第2話 夏休みスタート

さて、終業式も無事終わり、いよいよ夏休みに突入。善は急げと、俺たちは早速地球に向かうことにする。俺の家もジョージ一人くらいなら、なんとかなりそうだ。美月の祖父母宅も問題ないようなので、とりあえず東京行きのチケットだけを手配して、あとは野となれ山となれ。いやはや、まったくこのチームはこういう行き当たりばったりが多い。いったい誰のせいなのだろうか。いや、間違っても俺のせいじゃない。リーダーでも、そこまでの面倒は見切れない。いや、見たくても不可能だ。あいつらの暴走ぶりは俺のキャパを越えてしまっている。どうせまた、あちこちで起こした騒ぎの後始末をしなきゃいけなくなるだろうから、俺は非常に気が重いわけだ。それに・・・・


「おーい、みんな早いな。気合い入ってるね」


いつものように、待ち合わせ時刻ぎりぎりにケイが現れて、これで全員集合。さすがの遅刻魔ジョージも今日は遅れずに到着済みだ。どうやらサムに起こしてもらったらしい。ここはL2ステーションの中央宇宙港。近距離シャトルターミナル前の広場である。夏休みとあって、ターミナルには、学生風の乗客も多い。


「あんたが遅いんでしょ。ぎりぎりじゃない」


すかさず美月が突っ込みを入れる。


「これで全員ですね。まだ搭乗時刻には少し間があるので大丈夫ですよ」


とマリナ。


ここからは、地球近傍の各ステーションや月への小型シャトル便が出ている。80人乗りほどのシャトルだが、多い時間帯は20分に一便ほどの頻度で飛んでいるから、なかなか便利である。この宇宙港には、太陽系内の惑星間航路や、太陽系に近い恒星間航路の船も発着しているのだが、アカデミーやスペースガードの基地に接していることもあって、本数はそれほど多くない。こうした長距離路線の多くは、地球静止軌道ステーションや月軌道面にあるルナ・ステーションの宇宙港を起点としている。俺たちが乗るのは、第6静止軌道ステーション行きのシャトルである。そこで、地球行きの中型シャトルに乗り次ぐことになる。そう、あのシャトルだ。忘れもしない、俺と美月が出会っていきなりの大騒動に巻き込まれたTS5-300型シャトルである。そもそも、あれがすべての元凶だったのだ。あのシャトルで一緒にならなければ、俺は美月に下僕扱いされることもなかった。でも、もしどちらか一方が別の便に乗っていて、一人だけあの状況に置かれたとしたら、そう考えるとちょっと寒くなる。俺と美月の両方がいて、初めてあの事故を乗り切れたわけだ。一緒に乗り合わせなければ、俺か美月のどちらかは、ここにいなかったかもしれない。いや、あいつのことだ。もしかしたら俺がいなくても、なんとかしたかもしれないが。もし、俺たちが入学式当日に出会うことがなかったら、今頃俺はどうしてるんだろうな。


「ケンジ、何をボーッとしてんのよ。行くわよ!」

「あ、ああ」


まぁ、あんまり深く考えるのはよそう。結局、今がすべてだし、この先どうなるかもわからないのだから。


チェックインカウンターはそれなりに混雑していた。大きな荷物を持った家族連れやら、俺たちみたいな学生風のグループも多い。20分ほど並んで、俺たちはボーディングパスを受け取る。受け取ると言っても電子的なものだ。ボーディングパスの情報はDIユニットに保存されていて、搭乗ゲートでは自動的にチェックされる。自分自身はインターフェイスを経由した仮想画像として内容を見ることができるし、人にそれを見せるために他人と情報共有もできる。実は、荷物をチェックインする必要がなければ、そのままゲートに向かってもよかったのである。ボーディングパスの情報は、直接オンラインでも受け取ることができるのだ。


俺たちは、アウトバンドの案内に従って搭乗ゲートに向かう。途中、セキュリティチェックポイントを通過するが、特に通るだけで何もする必要が無い。だが、荷物や体はすべてスキャンされ、不審物がないことを確認される。ID情報やボーディングパス情報も、自動的に読み出されてチェックされるのである。考えようによっては気持ちが悪いが、こうしたチェックはすべてコンピュータが行っていて人間は介在しないので、プライバシーは守られている。なにより、荷物を開けたり、IDを見せたりという手間がかからないのは悪くない。こうしたインターフェイスを介した強制的なアクセスは、法律で決められた場合に限って認められている。


