第15話 「あはははは」の「は」のあとは息を吐きだす感じで発音する
〇
その時の九重と顔といえば、なんというか、
とっさに相武の方にも視線を投げると、
「そ、そそそ、そそ、そんな訳ないだろう!? せ、声優が同じ学校なんていうのは、前にも言ったが、も、ももも、妄想でだな……」
いつにないくらいの慌てぶりを示していて、しかし、あんまりにも演技じみた
「」
九重の方は、ほぼ完全な無。悟りを開いていらっしゃる。その目はどこを見るでもなく遠くを見ていて、パンを入れた口はもぐもぐ動いている。
が、じーぃっと見ていると、それはただただ、なんども
ちなみに視界の外では、相武が劇画のようなうろたえっぷりで、それもそれで面白い。
やがて、あごの動きも止まり、こんどは口角がひくひくと動き出す。ちょうど猫の鼻たぶが震えるみたいに、
「………………ぷ」
ぷ?
九重の唇が、大きく膨らんだ。そして、
「ぷふぅ――――――――!!!!」
九重が、――
幸いにも、直前に口の中身は飲み込んでいたようで、宙を舞うのは霧状の
世界がスローモーションに見える。
九重の口から放たれた唾液の
厚生労働省の発表によれば、くしゃみのしぶきは2mの飛距離を有するというが、さもありなん。まるで散弾銃の弾丸のように猛然と突き進む。
その勢いの向かう先には、
「あっ」
ぺしゃっと。
相武の顔に、大量の唾が噴きかかった。
「………………き」
き?
「きったね――――――――!!!!」
「あはははははは! だって、だって! 侑真が、侑真が!!!」
顔どころか、前髪の先や首元までしずくに濡れた相武が立ち上がり、九重に食ってかかる。
他方、九重は相武を指差しながら、反対の手でお腹を抱えながら、体を
「だって、だって、だって、だってぇ!!!!」
相武の慌てようがよほどツボに
「あはははははははは!!!! あはぁ、あ、はぁ、はぁ、はぁ……」
息継ぎもせずに、ひとしきり笑い飛ばして落ち着いたのか、単に肺の中の空気を吐き出しきったのか、狂ったインコの化身からようやく九重葵に戻ってきた。
目尻に浮かべた大粒の涙をぬぐい、深呼吸をひとつ、ふたつ。
「でぇ、なンのハナシしてたんだっけ」
いまだ九重の頬は引き
改めて口に出すのも憚られるような話題なもんだから、つと視線を逸らして、
「相武のリアクションが芸人みたいだって話。もしくは、九重が女子のわりに大食いって話」
「ボク、そんなに大食いじゃないよ!」
無事話を逸らせたところで、改めて昼食を再開する。すったもんだしてしまっていたせいで、すっかり温くなってしまっている。とはいえ、醤油ベースの味付けは、冷めてからが勝負みたいなところもある。うむ、親子丼、うまし。
ふた口目をすくって、口へ運びかけた時、なにやら横方向から視線を感じて向き直る。よもや有り余る食い意地に任せて、親子丼をねだるんじゃなかろうな。勘繰るように、横目で盗み見ると、
「だって、ボク、声優だもん」
すっと、その大きな瞳に、視線が吸い込まれるように顔を向ける。
「だって、ボク、声優だもん」
九重の顔を正面から見据えた時、彼女がいままでに見せたことのないような笑顔で微笑んだ時、
ちら、ちら、と頭の中でなにか閃く。そして脳裏に稲妻に似たものを感じて、くらいとめまいがする。記憶が曖昧になりそうなこの感覚を、俺はどこかで知っている。
助けを求めるように相武へ振り返ると、先ほどの狼狽ぶりとはうってかわって、ふだん通りの、呆れ果てたようなため息ひとつこぼして、
「お前なぁ」
「だってだって、侑真が、あんなジョーダンみたいなリアクションするから。ため息を吐きたいのはこっちの方なンだからね!」
「そりゃまあ、僕も悪かったが……」
俺の目の前で、ふたりが事情に通じたような含みのある会話を二、三交わす。
まさか、本当に?
「まさか、本当に?」
その時の俺は、—―きっと窓際に座っていたなら、よほどの間抜け面が映っていたことだろうか――なにかを言おうとして、けれど続く言葉が出なくって、金魚みたいに口をパクパクやっていた。
「うふふん。びっくりした? 実は今期のアニメにも出てるンだからね! チェケラ!」
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