第5話 今季の長文ラノベ枠はこれに決まり!



 踏んでも軋まない床、傾いていない机椅子、そして冷暖房完備という、いままで自分が知っていたものとはまるで違う、異世界めいた教室で、二年生からの転入生であることなど自己紹介を終えた後、滞りなく一限目の授業が始まった。


 前の学校では、転校生なんてものが来ればどえらい騒ぎであったが、都会の教室では慣れっこなのか、ホームルームが終われば、みんな澄ました顔で、教科書とノートを準備し始めるものだから、正直ちょっと肩透かしだ。


 とはいえ、前後左右だけはすこしばかり興味を持ってくれたようで、授業の合間合間になにくれと話しかけてくれた。そんなことを四回も繰り返している内に、午前の授業が終わり、昼休みがやってきた。

 彼らに一緒に昼食を摂らないかと誘われたが、昼休みが始まってすぐに職員室を訪ねるようにと担任から言い含められていたため、否応もなく辞退。


 しかも、職員室に呼び出された理由も、本当に些細な書類上の不備であり、退出際、失礼しましたと言い終わるよりも早く、小さくため息をこぼしてしまった。


 なにはともあれ、腹だけはしっかり減るもので、一路食堂を目指す。食堂というものを利用するのは初めてなので、実は楽しみでもある。


「おぅ……」


 前にいた学校の大講堂並みの広さに、長机と椅子がところ狭しと並べられ、生徒で埋め尽くされている様は壮観というほかない。ここにいる人間だけでも、前の学校の全人口よりも多い。

 食堂のおばちゃんに注文を伝えるのもひと苦労で、列に並んで食券を買い、列に並んで食券を渡すだけでも時間がかかり、お盆を抱えながら空いている席を探し、なんとか着席できた時には、軽い疲労まで覚える始末。


「いただきます……」


 腹の虫も鳴き疲れて黙り込んでしまったものの、こんどは気持ち悪いばかりの空腹感が残っているので、かきこむようにB定食に箸を伸ばす。ちなみにメインディッシュは回鍋肉ほいこーろーだ。こんなものが昼食に食べられるなんて、感激しかない。


 ひとりで食べる昼食というのもずいぶん久しぶりのことだから、手持ちぶさたの感が否めない。ごそごそとポケットを探って、行儀が悪いと思いながらもスマートフォンを取り出してみる。


「……確か、この御曹司がイケメンで、なんとかかんとか」


 別に、御崎先輩のことが気になっている訳では断じてない。けど、せっかくの新天地、新しく始める趣味として、アニメも悪くないんじゃないかな、とか思った次第。


 などと誰ともなく言い訳を心中で唱えながら、うろ覚えのアニメのタイトルをひと文字ずつ入力していくと、お目当てのものはすぐに見つかった。


 『この御曹司がイケメンで金持ちのくせに、女嫌いすぎる! ~高飛車悪徳令嬢と七人の女生徒~』という長々しいくせに、いまひとつ要領をえない正式名称を持つ昨夜のアニメは、この四月に始まったばかりらしく、全十三話中、俺が見たものは第一話だったようだ。


 肉のあぶらと味噌のマリアージュに舌鼓を打ちつつ、ストーリーを読んでみるも、やはりよくわからない。俺にはアニメは難しすぎるのかもしれない。

 画面を次々とスクロールしていく内に、キャスト欄のところに御崎千絵里という名前を見つける。


 「ですが、お嬢様……」「そんな……」そのたった二言を、思い出そうと思えば、なんどでも鼓膜の奥でリフレインする。

 でもそれが、なんだかいけないことをしているような気がして、後ろめたいような気がして、コップの水を一気にあおって頭の中から洗い流す。そしてごちそうさまをして、スマートフォンをポケットにしまうと、食器を返却するために立ち上がる。


 けれどやっぱり、ポケットの奥がむずがゆいような気がして、再びスマートフォンをつまみ上げて、廊下を歩きながら、その画面に目を落とす。

 その時のことだった。


「やほー、大澤。昨日、見たよー?」

「ほんとに? ありがとう。でも、ちょっと恥ずかしい……」


 ――その声が聞こえて、


 手元に集中していた意識はいっぺんに途切れてしまって、

 落としたスマートフォンを拾うのも、振り向くことすら億劫おっくうで、

 背後で通り過ぎていく声に、ただただ耳を傾けていた。


「でも、ふだんとケッコー声違くない? どっからあんな声出てんのさ」

「だって……」


 我に返り、あわてて振り向くも、その姿は既に食堂入り口付近の雑踏に紛れてしまい、もう簡単には探し出せない。かといって追いすがるのも、あまりにも大勢の迷惑に違いない。


 ほんのわずかの間の、ほんのすこしの会話。しかし、やはり、ついに、俺は確信した。

 彼女は、間違いなく御崎千絵里であると。

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