第9話 What is Owatashi-kai?


 〇


 翌週の週末、僕はというと、結局相武の指定した駅の改札前で、彼の到着を待ちわびていた。イベントの参加券まで受け取ってしまっては致し方なし。

 とはいえ、まったく興味がない訳でもないし、実際先週の休みは家でゴロ寝をして過ごしただけだったので、どこかへ出かけるというのならば、悪くもない話だ。


 慣れぬ土地で道に迷ってしまってはいけないから、かなり早めに家を出たものの、それが裏目となって待ち合わせの三十分も前に着いてしまった。

 手持無沙汰になって、イベント参加券を熟読するほど。


 曰く、特製ポストカードがもらえるという。

 曰く、参加する声優は、柚野みゅー、馬場優希という。

 曰く、CD一枚購入につき、参加券を一枚もらえるらしい。


 ということは、相武はそのCDを二枚買っていたということであり、その特典を無償で譲ってもらったというのは、すこし悪い気もする。


「越尾」


 十分前になって、改札から相武の声が聞こえてきて振り返る。が、すぐ近くで聞こえたはずなのに、それらしき人はどこにも見当たらない。


「おい、どこ見てるんだよ」

「え、あっ……えっ!?」


 それもそのはずで、今日の相武の出で立ちといったら!


「なんだよ。眼鏡をかけてないのがそんなにおかしいか? コンタクトくらい持ってるさ」


 学校内での格好は、着古したジーンズに襟元のよれたTシャツという、あわや寝巻きのような普段着が一転、

 お洒落な洋服屋の店員のような身なりに加え、整髪料で髪の毛までセットしてきているときた。


「そ、そこまで気張るもんなのか?」

「ただのトークショーだったら、僕だってもうすこしラフな格好で来るさ。けど、お渡し会だからな」


 恐るべし、お渡し会。


 開演まではあと四十五分。とはいえ、開場までは十五分しかないということで、お渡し会会場へ向かって移動する最中、いよいよ俺も不安や緊張が鎌首をもたげはじめてくる。

 なにせ、お渡し会はもちろん、イベントになんてものに参加する事自体が初めてなもんだから、知らず知らず粗相をしてしまってはたまらない。


「お渡し会の作法というかルールとか、そういうのってあったりするのか?」

「基本的にはスタッフの指示に従ってれば問題ない。順番に並んで、声優からポストカードを手渡してもらう訳だが――今回の場合なら、ひとりだいたい五秒くらいの時間がある。これが、お渡し会の醍醐味だいごみだ」

「ポストカードの受け渡しくらいなら、一秒もあれば十分じゃないのか?」


 俺の素朴な疑問に対して、相武は不敵に笑って見せる。


「ベルトコンベアならそういうこともあるが……。まぁ、案ずるより産むがやすし、というやつだ」


 含みを持たせる言いざまに、むず痒いものを感じながらも、事実相武の言う通りでもある。それに、いくら相手がアニメの中の人だからといって、ポストカードを手渡しされるくらいのことで、どうということもあるまい。


 イベントは、駅からすぐ近くの、アニメグッズ専門店の催事さいじスペースで行われるらしい。

 所せましと並べられた漫画や雑誌、その間を縫って行き交う人込みに腰を抜かしそうになる。自分が本当に都会にやってきたんだなぁ、なんて詮無せんない感想を思い浮かべながら、人をかき分け一目散に進んでいく相武の後を追い、階段を上っていく。


 催事スペースはこのテナントの7階に設けられていて、参加者は必ずこの階段を使用せねばならないらしい。

 通り過ぎるいずれの階にも1階と同様の売り場があって、狭いスペース内に人と商品が詰め込まれているのを後目に、段差を踏みしめていく。


 6階にまで行きついた時、踊り場でたむろをする人たちの後ろで相武が足を停める。既に参加者たちの列が階下まで伸びてきているのだと教えてくれる。


「あとは、係員の指示に従って入場するだけだ。そういえば、お前、ちゃんとアニメは見てきたんだろうな」

「まぁ、一応……」


 今週の頭に、今日登壇するふたりの出演作品を観ておくようにともされ、アニメのDVDまで押し付けられた。

 その強引さにほとほと呆れながらも、実際のところ、無理矢理連れてこられたようなものではあるが、声も聞いたことのない声優のイベントに行くというのもすごく失礼だと思ったので、どうせ学校から帰ってきてもなにをするでもない訳で、結局貸してもらった分すべて見終わってしまった。


「あのアニメって、13話で終わりなのか? むかし観てたアニメって、もっと長い間やってたように思うんだけど」

「深夜アニメなんてそんなもんさ。ふつうは1クール12、13話。それが終われば次のアニメがまた1クール。2クール前提なら結構な力の入れようだし、2期があれば大喜び」


 ということは、四ヶ月にひと作品のスパンでアニメが切り替わる計算だ。なんとも忙しない話だ。


「だから、声優というのも入れ代わり立ち代わりの激しい仕事で、実力や人気のある声優なら別アニメでも引き続き起用されるが、……中にはアルバイトをしなければ生計を立てられない声優もいる」


 拳を握りしめて、声優業界の事情を力説する相武。その目線は既に俺の方を向いておらず、このまま放っておくといつまでも続けそうなので、口を挟んで話題を変えてみる。


「確か、相武の好きな声優って、今日の人だよな? みーぽんって人だっけ?」

「みゅーポンな。次間違えたら殺すぞ」

「す、すまん……」


 えらい剣幕で相武が凄んでくるもんだから、素直に平謝りする。人の名前を間違えるのは良くないことだ。


「『柚野みゅー』で、みゅーポン。デビュー作は、ソーディアンズっていうソシャゲなんだが……」


 作戦失敗。今日に至るまで、既に散々聞かされた柚野みゅーのプロフィール、経歴を饒舌に語っていく。おまけに相武はこの話題になると、妙に早口になる。


「ちなみに、今回のお渡し会もそのソーディアンズのCDで……」


 と、その時、階段の上から店舗スタッフのアナウンスが聞こえてきて、相武劇場になんとか終止符が打たれた。


 ほっとしたのもつかの間、すぐに列が動きだし、指示に従って階段を上っていく。


 そしてついに、俺は「お渡し会」会場へと、足を踏み入れたのだった。

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