第5話 夜更かし、悪夢、そして海
「だいたい美月はさぁ、ケンジとどうしたいわけ?」
ケイがポテチをくわえながら美月の顔をのぞき込む。その頃、女子たちもまた、いわゆるガールズトークに花を咲かせていた。
「どうしたいって、どういう意味よ。あいつは私の下僕以上でも以下でもないわ」
「その下僕ってのが微妙なんだよね。美月なりの愛情表現ってやつ?」
「あ、愛情って何よ。なんで私があんな奴に」
そう言いながら、美月はかなり赤くなっている。
「ほらほら、美月ってば正直なんだから。ゆでダコみたいになってるじゃない」
「あ、あんたがあんまり恥ずかしいことを言うから赤面しただけよ」
「ほんとかなぁ」
「うるさいわね」
ケイはちょっと意地悪そうな表情で美月の顔をのぞき込む。美月は、いまにも噛みつきそうな勢いでケイを睨んでいる。
「ところで、マリナって、誰か好きな男はいるの?」
「え、え、なんで私ですか?」
唐突に話を振られたマリナはかなり慌てている。このあたりはケイのお得意だ。美月に火をつけておいて、危なくなると話をはぐらかす。結果として、全面衝突は回避できるのである。しかし、いきなり話を振られたほうは大変だ。
「だってさ、成績学年トップで生徒会役員。でも、美人で気は優しくて天然系。こんなおいしい設定ないからね。いろんな男から告白されてたりするんじゃないのかな」
「そんなことないですよ。生徒会が忙しくて、クラスの人たちともあまりお話しできませんから。残念ですが、男子とはご縁がありませんね」
「へぇ、そうなんだ。でも、残念、ってことは、ご縁が欲しい・・・んだよね」
「あ、そ、それは、無いよりは、あったほうが・・・あ、あくまで一般論ですよ」
「それじゃ、あくまで一般論として聞くけど、ケンジみたいなタイプはどうかな?」
「え、ケ、ケンジ君ですか?」
「そう、中井ケンジはどうかな?」
「あ、いい人だと思いますよ。リーダーとして頼りがいもありますし」
「そうじゃなくてさ、マリナ的に恋愛対象かどうかって話なんだけど」
「あの、私はあまりそういうことは考えたことがなくて・・」
といいながらマリナも真っ赤になっている。
「そういうあんたはどうなのよ。人にばっかり聞いてないで、自分のことも話したら?」
脇から美月が突っ込みを入れる。
「え、いまさら言うまでもないと思うけど? はっきり言って欲しい?」
「どうでもいいわ。でも、あいつは私の下僕なんだから、勝手に手を出さないでよね」
「美月さぁ、いつまでも下僕一辺倒だと、そのうち逃げられるよ」
「ほっといてよ。逃げるんだったら逃げればいいじゃない。私は別に、あんな奴、なんとも思ってないんだから」
「素直じゃないなぁ。まぁ、美月らしいんだけどさ」
「でも、ケンジ君は不思議な人ですよね。なんというか、普段はあまり目立たないけど、土壇場ではすごく頼りになるというか。私もこの半年で、ずいぶん見方が変わりました」
「おお、ということは、マリナも参戦する? ケンジ争奪戦」
「ええ? そういう意味じゃないですよ」
「うーん、美月はともかく、マリナは強敵かも・・・」
「あのね、勝手に争奪戦にしないでくれる?」
「やっぱ、気になる?」
「ち、違うって言ってるじゃない!」
と言う感じで、なにやら不穏に盛り上がっている。それを冷静に脇から眺めているのがサムなのだが、ケイの無茶振りからは逃れられない。
「そういえば、サムって、ジョージとはどうなのさ」
「どうということはないけれど、共通の話題は多い」
「うんうん、趣味とか話が合うってのは相性的には重要だよね」
「相性、と言えば言えるかもしれない。でも、恋愛を念頭に言ってるのだったら、今のところは無縁」
「えーそうなんだ? まぁ、ジョージの奴も、そっちはからっきしみたいだから、無理もないとは思うけどさ」
「ケイ、あんた、どうしてもそっちに話を持って行きたいみたいね」
「当然じゃない。高校生のガールズトークといえば、色恋沙汰って相場が決まってるでしょ」
「まったく、くだらないわね。勝手に色ぼけてなさい。私はもう寝るから」
「えー、もう寝ちゃうわけ?付き合い悪いなぁ」
「付き合い悪くて結構よ。おやすみ!」
美月は立ち上がって部屋を出て行こうとする。
「あ、美月さん、明日はどうします? とりあえずの動きだけでも決めておきませんか?」
「そんなの、明日起きてから考えればいいじゃない」
