第11話 怪物

「ワープ機関の出力変動値が限界を超えました。このままだと反応炉がシャットダウンします」

「亜空間内に強い重力波を検知。ブラックホール級」

「こんなところにブラックホールだと?ユイ、対応できるか?」

「制御パラメータを調整しています。必要時間は4分12秒」

「エイブラムス、なんとかして反応炉を持たせろ」

「やってますが、ぎりぎりです」

「重力波の影響でコースに偏差が出ています」

「中井、修正しろ。ここでコースを外れたら、どこへ飛ばされるかわからんぞ」

「了解。コース修正」

「ケンジ、まだコースが不安定よ。気を抜かないで!」

「わかってる。でも、舵が思うように動かない」

「重力エンジンの制御も攪乱されているのよ。マニュアルオーバーライドするしかないわ」

「無茶言うな。ワープ中にマニュアル操縦なんて、失敗したらそれこそどこへ飛んでいくかわからないぞ」

「ユイは星野さんの意見を支持します。この機種のエンジンと操舵機構は独自の自律系を構成しています。マニュアル操縦をしばらく続ければ、対応操作を学習するはずです」

「私も手伝うわ。情報共有して」

「わかった。情報共有モードに。操舵をマニュアルに切り替える」


情報共有モードに入ると、いつものように美月から大量の情報が流れ込んでくる。だが、もう俺がさばくまでもなく、ジョージが作ってくれたプログラムのおかげで、すべて整理されているのである。それとは別に、これもいつものことなのだが、頭が冴え渡るというのか、すべての事柄や知識が見通せるような不思議な感覚がやってくる。美月と出会って以来、何度も、この感覚のおかげで危機を乗り切ってきた。


「コースマップを出すよ」


ケイがそう言うと、視界の上に3Dのコースマップが表示される。薄い色で示される座標軸の目盛りの中に、グリーンで表示されているのが、本来のコース。黄色で表示されているのが現在の針路とそれから予測した航路である。先に行くほど大きくずれているこのふたつを、できるだけ重なるように針路を修正しなければならない。しかし・・・


「座標軸の歪みが大きいな。これじゃ、コース修正が難しいぞ」


本来ならば、ほぼ直行しているはずの3つの座標軸が、目に見えて歪んでいる。これは、空間が歪んでいることを示している。本来、大きく歪んだ余剰次元内にある亜空間においても、我々が認知できる3次元の空間は概ね平らだ。それを歪ませられるのは、重力場のみである。そして、恒星から遠く離れたこの位置では、空間の歪みは極めて小さく、このような表示上で認識することは出来ないはずなのである。


「しかも、少しずつ変化しているな。波長が長い重力波のようだ。これが、変動の原因か」


フランク先生が、それを見て言う。しかし、ブラックホールだの重力波だのと、穏やかではない話だ。


「こんなに座標が歪んでいたら、舵をどっちに倒したらいいか分からないわね」


美月が困惑気味に言う。座標が歪んでいても、それは局所的な話だから、本来の航路自体は、高次元から見れば、ほぼ直線である。だが、それに合わせようと舵を切っても、うまくはいかない。なぜなら、船は空間の、つまり座標の歪みに沿って飛ぼうとする。しかも、舵はその座標に対して方向を決めるのだから、極めてややこしい話である。本来、フライトコンピュータによる自動操縦では、こうした空間の歪みを認識して補正してくれる。だが、今回はそのフライトコンピュータが調整不十分であてにならない。ユイが調整してくれているが、それが終わるまでは、少なくとも俺たちがなんとかしなければいけない。これが逆で、コースが歪んでいて座標軸がまっすぐなら、まだやりやすいはずだ。それは、単純に航路を軸の一本にした直交座標に対しての針路を決めるように操舵に座標変換をかければいい。但し、依然として船は実際の空間に沿って飛ぼうとするから、まっすぐ飛んではくれないだろう。だが、それでも多少はましだ。俺がそう思った瞬間、表示が変化して、進行方向を一軸とした直交座標にかわる。


「よし、これなら・・・」

「どういうこと?」


たぶん、ユイが俺の考えを読んで反応してくれたのだろう。言葉にするより数段速い動きである。だが、今度は船がまっすぐ飛んでくれない。


「なによこれ。まるで、じゃじゃ馬みたいだわ」

「まったくだ」


お前みたいだな、という言葉が一瞬頭をよぎったが、今はそんな冗談を言っている場合ではない。


「どういう意味よ、それ。まぁ、いいわ。今はそんなこと・・・・だめ、うまくコントロールできないわ。せめて・・・」


そう、せめて、少し先に船が動く方向、つまりは空間の曲がっている方向がわかればいいのだが・・・。と思うやいなや、今度は、マップ上に矢印が現れる。どうやらこの矢印が空間の傾いている方向を示しているようである。たぶん、またユイだろう。


「よし、この矢印に逆らうように舵を動かそう」

「不思議だわ。言葉にする前に、考えたことが全部・・・」

「とりあえずXY面の舵取りは任せた。俺はZ方向をやる」

「わかったわ」


そんな会話をした瞬間に、矢印がXY面とYZ面に分かれて表示された。俺が、そうなれば・・・と思った瞬間に、である。もしかしたら、美月も同じ事を考えたのかもしれない。


