第31話 「輪」「MOON」「dass」「cry」が「無駄遣い」の言葉遊びと気付くのに数週間かかった


 ○


「――っていう、ことがあったんだよ」

「あいつ、しょうもないことしやがって」


 翌週の月曜日、食堂。俺はラーメンを、相武はいつものごとくカフェオレを片手に、テーブルに向かい合う。話題のはずみで、この間のアルバイトの時にあったことを話して聞かせるなり、相武は鼻を鳴らして毒吐いた。


「しょうもないこと?」

「お前がいるって分かってるのに、わざわざそんな話をしたんだろ? つまり、来いってことだろうよ。お渡し会の来場人数は、声優にとってのひとつのバロメーターだろうからな」

「そうなのか? ていうか、俺が聞いていい話だったのか?」

「ちょうど土曜日、『女子高生の使い方』の公式Twitterで、既にお渡し会の発表がされてる。そもそも、本当に漏らしちゃいけない話はマネージャーが止めるはずだろ」

「……それもそうか」


 スマートフォンを操作して、『女子高生の使い方』公式アカウントのツイートを遡る。


「ブルーレイ予約特典お渡し会、全三回。8月1日、小橋愛佳、下総玲名。……ブルーレイかぁ」


 8月1日、8日、15日、三週連続開催されるお渡し会の要綱が書かれてあるページを眺め見る。計6人、それぞれのイベントで別キャストが出演予定で、知ってる名前があったり知らない名前があったり、そして、どっちつかずの名前がひとつ。


「徳川葵って、……」


 無言のまま相武は頷く。実際、喫茶店でも、マネージャーからなんどか「徳川さん」と呼ばれていた。


 いままで見て来た数作のアニメの中で、エンドロールに徳川葵という名前が載っていなかったかを思い出そうとするが、特に思い当たらない。

 まぁ、ちょっとダミがかった特徴的なあの声は、聞けばすぐに分かるだろうから、記憶にないということは、そういうことだろう。


「ところで、『女子高生の使い方』ってどんな話なんだ? 漫画原作? 小説?」

「掲載誌は僕も知らんが漫画だな。いわゆる『日常系』というやつだ。キャラの濃い女子高生たちが、ドッタンバッタン大騒ぎ、という感じで」

「美少女版吉本新喜劇、みたいな?」

「……当たらずとも遠からじ、という感じだな」


 アニメのホームページをスクロールして、登場人物を流し見る。公式サイトが紹介するメインキャラは全14人と、声優どころかキャラクターの名前を覚えるだけでもひと苦労かかりそうだ。

 ちなみに、九重の演じるキャラクターは、上から10番目。以前に相武が準メインと悪し様に言ったのもさもありなんか。


「御崎千絵里もそうだけど、九重も高校二年生でアニメのメインキャラをするなんて、おそれいるよ」

「実際のところは一年の時にはオファーされていただろうがな。アニメには制作期間があるからな」

「制作期間?」

「……お前なぁ、アニメが一週間や二週間で作れると思うか? 来週には1話放送しようってアニメを、今月先月に収録する訳がないだろう。遡って考えれば、すくなくとも半年前にはキャストは決まってるだろうさ。ああそうだ、そんなお前にオススメのアニメがある。ちょうどいま劇場版が放映されてるKARABAKOという作品なんだが……」


 つまり、御崎千絵里にしろ九重にしろ、ほぼ声優事務所に所属したてのころにキャスティングされたのではないだろうか。

 実際の業界事情に明るい訳ではないが、それはちょっとしたことではないのだろうか。


「ふたりとも、キャリアがあるからな。ほとんどの声優が、養成所を通って事務所に所属する現状で、それをパスして声優になったくらいだから」


 年季の入った舞台役者がそうなるのならまだしも、まだまだ学生という身分の彼女らが、その例に含まれるというのも、それはそれで稀有な事例のようにも思える。


「……実は九重って、すごいやつなのか?」


 おそるおそる口に出すと、相武は遠い視線をどこかに放り投げながら、かぶりを振った。


「それ、本人の目の前で言うんじゃないぞ。伸びた鼻で、ここから券売機のスイッチを押しかねん」


 しかもそのうえ、時々早退や遅刻をしたり、テストの成績は思わしくないようだが、学校生活をこなしているというのだから、やはりおそるべし。

 今後、九重に接する態度を、すこし改めようと思った。


「で? 行くのか?」

「いや、昼休みもまだすこしあるし、……」

「お渡し会だよ。葵の」

「ああ。せっかく同級生が頑張ってる訳だしなぁ。とはいえブルーレイっていうのは、ちょっと手が出にくいな。まず、アニメを観てからかな」


 視線だけで相武に問い返すと、しかし逸らされて、頬杖を突いた姿勢で、


「ふん……」


 なんとも曖昧な返事を寄越したのだった。

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