「でも、行くところを決めてれば、ケンジ君たちと現地で合流できるし、時間の節約にもなりますから。それに、朝寝坊もできますし」
「朝寝坊できるってのは重要だね。ざっと相談だけしておこうよ」
「それには同意」
「しかたないわね。さっさと決めて寝るわよ」
そんな感じで、女子たちは明日の相談を始めるのだった。そもそも、東京行きは決めたものの、具体的に何をするかは、花火見物を除いてまったく考えていなかったのである。
一方、ケンジ宅のほうはというと・・・
「これをお前にと思ってな」
と親父が持ってきたのは、銀色のブレスレットである。
「これは? てか、俺にブレスレットかよ?」
「いや、これはDIユニットだ。今持っているのに比べるとだいぶアップグレードされてるんだが」
「俺にこれをつけて歩けってのか? どう見ても似合わないだろ」
まったく、親父は何を考えてるんだか。だが、こいつはどこかで見たことがあるような・・・
「でも、お父さんと母さんは学生の頃、お揃いで使ってたのよ」
「まぁ、あれはこれに比べるとだいぶレベルが低い代物だったけどな」
「ってことは、これも親父のお手製か?」
「もちろんそうだが」
「そんな危険なモノ、遠慮するわ」
「おいおい、信用無いな。一応、少ないけど実績はあるんだぞ」
「実績? いったい誰を実験台に・・・・」
そう言いかけて、俺は気がついた。美月が持っているDIユニットがこれとまったく同じじゃないか。まさかとは思うが・・・
「知りたいか?」
「いや、言わなくていい。想像がついた」
「お揃いも悪くなかろうと思ってな」
「だから、それが一番困るんだよ。どうして俺が美月とお揃いのブレスレットをしなきゃいかんのだ。てか、美月のDIも親父が作った代物だったのか?」
「ああ、たしか彼女の13歳の誕生日のプレゼントに、アンリに渡したのが最初さ。いまのは二代目だな。例のシャトル事故の後で、壊れたというので新しいのを贈ったんだ。これと同じバージョンをな。アンリいわく、情報量が一般の人の10倍はあるそうなので、かなり処理能力を上げてみた。まぁ、その量子演算ユニットがあればさらに10倍にはできると思うんだが」
「なるほど、確かに美月のDIユニットが、よく彼女の情報量に耐えてるなと不思議に思ってたんですが、そういうことだったんですね」
ジョージがちょっと身を乗り出し気味にして言う。ということは、親父は美月の両親とグルで、彼女を実験台にしていたってことだ。それを美月が知ったら、そのとばっちりは全部俺の所に来るに違いない。考えるだけでちょっと寒気がする。
「それに、プロテクションもかなり強化してるんだ。強力なEMPを食らっても、壊れないし、オーバーロードのショックも、ほぼ吸収するようになってる。宇宙艇のパイロットにはありがたい機能だと思うけどな。壊れた前のバージョンをヒントに改良したわけだが」
たしかに、最終的に壊れはしたが、美月のDIユニットがなかったら、あの事故は乗り切れなかった。それは認めざるを得ない。
「それは有り難いけど、できれば今の形のままにできないのか?」
「残念だが、それに使えるパーツがもうないんだよ。しかも、パワーエレメントだ。お前のもそろそろ寿命が近いからな。いずれにせよ、遠からず使えなくなるだろうし、ちょうどいいタイミングだと思うんだが」
「あのなぁ・・・それじゃ、結局俺はこれを使うしか無いってことじゃないか」
「そういうことだ」
親父はあっさりと言ってくれる。親父が作ったという不安感を除けば、機能的には言うことは無い。唯一俺が一番気になるのが、美月とお揃いだということである。まさか、これは親同士の密約とか陰謀と言った話ではないのか?あまり考えたくない話だが。
「いいじゃない。パイロット二人がお揃いのブレスレットってのもオシャレよ」
お袋も適当なことを言ってくれる。
「お父さん、沙依も同じの欲しいな・・・。お兄ちゃんとお揃いがいい!」
また、こいつは話をややこしくする。いや、沙依とお揃いというならまだ美月にも言い訳はできるか・・・
「そうだな。沙依が高校に入ったら入学祝いに作ってやろう」
「えー、高校入るまでダメなの?」
「だいたい、沙依は、まだ進路なんて考えてないでしょ」
「そうだな。これは、将来の進路に合わせた機能を組み込めるから、少なくとも高校に行ってある程度方向が決まった方が作りやすいな」
ここはひとつ・・・
「でも、沙依は女医さんになりたいんじゃなかったのか? とりあえず、メディカル系のサポート機能を入れておけばいいんじゃ? それに、メディカル系なら、別の方向に進んでも重宝しそうだけど」
