幸福の初夜
「そうか……あの者は婚約者にふさわしい存在ではなかった……そして彼女が、お主の真の想い人と言う事か……」
「はい、お母様……いえ、ヘキサ女王陛下……」
混乱と困惑に満ちた宴が終わったのち、イラキシム王子はこのセクトラル王国に生きるすべての民の頂点であり、自身の母でもある女性が眠る私室を訪れた。そして、どこか自信が見え隠れする表情で事の顛末を報告した。
古くからこの国では、王位継承者が自らの想い人を公の場に紹介する際は準備から本番、兵士の警備に至るまで、よほどの緊急性がない限り全ての責任を王位継承者自身が背負うという規則が定められている。それは逆に言えば、どのような事をしようと王位継承者=王子の自由という事。それに基づき、ヘキサ女王は息子である王子の行う事に一切口を挟まず、静かに見守っていたのだ。例え彼が、当初から決まっていた婚約者を自分の手で犯罪者と見做し、別の女性を正式な婚約者に選んだとしても。
「女王陛下にも、是非あの場面をその目で見て頂きたかった……」
「何を言う、参加するか否か、私に一任させたのはイラキシム、お主であろう?」
「はっ、申し訳ありません……」
丁寧に謝罪をこなす王子の隣で、結果的に彼と思いを遂げることになった、悪く言えば醜いが良く言えば素朴な少女・ラルフェは、緊張と不安の心を隠せない様子で王子の体に隠れながら威厳ある女王の姿を眺めていた。そんな彼女を見て、女王は優しい口調ながらも厳しい内容の言葉を述べた。新たなる女王となる身である者がそのようにおどおどしていては情けない、もっと強い心を持て、と。
そんな彼女の言葉を聞いたイラキシム王子は、まるで噛みつくかのように丁寧な口調で反論した。自身の身分に慣れていない彼女に、いきなりそのような重みは背負合わせられない、と。そして彼は堂々と自身の母の前で新たな女王となる少女の事を事細かに告げた。彼女は皆から醜い、汚いとつまはじきにされ、化粧をしてもあらゆる場所から好奇の目で見つめられると言う辛い日々を過ごしてきた。今からは、そんな可哀そうな彼女を自分がずっと守り通し、誰からも愛される立派で美しい王妃にするのが使命だと感じている、という決意も込めて。
一瞬だけヘキサ女王の眉が動き、まるで息子を睨みつけるような表情を見せていた事にイラキシム王子は全く気付いていなかった。隣でラルフェが複雑そうな、そしてどこか悲しそうな視線を向けていた事にも。
「……イラキシム、その気持ちはよく理解した。私が認めようと認めまいも、全てはお主が決めることだ」
「はっ、承知しております」
「ラルフェ、お主にも異論はないな?」
「は、はい……い、イラキシム様は……」
「もっと大きな声で言ってくれ。近頃耳が遠くてな……」
「わ、分かりました……お、王子は、私の事を優しく見守ってくれますから……!」
懸命に大きな声で言葉を伝えたラルフェに深く頷いたのち、ヘキサ女王は母としての最後の言葉を息子にかける事を宣言した。
背筋を伸ばし、真剣な、しかし純真なまなざしで見つめるイラキシム王子が直後に聞いた文章は、彼にとっては様々な意味で深く心に刻み込まれるものだった。勿論女王陛下、そして母上からの真摯な言葉であることも理由だが、この場に来る直前、二度と聞きたくないあの声と共にイラキシム王子の心を突き刺したものと全く同じ内容だった事である。
何が起きても、決して後悔はしないように。
そんな事、絶対にしませんよ――何かを否定するかのように、イラキシム王子は少し大きな声で断言した。
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「ごめんな、ラルフェ……色々とドタバタしちゃって……」
「い、いえ、大丈夫です……」
女王陛下の私室を去った後、王子はラルフェを自身の豪華絢爛な部屋――これから彼女が何度も行き来するであろう場所へと案内した。そして従者たちを一旦下がらせた後、彼は婚約者をベッドの上へと案内した。心行くまま、新婚初夜の時間を楽しもうと考えていたからだ。例えラルフェの体が汚くても醜くても、自分なら気にすることなく愛することができる、いやそのような事が出来るのはこの国で最も清き心を持つ自分だけだ――少し照れるような表情を見せる婚約者の様子を眺めながら、彼の心はますます有頂天になっていた。
