にして歪んだ。


「ま、要するに……」

「「「「「『何が起きても後悔しない』、と言う貴方からの命令ですよ、イラキシム王子♪」」」」」


 当然だろう、先程まで屈強で勇敢な兵士たちであったはずの者が、あっという間にその姿を美しい黒の長髪、美しい釣り目、美しい顔、美しい姿、忌々しいほど美しすぎる要素の数々に包まれた、シュニーユ・ニュイジブール伯爵令嬢と全く同じ形に変貌させたのだから!



「……あ、あ、あ、ああああああああああ!!!!!!!!!」



 そして、王子は耳をつんざくほどの絶叫を挙げながらベッドから跳ね起き、彼を笑顔で見つめるラルフェや兵士、いや幾人ものシュニーユたちに見送られるように自室から廊下へと逃げ出した。背後で彼女たちの楽しそうな、そして王子を見下すような笑い声が幾重にも響き、そして幾多もの足音が自分の方向へ進み始めた事を気にする余裕など、自室から離れていく彼には全く残されていなかった……。

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