「さすが、お兄ちゃんっ! そうだよ。沙依はお医者さんになって、お兄ちゃんが病気になったら治してあげるんだから」
「うーん、まぁ、それもそうだな。スペアパーツはあるから、とりあえず作って見るか」
「もう、あなたは沙依に甘いんだから。じゃぁ、一つ条件をつけるわね。次のテストで成績が上がらなかったら、上がるまで没収よ」
「げ・・・お母さん、それはきついです」
「嫌なら・・・」
「あ、頑張ります。だから、お願いします!」
「よし、テスト前にわからないことがあったらお兄ちゃんに聞きなさい!」
「あら、ケンジが沙依の肩を持つなんて珍しいじゃない」
「いやいや、一応、兄ですから・・」
「お兄ちゃん、沙依嬉しい。大好きっ!」
沙依はそう言うと俺に抱きついてくる。これはちょっと・・・・。子供だと思っていた妹だが、もう中学2年。しっかり出るところは出ているわけで・・・。俺は不覚にも少し赤面してしまう。でもまぁ、これで美月への言い訳はできる。気休めに過ぎないことはわかっているのだが、一方的に非難されるのは癪にさわるから、せめて言い訳は用意しておかないといけない。我がブラコン妹も使いようだ。
「ところで、ケンジ。明日はどうするんだ?」
「明日かぁ、実は何も考えてないんだけど」
「なんだかケンジらしいわね。でも、せっかく美女4人のお供なんだから、しっかりリードしないとダメでしょ」
「リードなんて、とんでもない。俺が太刀打ちできる連中じゃないことくらい、お袋だってわかるだろ」
「ほんと、誰に似たのかしらね。情けないったら」
お袋はそう言うと親父のほうを見る。それを予想していた親父はさっと目をそらす。このあたりはあうんの呼吸ってやつなんだろう。そもそも、俺が誰に似たかなんて愚問だ。きっちり、両方のいいところと悪いところを受け継いで、しかも、時々その両方が俺の頭の中で喧嘩したりするのだから。
「お兄ちゃんは、どっちかと言えばお父さん似かな。沙依はもちろんお母さん似だよね」
「あら、私に似たんだったら、もう少し身の回りのことをきちんとしなさいよね」
「ごめんなさい。自爆でした・・・」
沙依は、ぺろっと舌を出して屈託なく笑う。結局は、二人ともしっかりと両方からあれこれと受け継いでいる。どうせなら、都合の悪いところは先に遺伝子操作で修正しておいてくれればいいと思うのだが、美月に言わせると、そんなことは今の遺伝子工学技術をもってしても出来ないのだそうだ。そもそも、人格や性格の本質的なところはまだ闇の中だというのが彼女の両親の、つまり現役トップレベルの遺伝子工学者の意見らしいのである。
「ねぇ、お兄ちゃん。明日はベイエリアへ行こうよ。お店も多いし、アトラクションもいっぱいあるからさ」
「お前が行きたいところへ行ってどうする。明日の行き先は、明日、みんなの意見を聞いてだな・・・」
と、俺が言いかけた時、俺のコミュニケータに着信があった。マリナである。しかし、これは何というタイミングだろう。しかも・・・・
「明日はベイエリアに泳ぎに行こう、ってさ」
「ほらね。沙依はそんな気がしたんだよ」
「で、お前も来るつもりか?」
「うん、ってダメ?」
沙依は、ちょっと困った顔をして上目遣いで俺の目を見る。正直言って俺はこの顔に弱いのである。ついでに言えば、親父はこれをやられるとデレデレになってしまう。間違いなくこれは遺伝だ。この部分はお袋のをもらいたかった気がする。
「ダメだ!・・と言いたいところだが、明日他の皆に聞いてOKが出たらな」
「わーい。それなら大丈夫だよ。お姉さんたち優しそうだから。そうだ、明日と言わずに今連絡して聞こうよ。そしたら、明日は現地で待ち合わせ出来るよ」
「お前な・・・ったく」
俺はしぶしぶコミュニケータでマリナを呼び出した。もちろんマリナが拒否するはずも無く、向こうは全員一致で大歓迎という答えが、すぐに返ってきた。これで、明日も俺はこいつに翻弄される一日が確定だ。美月とケイだけでも疲れるのに、それに沙依が加わるとどんな騒ぎになるのだろう。そう考えると、ちょっと胃が痛むわけで・・。
「明日は、ベイエリア中央公園の東口に10時半集合だとさ」
「了解ですっ!楽しみ!」
「ところで沙依、明日の分の宿題はどうするの?」
「お、お母さん、厳しいです。こうなったら、今夜、寝る前にやっちゃうから!」
