第16話 吾輩は声優である。サインはまだない


 〇


「いるじゃん! 同じ学校に!! 現物が!!!」


 衝撃の発言をしたのち、九重はぴょんと椅子から飛びあがると、

「ボク、このあと収録だから!」

 とだけ言い残して、呆然とする俺と辟易とする相武をほっぽり出して、学校を後にしてしまった。


 稲妻に打たれたようにしびれる体でなんとか親子丼を平らげると、そそくさと逃げ出そうとする相武の襟首えりくびをつかみ、なるべく人気のないところを探して連れ出した。


「うるさいな。そりゃ、家の庭を掘ったら、油田にぶち当たることもあるだろうさ」


 以前には、あれほど嫌悪感のある目を向けていたのに、そんなものは妄想だと真っ向から否定しにかかったというのに、いまや完全に開き直っている。

 腹が立つ訳ではないが、なんだか釈然しゃくぜんとしないわだかまりを感じて、たまらず声を荒げてしまった。


「……さっきふたりで喋ってた内容からすると、相武はずっと知ってたってことか?」

「前にも言ったが幼馴染だしな。……あいつがアニメに詳しかったり、声オタをやってる僕に否定的でないのも、まぁ、そういう訳だ」


 観念したように、九重葵という人物の経歴やプロフィールを白状し始める相武。

 小学校の頃は劇団に所属していて、子役を演じていたり、

 テレビに出演した経験もあったり、

 しかし、高校入学のタイミングで声優を志すようになったり。


 とにもかくにも、九重葵という同級生は、声優に間違いなかったのだ。


「とはいえ、いかにこの学校が芸能やスポーツ関係者がいるにしても、いかに葵が無名の新人声優だとしても、あんまり吹聴ふいちょうして無用の混乱を生むのも望むところじゃないからな」


 ばつが悪そうに頭をかきかき、隠していた理由を話すが、もはや俺の興味はそんなところにはない。


 我ながら興奮気味であることを自覚しながらも、それを抑えようともせずに、一歩相武へと詰め寄り、


「お、幼馴染が声優って。それなのに、どうしてそんなにドライというか、興味なさげなんだ? らしくもないというか……」


 相武が声優オタクで、柚野みゅーという女性声優を筆頭に多くの声優に夢中になっていることは今更言うまでもないことだ。

 しかし、いまの相武の口ぶりから察するに、九重のことは特別気にかけていないようにも思える。


 近しい間柄の人間が、――俺でさえも同じ学校の生徒だというのに、いわんや相武は幼馴染である――そういう立場にあって、どうして相武は平静でいられるのだろう。


「ん、ああ。なんで葵を推してないかって?」


 やはり相武は極めて平然とした様子で、いよいよ退屈そうな具合に、


「幼馴染が声優って、かえって萎える。それにあいつウザいし」


 と、一言のもとに切って捨てた。


 声優オタクも、いろいろと複雑のようだ。


「……まぁ、もしもお渡し会でもするんだったら、一応は義理として行ってやらんでもない。あいつの方が迷惑がるかもしれないが」


 もうこの話は終わりだ、とばかりに手を振って相武は歩き出す。


 しかし、すぐになにかを思い出したように足を停めて踵を返し、


「そういえばお前、アルバイトとかは決めたのか?」

「いや、特になにも。やってみたいとは思ってるけど」

「お前がみさきちを推していくなら、しばらくは大丈夫だとは思うが、金は貯めておいた方がいいぞ。場合によっては、地方や遠方でお渡し会が行われる場合もあるし、この間の僕のようにCDを積むケースもよくあるからな」

「あ、ああ。ありがとう」


 親切な相武のアドバイスに、しかし、俺は生返事で応えることしかできない。

 同級生が、友人が、九重葵が声優であったという事実に、すっかり頭をやられてしまっていたのだから。

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