シャトル・ベイはターミナルの建物の地下、正確に言えば、円筒形の宇宙都市の内部空洞面にある。現在の宇宙都市の標準形は、内部を円筒形にくりぬいた形の正三角柱が、透明強化シールドの円筒の内側に接しているような形だ。人工重力が一般化して以来、宇宙都市の回転は遠心力を使うためではなく、単に昼夜を作るためだけに使われている。円筒は24時間で一回転し、三角柱の各面はそれぞれ、8時間差のタイムゾーンになっているのである。一般にゾーン1から3と呼ばれる各タイムゾーンは、地球標準時を起点に、8時間差で運用されている。いずれの宇宙都市でも、ゾーン1が地球の世界標準時と同じ時間帯だ。宇宙都市の回転は、その正午に各タイムゾーンの真上に太陽が来るように調整されている。月や火星のような1日の長さが異なる場所でも、都市は基本的にこの3つのタイムゾーンで運用されているので、人の生活リズムが狂うことはない。長距離航路の客船なども、航行中はこの8時間シフトで運用されている。厳密に言えば、航行中は相対論的効果で時間がいくぶん遅れる。だが、ワープ航行がそのほとんどを占める恒星間航路では、逆にそれはあまり問題にならない。むしろ、通常航行で高速飛行する太陽系など恒星系内の長距離航路の方がこの影響が大きく出たりするのである。つまり、微妙な時差が発生するのだ。この時差は到着地まで維持されるので、場合によっては、多少調整が必要になる。


さて、今回の旅行の目的地は地球である。ここだけは、先に述べた話の唯一の例外だ。地球の標準時は今も、地域ごとに細分化されている。今回行く東京は地球標準時から9時間進んでいる。つまり、宇宙都市のゾーン3とほぼ同じ時間帯である。今、俺たちが生活しているのはゾーン1だから、かなり大きな時差になる。大昔は、体内時計を調整するために長い時間を要した。だが、今は薬を一粒、決められた時間に飲むだけで、かなり緩和される。昼夜が逆転するような時差でも、1日~2日で新しい生活時間に完全適応できるのだ。


「搭乗開始はまだみたいだね」

「シャウラか。これに乗るのは久しぶりだな」

「ていうか、人の操縦で宇宙を飛ぶこと自体が久しぶりじゃない?」

「そうですね。でも、たまには、ゆっくり飛ぶのもいいかもしれません」

「それって、もしかして嫌み?」

「いえいえ、そんな意味じゃ」


おやおや、マリナらしくない失言。早速、美月に噛みつかれている。珍しい光景だ。彼女も、この旅に少し浮かれているのだろうか。俺としては、マリナの肩を持ちたい気持ちで一杯なのだが、出発前から波風をたてても困るので、おとなしくしておくことにしよう。


透明な強化シールドを通して、ゲートの外側に係留されている小型シャトルの姿が見えている。スコーピオン社製の短距離シャトルLS430型、通称シャウラⅢは、地球近傍航路に主に使われているベストセラー機だ。箱形の機体はいかにも無骨だが、真空の宇宙空間を運航するには、むしろ、充分な機体強度を確保できる方がいい。当然、シールド装置やデフレクターと呼ばれる偏向スクリーンは備えているが、万一、小さなデブリなどが直接衝突しても、ある程度は持ちこたえられる物理的強度も持っている。エンジンは噴射式のスラスターと、非常用の高密度プラズマエンジンのみ。実際、地球近傍航路では、宇宙都市の電磁カタパルトで、かなりの初速を持って打ち出され、途中にいくつか配置されている加速ステーションからの指向性磁場によって加減速とコース修正を行うため、推進力としてのエンジンは非常時以外には不要なのである。到着時も、宇宙港からの指向性磁場に捕捉され、減速、誘導されるから、着陸前の姿勢制御さえできれば問題は無い。こうした方式は、もう300年ほど前に実用化されて、地球近傍の移動や物流コストを大幅に削減することになったのである。


やがて搭乗開始のアナウンスがあって、俺たちはシャトルに搭乗する。窓側2列、中央2列の6列のシートは、意外とゆったりしている。大きめの窓は強化シールドで出来ていて、放射線などをブロックするほか、太陽光なども自動的に調節してくれる。まぁ、この時代、窓なんていうのは、あまり意味が無いかもしれない。その気になれば、壁全体をスクリーンにすることもできるし、視覚インターフェイスのサラウンドモードで、周囲の景色を直接意識に投影することもできるのだから。あえて言うなら、それぞれの好きな楽しみ方ができるように窓は残されていると言うべきなのだろう。