「また・・・。でも、このほうがいいわ」

「油断するな。結構変化が激しいぞ」

「わかってるわよ。でも、2軸だけなら、なんとか・・・」


2軸だけなら、たしかに楽だ。でも、変化に追従するのは簡単じゃない。でも、まてよ・・・。なんとなく変化に周期性がありそうだ。


「これ、周期性があるわね。先回りができそうよ」

「そうだな。俺もそう思う」


美月も同時に同じ事を思いついたのか。それとも、これもユイの仕業なのだろうか。でも、今はそんなことはどうでもいい。とりあえず、あと数分、コースを維持できればいい。


「先生、反応炉がオーバーロード気味です。このままだと、あと30秒以内に自動的にシャットダウンされます」

「あと3分、なんとか持たせるんだ。私も手伝う」

「シャットダウンされないようにするには、安全回路を切るしかありませんが、危険です。反応炉が暴走したら止められません」

「わかっている。だが、ここで反応炉が停止すれば、この船は時空の迷子だ。いずれにせよ最悪の結果になるなら、可能性がある方に賭けよう。安全回路を切ってくれ」

「わかりました。安全回路を切ります」


背後では、そんな物騒な会話が交わされているのだが、俺も美月も、それに反応している余裕はない。なんとなくパターンがわかったものの、それに追従するには相当の集中力が必要だ。コックピット内では、少し前から様々なアラーム音が鳴り響いているのだが、それにひときわ大きなアラーム音が加わる。


「燃料温度が危険レベルです」

「強制冷却できないか」

「動作中、この温度での強制冷却は前例がありません。うまく機能するかどうか・・・」

「いちかばちか、やってみよう」


強制冷却装置は、反応炉を緊急停止させる場合に、反物質燃料が不安定化しないように、一気に絶対零度近くまで冷却するために使用するものだ。それを、反応炉が動いている時に使えば、何が起きても不思議ではない。冷やしすぎれば反応がストップするし、中途半端な冷却では、かえって不安定化させる恐れがある。だが、ここは二人に任せるしかない。ユイが、そっちもうまくサポートしてくれればいいのだが・・・


「強制冷却を開始します。冷却装置の出力を20%に設定して起動」

「まだ、温度は上がり続けているな。出力を30%に上げよう」

「了解。出力を30%に上げます」

「よし、温度が下がり始めたぞ。マイナス80℃あたりまで下がったら、そこで維持しよう」

「現在、マイナス30℃・・・40℃・・・50℃、さらに下降中」

「下降率が高すぎるな。出力を3%ほど落とせ」

「了解。出力27%」

「だめだ、温度が上がりはじめた。1%上げてくれ」

「出力28%に・・・・だめです、出力をうまく固定できません。現在29.5%」

「だめだ、降下が速すぎる。もう少し落とせ」

「出力・・・27.3%・・・」

「もう少し上げろ。温度が上がり始めたぞ」

「やってますが、安定しません。そもそも、こんな細かい制御は想定されていないので、制御回路が追従できていないようです」


こちらも操縦同様に、かなりクリティカルな操作になっているようだ。操縦系統は、自律制御のおかげで次第に調整がしやすくなりつつあるが、非常用の強制冷却装置には、そんな仕組みは用意されていない。せめて自律制御系が組み込まれていたら、ジョージの作業ももう少し楽になるのだろうが・・・


「28%を中心に、設定を小刻みに上下させて、温度をマイナス80℃付近に、なんとか維持するんだ。プラスマイナス5℃以内に抑えてくれ」

「どこまで続けられるかわかりませんが・・・頑張ってみます」


ジョージは設定を小刻みに変えて温度を安定させようとするが、なかなかうまくいかない。温度は依然としてマイナス70℃から90℃の付近で激しく上下している。一方で、操縦のほうは、だいぶ安定してきた。変化の周期を自律系が学習してくれつつある。だが、反応炉の出力がこれ以上不安定化すると、エンジン系統にも影響が出る。そうなったら、コースの維持は難しい。ここはジョージに頑張ってもらうしかない。


「いいぞ。だいぶ安定してきたな。その調子で、もうしばらく頑張ってくれ」

「なんとなく冷却装置の反応が良くなっている気がします。先ほどまでに比べるとだいぶ細かい調整がきくようになってきました。このシステムに自律系はないはずなので不思議ですが」

「そうだな。まるで操作を学習してるみたいだ」

「これなら、温度をマイナス80℃に軟着陸させられそうです」


これもユイの仕業なのだろうか。さっきから一言も喋らないユイだが、たぶん、各部分をサポートしながら、全体の制御システムを調整しているのだろう。


「システムの調整を完了しました。すべて自動制御に戻しても大丈夫です」


なんだか久しぶりにユイの声を聞いた気がする。ほんの数分の間なのだが、何時間にも思えた時間である。


「オートパイロット復旧。動作異常なし」

「反応炉及び機関制御を自動に設定。出力偏差、検出限界値以下に下がりました」

「やれやれ、冷や汗をかいたな。しかし、この場所で、こんな大きな重力変動は異常だぞ。亜空間での重力作用の増大の影響を考えても大きすぎる。発生源は何だろうな」


亜空間では、深度が大きくなるにつれ、重力の作用が大きくなるという性質がある。通常空間では、重力は他の力、たとえば電磁気力などに比べて極端に弱い力である。たとえば、大きな地球が発生する重力に逆らって、小さな磁石でも簡単に金属を吊り上げられる。だが、亜空間では、このバランスが変化する。これは、亜空間が存在する余剰次元が大きく歪んでいることに関連している。深度が深まるにつれ、重力は次第に強さを増すのである。つまり、遠方の重力源の影響も、より強く受けることになる。だが、その効果を考慮に入れても、この重力場は強すぎる。まるで1光年以内にブラックホールでも存在するかのような強さだ。それに加えて規則的な変動もある。これは、いったいどういうことなのだろうか。


