第9話 ユイ

シャトルはL2ステーションの中空部にあるスペースポートに向かって速度を落としながら近づいていった。俺たちにとっては見慣れた光景だが、ひとつ違ったのは、それが、アカデミーの訓練用デッキではなく、その反対側にあるスペースガードの基地だったことだ。大小様々の船が並んでいる中を降りて行くのは壮観だ。特に目を引くのが、巨大な巡航艦である。最大で数千人が乗り組む巨大艦は、それ自体が一つの都市だ。宇宙船乗りを目指す誰もが、一度は乗ってみたいと思う船である。


「やっぱり、こっち側の景色はすごいな」


ジョージが言う。たぶん、全員が同感だろう。あの美月ですら、何も言わず景色に見入っている。やがて、シャトルは小型船が並ぶエリアの上で停止し、ゆっくりと着陸する。ゲートに到着すると、フランク先生とデイブさんが俺たちを待っていた。


「お帰り。すまないな、無理を言って」

「いえいえ、お安い御用です。先生」


ケイが言う。


「あんたねぇ、何一人でいい顔してるわけ?」


すぐさま美月が突っ込む。


「お久しぶりです。デイブさん」

「おお、元気そうだな。お嬢ちゃんとは仲良くやってるのか?」

「まぁ、その・・・相変わらずというか・・・」

「何よ、何か文句でも?」

「いや、そういう訳じゃ・・・」

「あははは、変わりないようだな。よかったよかった」

「ど、どういう意味ですか」

「ま、そういう意味だが。ところで、うちの奴がちょっと迷惑をかけたみたいだな。すまなかったな」

「それじゃ、あの通信は・・・」

「そうだ。例のコンピュータ、と言っても、こっちで動いている兄弟分が犯人だ。まぁ、そのおかげで、褐色矮星の件がわかったんだがな」

「そうでしたか。そう考えると僕らが見た夢とかの納得がいきます。全部、星にからんだ話でしたから」

「とりあえず、歩きながら話そう」


先生はそう言うとコンコースを歩き始め、俺たちもそれについて歩き出す。


「ところで、ST2Aの件ですが、もしかしてヘラクレス3で運ぶんですか?」

「いや、そうしたいのはやまやまなんだがな、ヘラクレス3には、今後のミッションの指令センターとしての準備と、重力シールドジェネレータを運搬してもらうから、しばらく出航できないんだ」

「それじゃ、別の船で?」

「そっちも、他の準備で出払っていてね、今回は自力で飛ぶことになる」

「でも、自力って、通常航行じゃ何年もかかってしまうんじゃ」

「そこは抜かり無いよ。ほら」


先生が指さした先、ゲート脇の強化シールドの向こうにST2Aが係留されている。だが、見覚えのある姿とはちょっと違う。


「これって・・・・」

「ワープドライブのアタッチメントですね」


脇にいたジョージが叫ぶ。ST2Aがオプションでワープドライブを使えるようになることは知識として知ってはいたが、それがもう完成しているとは思わなかった。


「そうだ。実はまだ試作品なんだがな。この際、航行テストも一緒にやってしまおうというわけだ。そのため、多少リスクを伴う。万一、故障したような場合は救援を待つことになるが、ヘラクレス3をはじめとする数隻の大型艦が数日で出航できるから、宇宙の迷子になることはないだろう。ただ、単純な故障では無く、なんらかの不具合が生じた場合、可能性は低いが致命的な損傷を受けることも考えられる。一応、君たちにはそのリスクを承知しておいてほしい」


そういうことか。ワープドライブのエネルギー源である高密度反物質反応炉が暴走した場合、俺たちは宇宙の花火になってしまう。歪んだ亜空間を飛ぶワープドライブの制御が狂えば、別の宇宙に飛ばされてしまう可能性だって僅かながらあるし、亜空間の高重力場に捕まって押しつぶされてしまう可能性もゼロでは無い。でも、程度の差こそあれ、宇宙に出るということは少なからずリスクを伴うわけで、それを覚悟でアカデミーに入った俺たちにとっては、いまさら考えるまでもない選択だろう。


