初めて推しに会った日のことは忘れられない

アニメ放映前特番

第24話 推しのRT通知で定期的に通知欄がいっぱいなるあるある


 〇


 御崎千絵里は、やはり彼女に違いなかった。

 例の喫茶店で九重とコーヒーを飲んでから、一ヶ月。しかしその間に、学校で彼女と出会うことは、すれ違うことは、放映中のアニメでその声を聞くことすら、ついぞなかった。

 一方で、7月から放送が開始する夏アニメの告知は、どんどん本格化していく。


 焦れったい気持ちばかりが、いやがうえにも高まっていく。


 休み時間ごとにスマートフォンを取り出してはTwitterを眺め、なにか新情報がないか、あるいは、彼女が日常のつぶやきをしていないか、ついついチェックしてしまっている自分がいる。


「夏アニメ、もうすぐだな」

「そうだな」

「オススメは?」

「本命は『はるかな』と『延々と救急隊』の2期。次点で『桁溢れ』『dandyism the great』、対抗が……」

「みゅーポンのアニメは?」

「まぁ、ぶっちゃけ内容が僕好みじゃない」


 昼休み、いつものように相武と連れ立って食堂へ行き、おろしすだちうどんを平らげた後も、ぼんやりとスマートフォンの画面をスクロールしながら、話半分に夏アニメの話題。


「ボクのオススメはー、『女子高生の使い方』かなー?」

「お前、自分が出てるアニメの宣伝してるだけだろ」


 九重がいるのもすっかりいつもの光景だ。しばらくは収録がないようで、ここ最近は一緒に昼食を摂ることが多い。食事メニューはだいたい菓子パンを三つと牛乳で、小さい体のわりに食べっぷりが良い。


「夏アニメ、九重出てるのか?」

「春アニメだって出てるよ!」

「いやだって、芸名どころか出演作も教えてくれないんだから、観ようがないだろ」

「来季はなんと主役だかンね! しゅ・や・く! 女子高生モノに、本物の女子高生を起用するなんて、なかなかオツな采配だよね」

「主役なのか。すごいな!」

「あまり買いかぶるなよ越尾。12人いる女子高生のうちのひとりだ。それも、原作だとあまり出番もない」

「でも、人気はあるって、原作者サイドの人が言ってたし!!」


 その後も、相武と九重による夏アニメの討論会は続く。なになには制作会社がどこそこだから、作画が良さそうだとか、どれどれは音響監督がだれだれなので、期待できるだの、いまの俺にはほとんど分からない会話でふたりが盛り上がっている。

 意外に九重もオタク気質だし、ふだんはお互い邪険にしあってくせして、なんだかんだで仲が良い。


 話題はやがて、『遥か彼方に麗しき』へ。俺はもちろんのこと、相武も原作ファンとして期待している作品であり、そして九重もまたすこし興奮気味に体を揺らしながら、


「『はるかな』って、TORAKOさんも出るンだよね! ボク、すっごい楽しみ!」

「TORAKO? えーっと誰だっけ」

「うわっ、知らないの!? にわか乙!」


 文脈から推測するに、声優であることは間違いないだろう。記憶の糸を手繰り手繰りしていると、


「今季なら、『このおん』や『逆流性トリリオンアルトリウム』に出てるし、『現実世界チート雀士』のオープニングを歌ったりもしてる。来月にはライブもあるし……まぁ、歌って踊れる大人気声優ってやつだ」


 声優のことを語っているというのに、珍しく相武がいまひとつぱっとしない表情で訥々と語り出す。

 指折り挙げていくほかの出演作を聞くに、どの作品でも主役を担当していて、中には、むかしなんどか目にしたことのあるアニメのヒロインとしても出演していた。


「えらいテンション低いな……もしかして、男性声優か?」

「馬鹿が。一片の瑕疵もなく、間違いなく、紛いもなく女性声優だ」


 ふんと鼻を鳴らすと、相武はカフェオレのストローを口にくわえたまま、そっぽを向いてしまった。

 首を傾げていると、さっきよりも体を大袈裟にゆさゆさ揺らして九重が、嬉しそうにはにかみながら、


「TORAKOさんっていうのはね、ボクが声優になろうって思った憧れの人!」

「へぇ。そういえば、九重って、もともと子役志望なんだっけ?」

「ボクが目指してたって訳じゃないけどね。お父さんが演劇好きで、知り合いの劇団に入れてもらってたンだ。もちろん、そっちもそっちで楽しかったし、俳優事務所にも所属させてもらってたし……」