「まるで、ブラックホールと恒星の連星系の近くを飛んでいるみたいだな」


フランク先生が言う。そう言えば、先生の専門は、天体物理学だった。彼ならば原因を見つけ出せるかもしれない。


「エドワーズ、重力波の発生源はわかるか」

「解析中。チャートに出します」


前方のスクリーンに太陽系周辺の航路図が3D表示される。その上に、重力波の測定値がプロットされ、次第にその広がりが再現されていく。やがて、重力波は球殻状の形になり、その中心が拡大された。


「太陽から、およそ1.2光年プラスマイナス0.1光年くらいの位置と推定されます。我々の目標座標の近傍です」

「おいおい、褐色矮星ではなくて、ブラックホール・・・だと?」

「正確にはブラックホールと褐色矮星の連星系と思われます」


答えたのはユイである。


「つまり、それがこの重力波の源というわけか」

「そう推定されます。この周期から推定して、褐色矮星は52分に一回、ブラックホールの周囲を公転していると思われます」

「なんてことだ。相手がブラックホールだとすると、対応を根本的に考え直さないといけないぞ。そんな大質量のもののコースを変更できるのか・・」

「重力場の強さから、ブラックホールの質量は太陽程度と推定されます。既に、オールトの雲の一部が重力の影響で変形しつつあります。影響は数ヶ月で太陽系惑星軌道にも及ぶと考えられます」


サムが落ち着いた声で言う。落ち着きすぎていて、俺はちょっと背筋が寒くなりそうだ。褐色矮星でさえ破滅的な影響が出るのに、ブラックホールともなれば、太陽すら無事ではすむまい。


「L2から通信が入っています。アカデミーからです」

「スクリーンに出してくれ」


スクリーンにデイブさんの姿が映し出される。


「デイブか。ちょうど良かった。悪い報告だ」

「フランク、こちらもだ。シミュレーションの結果、今の方法では、褐色矮星の軌道を十分に変更できないことが分かったんだ。想定していたより、かなり質量が大きそうだ。もっと情報がいるぞ」

「こっちは、もっと悪い報告だ。我々が褐色矮星だと思っていたものは、褐色矮星とブラックホールの連星らしい」

「なんだって?どうやってそんなことがわかったんだ」

「亜空間で強い重力波を検知したんだ。それから推定すると、そういうことらしい」

「なんてこった。褐色矮星ですらまともに動かせないのに、どうやってブラックホールを動かせと言うんだ。それに、相手がブラックホールだと、うかつに近づけないぞ」

「そうだな。だが、とりあえず、もう少し近づいて調べないといけないだろう。予定より少し手前でワープアウトして、データを集めよう」

「了解だ。今分かっているデータをこちらに送ってくれ。もう一度シミュレーションしてみる」

「データは既にセンターコンピュータと共有されています。最終のシミュレーション結果にはそれが反映されているはずです」

「おいおい、それを早く言え。だから、こんな結果が出たのか」

「申しわけありません。こちらの調整に手間取っていて、報告できませんでした」

「そうなると、やはり君らに先に行って情報を集めてもらうしかなさそうだな。こちらの出発準備は、あと2、3日かかりそうだ。それに、ブラックホールに近い場所だから、ワープ深度を余り上げられないだろう。少し余計に時間がかかるかもしれんな」

「了解だ。ワープ機関はユイが調整してくれたから、もう少し速度を上げても大丈夫だろう。状況は厳しいが、少しでも情報を多く集められるように頑張ってみるよ」

「ユイ?・・・あ、こいつがか・・。そんな名前を・・・。まぁいい。たのむぞ。必要なバックアップは、こちらでする。出発準備が整ったら連絡するから、そちらも、逐次、状況を送ってくれ。こちらは以上だ」

「了解した。また連絡する」


通信が切れたあと、先生はしばらく腕組みをして考え込んでいる。しかし、なにやら急展開だ。ブラックホールに近づいて情報を集めるなんて、本当に俺たちに出来るのか。


「ケンジ、しっかりしなさいよ。とんでもない話だけど、あんたがそんな顔してたら示しがつかないじゃない」


美月が言うとおりだ。リーダーの俺が不安がっていては話にならない。だが、いったいどうすればいい。そう思っていると、先生が口を開いた。


「よし、全員心して聞いてくれ。状況は先ほどから聞いてのとおりだ。我々は、目標から安全な距離を保ちつつ、できる限り情報を集めなくてはいけない。しかも、これは一刻を争う。君たちには、最初想定していた以上に危険なミッションに臨んでもらうことになるが、私もできる限りのことをするつもりだ。よろしくたのむぞ」

「了解です。任せてください・・・とは言えないですが、できる限りのことをします。いいよな、みんな」

「愚問ね」

「問題ない」

「頑張りましょう」

「こんな機会、一生に一度あるかないかだしね。頑張るよ」

「よし、いっちょ気合い入れて行こうか」

「あんたは気合い入れなくていいから」

「えー」

「ありがとう。頼むぞ。それでは、各自、もう一度自分の持ち場をチェックしてくれ。問題が無ければ、もう一段、速度を上げる」

「了解」


現在の速度はレベル6、つまり、通常空間のスケールで言えば光速の64倍である。レベル7に上げると、光速の128倍。この速度なら、目標座標まで3日ほどだ。だが、レベルを上げるためには、亜空間の深度をさらに深くする必要が生じる。重力の影響は、深度に対して、やはり指数関数的に効いてくるから、変動も大きくなるはずだ。