「まぁ、それが怖かったらアカデミーには入れないよね。実際これまでも、ずいぶん際どいことになってるわけだし」

「そうね。望むところだわ」

「怖くないと言えば嘘になりますが、それでも必要なことですから私もかまいません」

「私も問題ない」

「僕は、新型機でワープできるだけで満足だよ。学生のうちからこんな幸運は滅多にない話だからね」

「そんなわけで、問題ないと思います。先生」

「君たちなら、そう言ってくれると思っていたよ」

「ただ、俺たちはまだワープの経験がありません」

「それは分かっている。機関の制御と航法は私が担当しよう。君たちも学科では基本を習っているはずだ。実際に飛ばして体感してみるといい」

「お願いします」

「よし、それじゃ早速だが、出航準備にかかるぞ」

「はい」


俺たちは先生に続いて船に乗り込んだ。もう何度も乗ったコックピットだが、いくつか見慣れない機器もある。ワープ関連の制御装置や航法装置だろう。


「噂には聞いていたが、こりゃすごい船だな」


後から入ってきたデイブさんが言う。


「そうだろう。アカデミー自慢の船だからな」

「できるなら俺が飛ばしてみたい所だが、今回は小僧どもに譲ってやろう。俺は、あのボロ船で後から行くよ」

「いいのか、ボロなんて言って。船長が聞いたらまずかろう」

「まぁ、皆口には出さないが思ってることさ。でも、そのボロ船に愛着があるし、好きなんだよ」

「宇宙で長期間航行するなら頑丈な船ほど安心できるからな」

「そういうことだ。ところで、一つ言っておくことがある。うちの船のコンピュータとアカデミーの兄弟分との通信リンクにこの船も入れておこうと思うんだ。今回の目的を考えれば、直接情報を交換できた方がなにかと便利だろう」

「そうだな。この後の作戦を立てる上でもそのほうがいい。接続設定をたのめるか」

「わかった。まずはシステムを起動してくれ」

「よし、それじゃ、全員荷物を格納したら持ち場についてくれ」

「了解」


俺たちは、コックピットの後ろにある小さな船室に荷物を入れてから、制服に着替えてそれぞれの持ち場に着く。


「よし、エイブラムス。システム起動シーケンスを開始してくれ」

「了解しました。システム起動開始します」


ジョージがそう言うと、これまで暗かったパネルのいくつかに情報が表示され始める。


「コンピュータ起動。各システム初期化完了。ファームウエアロード確認、各システムを順次起動。各ステーション接続と起動を確認。システムチェックシーケンス開始。異常なし。各ステーション確認願います」

「機長席機能チェック、異常なし」

「副操縦士席機能チェック、異常なし」

「ナビゲーション機能チェック、異常なし」

「情報通信機能チェック、異常なし」

「メディカルモニタ及び船内環境システム機能チェック、異常なし」

「全機能異常ありません」

「よし、ワープ航法システムも異常なしだ。それじゃ、デイブ、たのむよ」

「わかった。ちょっと通信席を借りるぞ」


デイブさんはそう言うとサムと席を交代して通信パネルに向かう。


「よし、これで接続は完了だ。基本的な通信機能と情報系システムへのアクセスは許可してある。あとは必要に応じてこっちで許可を出してくれ。最初はちょっとうるさいと思うが、そこは我慢してやってくれ。それじゃ、俺は準備があるから、船に戻るよ。気をつけてな」


そう言うとデイブさんは船を降りていった。


「それじゃ、準備を続けよう。次に機関チェックいくぞ」

「了解しました。メインパワーユニットの起動シーケンス開始、反物質温度、反応レベルに向けて上昇中。プラズマ発生機チェック、異常なし。続けてメインエンジンチェックシーケンス開始。慣性質量制御及び重力制御装置異常なし。反物質温度反応開始レベル。パワーユニット起動。エンジン出力ニュートラル。すべて異常なし」