「本当にこの娘は誰に似たのかしらね。遊ぶとなると気合いが入るんだから」
さて、そんな感じで夜も更けたので、俺とジョージは俺の部屋で枕を並べて寝ることになった。ぼんやりと、明日起きるであろう騒動を想像しつつ、俺はいつしか眠りに落ちていた。
それは目眩に似た感覚だった。体が漆黒の空を漂っているような。上下左右の感覚も無く、木の葉のように流されていく。俺の周りを流れているのは大小様々な星たちだ。赤い星、青い星、金色や銀色に光る大小の星たちが俺を押し流していく。これは夢か。川の向こう岸には、美月がいる。たぶん、俺はそこに行こうとして川に流されてしまったのだ。美月は何かを叫びながら俺に手をさしのべている。でも、その手は届きそうで届かないところにある。俺は必死になって川を泳ぐのだが、どうやってもそれ以上は美月に近づけない。川の下流に目をやると、そこには青い地球が浮かんでいる。星の川は、その地球に流れ込んでいる。俺はもう一度美月の手をつかもうと上流に目をやって凍りついた。巨大な星が、川を流れてくるのだ。美月はそれに気づいていない。このままでは・・・ダメだ、動けない・・・。
「美月、上を見ろ。危ない!」
次の瞬間、すべてが消えて、俺は暗闇に包まれていた。
夢か・・・。気がつくと窓から朝の光が差し込み、小鳥の声が聞こえている。悪い夢だ。じっとりと汗ばんだ体の不快さを感じながら、俺はぼんやりと天井を眺めていた。そういえば、静止軌道からのシャトルで見た夢。あの時も川に向こう側には美月がいた。まるで、あの夢の続きを見たようだ。何か落ち着かない。
「ケンジ、大丈夫かい。だいぶうなされてたようだけど」
ジョージが心配そうにそう言う。
「いや、なんだかおかしな夢を見たよ。変な気分だ」
俺はそう言うと、とりあえず起き上がる。なにやら体中汗だくになっている感じだ。とりあえずシャワーでも浴びたい。俺は力一杯背伸びをして、それから深呼吸する。体に酸素が行き渡って、意識がはっきりしてくる。
「ケンジが悪夢なんて珍しいね。疲れてるのかい」
「いや、悪夢・・・というか、おかしな夢だったよ。確かに、ちょっと疲れてるのかもしれないな」
「まぁ、美月にケイ、それから沙依ちゃんの3人を相手にするのは、流石のケンジでも大変かな」
ジョージは冗談のつもりかもしれないが、正直言ってシャレにならんわけで・・・。
「そう思ったら、ちょっとは手伝ってくれ」
「うーん、僕には厳しいね。遠慮しとくよ」
「あっさりと言ってくれるぜ」
俺はそう言うとパジャマを脱ぎ捨て、そのまま風呂場へ行って、ざっとシャワーを浴びた。しかし、あの夢はなんだったんだろう。どうして、またしても美月なんだ。それにあの星は・・・。そんなことを考えながら、俺はしばらくシャワーの下で固まっていた。
300年前の建造物集約の際、東京湾岸の埋め立て地も大幅に整理され、東京湾を囲むように階段状の集合住宅区画が作られ、人工島のいくつかには、オフィスエリアや商業施設、公園や遊園地などが整備された。住居やオフィスエリアの地盤は海面から50mほどの高さに造成され、数百年に一度発生する大津波にも耐えられるように作られている。もちろん、巨大な津波を打ち消す技術も、300年前には、ほぼ実用段階にあったのだが、万一それらが使えなくなった場合も想定して、こうした対応がなされたのである。海沿いは遠浅の砂浜や干潟が造成され、夏には海水浴客で賑わっている。かつて工場排水や生活排水で汚れきっていた東京湾も、今は透明度が数十メートルの場所もある綺麗な海になっていて、様々な魚や海洋生物、海鳥などの楽園になっているのである。
俺たちは、車でベイエリアへと向かう。隅田川沿いを下ると、やがてなだらかな丘が見えてくる。川は丘の手前で地下へ消える。川沿いの道路は丘を上がる道とトンネルに枝分かれするが、俺たちの車はトンネルに入る。このトンネルは住居地区の下を抜けてその先の人工島エリアに繋がっているのだ。
やがて車はトンネルを抜ける。目の前には青い海が広がって、まるで南の楽園に来たような気分になる。中央公園は隅田川河口の周囲に作られていて、林の向こう側は砂浜になっている。俺たちは東口のロータリーで車を降りる。ちょっと湿気を含んだ風が海の香りを運んでくる。
「あ、お兄ちゃん、あそこだよ」
沙依が指さした方に、美月、ケイ、マリナ、サムの4人が見える。しまった、後れを取ったか。この分だと、また美月が騒ぎそうだ。
「遅い!私たちを待たすなんていい度胸ね」