「エイブラムス。亜空間内での速度を、あと2ポイント上げられるか?」

「ポイント5cということですよね。エンジンは余裕ですが、亜空間内の障害物回避に関する余裕がほとんどなくなります。機体に損傷を与える可能性がある最小の障害物を検知できるのは、10光秒プラスマイナス2秒ほどの距離までです。ポイント5cでは最悪の場合、回避に4秒ほどしか時間がありません。検知から軌道修正に必要な時間を考えればぎりぎりです」

「今の状況から考えれば、亜空間の深度は最小限にしたい。しかし、クラッシュすれば元も子もないからな。普段なら、この深度の領域に障害物はほとんどない。だが、ブラックホールが確認されたとなると、その周囲には、細かなデブリが存在している可能性が高いから、注意するにこしたことはないだろうな。さて、どうしたものか」

「長距離センサーの処理能力を向上させるのはどうですか?」


ユイの声である。


「向上させるって、どうやるんだ?」

「そうか、その手があったね。倉庫にある演算ユニットを使えば・・」

「そうです。もう基本ソフトは導入済みですから、一時的に船のシステムに接続して、長距離センサーのデータ処理に使用すれば、検知時間を大幅に短縮でき、その結果として検知できるレンジを数倍に広げることができます」

「エイブラムス、できるか?」

「やってみましょう。僕が回路を接続するから、ユイはソフトウエアの導入とフライトコンピュータ側の準備をたのむよ」

「了解しました」


長距離センサーは、現在のワープ深度よりもさらに深い亜空間を経由して、周囲をスキャンする。その分解能を問わなければ、今の深度の尺度で10光時程度の距離までの範囲をリアルタイムにスキャンできる。だが、分解能はスキャンしたデータを処理するコンピュータの能力に依存するため、ごく小さなデブリを検出する処理時間を考えれば、リアルタイムの検知は、この船の最新型のコンピュータでも10光秒先が関の山だ。同じ大きさの物体を検知するためのスキャン密度は距離の3乗に比例して大きくなる。その分、処理が必要なデータ量、つまり処理時間も同じ比率で増加するのである。センサーが検知可能な範囲であっても、検知距離を2倍にするためには処理能力を8倍にしなければならないということだ。レンジを数倍にできるというユイの言葉から考えれば、新型の演算ユニットを加える事で、処理能力は軽く100倍から数百倍になる勘定である。これならば、障害を検知してから回避するまでに十分な余裕が得られる。


「先生、もしかしたらセンサーも重力変動の影響を受けるんじゃないですか?」


めずらしくケイが真面目なことを言う。まぁ、これはナビゲーターにとっては死活問題だから当然と言えば当然なのだが。


「そうだな。だが、変動の原因が分かったのだから、補正は可能だろう」

「長距離センサーは補正済み。深度が変化しても、同じ補正式で対応が可能です」

「おお、さすがサム。もう対応済みかぁ」


ユイの登場で少し影が薄くなっていたのだが、こんな時にはサムも頼りになるクルーである。おそらくユイも、そのことは織り込み済みなのだろう。


「よし、エイブラムスの作業が終わり次第、速度を上げるぞ。今のうちに各システムをチェックしておいてくれ」

「了解」


さて、いよいよ佳境に突入だ。あと2段階速度を上げられれば、目的地までは数時間で到着する。何が待っているのかは少し不安だが、ここまで来てしまえば、そこは気合いで乗り切るしかないだろう。


「ケンジ、操舵系のチェックは任せるわ。私はジョージの代わりに機関をチェックするから」

「わかった。操舵系のチェックシーケンスを起動」

「エンジニアリングコンソールにアクセス。機関チェックシーケンスを起動するわ」

「通信系、情報系システム異常なし」

「ナビゲーションシステム異常なし、航路正常」


さて、あとはジョージ待ちだ。ここまで来たら、あとは幸運を祈るだけだ。目的地までの旅も終盤。なにやら、とんでもない代物が待ち構えているようだが、ここまで来たら俺も腹をくくるしかないだろう。


「先生、準備完了です」


ジョージがコックピットに戻ってきた。


「よし、それじゃ、ワープ速度をレベル7に上げるぞ。準備はいいな」

「はい」


全員が同時に答える。いよいよ正念場だ。

「中井、亜空間内での速度をポイント5cに設定して、レベル7まで増速しろ」

「了解。亜空間内速度をポイント5cに設定。ワープレベルを7へ」

「機関出力レベル48%で安定」

「増速を開始。6.1、6.2・・・・・6.7、6.8・・・・レベル7」

「機関出力55%で安定。出力変動は測定限界未満です」

「センサーレンジに障害物はありません」

「重力変動は大きくなっていますが、コース偏差は許容値内です」


いまのところは順調だ。通常空間換算での速度はこれで光速の128倍まで上がっている。


「よし、このままレベル8まで上げるぞ。準備はいいか」

「了解。いつでもどうぞ」

「よし、増速しろ」

「ワープレベル8まで増速します。現在7.1、7.2・・・・」

「機関出力56%から上昇中。変動は測定限界未満」

「コース正常」

「7.7,7.8、7.9、ワープレベル8です。現在のレベルを維持します」

「機関出力60%で安定しています」

「重力変動がかなり強くなっていますが、制御の余裕はまだ20%ほどあります」

「センサーレンジ内に危険レベルの障害物はありません」


これで、当初の目標速度に達した。通常空間からみれば光速の256倍で飛んでいることになる。船はすでにオールトの雲のど真ん中を太陽系の端に向かって進んでいる。恒星間宇宙船の速度としては決して速くはないが、この速度ならば、目的の座標までは1日もかからないだろう。


