第25話 オタクをするにはBS放送の契約が望ましい


 〇


 茫然自失の体だった相武も、昼休みが終わる頃には正体を取り戻していた。しかし、今世紀最大レベルのドヤ顔をかましてしまったもんだから、バツが悪そうったらない。

 俺としてはそこまで気にしていないが、まぁ、本人のプライドの問題でもあるだろうから、触らぬが吉。向こうから話しかけてきてくれるのを待った方がいい。


 そんなふうに思っていると、放課後、今日はさっさと帰ってしまおうと鞄を手に取った時、


「お前、家にBSは引いてるのか」

「いや、どうだろ……」


 曖昧に答えてみたものの、家族の誰かがBS放送を観ているところなんて、いままでいちども目にしたことはない。


「特番、BSだぞ」


 そういえばそうだった。契約していない、とは断言できないが、かといって映らなかった時、特番を観るためにBSを通してほしいと両親に頼むのはちと苦しい。


「散々馬鹿にした詫びと言ったらなんだが……当日、僕の家に観に来るか? 嫌なら別に構わないが……」


 しおらしい相武というのもまた珍しいものを見た。けれどその申し出はとてもありがたい。渡りに船だ。


 ――という訳で、


 6月27日前夜、俺は相武家の呼び鈴を鳴らしていた。


「いらっしゃい。まぁ、上がれよ」


 学校で見るのと寸分たがわぬ格好の相武に迎え入れられ、緊張しいしい靴を脱ぐ。

 相武の先導に従って廊下を歩くが、妙なことにほかの人の気配を感じない。


「ご家族の方は?」

「父さんは仕事。母さんは晩飯の買い物。あとは、……姉さんも仕事」


 学校が終わって、いったん家に帰って支度を整えてから来たため、現在の時刻は午後7時を回ったところ。特番は翌1時からだが、あんまり夜分遅くに訪ねるのも迷惑に違いないから、早め早めの集合である。

 そうすると、相武の方から夕食をご馳走してくれるとありがたい申し出を受けて、はじめは遠慮したものの、相武のお母さんがすっかり乗り気だということで、ご相伴に預かることになった。


「へー、お姉さんいるんだ」

「……まぁ」


 なんだが相武が言い淀む。もしかすると、あまり姉弟仲が良くないのかもしれない。気まずい空気になってしまう前に、話題を変えてしまおう。


「あ、これ、うちの家から。つまらないものですが」

「悪いな」


 なんてやりとりをしながら、二階にある相武の部屋に招かれ、扉を開くと、


「おおっ、すげーな」

「興味があるんなら、好きに読んでいいぞ。漫画はそっち、ノベルスはあっち」


 まず目に飛び込んできたのは、俺の背丈よりも高い本棚。もちろん中にはぎっしりと書籍が詰まっていて、いずれも漫画やライトノベル。


「そっちは、ブルーレイだとか色紙だとかだから、あんまり触らないでくれ」


 右に振り向くと、同じような棚がもう一台。いろんなものが几帳面に並べられていて、ちょっとした博物館みたいだ。


「これ、みゅーポンのサイン?」

「そうだ。この間の徳島であったサイン会のやつだ」

「徳島って、ラーメン食いに行ったんじゃなかったのか?」

「バカが。だれがそのためだけに徳島くんだりまで行くんだ。いやまぁ、ラーメンもお目当てのひとつでもあったが」


 ぐるりと部屋を見渡してみて、雑多ながらも整頓された部屋模様はいかにも相武らしい。が、あるものが無いことに気付いて、


「あれ、そういえばテレビは?」

「テレビはリビングだ。夜になれば、みんな自分の部屋で寝るから、番組が始まる時間になったら下におりるぞ」


 すこし前まではあったが、蔵書やグッズが増えていくにつれて、置き場所が無くなってしまい捨ててしまったらしい。


 それから、しばらくもしない内に階下で人の気配がして、ご挨拶に向かうと両手に買い物袋を提げたお母さんだった。相武とはまるで対照的に朗らかな人で、いったいなぜ相武はこんなに気難しいやつなんだろうと疑問が浮かぶ。しかし、その答えは、すぐに分かった。


 夕食を支度してもらっている最中に帰ってきたお父さんは、「いらっしゃい」とだけ言うなり、すたすたと自室の方へ歩き去ってしまった。


「ごめんなさいね。お父さん、あれでも歓迎してますの」

「愛想の悪い親父で悪いな。偏屈なんだ」


 お前が言うか、という言葉をぐっと飲みこんで、曖昧に頷いておく。


 七時を回ったくらいになって、ダイニングテーブルの上に色とりどりの料理が並べられていく。寡黙なお父さんを補って余りあるほどのお母さんの口数に圧倒されつつも、出来立ての料理に箸を伸ばす。


 食卓には、俺と相武、そしてお父さんとお母さんの四人。なんてことぼんやり考えていたのが表情に出てしまっていたのか、お母さんが困ったように眉をひそめながら、


まれには、だいたいこの時間はまだお仕事なんですの。あの子ったら、せっかく越尾くんが来てくれてるのに」


 やはり相武はお姉さんのことについてはあまり言及したがらないが、お母さんの方がなにくれと話をしてくれる。


 曰く、稼ぎはかなり良い方らしい。

 曰く、ずいぶん忙しい一方で、平日の日に家でいることもあるらしい。

 曰く、全国各地へ行くこともあり、そのたび風変りなお土産を買ってくるらしい。


 仕事といえば、父親のサラリーマンと、母親が時々やっているパート、それから地元のじーちゃんばーちゃんの農家くらいものしか知らない俺からすれば、いったい相武姉がどんな職業なのか、まったく想像もつかない。

 気にはなるものの、人様のお宅の事情をずけずけと聞くようなものでもない。


 夕食を御馳走になった後は、再び相武の部屋に戻って、本棚の漫画を手に取ってみたりして時間を潰そうとするも、どうにも落ち着かない。もともと集中力の良い方ではないから、ページを一枚手繰るたびに、ちらちらと時計の方に視線をやってしまう。


「落ち着かないやつだな。僕の方まで、なんだかそわそわしてくるじゃないか」

「仕方ないだろ。楽しみなんだから」


 時刻は午後11時に差し掛かろうというところ。食事を終えてから、長針の針がようやく二周したばかり。特番の始まる時間までにはまだまだある。

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