第28話 放送前特番では推しの貴重な瞬間を見ることができたりできなかったり
〇
刻一刻と、その時は近づいてくる。
眠気覚ましにと、相武が淹れてくれたコーヒーをちびりちびりと啜りながら、そのおかげでか、目は冴えたままだ。
ここまで迫ってくると、妙なもので不思議と気持ちも落ち着き払っていて、なんども時計を確認することもなく、BS放送が映し出す大自然の風景をぼんやりと眺めていた。
声優、御崎千絵里。来月から始まる『はるかな』の主演であり、高校に通いながら声優業をこなす同じ学校の先輩であり、そして、俺が初めてそれと認識した声優だ。
あの時、校舎の中庭であの歌声が聞こえていなければ。深夜にテレビからあの演技を耳にしていなければ。エンディングのスタッフロールを見ていなければ。
きっと彼女とは学校とすれ違うこともなく、生涯その存在を知ることすらなかったかもしれない。そう思うと、偶然に偶然が重なり、御崎千絵里という声優と出会えたことは途方もない奇跡だろう。
その奇跡のおかげで、いままで知らなかった世界に足を踏み入れ、新しい友人ができて、毎日を楽しく過ごすことができている喜びに、心から感謝したい。
特番を見終わったら、もし彼女に会う機会があったなら――
『遥か彼方に麗しき。7月から放送を開始する、遥か彼方に麗しき。原作小説は発行部数100万部を超える、いろは二歩による人気作。アニメ放送も間近に迫る中、主演声優たちの素顔を直撃してみた』
CMが切り替わり映し出されるのは、なんども見た一枚絵。三人の少女たちが寄り添い合い、遠くを見つめている。
「始まった」
どちらともなく呟いた。
『東京都某スタジオ――』
再び切り替わった次の画面は、アニメではなくカメラによる撮影風景。
「お疲れ様でしたー!」
扉を開いて出てきたのは、快活そうな女性。ナレーションとテロップが、彼女が麗役の声優であることを教えてくれる。
「お疲れ様でぇす」
続いて現れたのは奏役の声優。カメラを見つけるなり、ニカッと笑って手を振っている。
そして――
「お疲れ様です」
最後に現れたのはもちろん、
『枚方遥を演じる御崎千絵里。声優二年目のフレッシュな彼女。けれど、声優になる以前は劇団に所属していて、その演技力は折り紙付き』
先に現れたふたりとはかわって、すこしもじもじしながらカメラの前に立ったのは、声優御崎千絵里。
正面からまっすぐ抜かれたその顔は、まぎれもなく、始業式のあの日、窓際で歌う彼女に違いなかった。
番組の構成は、各声優の趣味やオフの時の姿を映しつつ、実際のアフレコ現場での演技や、関係者からのインタビュー、そして作品やキャラクターへの想いを役者本人の口から視聴者へ伝えるというもの。
例えば、長瀬麗役の葦澤唯であれば、ハンバーガーショップで仲の良い声優との交友を話したり、堺奏役の日高葉であれば、連休になったら必ず徹夜でゲームをして過ごすというような話をしたり。
それから、キャラクターを演じる上で心がけたところ、特に思いを込めたところなどを語り、ネタバレにならない範囲での作品の見所を教えてくれる。
『最後は……枚方遥役の御崎さん。大人びた見た目とはうらはらに、なんと彼女は現役の高校生!』
そして、いよいよ番組も後半に差し掛かった時、ようやく御崎がその画面の中に姿を現した。
現役高校生という謳い文句に嘘偽りなく、とはいえ、さすがにどこの学校に通っているとか、そういったことには言及はしない。
『彼女の趣味は写真を撮ること。お休みの日には、よく近くの公園にカメラを持って出かけているとか』
ロケ地はどこかの植物園だろうか。緑あふれる敷地内を、御崎が一眼レフを構えて歩くのをカメラが追いかける。時々、木や花に向かってシャッターを向けている。
「誰かに見せられるくらいのものではないんですけど……まぁ、その、現像して自分の部屋に飾るくらいは。このカメラですか? これは声優としてお仕事を頂いて、はじめて入った給料を貯めて買いました」
聞こえてくるのは、確かに、学校の中でなんどか耳にした声。そして、始業式の夜に俺を虜にした声。
九重から答え合わせをしてもらっていたけれど、いざその答えを目の当たりにすると、言葉を発することも出来ず、じぃっと食い入るように画面を見つめていた。
「学業との両立……は、やっぱり難しいですね。でも、自分で決めた道ですから、どっち付かずにならないように、なるべく誰にも迷惑をかけないように、頑張っていきたいと思ってます」
テレビの中で、はにかみながらインタビューに答える女性が、(直接的に見知っている訳ではないものの)学校の先輩だという事実に、なんだか妙な気持ちになる。
そわそわするとか、落ち着かないとか、そういう気分ではなく。誇らしいだとか、得意だとか、そういうのでもない。たとえるなら、夕方道を歩いていて、太陽がちょうど水平線に接したところを目撃した時みたいな。ヘンな気持ち。
「声優を志した理由、ですか? そう、ですね……私、中学生の頃は父親の知り合いの劇団に所属していて、なんどか舞台に上げさせていただいている内に、俳優事務所にもお声をかけていただいて」
場所は移って、テーブルの上に用意されたケーキと紅茶、その向こう側に御崎。窓から見える風景から察するに、植物園併設のカフェだろうか。
言葉を選ぶように、時々伏し目がちにタンブラーを口に運びながらインタビューに答えていく。
「そうして、とあるドラマにも出演させていただいて、その時の監督に、すごく声をお褒めいただいたんです。それが、ずっと心に残っていて。高校に進学してから、」
と、そこで言葉を切って、なんどか口を開閉させる。それから、二、三度タンブラーの縁を舐めるように紅茶を飲んだ後、
「声優をやってみたい、と思うようになったんです。それを両親に相談したところ、すごく反対されてしまったんですけど。お父さんは、私に女優になってほしかったみたいで……でも、最終的には認めてくれて」
両手で包み込むように抱えていたタンブラーを置くと、うつむきがちだった顔をぐいと上げ、カメラを真っ直ぐに見据え――まるで、画面越しに目が合ったのかと錯覚するくらいだった――、深呼吸ひとつ、その透き通った声を発する。
「だから、いつか両親が、わたしが声優で良かった、って言ってくれるくらいの役者になりたいと思ってます。それから、いままで私を支えてくれた人に、すこしでも恩返しができたらな、とも。それはもちろん、演技をしていただいたお金で、両親に金銭的なお返しをするとかもそうなんですけど……」
御崎は、ちょっと曖昧な笑みを浮かべ、
「ちょっと、生意気ですよね……」
恥じ入るように、そのまま言葉を濁してしまった。
そしてふたたび場面は変わり、最初に三人で登場していた場所、すなわちどこかのスタジオの中へ戻ってくる。
『実際に声優になって、どうですか?』
その質問に、御崎は困ったように眉根をひそめる。
「ちょっとだけ、思ってたのと違う……というと、すこし語弊がありますけど、自分で選んだ道ですから、誠心誠意、頑張っていきたいたいと思います」
そう言って深々と頭を下げると、踵を返し、扉に手をかける。
『本日はありがとうございました』
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