「大丈夫そうだな。だが、まだ気を抜くなよ。こいつがプロトタイプだということは忘れるな。何かあったらすぐに対処できるようにしておけ。エドワーズ、重力変動が許容値を超える限界距離はわかるか」

「今のワープ深度では、連星系の重心から10光時プラスマイナス7光分で変動が許容値を超えます」

「そうか、だとすれば、そこから先は速度を落とさないといけないな。よし、目標から12光時手前でワープレベルを4まで落とす。それから8光時手前で一旦ワープアウトして、影響を計測しよう」

「沢村、今の前提で所要時間を出してくれ」

「了解。計算します・・・・。目標座標、速度を再設定、所要時間は・・・22時間43分です」

「そうか。それなら、また交代で一休みできるな。しばらく様子を見て大丈夫そうなら、シフトどおりに休憩を取ろう」

「それじゃ、ここからは俺たちが当番だな。ケイ以外の女子は休憩に入ってくれ。ジョージもな」

「僕は休養十分だし、しばらくは新しいコンピュータの作業を続けるよ」

「それじゃケンジ、たのんだわよ。ちゃんと仕事ないさいよね。誰かさんも!」


美月は、そういいながら、ケイのほうをちらっと見てからコックピットを出て行った。残ったのは、俺とフランク先生、そしてケイの3人。


「やった、女子は私だけ。これで先生とケンジと3人で楽しい時間・・・っと」

「おいおい、まだ気を抜くなよ。これから、どんどん危険なエリアに近づいていくんだからな」

「わかってますって、先生。ちょっと言ってみただけです。航路上、検知可能な障害はありません」

「オートパイロットも問題なしです。重力変動に対しても十分余裕を持って対応できてますね」

「うむ、機関も問題なしだ。とりあえず、このまま順調にいってほしいものだがな」


フランクは、そう言うと教官席に座って、腕組みをする。たしかに油断はできない。俺たちが向かっているのは、宇宙で最も凶悪な存在であるブラックホールなのだ。しかし、それから数時間、これといった問題も発生せず、結果として俺たちは、退屈な時間を過ごすことになるのである。



「順調そうだね」


俺たちがいい加減退屈しきっていたところにジョージがやってきた。本来ならば休憩時間なのだが、この数時間、倉庫にこもって新しいコンピュータのプログラミングをやっていたのである。


「先生、基本的なソフトウエアの組み込みは終わりました。単体でのテストは問題ありません。ユイも確認しています」

「そうか、思ったより早かったな。それじゃ、次は、ユイの一部として、そのユニットを組み込んでテストしなきゃいかんのだが、問題はなさそうか?」

「確認した限りでは問題はありません。念のため、新しいユニットはサンドボックスの環境で組み込みテストをします。万一動作がおかしくなっても、全体に悪影響を与えずにすみますので」

「よし。それじゃ、アカデミーにその事を連絡した上で、準備を始めよう。ユイはデイブに詳細情報を連絡して承認をもらってくれ。それから、組み込み準備だ。実際の組み込みは、準備が確認出来てからやろう。エイブラムスは、いまのうちにちょっと寝ておけ」

「了解しました。作業承認を要請します」

「それじゃ、僕はちょっと一休みさせてもらいますね」


ジョージはそう言うと、またコックピットを出て行った。


「沢村、航路上の状況はどうだ?」

「えっと、現在の深度で航路上に問題となるような障害はありません。通常空間側は、オールトの雲の最も濃い部分を通過中で、小惑星や彗星核の間隔がだいぶ狭くなっています。ワープアウトする際は注意が必要ですね」

「そうか。まぁ、ここでワープアウトすることはないからいいだろうが、目的地付近の状況も気になるな。ブラックホール周辺は何があるかわからんからな。引き続き、通常空間側の監視も続けてくれ」

「了解です」

「中井、操縦系統の制御に問題はないか?」

「はい、問題ありません。オートパイロットへの重力変動によるフィードバック値が徐々に大きくなっていますが、今のところ限界までにはまだ余裕があります」

「そうか。そっちも、引き続きモニターをたのむ」

「了解しました」


フランクは、こうして時々俺たちに質問を投げかける。これも、集中力を切らせないための配慮なのだろう。何事もないのはいいことなのだが、しかし、退屈もまた辛い。適度に忙しいという状況が、なぜかこのチームにはないように思えるのは、気のせいだろうか。いったい誰のせいだ。まぁ、言わずもがなではあるのだが。俺は、変わり映えのしない計器パネルを見ながら、そんなことを考えていた。それからまた、退屈な数時間が過ぎていくのである。



「先生、L2から通信が入ってます。アカデミーからです」

「よし、出してくれ」


先生がそう言うやいなや、前方の空中に通信パネルが開いて、そこにデイブさんの顔が映し出された。


「そっちはどうだ、フランク」

「とりあえず、順調・・と言うべきなのかな。今のところ、予定通りに進んでいるよ」

「そうか、それはよかった。ところで、例の演算ユニットの準備が出来たようだが、できれば早めにテストをしておきたい。例のハッカー小僧のソフトウエアを信用しないわけじゃないが、問題があれば早めに潰しておきたいからな」

