悪役令嬢からは逃げられない

腹筋崩壊参謀

混乱の宴

「シュニーユ・ニュイジブール伯爵令嬢!お前との婚約を破棄する事を、たった今ここで宣言する!」

「……はぁ?」


 長い歴史を有するセクトラル王国の新たな門出を祝う歓迎ムードに包まれた宮殿の宴は、一瞬にして冷たい静寂に包まれた。

 将来この国を治める事になるはずのイラキシム王子の真剣かつ怒りのまなざしを受けたのは、深紅のドレスを纏う1人の美しき女性――彼と結婚し共にこの国を支える運命を担うはずの女性のはずだった、名門貴族・ニュイジブール家の娘、シュニーユだった。あまりに突然過ぎて唖然とする他ないその様子に苛立ちを隠しきれない視線を送った王子は、冷酷な口調で言葉を続けた。とぼけても無駄だ、お前の悪事は既にお見通しなのだから、と。


 周りの貴族たちがざわつき始め、警備にあたる兵士や雑務に携わっていたメイドたちも唖然とする中、シュニーユは呆れ交じりの口調で反論した。当然だろう、彼女にはそんな『悪事』に思い当たる節など1つもないのだ。王子の事を自分なりに愛し、彼の今後を支えていく覚悟を決めていたのに、突然そう言われても訳がわからない――そう断言した彼女を見た王子は、自信に満ちた表情で会場に集まった女性たちの1人を呼び寄せた。ゆっくりと歩きだし、緊張しながらそっと王子の傍に寄り添ったのは、非常に悪く言ってしまうと、シュニーユをはじめこの場にいる誰よりも『不細工』『醜い』という言葉が似合ってしまう、1人のふくよかな女性だった。


「あ、あの、私は……」

「なに、大丈夫。君に与えてきた仕打ちを、いまここで償わせてあげるよ」


 そして、イラキシム王子はシュニーユを睨みつけ、彼女を指差しながら怒りの言葉を叩きつけた。傍にいるこの女性――イラキシム王子が真の婚約者に決めたという、ラルフェという名の貧しき貴族の令嬢に対して行い続けてきた仕打ちの数々を。芋虫のような体格を陰で笑い続けていた、彼女の頬にある醜い痣を罵り続けた、運動が苦手な彼女に過酷な労働を押し付けた、挙句の果てに自分の目の前でラルフェの尊厳を貶すような行為を行った――彼の口から飛び出す糾弾は留まることを知らなかったが、誰もそれを止める事はしなかった。王位継承者というこの場にいる誰よりも高い地位にいるだけではなく、怒りの感情を露にする彼の様子に圧倒されたせいで誰も口を挟めなかったのである。


「はぁ……はぁ……シュニーユ……お前は……このラルフェを散々苦しめてきたんだ……分かったか!!」

「あ、あの、イラキシム様……」


 だが、そんな彼に対し、他の面々と違う視線を向ける者が2人いた。彼がずっと庇い続けていた醜き少女ラルフェと、彼女と対照的に冷たいほどの美しさを見せる令嬢シュニーユである。勇気を振り絞るように恐る恐るラルフェが言葉をかけようとしたが、先に声を発したのは『加害者』として扱われていたシュニーユであった。自分自身が放った怒りで疲れ切った王子の心を突き刺すかのように。


「……それ、本当に私がやったって証拠はあるんですか?」

「……はぁ?」


 真剣な顔でそう述べるシュニーユを見たイラキシム王子は、じっとその瞳を見つめた後彼女を嘲笑した。そうやって証拠はあるのかと告げるのは自分に心当たりがあるという証言そのもの、暴力を振るう側が開き直る常套手段だ、と。そして、自分の親切心に感謝するようまざまざと告げながら、王子は自身が婚約破棄を決めた流れを告げた。


「シュニーユ、お前は知っているのか?このラルフェが自分の容姿の醜さに嘆いていた事を」

「あ、あの……」

「ふふ、ラルフェ、大丈夫。ここは僕に任せて。こんな可愛いラルフェに付け込むかのように、お前はいつもその傍にいたな……」


 それが第一の証拠だ、と自信満々に告げる王子に対し、シュニーユは呆れるような目つきを隠さずに告げた。確かに自分と立場は違うかもしれないがラルフェも立派な貴族の一員、同じ貴族学校で隣に座ったり同じ班で行動をとるのは当然の事だろう、と。だが、そんな真っ当な反論も王子は跳ね除けた。そうやって貧しいラルフェと一緒に仲良くするという『振り』をしていただけに過ぎない――どこからそんな自信満々な推理が飛び出すのか、逆にシュニーユの視線からはちょっとした興味の心が見え隠れし始めていた。


「それで……ほかに証拠というのはあるんですか?」

「勿論だ!お前は幾度となく、ラルファのたるみきった顔を眺めていたな……」


 それがどれだけ彼女の尊厳を傷つけていたか、冷酷非情な本性を隠し続けていたお前には分かるまい、とイラキシム王子は力を込めて語った。その言葉には、どこにも間違いなどないという自信が込められているようだった。その隣で、ずっと庇い続けているはずのラルフェが困惑したような表情をずっと見せ続けている事など、王子は全く気付いていなかった。


