第20話 ブルーレイの特典で周回する人も中にはいるよね


 〇


 日々というのは、意識しなければまたたくまに過ぎていく。

 遠くの景色にばかり見とれていると、足元の小さな花を踏み潰してしまう、なんて切なくも美しい喩えをしたのは、どこの詩人だったかしら。


 ……まぁ、俺の場合は、足元の石にけっつまずいたんだけど。


 みゅーポンのお渡し会と、夏アニメのことばかりを気にしすぎて、間近に迫っていた中間テストを疎かにしてしまっていたというだけのハナシ。


 なんとか赤点だけは回避したものの、さすがは進学校、次はノー勉ではおそらく助からない……。


 一方、深夜アニメを見るために毎日夜更かしをし、授業時間を睡眠時間と言ってはばからない相武はどうだったかというと、全教科八割マーク。

 むろん塾に通っている訳でもないし、友達の少ない(!)相武が、だれかに授業ノートを借りられる訳でもない。


 あんぐりと口を開けて相武のテスト結果を眺めていると、


「学校のテストなんてのは、授業をきっちり聞いていれば100点が取れるようになってるんだよ。馬鹿なやつらは、わざわざ板書をしなきゃならんが、僕レベルになれば、一回聞けばだいたいは覚えられるんだよ」


 なんて、ありがたいお言葉まで頂戴する始末。


 いや授業中いつも寝てんじゃん、というツッコミを入れる余地すらない。


 ちなみに、その相武にいつも馬鹿呼ばわりされている九重はどうだったかというと、まぁ、実際馬鹿で間違いはなかった。


 科目の内半分が赤点。しかも字が汚い。小文字のaがdに見えるという理由でペケをもらっている箇所があるくらいだし、それから回答を平仮名で書いて減点されているところもあった。

 そんな惨憺たる結果だというのに、なんと日本史に限っては八十点を超えているという摩訶不思議。難しい歴史上の人物の名前もしっかり漢字で書けている(ただし、字は汚い)。


 勉強に対する危機感をすこし持ちつつも、かといって、すがさま授業態度や自学自習の姿勢に反映される訳でもない。

 今日も今日とて一週間が終わり、週末がやってくる。


 いつもの週末は、昼間は録画したアニメを観ることが多いが、今日はそんなことをしている時間はない。


 以前、相武に誘われたお渡し会の当日である。


「相武、今日もキメてきてるな……」

「推しにみっともない姿を見せる訳にもいかないからな。着飾るつもりはないが、せめて最低限の身嗜みというやつだ」


 整髪料で整えた前髪を気にする相武というのは、いささか奇妙ですらある。この間なんか、どうすればそんな寝癖が付くのか、というくらいの有様で教室に入ってきたというのに。


「前も言ったと思うが、今回のお渡し会は、店舗でキャンペーン中の原作小説に付いてくる。券がなくなるということは……まぁ、考えにくいが、店舗イベントだから、多くもないからな」


 そういう訳で、お渡し会の時刻は午後三時からだというのに、俺たちは朝十時前に集合し、開店と同時に入店。こんなことしてるのなんて俺たちぐらいじゃないのか、と思いきや、意外にも、同じように文庫を手に取ってレジに向かう人がちらほら。


「あれ、今回は周回しないのか?」

「参加券の注意書きを読んでみろ。おひとり様一回に限るって書いてあるだろ」


 ラミネート加工されたお手製の参加券を裏返してみると、細かく諸注意がびっしり書き記されている中、目立つように「おひとり様一枚限り」の文字。


「でもこういうルールって、こっそり破れたりするんじゃないか?」

「そういう悪いオタクがいないことも否定はしないが、……とはいえ、お渡し会でそんなことをしようもんなら、関係者に見つかってツマミ出されるのが関の山だ」


 周回不可のイベントは必ずその注意書きがあり、逆に言えば、書いてさえいなければ、一見周回出来なさそうでも、意外に周回できるとも教えてくれる。


「そういえば、みゅーポンともうひとり、今回のお渡し会の演者、『はるかな』の主演のひとりだぜ」

「ええっと、ピンクの髪の方? 緑の方?」

「ピンクの方。葦澤唯だ」


 御崎千絵里が主演を務める『遥か彼方に麗しき』、通称『はるかな』は、原作漫画を相武に借りて読み進めている。

 家庭に事情を持つ遥、奏、麗という三人の少女が、それぞれ悩みながら、助け合いながら学校や日常生活を送る物語で、御崎は遥役として出演する。


「あの作品を、果たしてワンクールでどこまでアニメに落とし込めるか。もはや主演陣の演技にかかってるといっつも過言じゃないな」

「お前はみゅーポンの出てるアニメを応援するんじゃないのかよ」

「応援する作品が、好きなアニメが、いくつあってもいいだろうが。それに……みゅーポンが出る作品は、僕もあんまり知らないからな」


 俺と相武が一冊ずつ購入した小説の名前は、『フェムト・アト・コンバース』。よく見れば、ふたり揃って1巻目を買ってしまっていた。


「どっちか2巻を買えばよかったな。それだったら、お互いに交換しあって読めたのに」

「馬鹿が。いまから読むんだよ。お渡し会まではまだ時間があるし、せっかくアニメのお渡し会なんだから、演者もそっちの方が嬉しいに決まってるだろ」


 確かに一理ある。

 が、いくら時間があるからといって、いまから小説を丸々一本読むなんて、なかなかの苦行ではあるまいか?


 教科書を読んでいるだけで眠くなってくるし、相武に借りた漫画だって一冊読むのに一日を費やさなきゃならない文字嫌いの俺が、果たして文庫本を一冊読むなんてことができるのだろうか。


「い、いや、俺は遠慮しとくよ」

「うるさい。僕だって正直言えばあまり気が乗らないんだ」


 恨みがましい目を向けられ、不承不承頷く。


 近くの喫茶店でコーヒーを頼み、背筋を伸ばして気を引き締め、読書に臨んでみたものの、

 結局、半分も読めないまま、僕の意識はテーブルの上に落っこちたのだった。

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