「わかった。実は既に一部のユニットをセンサーの能力向上に使ってるんだが、今のところ問題はないようだ。そろそろ休憩中の連中が戻ってくる。そうしたら、エイブラムスに本格的な組み込みテストをさせよう」

「たのむ。こっちの本隊は、ちょっと資材の調達に手間取っているが、なんとか予定通りには出発させるつもりだ。だが、そっちの報告でワープ深度をあまり深く取れないことがわかったので、到着は少し遅れるかもしれん。なので、到着までの間に出来るだけ多くのデータを集めて分析を進めたいんだ」

「了解だ。準備が出来たら連絡する」

「頼んだぞ」


デイブがそう言うと通信が切れた。


「先生、ジョージを起こしましょうか。あいつ、放っておくといつまでも寝てそうだし」

「そうだな。かわいそうだが、そうしよう。起こしてくれ」

「了解です」


ケイは、コミュニケータを取り出すとジョージを呼び出す。呼び出しのアラーム音は最大

だ。


「おーい、そろそろ起きなよ~。仕事だよ」


しばらくして、ジョージが眠たそうに目をこすりながら、コックピットに現れた。


「すまんなエイブラムス。例の演算ユニットの接続テストをしたい。準備してくれるか」

「わかりました。ちょっと時間をください。いくつか確認することがあるので。準備が出来たら連絡します」


ジョージは眠そうにそう言うと、またコックピットを出て行った。しばらくすると、マリナとサムがコックピットに戻ってきた。


「おはようございます。皆さん、体調は大丈夫ですか?具合が悪いところがあれば遠慮無く言ってください」


マリナはそう言うと自分の席に座る。サムも自席に座ると、なにやら操作を始めた。最後に現れたのが美月である。ちょっと寝癖がついた頭を気にしながら、副操縦士席に座る。


「よし、そのままで聞いてくれ。あと約10時間で我々は目標座標から12光時手前まで到達する。そこから先は、重力変動の影響を避けるために速度を落として進むことになるが、それまでの間に、データ収集と処理のためのシステムを使えるようにしたい。今、エイブラムスが演算ユニットの準備をしている。まず、それをユイのシステムに接続して動作を確認する。その後、データ収集に使用するセンサー衛星システムとのデータリンクを確認する。こちらのほうは、エドワーズの担当だ。まずは、センサーシステムの動作確認をたのむ」

「了解しました」

「ユイは演算ユニットの接続準備と、センサー衛星の軌道シミュレーションをたのむ。アカデミー側と調整して、最適な衛星の配置を決めて欲しい」

「了解しました。ユニット接続準備は既に整っています。衛星配置はセンターコンピュータのシミュレーション結果があるので、それと現在得られている情報を合わせて割り出します。所要時間は1時間5分11秒です」

「ユイのシミュレーション結果が出たら、星野は衛星の軌道パラメータを入力して、制御動作を確認してくれ」

「了解」

「中井、沢村の二人は、引き継ぎが終わったら休んでくれ。少し短いが、9時間後にはコックピットに戻ってきてくれ。いいな」

「了解しました」

「了解です。さって、ケンジ一緒に寝よっか」

「おい」


ケイが余計なことを言うので、隣の美月の寝癖が少し逆立ったような気がする。まだ少し寝ぼけているようだから騒ぎにはならなさそうだが、さっさと引き継ぎを終わらせてしまおう。


「美月、現在、操縦系統には異常は見られない。重力変動に対する適応制御も問題ない。変動は許容値の30%未満におさまっている」

「了解。確認したわ。操縦系統をこっちにまわしてくれる?」

「了解だ。操縦系統を副操縦士席に移行する」

「移行を確認。操縦系統を引き継ぐわ。あとは任せて、さっさと寝なさい。言っとくけど、そこの色ぼけと変なことするんじゃないわよ」

「あのなぁ、いったい何をするってんだよ。まぁいい。それじゃたのむぞ」


そんな感じで俺とケイの二人は船室に向かう。まぁ、こんな状況では、ゆっくり休むというのにはほど遠いが、とりあえず寝ておかないと後が辛い。絡んでくるケイは、とりあえず無視して、さっさと寝ることにしよう。俺は、船室の狭いベッドに寝っ転がると、ホールド装置のスイッチを入れる。シートホールドと同じ原理の装置だが、体に無理がかからないレベルでベッドから転がり落ちるのを防いでくれる。やんわり抱きかかえられているような心地よさがあって、俺は、すぐに眠りに落ちた。


       ◇


どれくらい寝ただろうか。なにやら、甘酸っぱい夢を見ていた気がする。真っ暗な船室のベッドの上で、ライトをつけようと動かした手に、なにやら柔らかい物が当たった。なんだろう。俺は無意識にそれに触る。