・・・と、いきなり美月の文句が飛んでくる。
「遅いって、まだ時間には少しあるだろ」
「ふん、ぎりぎりに来るなんていい度胸だって言ってるのよ」
「まぁまぁ、皆さん揃ったことですし、とりあえず海辺へ行きませんか」
いいタイミングでマリナが入ってくれて、俺たちは林を抜けて砂浜のほうへ向かう。海辺には、小洒落たテラスが並んでいて、水着姿の人たちがくつろいでいる。マリナが朝のうちに予約を入れてくれていたようで、俺たちはテラスのビーチパラソルを二つ確保できた。
「さて、とりあえず水着に着替えかな」
「そうですね」
「ケンジ、期待していいよ。マリナの水着姿はちょっとすごいから」
「え?何がですか?普通ですよ」
マリナがちょっと赤くなっている。
「じゃ、沙依も着替えよっと」
ケイ、マリナ、沙依の三人は、そう言うと更衣室のほうへ歩いて行く。
「あれ、美月は行かないのか?」
「そんな気分じゃないわ。ほっといてくれる」
美月はそう言うと、デッキチェアにどかっと座ってしまった。そう言えば、なんとなく今朝は様子がおかしい。不機嫌、なのはいつものことではあるのだが、単に不機嫌というだけではない、なにやら不穏な感じがするのは気のせいだろうか。
「どうしたんだよ。何か気になることでもあるのか?」
「なんでもないわ。だから、ほっといてって言ってるでしょ」
まぁ、ここで根掘り葉掘り聞いても、それで何かを喋る美月じゃないのは承知している。それどころか、さらにご機嫌を損ねる可能性が高い。とりあえず、様子を見ておこう。
「とりあえず、俺たちも着替えようか、ジョージ」
「そうだね。あれ、サムは?」
「泳ぎは苦手。だから、私はここで本でも読んでいる」
「そっか。それじゃ・・・」
ここまで来て泳がない手はない。美月とサムを残して、俺とジョージも、着替えに更衣室へ向かった。
とりあえず、俺たちは水着に着替えて戻ったが、女子たちはまだ戻っていない。まぁ、何かと時間もかかるのだろう。サムはデッキチェアで本を読んでいる・・・と言っても実際のところ、俺たちに本が見えるわけではない。これも、インターフェイス経由で視覚に直接渡されている情報だからである。美月はと言えば、あいかわらず不機嫌そうな様子で帽子を顔にかぶって寝そべっている。ちょっと気になるのだが、だからといって声をかければ余計に機嫌を損ねてしまうに違いない。触らぬ神に祟りなしである。
「お兄ちゃ~ん」
沙依の声だ。振り向けば花柄のフリルがついたビキニを着て走ってくる。いつのまにか、ずいぶん成長している妹に、俺はちょっとドキドキする。沙依の水着姿なんて、小学校時代以来かもしれない。中身はあまり変わっていないように思うのだが、外見はまったく別人みたいだ。
「どう?沙依の水着。この前、新しく買ったばっかりだから、これがお披露目だよ」
「まぁ、なんだ。いいんじゃないかな?ビキニはちょっと早い気がしないでもないが」
「お兄ちゃん、テレてるでしょ。沙依ももう子供じゃないんだからね」
「何を生意気な。十年早いわ!」
「えー、十年もたったら、おばさんだよ」
沙依が大きな声で言うので、俺は慌てて周囲を見回した。幸いにも、気づいた女性は周囲にはいないようだ。小心者の俺は、こういうところをつい気にしてしまうのである。
「お前な。大声でおばさん言うなよ」
「おばさんって誰のことかなぁ?」
気がつくとケイが脇に立っている。これまた結構悩ましい黒のビキニだ。
「あ、ケイさん。黒って大胆ですよね。いいなぁ、大人っぽくて」
「あはは、沙依ちゃんのもなかなか似合ってるよ。じゃ、二人でお兄ちゃんを悩殺しちゃおうか」
「いいですね。お兄ちゃん、さっきから沙依のこと見てデレてるんですよ」
「ケンジってば、妹にデレるなんて不純だねぇ。これは、悩殺しがいがあるかも」
「あのなぁ、やめてくれ」
と、目をそらした先に白のビキニを着たマリナ。すらっとした長身に、なんというか、出るところはしっかり・・・。もう目のやり場がない。
「おお、マリナは白か。うーん、沙依ちゃん、こいつは強敵だ」
「うわぁ、マリナさん、スタイルいいですよね~」
ケイと沙依がマリナを食い入るように見つめるので、マリナはちょっと赤くなる。
「あの~、やめてください。恥ずかしいです」
「いやいや、マリナちゃん。そのボディーは見せなきゃもったいないでしょ。ほら、ケンジに見せびらかしちゃおうよ」
「だめです。見ないでください」
