第20話 友人・家族の愛
家族の愛
なりゆきの入院中、世界中の神様が総動員された。
まずはお地蔵様、これはわれわれ2人が担当。
四国のひい爺ちゃんは多賀神社参り。
知り合いの高野山の館長さんの祈祷。
大学時代のキリスト教信者の知り合い。
義理の弟のお地蔵さん参り。
神戸のおじいちゃんの住吉神社参り。
各地で祈りが行なわれたのである。
神さま大忙しだ。
家族や友人たちが総出となって、必死に祈っていただいた。
今まであまり会話をしなかった、親戚までが心配になって何度も電話をかけてくれた。
千羽鶴というのを初めて真剣になって、折ったのもこの頃である。
学生時代に学友が病気の時とかに折った事はあっても本当に真心はこもっていなかったが勝手な話、自分の子供の時となったら一枚ずつに裏に「なりゆきが、必ずよくなるように」と祈願文を書いてていねいに折ったのである。
また家族も同様で、みんなが同じ気持ちで折ってくれた鶴が千どころか1500ほど集まったのである。
あと、なりゆきの保育所の先生方、子供たちが折った分をいれるとゆうに2000は越す数であった。
本当にこの時の皆さんに心からのお礼を言いたい。
ありがとう
一羽折れば、そのつど鶴が病気の悪いところを持って行ってくれると妻が言った事を信じて涙をながしながらの作業であった。
※
そして特記したいのは、四国のひいじいちゃんが貰ってきてくれた、多賀神社のお札と「さすり人形」の事である。
お札は大きさはタテ40センチ、ヨコ10センチのもので木でできていて、家の高いところに立てておくものである。
それと小さな紙のお札があってこちらは、患者を見下ろす高い所に、貼っておくものである。
さっそくなりゆきのベットの上に貼った。
「さすり人形」とは、二体あって、紙でできた人形で顔が描いてあった。
一体は送られてきた即日に患者の患部をさすって火にいれて燃やすもの、もう一体はなおるまで、患部をさすり続けて、七週間後に火にくべるようにいわれた。
それを信じて毎日なりゆきの頭から背中にかけて「ようなれ、ようなれ」とさすり続けていたのであった。
そして不思議だったのは、二体目の人形を七週間後家に帰ってに火にくべた時の事である。
普通、紙を火に入れて燃やすとその炎の色は黄色なのに、この時の炎の色はなんと緑色であった。
これは妻といっしょに見たのでお互い「緑の火が出るなんて不思議やなあ」と顔を見合わせた覚えがある。
事実、一体めの人形を燃やした時は普通に黄色で燃えたのである。
長い期間さすって、紙の人形が吸い取ったなりゆきの悪いところが燃えているんだなあという理解の仕方しかなかった。
※
おばあちゃん談話
わたしは入院した日から宝塚の中山寺にお札をもらいにいきました。
それと毎日歩いてる時に、街中で見かける地蔵という地蔵はすべて立ち止まってお祈りしました。
千羽鶴も夜泣きながら折った事を覚えています。
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