「あっ、はぁ・・」


小さな喘ぎ声・・・。俺は驚いて目を開ける。目の前に誰かの顔がある。慌ててライトをつけると同じベッドにケイが寝ているじゃないか。そして、俺の手はケイの胸に・・・・


「うわっ、ケ、ケイ。なんでお前、こんなところに・・・」

「うーん、あ、ケンジ、おはよー」

「おはよーじゃない。いつの間に・・・」

「あはは、ケンジがあんまり気持ちよさそうに寝てるからつい・・・。でも、ケンジ、意外と大胆だね。ちょっとドキドキしたよ」

「こ、これは事故だ。そもそも、ケイが横にいるなんて思いもしなかったし」


俺は慌ててベッドから下りようとしたのだが、ホールド装置のせいで押し戻されてバランスを崩し、体を支えようと手を置いた先に、またケイの胸があったりして・・・・。


「ねぇ、ケンジ。もう一度灯りを消す?」

「ちがう。こ、これも事故だ!」


俺はもう何がなんだか分からなくなって、とにかくホールド装置をオフにした。結果は言うまでもない。支えを失った俺の体は、勢いよくベッドから転がり落ちてしまった。


「いててて・・・。なんで、こんな目にあわなきゃいかんのだ」

「おーい、大丈夫? いきなりスイッチ切っちゃ危ないよ」

「ほっといてくれ。だいたいお前が・・・・」


俺がそう言いかけた時に、俺のコミュニケータに呼び出しが入る。


「ケンジ、そろそろ起きなさい。時間よ」


美月の声だ。あいつにこの状況を見られたら、また一悶着・・・いや、大騒ぎになるに決まっている。もろもろ無かったことにして、さっさとコックピットに行こう。


「ほら、冗談はそこまでにして行くぞ」

「えーーー、ケイさん的には本気なんだけどなぁ・・・。まぁ、いっかぁ。まだ先は長いし」


そんなことを呟いているケイをおいて、俺は船室を出てコックピットへ向かった。今は余計なことを考えている場合ではないのである。


        ◇


実際、そのあと事態は一気に緊迫する。俺が機長席に座り、そのあとケイが眠そうな顔をしてナビゲーター席に座った直後、いきなり、けたたましいアラーム音がコックピットに響いた。


「重力変動の影響が限界に近づきつつあります。これ以上大きくなると危険です」


美月が叫ぶ。


「よし、中井。ワープレベルを2段階落とすぞ。実速度は現状維持しろ」

「了解。亜空間内での実速度ポイント5cのまま、ワープレベルを8から6に落とします」

「沢村、現在の位置は?」

「現在目標座標まで18.5光時です」

「少し予想よりも影響が大きいな。中井、今のレベルでの影響はどうだ」

「現在のワープ深度での変動は限界の80%です。このまま行くと限界に達するのは時間の問題かもしれません」

「そうか。それならレベル4まで落とそう。多少余裕が出るだろう」

「了解。ワープレベルを4まで落とします」

「変動はどうだ」

「限界値の50%を切りました」

「よし、このまま様子を見ながら、目標まで8光時の所まで行くぞ。沢村、所要時間は?」

「現在速度で38分です」

「星野は変動値をモニターしてくれ。80%を越えたら報告を」

「了解。変動値をモニターして80%で報告します」


なにやら忙しくなってきた。もはや寝ぼけている余裕はない。とりあえず俺も仕事に集中しよう。


「ユイ。センサー衛星の配置シミュレーションはどうなった?」

「シミュレーションは既に完了して、初期データは衛星にインプット済みです。新たに接続した演算ユニットも問題なく動作しています。現在、観測されている重力変動をもとに、補正を行っています。この作業は衛星投入の直前まで継続します」

「よし。エイブラムスは衛星の動作チェックをたのむ」

「了解です。衛星の動作チェックを開始します」

「エドワーズ、長距離センサーで目標座標の状況はつかめるか?」

「通常空間内の目標座標はまだセンサーレンジの外です。直下の亜空間内の重力波源から推測して、褐色矮星とブラックホールの距離は平均で200万Km以下。ただ、重力波の変化からみて、軌道は大きく歪んでいる可能性が高いと思われます。現時点での観測では公転時間は1時間13分プラスマイナス23分ですが、軌道の形状によっては、もっと長い可能性もあります。正確な測定にはもう少し時間が必要です」

「それは異常だな。一般にブラックホールみたいな大質量星と褐色矮星のような軽い星との近接連星系は真円に近い軌道になるはずなんだが。もしかしたら、もともとの連星系の一方がブラックホール化したのではなく、はぐれブラックホールが途中で褐色矮星を捕獲したのか」

「その仮説を支持します。実際、この軌道を長期間維持するのは難しいと考えられます。やがて、褐色矮星はブラックホールに飲み込まれてしまうでしょう」

「それがこんなところで起きたら大惨事だが・・・。とにかくもう少し情報を集めよう。引き続き観測を続けてくれ」

「了解しました」

「ユイ、今の話で衛星配置のシミュレーションにどれくらい影響が出る?」

「はい、軌道が真円でないとすれば、衛星軌道も大きく変わります。長距離センサーの情報をこちらにいただければ、精密な分析ができます」

「よし、たのむ。エドワーズ、データをユイに渡してくれ」

「了解。長距離センサーのデータをユイのインターフェイスに接続します」

「センサー接続を確認しました。分析を開始します。おおまかな結果は5分20秒で出せます」

「先生、全衛星の動作チェック、完了しました。異常ありません。投入軌道が決まればいつでも放出できます」

「よし。ユイの分析結果が出たら、暫定軌道を設定しよう。あとは、ワープアウトしてから精密観測をして微調整だ」

「了解です」

「設定座標まで、あと30分」

「重量変動は許容値の55%」


それから、張り詰めた時間が流れていった。俺たちの船は、刻一刻と宇宙で最も凶悪な存在に近づいている。初めての長距離航行が、まさかこんなものになろうとは、ちょっと前まで想像だにしなかった。だが、このミッションに地球の、いや太陽系全体の命運が託されていると言っても過言ではない。だが、それは考えないでおこう。プレッシャーが大きくなるだけだから。