「それじゃ、ワープドライブのチェックをやるぞ。エイブラムス、手順はわかるな」

「はい。ワープパワーユニット起動シーケンス開始。セーフティロックを解除、反物質温度上昇中、プラズマ発生機及びエネルギーコンバーター異常なし。ワープフィールド制御システム自己診断シーケンス開始。反物質温度、反応レベル。パワーユニット起動、出力ミニマム。ワープフィールドジェネレータ出力、ニュートラル。異常なし」

「よし、問題なさそうだな。それじゃ、ブリーフィングをやるぞ。全員、情報共有モードにしてくれ」


俺たちは情報共有モードに入る。コックピット前方に仮想映像パネルが開く。


「今回の目的地は、太陽から約1.2光年先の太陽系と外宇宙の境界領域だ。現在、問題の星は、この領域を光速の20分の1ほどの速度で太陽系中心部に向かって進んでいる。信じられない速度だが、これは現実だ。この速度では、星の前方には星間物質と電磁場による衝撃面ができていると考えられる。また星の後には、星間風の影響で長い尾を引いていると考えられるから、前後からの接近は危険だ。我々は、この星から0.1天文単位ほどの位置をキープしながら併走して情報を収集する。収集する情報は、星の正確な軌道と周囲の重力バランスや、太陽風の影響など、星の軌道変更計算に必要なものだ。このために、複数のセンサーを星の周辺に配置して計測することになる。これらの情報はリアルタイムに地球に送られて、対応策の立案に使用される。この船はL2を離陸後、惑星軌道面を離れ、ワープエントリーゾーンに向かう。そこから目的の座標までワープするが、ワープユニットの安定性を確認出来るまでは、出力を抑えて使う必要がある。速度は、段階的にレベル1からレベル8まで上げていき、2日ほどで目標座標に到達する予定だ。ワープに入った後は自動で航行するから、諸君は交代で休憩をとってくれ。後続の船は、遅くとも一週間以内には出航する予定で、最大ワープで数時間以内に合流するから、我々の仕事はそれまでにどれだけ情報を収集できるかが勝負になる。また、必要に応じて収集する情報を追加する必要もあるだろう。到着してからは、あまり休む暇はないだろうから、到着までに十分休息しておくように。以上だが、何か質問はあるか?」

「えっと、ワープ時の航路チェック用センサーの使い方って、一応授業では習ってますが、ちょっと自信が・・・」


ケイが少し不安そうに言う。


「大丈夫。制御はまかせて。データは通常空間用のものと変わらないし、単にレンジが広いだけだと思って扱えば問題ないはず。それに、航路チェックはほとんど自動化されている」

「そうだな。エドワーズの言うとおりだ。私もサポートするから心配しなくていい」

「わかりました。お願いします」


そう言う意味では、俺たちパイロットだって同じだ。実際のワープなんてこれまでやったことはないし、シミュレータでも体験授業で一度やったきり。不安が無いと言えば嘘になるが、そこは先生を信頼するしかないだろう。