そう言われると見たくなるのが男心なのだが、マリナさん。でも、さすがに刺激が強い。
「よし、泳ごう!」
俺はそう言うと海に向かって走り出す。いや、この状態はあれこれマズい。理性に反して体が反応してしまうわけで・・・。とりあえず、海に入って頭を冷やそう。
「こら、逃げるなケンジ!」
「ケイさん、マリナさん、私たちも行きましょう」
「そだね。逃げても無駄無駄。マリナ、行こう」
「あ、あの・・・」
沙依が勢いよく走り出し、ケイはマリナの手を引っ張って後を追うように海に入ってくる。簡単に逃がしてもらえるとは思っていないが、まぁ、海の中ならなんとかなりそうだ。俺は沙依めがけて思い切り水をかける。
「きゃっ!お兄ちゃん、しょっぱいよ。いきなりはずるい!」
顔に思い切り塩水を食らった沙依がそう言う後ろから、いきなりケイの攻撃が来る。なんと、ケイの奴、いつのまにか、特大の水鉄砲を持ってやがる。これは反則だ。そもそも二人相手は、かなり分が悪いのだけど、武器は想定外。火をつけてしまったのは俺だから、ここはなんとか頑張るしかなかろうと思うのだが、いかんせん素手では防御が精一杯である。ここはもう、やぶれかぶれで反撃するしか・・・・
「きゃっ・・・」
いかん、ケイに水をかけたつもりが、その後ろのマリナに思い切りかかってしまった。
「あ、マリナ、ごめん」
「ケンジ君、ひどいです」
「よし、マリナも参戦ね。みんなでケンジをやっつけよう」
ケイはそう言うと、マリナをぐいと前に押し出した。最悪だ。マリナまで巻き込んでしまうとは・・・。マリナ相手に反撃するのはちょっと気が引ける。かといって何もしなければ、沙依とケイの餌食になってしまうのだが。
「よし、沙依ちゃん、今だ。やっちゃおう」
「了解です!」
正面にいるケイの水鉄砲を防いでいる間に沙依が後に回り込む。ケイの前にマリナがいるのでうかつに攻撃できない。これは卑怯だ。
「スキありっ!」
「お、おい、沙依、なにを・・・」
なにやら背中に柔らかい感触が・・・・こ、これは・・。で、次の瞬間、体が後に引っ張られ、俺はバランスを崩す。踏ん張ろうにも足元は砂地だ。次の瞬間、俺は仰向けに倒れて頭から波をかぶっていた。
「ぶわっ、げほっ、げほっ・・」
俺は、その弾みで思い切り水を飲んでしまう。いくらなんでも、これはやり過ぎだ。
「さ、沙依っ!何するんだ。殺すつもりか!」
「あ、ごめん。まさか転ぶとは思わなかったよ。大丈夫?お兄ちゃん」
「大丈夫もなにも、思い切り水を飲んじまった」
「ケンジ君、大丈夫ですか?」
マリナが心配そうに言う。いやいや、あなたのせいではありません。すべて、この沙依とケイが・・・
「お兄ちゃん、ほんとゴメン。悪気はなかったんだよ」
またしても上目遣いの沙依である。この顔を見せられると怒る気にもなれない。
「いやいや申し訳ない。ちょっとやり過ぎたかも」
「あのなぁ、だいたいそれは何だ。いつの間に・・・」
「あ、これ?水遊びには必須アイテムだし、昨日のうちに調達しといたんだよね。思ったより強力だったなぁ」
「俺で試すなよ。だいたい、人の顔に向けてはいけません、って書いてなかったか?」
「ごめん。説明書は捨てちゃった」
「ったく・・・」
とりあえず、騒ぎはここで一段落。ジョージも加わって、しばらく水遊びに興じた俺たちだった。
それから小一時間くらい遊んだだろうか。俺はふと浜のほうに目をやる。美月はあいかわらず、帽子を顔にかぶって寝転んでいる。サムも読書に余念が無いようだ。
「美月さんたち、泳がないのかな」
脇にきた沙依が言う。
「まぁ、泳ぎたくないんだったら無理に泳ぐこともないさ」
「でも、今朝からちょっと様子がおかしいんだよね。何か悩んでるみたいって言うかさ」
ケイがちょっと心配そうに言う。たしかに、今朝の様子は少しおかしい。時間がたてば、機嫌も良くなるだろうと思っていたのだが、これは、ちょっと探りを入れてみた方がいいかもしれないな。
「ちょっと休憩するか」
「そだね。少しお腹も空いたし」
「それじゃ、皆さんで食事にしませんか?」
「賛成!沙依もお腹ぺこぺこだよ」
俺たちは、海から上がると、まだ不機嫌そうな美月とサムを促して、近くの海の家に入った。この「海の家」というのは、昔から日本にあった海辺の休憩所を再現しているらしい。オープンで風通しが良く、海辺の雰囲気を味わいながら飲み食いできるのがいい。注文もインターフェイス経由ではなく、店の人が聞いてくれるという、極めてクラシックな雰囲気である。
