第10話 はじめて行ったお渡し会は……


 〇


 店舗のイベントスペースとはいかなるものや、とあれこれ想像を膨らませていたが、一階と同様の広さのフロア(ただし、陳列棚や商品がない分、ずいぶん広く感じる)に、その前方に膝高さくらいのステージが設えられているという、実に質素なものだった。


 ステージの後ろのスクリーンが映し出す、ふたりのキャラクターは、おそらく今日の声優たちの演じる役なのだろう。


「整理券拝見しまーす」


 フロアに入ってすぐのところで、スタッフに参加券を見せると、番号順にごとに移動するように指示を受ける。

 ちなみに俺の番号は18番。良いのか悪いのか。


「僕は6番。まぁ、お渡し会だから、あんまり関係はないぜ」


 とのこと。


 20人間隔でよっつのブロックが形成され、それが終わると、ステージ付近から段々状に列が形成されていく。

 10分足らずで整列が完了し、相武とは一列挟んでおいそれと会話をするような距離でもなくなった。


 ひとりになると、いやがうえにも緊張が顔を出してきて、あたりをキョロキョロと見渡してみるも、ステージの上でテーブルや椅子をセッティングしていくスタッフが見えるだけで、落ち着かない。


 昨日今日で声優というものを知り、借り物のアニメを見始めたような人間が来る場所ではなかったか、なんて考えまで鎌首をもたげ始めた頃になって、


「みなさま、お待たせしました。本日は、ゲーム『ソーディアンズ』セカンドシングル『Put on Magic』のお渡し会にご参加いただきありがとうございます。もう間もなく開演の時刻となりますので、注意事項を申し上げたいと思います」


 スタッフのひとりが壇上に上がり、マイクを手に持つ。

 撮影、録音の禁止。プレゼントの手渡し禁止。などなどの説明を行い、


「それでは、おふたりにご登場いただきます。柚野みゅーさん、馬場優希さんです!」


 ついに、姿を現した。


「「こんにちはー!」」


 会場が一斉に湧き上がり、万雷の拍手が巻き起こる。それらがやむのを待ってから、


「今日は、『ソーディアンズ』の、私たちのお渡し会に来ていただいて、ありがとうございます! 私たちもとっても楽しみにしてて、私なんか昨日あんまり眠れなかったくらいで……」

「みゅーぽん、さっきもおっきなあくびしてたもんね」

「それ言っちゃだめだよぉ!」


 会場が笑いに包まれる中、俺は不思議な感動を覚えていた。


 目の前で、こちらが声をかければ気が付くような距離で、アニメのキャラクターたちが喋っている。

 厳密に言えば、いまの彼女たちの口調は役を演じているものではないから、記憶の中の声そのものではない。が、それでもなお、心を強く揺さぶられるのは、紛れもない事実だ。


「それでは、順番にどうぞ」


 ポストカードの「お渡し」は、ステージ上で行われるみたいで、参加者は登壇する直前でスタッフにチケットを渡し、そのまま中央へ。

 テーブル一枚挟んで、目の前には声優という至近。確かに、接近というにふさわしい。


「今日は来てくれてありがとうございます!」


 あとはそのままカードをもらって、反対側から退出していくだけ……と思いきや、


「みゅ、みゅーぽん。いつも応援しています! 一枚目のシングルも、買いました!」

「わぁっ、ありがとうございますぅ」


 ただのファンであるはずの参加者が、声優と喋っているではないか!


「僕、ゲーム始めた時から、馬場さんのソーディアンズが愛剣なんです!」

「ありがとうございます! これから、ずっと使ってあげてくださいね!」


 しかも、ひとりだけではない。続く参加者も、ひと言、ふた言ではあるものの、テーブル越しの出演者たちと会話を交わしている。そして一定時間が経過するとスタッフに肩を叩かれ、こんどこそ舞台を降りていく。


 駅で合流した時の相武の言葉を思い出す。

 ――ひとりだいたい五秒くらいの時間がある。これが、お渡し会の醍醐味だ。

 すなわち、それはこういうことだったのか!


 かぁっと顔の熱くなっていくのが、見らずとも、耳まで赤くなっていくのが分かる。どくん、どくんと心臓が脈打って、鼓動が速くなる。


 生まれてこの方、もちろん声優なんかと喋ったことがあるはずもない。いったいどんな話題を選べばいいのか、どんな口調で、どんなトーンで話せばいいのか。


(相手はアニメに出ている声優なんだから、当然アニメの話題。それから……)


 ふたりの出演作はこの一週間で視聴して記憶に新しい。とはいえ、実際にどんな演技をしていたのか、そのディテールをいまこの場で思い出せるかといえば難しい。

 そもそも、このお渡し会はまったく違うゲームのイベントで、別のアニメの話を出してもいいものか。


(ど、どうする!? ていうか、ふつうに話しかけてもいいもんなのか!?)


 あわやパニックになりかけた時、天啓が舞い降りる。


 次にステージに上がる参加者、それは俺をこの場に引きずり込んだ張本人であり、声優オタクを自称してはばからない男、相武侑真にほかならない。

 あいつを参考に活路を見出そう。この距離ならば、俺の耳ならば、一言一句たがわず会話の内容を聞き取れる。


「次の方どうぞー」


 お渡し会になんども来ているであろう相武の所作は、さすがに威風堂々いふうどうどうたるもの。会場スタッフにも会釈なんてしつつ、ゆっくりと中央へ歩いていく。


「こんにちはぁ」

「こ、こ、こここんにちは」


 思いっきりどもっとるやんけ。いつもの居丈高いたけだかな態度はどこへいった。


「ぼぼ、ぼく、みゅーぽんのことずっと応援してて……」

「覚えてるよー」


 あかん。なんの参考にもならん。期待するだけ無駄だった。


 ステージから掃けていく相武に白々しい視線を送りながら、一歩ずつ前進していく。近づけば近づくほど、声優らの声がより明瞭に聞こえるようになるも、もはやその内容はほとんど耳に入ってこない。

 ただただ、大きくなっていく心臓の音ばかりが、うるさいくらいに。


「整理券回収しまーす」


 気が付けば、


「はい、どうぞ」


 俺の足は、もうステージの上を歩き出していて、


「こんにちはぁ」


 そして――

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