「よし、他に無ければ、出航準備だ。各自、持ち場についてくれ。ボーディングドアを閉鎖する」

「了解!」


俺たちは、それぞれの持ち場について、再度、自分のシステムをチェックする。


「各システム異常なし。出航準備完了です」


ジョージが最終確認して報告する。


「よし。それじゃ行くぞ。エドワーズ。フライトプランの承認とタクシー許可をリクエストしてくれ」

「了解。フライトプランを送信、タクシー許可をリクエスト・・・承認されました。出発はカタパルトC3」

「よし、中井。あとは手順どおりだ」

「了解。管制システムに接続を確認。係留を解除します」


宇宙港内の移動はすべて自動である。港内の管制システムが、適切な経路で出発カタパルトまで誘導、牽引してくれる。俺たちの宇宙艇は、ゆっくりと動き始める。


「タワーへのコンタクト指示。通信、切り替えます。タワーとコンタクト。離陸はナンバーワン。カタパルト進入次第、離陸可能です」

「よし、離陸前チェックだ」

「操縦系統チェック、異常なし」

「ナビゲーションシステムチェック、異常なし」

「通信、情報処理機能チェック、異常なし」

「機関チェック、異常なし」

「間もなく、カタパルトC3に進入」

「離陸準備完了。サラウンドモードに切り替えます」


サラウンドモードに切り替わると、カタパルトのライトが目に入ってきた。いつもの訓練用カタパルトよりもずっと長い、惑星間航路用のカタパルトである。射出速度もまったく違う。サラウンドモードでの離陸は、いつかのゲーム以上のスリリングなものになるはずだ。


「機体離陸位置。いつでも離陸可能です」

「よし、中井。離陸しろ」

「了解。離陸します」


管制システムに離陸のリクエストを出せば、あとは自動でカタパルトから打ち出される。カウントダウンが始まり、その数字がゼロになった瞬間、周囲の景色が後ろに飛んで、俺たちは星の海の中にいた。


「射出正常。L2の制限エリアを離れます」

「L2デパーチャーにコンタクト。TCA通過まで制御を移行します」


L2の周辺航路は常に混雑している。TCAと呼ばれる周辺領域を離れるまでは、L2の管制システムによる自動制御が義務づけられているのである。しかし、それもこの速度なら、あっという間だ。


「L2のTCAを離れます。航行制御を機内に移行」

「インタープラネットコントロールにコンタクト。航路指示、230、320、速度ポイント02c、ワープエントリーゾーンFへ」

「針路、230、320、ポイント02cまで加速。ワープエントリーゾーンFに向かいます」

「航路正常。ゾーンF到達まで75分」

「自動操縦に移行します」


宇宙艇が向かっているのは、太陽系の惑星軌道面の外にあるワープエントリーゾーン。ワープの開始、終了時には周囲の空間を歪ませるため、重力波振動を発生する。混雑した惑星軌道面では、他の船に影響を与えるため、惑星軌道面から南北に離れた場所に、ワープに入るためのエントリーゾーンと出るためのアウトゾーンが設定されているのである。俺たちが宇宙艇で惑星軌道面を離れるのは、訓練中の事故で僚船のレスキューをやったとき以来だ。あの時は、危うくワープアウトする大型船の重力波振動に飲まれかけた。だが、今回は我々の船がワープする。基礎過程の学生がワープ航行の実習を行うことはない。基本的には専門課程に入ってからになるのだが、今、それを経験できるのは最高の幸運と言っていいだろう。


「先生、L2から通信が入っています」


サムが言う。


「よし、全員共有で出してくれ」


先生がそう言うとサラウンドモードの上に、仮想的な通信パネルが開いた。相手はデイブである。背景は見たことがある。貨物船ヘラクレス3のブリッジである。


「デイブ、どうした?」

「そっちはまだワープ前だろ。今のうちに一度通信のテストをしておこうと思ってな。特に問題はなさそうだな」

「ああ、こちらも特に問題はない。そっちの状況はどうだ」

「今、こっちのコンピュータ2台とアカデミーのセンターコンピュータを繋いで、軌道変更のためのシミュレーションモデルをテストしているところだ。今のところ大きな問題は出ていないが、やはり今の観測データだけでは、かなり精度が悪い。そっちが集めるデータがないと正確なシミュレーションは難しいな」

「やはりな。責任は重大ってことか。そっちが合流するまでに、出来るだけのデータを集めるよ」

「たのむ。今、こっちで、最適なセンサー配置を計算しているから、それはあとで送らせる。そっちのフライトコンピュータではちょっと荷が重いデータ処理になるから、こっちでバックアップさせる。先ほどセットアップした接続をバックアップに使うから、一度テストしてみよう」