「そして何より決定的な証拠はラルフェが階段から転げ落ちた日、芋虫のように這う事しかできなかった彼女を、冷たく見下ろしていたあの日だ!」

「……あぁ、あの時ですか……」


 その言葉を聞いて、周りでじっと傍観していた若き令嬢たちもざわつき始めた。確かに少し前、ラルフェは階段から転げ落ちてしまい、大事には至らなかったものの体に傷を負ってしまったからだ。もう治ったから大丈夫だ、とまるで王子を止めるかのようにラルフェは声をかけたが、逆に彼はそれを聞いて憐れむような目で彼女を見つめた。怪我を負わせた犯人が目の前にいても、もう我慢して庇う必要などない、と彼女を勇気づける言葉を添えて。


「……いや、王子も見ていたでしょう?あの時、ラルフェさんが転んだ原因……」

「ほう、まだ言うか?」

「当然ですよ。あれはラルフェさんが自分のスカートの裾を踏んづけてしまったのが原因でしょう?」


 その言葉に、ラルフェは何度も頷いた。シュニーユの言う事が正解だ、と懸命にイラキシム王子へ伝えようとするかのように。

 そんな彼女を愛おしむかの如く、王子はそっと笑顔を見せた。そのままシュニーユの方に顔を向けた直後、彼は大声で直属の兵士たちを呼んだ。そして、唖然とする顔を一様に見せる会場の貴族や従者たちに向けて、彼は更なる大声でその命令の理由を告げた。シュニーユ・ニュイジブールと言う『犯罪者』を、この場から、この国から、いやこの世界から永遠に消し去るために。


「待ってください!何を考えてるんですか!?」

「決まっているだろう。僕はお前にずっと耐えてきた。僕を支えるための役割を持つはずなのに、やる事なす事文句ばかりという無礼な行為をね」

「自分の事を棚に上げて何を……!?」

「だが、これほどの『悪事』を働けば、僕も我慢できないよ」

 

 流石のシュニーユも、急転直下の事態に声を荒げないわけにはいかなかった。確かに今まで王子に対して厳しい言葉を投げることは多かったが、それは『王子』という立場を弁えずだらしないイラキシムに喝を入れ、この国を治める立派な王子になるための正しい行動だと思っていた。だが、彼は反省するどころかその思いを苛立ちを恨みに変えて心に溜め続け、この場で発散しようとしていたのである。

 無実の者を捕らえるのか、客観的な意見も聞かずに国を動かすのか、自分の考えに酔っているだけじゃないのか――衛兵たちが傍に来てもなお彼女は懸命に自分の無実と王子の心の在り方を訴えたが、勝ち誇った表情を崩さない彼の判断を変える事は最早不可能だった。


「貴方は……貴方は、ラルフェさんを本当に愛してるんですか!?」

「何を今更。僕は彼女を愛しているよ。可哀想な彼女を救ってあげたいという思いと共に、ね」

「そんな独りよがりの考えが、ラルフェさんを苦しめている事に、なんで気付かな……ぐっ……!?」


 衛兵たちが取り押さえる前に、イラキシム王子は文字通り怒りで足を動かし、シュニーユの顔を踏みつけた。まるで自分に近づいた邪魔な『虫』を潰すかのように。


「……貴様のその声で!その顔で!!愛する『ラルフェ』の名を二度と呼ぶなああああ!!!」


 あまりの事態に、周りの貴族たちは勿論衛兵たちも、そしてラルフェも愕然とする中、そっとイラキシム王子は足をシュニーユからどかした。そして、勝ち誇ったような顔で告げた。、最後に反論を述べることを許してやる、とても自分の慈悲をありがたく思え、と。

 その言葉を受け、ようやく顔を持ち上げる事が出来たシュニーユは、何も感情が籠っていない冷酷な瞳を王子に向けながら呟いた。



「……何が起きても、決して後悔はしないように」



 その言葉を最後に、衛兵たちの手により宮殿から去っていく醜く哀れな『悪役』を目で見送ったのち、イラキシム王子はそっとラルフェに笑顔を見せた。一瞬震えるような素振りを見せた彼女に、王子は先程までとは打って変わって優しく滑らかな声をかけた。これで君を脅かす厄介な存在は姿を消した、これからはずっと一緒に幸せになれる、いや僕がしてあげる、と。その言葉には、一寸の迷いもなかった。



「さぁ皆!改めてここに新たな婚約者を紹介しよう!」


 高らかにラルフェの名が告げられた直後、宴はぎこちなく再開した。最初こそ誰もが恐る恐る動き出す有様であったが、暗い雰囲気などあっという間に吹き飛ばすと言わんばかりのイラキシム王子の態度に影響されたかのように、次第にあたりから緊張感はほぐれ、次第に新たなる王女の誕生を喜ぶ声が聞こえ始めた。やがて、まるでシュニールという存在など最初から存在しなかったと言わんばかりに、宮殿の中は祝福に包まれていったのである。


「ありがとう!みんな本当にありがとう!君たちの声を背に、僕たちは立派に国を導いて見せる!なぁ、ラルフェ!」

「え……は、はい……」


 ラルフェが頬を染める理由は間違いなく照れ臭さによるものだ、と言う自分の考えをイラキシム王子は一切疑わなかった。

 直後に見せたラルフェの微笑みもまた、ようやく彼女が悲しさから解放された証だと考えた彼は、目に涙さえ浮かべていた。


 だが、最後にシュニーユが伝えた言葉は、ほんの僅かだけ王子の心に残り続けていた……。

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