そんな中、なかなか服を脱ぐことがないラルフェの様子を見て、彼は傍に近寄りながらやさしく声をかけた。1人で脱げないのなら自分も手伝ってあげる、と。断ろうとした彼女であったが、旦那として妻の服を脱がすのは当然の権利だ、と豪語するイラキシム王子はしつこく彼女の体を嘗め回すように触れながら服を脱がそうとした。そんな彼を止めたのは、ふとラルフェの口から洩れた気になる言葉だった。
「あの……その、王子、少し聞いて欲しい事があるのですが……」
「ん、何だい?」
「とっても大事なお話なので、その……」
「……あぁごめんごめん、じっくり聞いてあげるよ」
ありがとうございます、と言う挨拶と共に深々と頭を下げたラルフェが告げたのは、王子にとって予想外の言葉だった。当然だろう、姿形は醜くても心はどこでも純粋で正直な存在だと思い込んでいたはずの彼女が、唐突に『隠していた秘密』がある、と暴露したのだから。しかし、そんな事で自分の愛が消えるわけはない、と悦に浸るかのように語る王子は、そのまま秘密の内容を全て語るよう促した。本当に全部明かしてもよいのか、と念を入れる彼女の真意など、全く気付けるわけがなかった。
「僕と君は今日から永遠の仲、ずっと一緒の間柄さ。気にせずなんでも語ってくれ。絶対後悔しないから」
「本当に……本当に……後悔しないんですね……?」
「そうだよ。さあラルフェ、早く言ってくれよ、な?」
焦るかのような声を聞いた彼女は、そっと息を吐いた後、イラキシム王子の傍に近寄りながら告げた。この自分の姿は、『本当の姿』ではない、と。
「……えっ……?」
「イラキシム様、『魔法』というのはご存じですか……?」
「ああ、知ってるよ。この王国の古代史に残る、様々な不思議な力の事……まさか!?」
セクトラル王国に古くから伝わる魔法の力により、私は今の醜い姿に変貌してしまった。この魔術を解いてくれるのは、イラキシム王子のような愛の力を持つ者だ、と古くから教えられてきた。だからこそ、今自分はこの姿を受け入れてくれた王子の目の前で、私は真の姿を晒さなければいけない――それまでのおどおどした姿とは真逆の、真剣かつはっきりとした口調で、ラルフェは自身の身の内を明かしたのである。
そんな彼女の言葉に王子は一瞬唖然としてしまったが、困惑したような瞳で見つめる彼女に気づきすぐ優しい表情に切り替えた。例えそのような事を言われても、未来の王妃であるラルフェに対する愛が衰える事は決してないし、姿形が変わっても、自分はどこまでも真っ直ぐ大好きという思いを伝え続ける、という情熱的な言葉と共に。
「おとぎ話と同じさ。例え君が醜い姿でも、心はどこまでも美しい。そして想い人と出会い、恋を成就させれば、姿も美しく変わる……」
「イラキシム様……」
「ふふ、僕は君と出会えて正解だったよ」
そう王子が述べた直後、突然ラルフェの体が淡く光り輝き始めた。驚く彼であったが、すぐ何が起きるかを察した。愛の力で魔法が解けたラルフェが、ついに本当の姿を見せる時が来たのだ。決して目をそらさないでください、という彼女の忠告の意味を、この時点で王子は全く理解していなかった。いや、理解など出来なかったであろう。今の彼の心の中には、醜い芋虫のような姿であったラルフェが、この世のものとは思えない美しい女性に変貌する光景がまざまざと浮かんでいたのだから。
見た目だけ綺麗で中身は厳しさだけのシュニーユではなく、姿形は醜くても純真で優しいラルフェを婚約者に選んで正解だった――彼の独善的な幸福感が最高潮に達したその時、ラルフェはゆっくりと自身の服を1人で脱ぎ始めた。ドレスを脱ぎ、下着を脱ぎ、更に彼女は自身の外皮まで脱ぎ捨てた。足元にはらりとあの芋虫のような皮が落ちた直後、ラルフェはそっとイラキシムのほうを振り向き、にっこりと微笑んだ。
「うふふ、イラキシム王子……」
彼女の視線に映ったのは、笑顔のまま表情が固まり続けている王子の姿だった。そこには、つい先程まで前進を包み込んでいた嬉しさが一瞬にして凍り付いたと言う感情の移り変わりがまざまざと露わになっていた。
当然だろう、ラルフェが変貌した姿、形、声、そしてその笑顔は――。
「……満足して頂けました?」
――彼が散々罵った挙句犯罪者として追放した『悪役令嬢』、シュニーユ・ニュイジブールそのものだったのだから……。
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