「そうだな。こっちはどうすればいい?」

「基本的なインターフェイスは設定してあるから、それに対するアクセス許可を出してくれ。あとは、こちらでテストする」

「了解だ。エドワーズ、アクセス許可を出してくれ」

「了解。アクセスを許可しました」

「よし、いいぞ。やってくれ」


テストと言ってもコンピュータ上での話だから、実際に何かが起きるわけではない。おそらくは、船のコンピュータとアカデミー側との役割分担やそのためのプログラムなどのセットアップとテストが行われているはずだ。


「先生、通信量が急増しています。現在、帯域の70%まで消費、なお増加中」

「メインコンピュータの負荷率が60%を越えました。80%を越えると、運行処理に支障が出ます」

「なんだと。いったい何をやっている? デイブ、通信量が急増しているが、どうしたんだ」

「すまん、ちょっと待ってくれ。こら、相手は小型艇だ。少しは遠慮してやれ」

「通信量が帯域の20%まで下がりました」

「コンピュータの負荷も30%程度で安定」


どうやらデイブさんの一言で、コンピュータが通信量を絞ったようである。


「まったく、ひやひやさせやがって。これが旧式な船だったらアウトだったぞ」

「すまんすまん。通信回線の帯域が大きかったから、一気にやっちまったようだな。そっちのコンピュータの容量までは気が回らなかったらしい。こいつも、ちょっと張り切りすぎだな」


そう言ってデイブさんは高笑いするが、なんとなく確信犯的な香りが漂っているのは気のせいだろうか。


「まったく・・・、それでテストのほうはどうだ?」

「基本的なテストはOKのようだ。今、そっち側のシステムと、うまく協調動作ができるように最適化処理をやっている。あと10分ほどで終わるから、もうしばらく待ってくれ」

「あと1時間ほどでワープに入る予定だ。なるべく急いでくれよ」

「了解だ。終わったらまた連絡する」


デイブさんがそう言って通信は切れた。コンピュータの能力や挙動が未知数な分、ちょっと不安が残るが、バックアップは必要だ。


「よし、交代で飯にしよう。30分ほどで済ませてくれ。クレア君、準備をたのむ」

「わかりました」


マリナが席を立つ。なんともせわしない話だが、ワープに入ってしまうと、しばらくは気が抜けない。今のうちに食事をしておくのは悪くない。


「美月、先に行っていいぞ。俺が見てるから」

「それじゃ、お言葉に甘えるわ。居眠りとかしないでよね」

「余計なことを言ってないで、早く行け」


まったく、常に一言多い奴だ。


「サム、通信は私が見てるから行って来ていいよ」

「よろしく。お先に」

「エイブラムスも行ってこい。私が見ておこう」

「それじゃ、お願いします」


そんな感じで、コックピットには俺とケイ、フランク先生の3人が残って、あとのメンバーは後の船室で食事となった。小型艇だが、長距離航行も想定されているので自動調理器を備え付けられるようになっている。普段の訓練では使わないので、通常は取り外されているのだが、今回は必要である。