「先生、あと3分で8光時手前に到達します」

「よし。中井、8光時手前でワープアウトするぞ。エドワーズは、ワープアウト後、ただちに精密観測を始めてくれ」

「了解です。8光時手前でワープアウトを設定します」

「重力波及び光学センサーの準備完了。ワープアウト後に自動で起動します」

「よし、全員ワープアウトに備えろ。障害物に注意」

「通常空間、ワープアウト座標から1光分以内に障害物は検知していません」


いよいよ、俺たちの行く手に怪物が姿を現すことになる。だが、まだ距離は太陽と海王星の平均距離の2倍近く離れているから、まだ危険はないはずだ。むしろ、小惑星や彗星核のような障害物の方が危険なのである。


「ワープアウトまで10秒」

「ワープアウト座標周辺はクリア」

「3・・2・・・1・・・ワープアウト!」


一瞬、軽い目眩のような感覚と共に、俺たちの船は星の海の中に飛び出した。


「重力波センサー起動。光学センサー画像をスクリーンに出します」


サムがそう言うのと同時に、前方のスクリーンに明るい星空が映し出される。ちょうど方向は銀河系の中心、天の川の中央部である。


「目標を特定。拡大します」


次の瞬間、スクリーンの映像がズームインして、星が画面の外へ一気に流れていき、真っ黒になった背景に、ぼんやりと何かが映し出された。


「あれがブラックホール?」


ケイが呟く。


「いや、あれは褐色矮星のほうだ。ブラックホールは、この明るさだとまだ見えないだろう。エドワーズ、センサーの感度を最大まで上げてみてくれ」

「了解。感度を最大にします」


次の瞬間、ぼんやりと見えていた褐色矮星が、明るい星になり、それから少し離れた場所に薄暗い円盤のような物が映し出された。


「もう少し倍率を上げられるか」

「了解。倍率を上げます」


また映像がズームして、円盤の姿が、大きく見えるようになった。


「あれが、ブラックホールの降着円盤だな。褐色矮星から吸い込んだガスが高速で回転して熱を帯びているんだ。ガスの量があまり多くないから、うっすらとしか見えないが」

「センサー衛星の投入軌道の補正が完了しました。いつでも衛星を射出可能です」

「よし、順次衛星を射出。スクリーンにチャートを出してくれ」


スクリーンに、周辺宙域の3Dチャートが表示される。その上に、各衛星の軌道が色分けして表示されている。


「1号から順次衛星を射出します。初期速度は目標座標相対で0.5c」


ジョージがそう言うと、チャートの端に射出された衛星が点で表示されていく。このスケールだと、光速の50%というスピードにもかかわらず、ほとんど静止して見える。チャートの端から端までは、およそ1光日あるから、単純に横切るだけで2日かかる計算である。


「各衛星の軌道投入は8時間から10時間後の予定です」

「よし。中井、我々の速度を目標座標相対で0.3cまで落とそう。我々は、この連星系の重心から半径4光時で直交する軌道に入るぞ」

「了解。目標座標相対で0.3cまで減速。ケイ、我々の軌道パラメータを計算してくれ」

「了解。フライトコンピュータに設定する?」

「たのむ」

「オッケー。設定完了」

「軌道への自動進入を設定。我々の軌道進入完了は12時間後の予定」

「エドワーズ、衛星のセンサーのデータは受信できているか?」

「全衛星とも正常です。データはすべてユイにリンクしています」

「現在、L2との間で受信データのリンクをテスト中です。あと2分35秒でセンターコンピュータとのリンクを確立できます。その時点から、当面得られるデータを使って処理を開始する予定です」


ユイは淡々と仕事をこなしていく。俺は、たぶん他のメンバーも同じだろうが、だんだんプレッシャーが大きくなってくるのを感じている。AIにとって、こんなプレッシャーは無縁なのだろうか。


「私もプレッシャーは感じますよ。でも、それによって他の仕事が影響を受けたりしないだけです。方針さえ決まれば、大半の処理は通常の計算ロジックがやってくれますから。皆さんも、おおまかな方向を決めたら教えてください。そこから先は私の仕事です」


俺の心を読んだかのようにユイが言う。いや、言ったというよりは、その言葉が俺の心の中に浮かんだような感じだ。少し前から、俺とユイ、それに美月もだが、互いに言葉を介さずに思考をやりとりできるようになっている。これは、例の抽象思考インターフェイスの効果なのだろう。心の中を覗かれているようで、ちょっと不安もあるが、この状況下では言葉を介さずに意思疎通が出来るのは悪くない。たぶん、美月も同じ事を思っているはずだ。それも、暗に伝わってくるのである。


「よし、少し休憩だ。中井と沢村以外のメンバーはひと休みしろ。6時間ほど休んだら、また交代だ。あまり時間が無いが、軌道進入の1時間前くらいからは臨戦態勢だ。いまのうちに体を休めておけ」

「了解。ケンジあとは頼むわよ」

「それでは、お願いします」


美月、マリナ、サム、そしてジョージの4人がコックピットを離れる。残ったのは俺とケイ、そしてフランク先生の3人である。


「先生は休まなくて大丈夫ですか?」

「ああ、私も君らが休んでいる間に、少し休ませてもらったからな。今のところは大丈夫だ。後でまた少し休ませてもらうよ」

「無理しないでくださいね~。もう若くないんですからぁ」

「おい、そりゃどういう意味だ。まだ、そこまで言われる歳じゃないが」


ケイの一言に、ちょっと不満げな表情を見せた先生である。さておき、またしばらくは、退屈だが気が抜けない時間が過ぎてゆくのである。

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