「沙依はカレーライスがいいな」
「あ、それじゃ私は焼きそばで」
そんな感じで、それぞれ思い思いに食事を注文して、早めの昼飯となった。
「いやぁ、やっぱり地球の海はいいよね。この開放感。宇宙都市のプールじゃちょっと味わえないよ」
「そうですね。でも、日焼けには気をつけないと後が大変です。皆さん、日焼け止めは大丈夫ですか?」
「沙依はちょっと腕が焼けちゃったかな。後で日焼け止めをぬりなおさないと。あ、お兄ちゃん、後で手伝ってよ」
俺はちょっと飯を吹きかける。沙依の奴、兄貴をからかうのはいい加減にして欲しい。
「おお、それじゃ私もお願いしようかなぁ」
とケイもそれに乗ってくるから困りものだ。この二人、変なところで気が合いそうだから困る。この流れだとまた、美月のご機嫌が悪化しそうだが・・
「あれ、美月。なんか静かだね」
ケイがまた余計なことを言う。
「どこか具合が悪いんですか?朝から調子悪そうですが」
マリナがちょっと心配そうに言う。いやいや、マリナさん。こいつの不機嫌はいつものことですから、あなたが心配するようなことではないですよ。
「美月、なんだか知らないけど、せっかくみんなで海に来たんだから、もうちょっと楽しめよ」
「・・・・」
「どうしたのさ。何か怖い夢でも見た?」
「あのねぇ、子供じゃないんだからバカなこと言わないでよね」
「夢なら、俺も変な夢を見たけど、まぁ、気にしだしたらきりないからな」
「変な夢?」
「ああ、自分が星の川に流されて地球に落ちていく・・・みたいな」
「星・・・の川? それって・・・」
「ああ、それに上流から何か大きな星が流れてきてな」
「おお、夢占いでもしてみようか。何か欲求不満の・・・」
「ちょっと待ちなさいよ。まさかその夢・・・」
「そうだ。美月も出てきたぞ。川岸で俺を助けてくれようとしてたんだけどな、手が届かなくて。それに流れてくる星には気がついてなかったみたいだが」
「へぇ、なんだか七夕の番外編みたいな夢だね。牽牛が天の川を泳いで渡ろうとして、溺れた・・みたいな」
ジョージが横から口を挟む。意外だが、こいつはこういう昔物語をよく知っている。
「牽牛はいいけど、織り姫が美月ってのがな・・」
「あんたねぇ、それはこっちのセリフよ。もういいわ。なんだかバカらしくなってきたわよ」
美月は、そう言いながらラーメンを勢いよくすすった。このラーメンというのも、昔々の食べ物の復刻版らしい。スープに入ったヌードルだが、海の家の定番メニューのひとつだったそうだ。それから、なぜか美月はいつもの調子を取り戻し、午後からは、これまた物騒な水鉄砲を持ち出して、ケイとの撃ち合いが始まった。俺が、その流れ弾ならぬ塩水をさんざん浴びたことは言うまでもない。何も俺を挟んで戦争ごっこをすることもないだろうに。沙依とマリナは砂浜に、いつのまにか立派な砂の城を完成させていた。ジョージは、しばらく一緒に泳いでいたが、そのうち疲れたのか、サムの隣で居眠りを始めていた。そんな感じで、夕方まで大騒ぎした俺たちは、海沿いのレストランで夕食をとった。レストランから出ると、もうすっかり日が暮れていて、空には満天の星が輝いていた。
「うわー、綺麗な星だね。ちょっと海辺で見ていかない?」
「そうですね。私もそうしたいです」
「よし、それじゃ行こうか」
俺たちは、また海辺に出て、堤防に腰掛けて空を見上げた。湾岸地区の施設は、光を空に向けないように設計されている。だから、都会なのに空は暗く、天の川もはっきりと見えるのである。
「こういう、またたく星も風情がありますね」
「大気の底にいるという感じがする。面白い感覚」
「えっと、牽牛と織り姫ってどれだっけ」
「たしか、わし座のアルタイルとこと座のベガだろ。はくちょう座のデネブを入れて夏の大三角が目印だな」
「へぇ、ケンジも詳しいね」
「えへへ、お父さんに習ったんだよね。お兄ちゃんも」
「ああ、そうだな。親父がこういうのが好きでね」
「でも、これだけ星が多いと、宇宙と同じで星座がよくわからないよねぇ。そうだ、ジョージ、星座出してよ」
「あはは、そう言うと思ってたよ。じゃ、全員、DIで情報共有モードに。美月の回線、ちょっと借りるね」
「そのうち何か奢りなさいよね」
俺たちはDIユニットを取り出すと、互いに接続して情報共有モードに入る。そこへ、ジョージが例のコンピュータから星図の情報を流して視覚に重ねてくれるという仕組みだ。まるで、プラネタリウムのように、星空に星座の絵が重なる。