「おお、なんと私とケンジの二人きりかぁ。チャンスかな?」

「おいおい、私もいるのを忘れちゃ困るぞ」

「あ、先生はカウントしないんで、大丈夫です」

「お前なぁ、失礼だぞ。ふざけてないで、サムの分もしっかりチェックしておけよ」

「はーい、リーダー様」


まったく、ケイは相変わらずだ。これから、未経験のオペレーションの連続になるのだが、もう少し緊張感を持って欲しいものだ。


「あれ?」

「なんだ?」

「これ、なんか船の全システムがスキャンされてるんだけどさぁ・・・」

「スキャンって、まさかウイルスか?」

「いや、違うな。通信回線経由だから、おそらくアカデミー側からだろう」


フランク先生が言う。しかし、全システムをスキャンするなんて、何をするつもりなのだろう。


「まぁいい。あとでデイブから説明があるだろう。しばらく様子を見ておこう」

「なんだか、覗かれてる気分。ちょっとゾクゾクしちゃうなぁ」

「あのなぁ、もうちょっと真面目に・・・」


俺が言いかけたとき、コックピットのスクリーンに小さなコミュニケーションパネルが現れた。


「コンニチハ。コレカライロイロト、オテツダイシマス。エンリョナク、ナンデモイッテクダサイ」


パネルには、そんな表示が出ている。どうやらL2のコンピュータからのメッセージのようだ。


「ほぉ、文字ベースのコミュニケーションとは古風だな」


先生が言う。


「コミュニケーションハ、オコノミデカエラレマスヨ。タトエバ・・・」

「音声にすることもできます」


今度ははっきりとした声が聞こえてくる。ほとんど違和感がない自然な女声である。


「そうだな。どちらかと言えば音声のほうがいいだろう。そうしてくれ」

「了解しました。音声コミュニケーションに切り替えます」


コンピュータがそう言うのと同時に、パネルが消えた。


「よろしくたのむ。ところで、君のことは、どう呼んだらいい?」

「・・・」


先生がそう言った後、少し間が空いた。もしかしたら、名前はまだないのだろうか。


「ユイ・・・と呼んでください」

「わかった。ユイ。よろしく頼むよ」

「こちらこそ、よろしくお願いします。リービス先生」

「フランクでいいよ。ところで、この船を色々調べていたみたいだが・・」

「すみません。お気に障りましたか?」

「いや、君にバックアップしてもらえると助かる。何か気がついたことはないかな」

「はい。反物質反応炉のパラメータを調整すれば、あと10%は出力を稼げます。それから、重力エンジンの高出力域でのバランスを、もう少し調整した方がよさそうです。いずれも自律制御系に対して学習データをアップロードできます。それから、ワープユニットの制御が少々不安定になる可能性があります。これについては、実際にワープを開始しないと最終的な修正が難しいですが、ワープ開始前にシミュレーションをもとに調整を行うことができます」

「驚いたな。あの時間でそこまでわかるとは。よろしい。調整をたのむ」

「了解しました。作業開始。4分32秒で完了します」


ユイの能力は以前にヘラクレス3で見た兄弟分のことを考えれば明らかなのだが、実際にここまで短時間に、はじめての船を掌握できるとは驚きだ。


「ねぇねぇ、ユイちゃん。私のところは何かないのぉ?」


ケイがいきなり、横から割って入る。


「沢村さんですね。ナビゲーションシステムは今のところ特に問題はありませんが、もし、必要があれば、科学局の衛星群や、航路局の亜空間ベンチマークのデータなどを使って、情報を拡張できます。ただ、情報過多に陥ると困るので、現状ではおすすめできません」

「そっか。まぁ、仕事が増えても困るから、それは必要になった時にでいいかな。あ、それから私もケイでいいよ」

「よろしければ、中井さんと星野さんのお二人に、ちょっとご協力願いたいのですが」

「あ、俺もケンジでいいよ。協力って?」

「できれば、今のうちに抽象思考インターフェイスのテストを行っておきたいのです。もし、双方向のコミュニケーションを許可していただけると助かりますが、プライバシーの問題もあるので無理にとは申しません」

「それって、つまり心を読むってこと?」

「簡単に言ってしまえば、そういうことになります。星野さん。単に心だけでなく、実際に様々な感覚も共有することができます。もちろん、私は、ミッションに必要な場合しか、そうした情報にはアクセスしませんし、普段はそちらで停止しておいていただいても結構です。ただ、実際にお二人が感じている情報をもとに、こちらで直接的に支援ができればと思いますので」

「まぁ、あんまり気持ちいい話じゃないけど、私はいいわよ。それから、私も美月でいいから。ケンジもいいわよね」

「ああ。美月に読まれるよりは、ずいぶんマシだしな」

「うるさいわね。あんたの心なんか頼まれても読まないわよ」


いかんいかん、ちょっと一言余計だったか。たしかにちょっと不安はあるが、それでも、このミッションがうまくいくなら問題はない。それに、ちょっと面白い経験になりそうだ。


