第26話 姉弟で声優している声優といえば?


 〇


 俺があんまりにも気が気でない様子だったもんだから、相武もいよいよ鬱陶しそうに、


「下でなにかテレビでも観てるか」


 と、提案をしてくれた。


 頷いて、立ち上がった相武の後ろを、抜き足差し足でついていく。


 相武が言った通り、深夜のリビングはすっかり明かりも落ちて、物音といえば、時々冷蔵庫が発する、ぶぅんと音以外は、自分たちの足音のみ。


「そういえば、僕もこの時間に下に降りてくるのはあんまりないな。アニメが始まるのは、だいたい日が回ってからだから」

「俺もこの時間はだいたい仮眠してるから、テレビ観たことないな」

「仮眠?」

「夜更かしすると朝起きれないということを、俺は学んだからな」


 実際、いろいろとチャンネルを回してみても、放送されているのは深夜バラエティくらいのもの。かといって、俺も相武も芸能関係には疎いから、どれもいまいちピンと来ない。

 毒舌家のニューハーフと三枚目アイドルが世の中の出来事に物申す『金曜日は夜更かし』をぼんやりと眺めている内に、ようやく時計の針がてっぺんを指し、くあとあくびが漏れる。


「すまん、相武……もし俺が寝たら、その時は……」

「任せろ。翌朝、たっぷり感想を語ってやるから」

「鬼かお前は」


 深夜に近づくにつれ、心なしか相武が元気になっていっているような気がする。


「だいたい、お前も深夜アニメを見るんだったら昼の生活は捨てろ。二兎追うものは、というやつだ」

「録画じゃダメなのかよ」

「はぁ。お前は分かってないな。アニメというのは、確かに録画をすればいつでも見られるし、なんだったら、動画サイトで配信さえされている。いつでもどこでも見られるからこそ、リアタイ視聴することに意味があるんだろうが」

「うーん?」


 分かるような分からないような、筋が通っているような通っていないような。あるいは、もっともらしい詭弁で煙に巻かれているだけなのか?


 言い返そうとしたその時、不意に、玄関の方から鍵を回す音が聞こえて、思わず言葉を飲んだ。こんな時間に、いったい何者か――というのは、問うまでもなく、


「ただいまー。あれ、電気点いてるじゃん。お母さん、起きてるの?」


 相武のお姉さんに違いない。扉越しの声はずいぶん疲れているようにも思える。

 時計を見やれば、時刻はてっぺんを回るちょうど直前で、さもありなん。

 扉を開けて入ってきた相武姉は、リビングのテレビの前で座る俺たちの姿を捉えて、じろりと睥睨するなり、深々と溜息を漏らした。


「ちっ、さすがにもう帰ってきてるもんだと思って油断した」


 苦虫を千匹噛み潰したような顔で毒吐く相武と、


「なんであんたこんな時間に降りてきてんのよ」


 忌々しげに眉根を寄せて、それに答える相武姉。


「僕が何時にどこにいようと勝手だろ」


 やはり、姉弟仲はよろしくない様子。


「あたし、結構疲れてるから、うるさくしないでよね」


 相武姉が、ちらとこちらに視線を投げかける。首をすくめて会釈をすると、小さく鼻を鳴らして、廊下を引き返していく。

 どん、どん、とくたびれた足音が階段を上っていくのを聞き届けたあと、どちらともなく目を合わした。


「見苦しいところを見せたな。まぁ、顔を合わせると、いつもだいたいあんな感じだ。姉さん、オタクが嫌いなんだよ」


 なんてことを、てんとした表情で言い放たれてしまっては、俺もそれ以上追求するでもなく、黙って頷くほかない。


 なんとはなしに会話も少なくなって、それでも時間は流れていく。夜が更けるにつれ、テレビから流れてくるCMも、アニメのDVDやオープニングソングの広告が映り始め、その中には、始業式の日に聞いた『このおん』のエンディングも。

 深夜アニメの楽曲は、声優が歌唱しているものも少なくない。俺がいままで見てきたアニメにも、主演声優陣が代わる代わるボーカルを担当するものがいくつかあった。


「声優って、歌も上手くないといけないんだな」

「キャストを起用する際のひとつの判断材料ではあるな。珍しい例だが、オーディションの条件に楽器経験者であることが求められたこともあったらしい。そのアニメは、小学生の女の子三人が、スリーピースロックバンドを組むアニメなんだが……」


 テレビ画面では、ステージの上でひとりの女性がマイクを持って右へ左へ動き回りながら、高らかに歌い上げるライブパフォーマンス映像が流れている。

 一見、歌手かと見紛うほどだったが、CMの最後に、TORAKOという名前がアナウンスされて思い直す。


「TORAKOって、確か九重が……」


 と、相武に話題を振ろうとして、思わず画面にもういちど目を戻した。


 そこに映る女性に、確かに見覚えがあったから。


 どこかで聞いたことがある、とか、聞き覚えがある、というのは(それがデジャビュということもしばしばあるとして)、俺にとって別段珍しいことではない。けれど、見たことがある、というのはごく稀だ。

 どこで見た顔だったかしら、と最近見たの街頭CMや地下鉄の広告を頭の中に思い浮かべている内に、


「あれ、っていうか……いや、そんなまさか……」


「写真」を「先週」見たとか、「プロモーション動画」を「昨日」見たとか、そんなレベルではなく――


「こんなことを聞くのは、それこそお前にオタクの妄想だとか鼻で笑われそうなのを承知の上で、ちょっと質問があるんだが……」

「…………」


 おそるおそる相武に水を向けてみるが、その視線はテレビ画面を見つめたまま、微動だにしない。


「その、いま画面が映ってたTORAKOという声優を、俺は、いまさっき、そこに会わなかったか?」

「……………………」


 気が動転するあまり、我ながら支離滅裂な言葉を吐いている自覚はあるものの、俺の問に対して相武は、たっぷりの沈黙とたっぷりの溜息、それからたっぷりの気鬱さを込めながら、


「そうだよ」

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