「それじゃ、わし座とこと座、はくちょう座を出してみるよ」
ジョージがそう言うと、天の川を挟んで星座が三つ浮き出した。
「そして、これが大三角、つまり、アルタイル、ベガ、デネブ」
天の川を背景に明るい三つの星をつなぐ三角形が浮き出る。
「すごーい。これ、お父さんが見たら、きっとびっくりするね」
沙依が言う。親父ならたぶん、ジョージに根掘り葉掘り方法を聞いて、マネしようとするに違いない。家の中にまたガラクタが増えることになるのは確実だ。
「あれ、お兄ちゃん、あの星は?」
沙依が指さす方向に、明るい星がひとつ。でも、ジョージの星図には情報がない。
「あれ、何だろう。情報がないな」
「あの星?やけに明るいし、またたきもしないから惑星じゃないの?」
たしかに美月が言うように、その星は不自然なほどにまたたかない。まるで仮想映像を見ているようだ。
「どの星だい? 僕には見えないんだけど」
ジョージが言う。
「それに、今の時期、明るい惑星は木星か土星くらいだけど、ほら、どれもその方向にはないよ」
ジョージが言うと、木星と土星の位置が星図に表示された。
「それじゃ、宇宙船かステーションかな」
「それもデータにはないね。それほど明るく見えるんだったら航路局のマップには載ってるはずだからね」
「え、どれどれ?私にも見えないよ」
「私にも見えませんね」
「私も見えない」
「なんだって、それじゃ3人だけってことなのか?」
「おかしいな。まさかバグった?」
「おいおい、大丈夫かジョージ?」
「ちょっと調べるから、とりあえず今日はこれでおしまいにしてくれるかな」
ジョージはそう言って星図を消すと、不思議そうに例の小箱を眺めた。しかし、どうして俺と沙依、それに美月だけに見えたのだろう。単にバグなら全員が見ても不思議じゃない。
「ちょっと冷えてきましたね」
「そうだね。そろそろ解散しよっか」
「あのー、美月さん。今晩、沙依も一緒にお泊まりしちゃダメですか?」
「お泊まり?いいけど、家のほうは大丈夫なの?」
「こら、沙依。勝手にそんなことしたら、またお袋に」
「大丈夫だよ。朝、お母さんにはOKもらってきたし」
「おまえなぁ、いつの間に・・・」
「よし、じゃ今夜は沙依ちゃんもガールズトークの仲間入りね」
「私も大歓迎ですよ」
これは、ちょっとまずいかもしれない。俺は沙依の手を引っ張って、耳元でささやいた。
「おい、わかってると思うが、くれぐれも余計なことは・・・」
「わかってるってお兄ちゃん。大丈夫。お兄ちゃんの恥ずかしい話とかしたりしないから」
沙依は満面の笑みでそう言うのだが、その笑顔が物語るところを俺は知っている。明日、みんなに会うのがちょっと不安だ。それに、沙依がどんな情報を仕入れることになるのかも非常に心配である。例によってあの調子でいろんな事を根掘り葉掘り聞こうとするに違いない。
「そういえば、明日の夜は花火でしたね」
「そうそう。で、昼間はベイエリアのお店に浴衣を見に行んだよね」
「浴衣かぁ、いいなぁ。沙依にも買ってよ、お兄ちゃん」
「おまえなぁ、浴衣だったら家にあるだろ」
「あれ、小学生の時のだよ。沙依も大きくなってるんだからね」
いや、確かにあちこち大きくなっているのは知っているのだが、しかし、俺には浴衣を買ってやるなんて財力はない。
「私のお古で良かったらあるわよ。中学時代のだけど、沙依ちゃんにはちょうどいいかもしれないわ」
「え、いいんですか?美月さん」
「いいわよ。でも一度着てみないと合うかどうかわかんないけど」
「嬉しいです。ありがとうございます。美月さん」
こいつは、とうとう美月にまで取り入ってしまったようだ。俺の嫌な予感はどんどん現実化しつつある。決して俺自身にやましいことがあるわけではないのだが、この旅の間に女子たちの俺に対する見方が微妙に変わりそうな気がするのは何故だろうか。
「それじゃ明日の夕方にケンジの家に集合だね」
「ああ。それじゃ、すまないが沙依をよろしくたのむ」
「おっけー。ケンジお兄ちゃんの恥ずかしい話をいっぱい聞いちゃうから」
「あのな、そんなもんないって」
「それじゃ、おやすみなさい」
「おやすみ。また明日」
そんな感じで俺たちはまた別々に車を拾うと、それぞれの家に帰ったのである。
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