「それでは、まず、皆さんと情報共有させていただけますか。双方向モードでお願いします。通常のインターフェイスをテストしたあとで、お二人の抽象思考インターフェイスのテストを行います」


俺たちが情報共有モードになると、視野内に小さなパネルが開いた。


「このパネルに私からの情報を投影します。船の情報システムと連携した場合は、こんな感じです」


ユイがそう言うと、いつもの情報パネルが一緒に表示された。これは、ジョージが整理してくれたものだ。


「ひとつ提案ですが、たとえば情報をこのような形で整理しなおすと、より効率的ではないかと思いますが、いかがですか?」


次の瞬間、船の情報パネルが、少し形を変える。表示される項目や位置はほとんど変わらないが、色合いやコントラスト、文字のフォントなどが格段に見やすくなった。


「すごいな。僕にはこんな芸当は無理だよ。いい感じじゃないかな」


いつの間にか戻ってきたジョージが言う。


「ありがとうございます。エイブラムスさん。皆さんはいかがでしょう」

「問題ない。視認性が格段に上がった」

「そうですね。私のところも、すごく見やすくなりました」


サムとマリナも問題なさそうだ。


「俺も、これでいいと思う。美月はどうだ?」

「私もこれでいいわ」

「先生もよければ、これで行こうと思いますが、どうですか?」

「うむ、私も異論なしだ」

「それじゃ、ユイ。これでたのむ。あと、ほかのみんなもファーストネームでいいよね」

「うん、いいよ」

「問題ない」

「私もマリナでいいですよ」

「皆さん、ありがとうございます。それでは、このパターンを登録しておきます。各ステーションのデータにも問題なくアクセスできているようですので、これからケンジさん、美月さんのインターフェイステストに入りますね」

「了解」

「いいわよ」


ユイがそう言ってから、しばらくは何も起きなかった。


「それでは、ちょっとワープ航行のシミュレーションをさせてください。実際の機関は動かさずに、操作と反応をシミュレーションします」

「それはいいわね。一度やっておきたかったのよ」

「そうだな。やってみよう」

「それでは、手順通りのシーケンスで操作してみてください。まず、ケンジさんからお願いします。美月さんはアシストに入ってください」

「ちょっと待ってくれ」


フランクが割って入った。


「どうせなら、全員でやらせてくれないか。そのほうがいいだろう」

「そうですね。了解しました。それでは皆さん、配置についてください」


ジョージ、サム、マリナが席に着く。


「それでは、状況をワープエントリーゾーンFに入ったところに設定します。準備がよければ始めてください」


ユイがそう言うと、サラウンド機内の各システムの表示か変わる。もちろんこれはユイが出した仮想的な表示だ。以前にも使ったが、訓練艇であるST2Aには、様々なシミュレーション機能が用意されている。今は、それをユイが制御しているのである。


「よし。それじゃ始めるぞ。通常の手順で行く。エドワーズ、インターステラにワープ許可を申請してくれ」

「了解。インターステラ・コントロールにコンタクト。航路承認。ワープ許可おりました」

「よし、エイブラムス、機関始動だ」

「了解。反応炉安定。出力制限を解除。ワープエンジンへのパワー供給スタンバイ。いつでも行けます」

「よし、準備はいいな。航路を設定でき次第、ワープ開始だ」

「了解。航路設定開始。座標入力確認。いつでもいいよ」


ケイが言う。


「ワープチェックシーケンスを開始」


ワープ開始前のチェックは色々と複雑だ。基本的に自動だが、パイロットはその一部始終を監視しておく必要がある。これは俺も初体験なのだが、不思議と不安もなく、まるで何度もやった手順のように、すべてが明瞭である。まぁ、この神がかり的な感覚は、あの入学式前の事故の時を含めて、これまでも、美月を含む情報共有モードの際に時々あったものだが、今回は特に、はっきりと感じる。その気になれば、なんでもできそうな感じだ。