 以前、みゅーポンのお渡し会の後、九重と喫茶店でコーヒーを飲みながらいろいろと喋っていた中で、九重の意外な経歴について言及していた。子役を五年間、それから、高校になって学年が上がるタイミングで声優に転向した、とは聞いていた。


「でも、中学三年生の時に、偶然観たアニメが衝撃的で! その時期ちょうど、役者としてこのまま進んでいくのか、それともふつーの高校に進んで大学に行って、っていうふうにするのか考えてたから……ああ、こういう演じ方もあるンだな、って感動して!!」


 九重が犬だとすれば、ぶんぶんと振り回す尻尾が見えそうなくらいに楽し気に話す一方、視界の端に移る相武は、それに反比例するようにどんどんげんなりしていく。


「それでそれで、こんなふうにボクも演じてみたい、自分を表現してみたい、って感じで、TORAKOさんはボクの憧れの人だったンだけど、なんとなんと……」

「葵! 声が大きい。別にお前が声優だって周りに知られるのは構わないが……」


 これまた珍しく、相武が声を荒げて九重を制した。そんな相武の態度を見て、かといって九重は驚くこともなく、いたずらを咎められた子どもみたいに舌を出して、ごめんごめんと謝るばかり。


「どうせ、そのうち越尾も知ることになるんだろうから、わざわざ教える必要も――」


 と、その時、


 ピコン、ピロン、ピロリロリン、と三者三様、三つのスマートフォンが同時に鳴った。メッセージの着信音ではないし、そもそもこの三人が共通して入っているグループもない。

 Twitterの通知音にしても、この三人の共通項というのは意外に多くない。初めに思い当たるのは、


「『はるかな』、アニメ直前特番だってさ」


 いちはやく画面を開いた相武が、Twitterのページを見せつけながら言う。


「へー! そんなのもやるンだ! どんなのどんなの?」


 九重にすこし遅れて、俺もスマートフォンを手に取って、同じ画面を表示する。


「『主役三人への密着インタビューや、共演者・スタッフへのインタビューを通じて、 彼女たちの演じるキャラへの想いを紐解いていく。そして彼女たち三人の素顔を通して、本作の魅力をお届けする放送直前特番が、2020年6月27日(土)にオンエア決定』……」


 すなわち、これの意味するところは、御崎千絵里がキャラクターとしてではなく、本人として登場するということ。ぞくりと総毛立つような感覚。


「このテの特番は番宣としてよく打たれているが、地上波でするのは、金も手も結構かかってるな」


 ありがちなものでは、動画配信サイト上で、キャスト陣によるちょっとした生放送だったり、とも補足してくれる。


「しかし、これでお前の妄言も白日の下に晒されるという訳だな。いままでメディアに露出もなく、Twitterにも中途半端な後ろ姿しか映していない御崎千絵里が、動画として放送される訳だからな」


 底意地の悪そうなドヤ顔を披露する相武だが、その件については実は相武の預かり知らぬとこりで、既に落着していて、それを相武に伝えるべきなのかを逡巡していると、


「妄言って?」

「俺が、御崎千絵里が、俺たちの先輩じゃないかって言ってた話」

「そうだ、その話だ! オタクならだれしもいちどは夢に見る妄想だ。Vチューバーの中の人が、自分の知り合いだったら、とか、その類と同じ下衆の妄想だ!!」

「その理屈だと、ボクは下衆の妄想の産物ってことになっちゃうじゃん!」

「……ごくごくまれに、葵みたいな例外もあるが、あくまでそれは例外だから、不埒な夢を見るな、と僕は越尾に伝えたくってだな」

「それに、実際、御崎千絵里さんは、大澤先輩だよ  特別科三年の、大澤美咲先輩」

「え」


 その時の相武の顔は傑作だった。ただでさえ、ふだんは眼鏡の奥で仏頂面の顔色が、意地悪げに笑ったり、九重の反駁を受けて渋くなったりと千変万化だったのに、その挙句に晒した表情は、俺も九重もたまらず噴き出してしまうほどだった。


 まずはじめに、鳩が豆鉄砲を食ったようにきょとんと目を丸くして、


「だから、ボクたちの先輩に、ボク以外にも声優がいて、」


 続けて、狐につままれたみたいに、訳が分からないとばかりに小首を傾げ、


「それが、『はるかな』の遥役。本名は大澤先輩。ほら、ボクたち三人で廊下で喋ってた時に、横を通り過ぎてった人。あの時の越尾クンの顔も、ケッサクだったけどね」


 最後に、あんぐりと口を開けて、俺と九重をなんどか交互に見比べた後、喉からひり出すように呻き声を上げたのだった。


「そマ?」


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