「なんだか、不思議な感覚だわ」


美月がつぶやく。やはり俺と同じ感覚を味わっているのだろうか。そう思って美月の方を見たら目が合った。その瞬間に感じたのは、あの事故の時、覚悟を決めた時の感情、そして次に、なにやら甘酸っぱい感覚だった。だが、次の瞬間には、そんな感情は消えて俺は我に返っていた。


「な、なに見てるのよ」

「い、いや。別に」


美月も我に返ったように、赤面して言う。まさか、同じ感覚を味わっていたのだろうか。しかし、今はそんなことを考えている場合ではない。


「チェックシーケンス正常終了。それじゃ、行くぞ。カウントダウン開始。10秒前・・・」


目の前のパネルでカウントダウンが始まる。


「3・・・2・・・1・・・ワープ」


俺がそう言うと同時に、前方スクリーンの視界が大きくゆがんで、その直後、幾筋もの光が流れた。


「ワープエントリー完了。ワープレベル0.1から加速中」

「反応炉出力10%から上昇中」


ワープ速度は光速、つまり1cを基準にして、その倍数の2の対数で表される。つまり、レベル1が光速の2倍である。今、光速を少し超えたあたりから、レベル1に向かって加速しているのである。


「航路マップ投影。コース正常」

「速度、ワープレベル1に到達。自動制御に移行する」

「反応炉出力15%で安定。異常なし」


やれやれ、どうにか無事に完了したようだ。シミュレーションとはいえ、自動制御に移行すると、プレッシャーから解放される。


「お疲れ様でした。手順その他、特に問題ありません。船の情報系も正常に動作しています。お二人のインターフェイスへのアクセスも調整できました。これでシミュレーションは終了です」


ユイがそう言うと、周囲の様子が元に戻った。


「ワープアウトゾーン到達まで、あと25分です」


そういえば、まだ飯を食っていないのだが、どうやらその時間はなさそうだ。


「これ、食べてください」


マリナがそう言って、サンドイッチとコーヒーの入ったボトルを渡してくれた。さすが気が利く。どこかの誰かとは、えらい違いだ。


「あ、ありがとう。助かるよ」

「実は美月が持って行こうって言ってくれたんですよ。私たちもゆっくり食べる時間がなかったので」

「ふん、感謝しなさいよね」

「お、おお・・、ありがとうな、美月」

「なんか、マリナとは態度が違うのよね、あんたは。別にあんたのためじゃないんだからね。ケイや先生もいるし、空きっ腹で飛ばれちゃ迷惑だからよ。勘違いしないでよね」


いちいち、面倒な奴である。だが、今はとりあえず、これを食うのが先決だ。しかし、あの感覚は何だったのだろう。あの事故の時、もうこれで最後と覚悟を決めた時、俺と美月はキスをした。あの時の感覚がリアルに戻ってきた感じである。俺にとっては、たぶん美月にとっても封印したい記憶なのだが、こんな時に思い出すとは、なんともタイミングが悪い話だ。


「さて、食べながら聞いてくれ。ワープエントリーしたら、自動制御に移行して、その後、システムチェックをしながら、徐々に加速していく。最終的には2日かけてレベル8まで上げる予定だ。その間、君たちには交代で休憩と仮眠をとってもらう。残りのメンバーはシステムチェックと航路監視にあたってもらう。狭い機内なので、あまりゆっくりはできないだろうが、そこは我慢してくれ」

「了解しました」

「それじゃ、ワープに移る前に、各自、再度、持ち場のシステムチェックをしておいてくれ。以上だ」


さて、あと20分ほどで本番である。これまで太陽系外に出たことがない俺は、生まれて初めてのワープ体験だ。しかも、自分が操縦している船だから、緊張しないと言えば大嘘になる。でも、そんなことを言ったが最後、また美月に馬鹿にされるだろうから、黙って準備することにしよう。

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