「本日は、第6ステーション行きシャトル便にご搭乗いただき、ありがとうございます。当機はまもなく出発いたします。出発に際し、機内の安全設備をご案内します・・・」


おきまりのアナウンスが流れると同時に、目の前の空中に案内映像が流れる。これは、視覚インターフェイスに対してアウトバンドから直接送られてくる映像である。音声も聴覚に対して直接送られる。これらは、すべての乗客に対して例外なく送られ、一切拒否することができない。法律上インターフェイスへの強制介入が認められている数少ないケースのひとつである。


映像が終わると、頭上のベルトサインが点灯する。ベルトサインと言っても、シートベルトがあるわけではない。空間粘性制御によって、体が周囲の空間から受ける抵抗力を強めることで、体をやんわりと固定するシートホールド装置が、こうした宇宙艇や航空機には装備されている。これは、慣性質量制御とも連動していて、機体の加減速で生じる加速度を含め、適切に制御されるのである。力を抜いていれば窮屈さはほとんど感じない。手足も自由に動かせる。だが、立ち上がろうとしても無駄である。どれだけ力を入れても体はしっかりとシートに固定されている。


「当然、サラウンドで行くよね」


ケイが言う。


「当然でしょ」


すかさず美月。普通の乗客は出発時にサラウンドモードは使わない。電磁カタパルトで一気に秒速数百Kmまで加速されるのだから、目を回すのがオチだ。そんなことを楽しんでやるのは、普段からそうした訓練をしているアカデミーの学生か、絶叫系ヲタクくらいである。


「いつも訓練で見てるのに、よく飽きないな」

「まぁ、そうなんだけどね。いつも見慣れてるから、逆に見てないと不安じゃない?」

「そんなもんかな。俺は休みの時くらい、お客さんモードを満喫したいんだが」


と言いつつ、俺もなんとなくサラウンドモードに切り替える。シャトルはちょうどゲートを離れて、カタパルトに向かっているところだ。前方には、同型のシャトルが二機。俺たちは3番目らしい。ちょうど一機目が打ち出されるところだ。矢のように、という言葉がふさわしい光景である。銀色の機体が、一瞬後には、遙かかなたに消える。既に視界から消えてしまっているシャトルの残像が、細い針のように宇宙空間に伸びていく感じだ。差し渡し20Kmはある宇宙都市も、この速度だと、一瞬ではるか後に消えてしまう。傍から見ていてこれだから、実際にサラウンドのまま飛び出したらどんな感じかは想像できるだろう。しかも、サラウンドでは、目を閉じるという芸当ができないのである。なにせ、画像は直接意識に投影されている。しかも、上下左右、背後も含めてすべての方向がリアルタイムに「見えている」のである。もちろん、サラウンド酔いしないコツはある。なるべく遠くの、動きが少ないものに意識を向けておくのだ。たとえば、空を埋めている星である。まぁ、そんな手を使わなくても、俺たちは日頃、いやというほど酔いそうな状況を経験している。美月の操縦で飛んでいるときのことを思えば、旅客用シャトルなんかハエが留まりそうに見えるのも事実だ。


やがて俺たちのシャトルの順番がやってきた。カタパルトに押し出されたシャトルは一旦静止する。宇宙港は、巨大なトンネルだ。その内側に様々な構造物やら、船やら、それらの灯りが所狭しと並んでいる。次の瞬間、それらがすべて残像となり、俺たちは星の海に浮かんでいた。


「飛んだ飛んだ」

「あんたねぇ、何を子供みたいにはしゃいでるのよ。恥ずかしいわね」

「だってさ、やっぱ旅行だしね。わくわくしない?」

「そうですね。いつもの飛行とはちょっと違いますよね。なんだか楽しいです」


マリナがこんな風にはしゃぐのは珍しい。確かに旅っていうのは、気分を浮かれさせる。


「でも、こうやって見ると殺風景よね、この景色は」

「ほとんど情報が無いのが不安」

「たしかにな。でも、民間船だし、仕方が無いさ」


普段、俺たちはサラウンド画像に重ねて、様々な飛行パラメータやら航路図やらの情報に囲まれている。だが、民間船ではそんなデータはない。片隅に、飛行距離と到着予定時刻などが小さく表示されているだけである。俺たちは無意識にフライトデータを見て、船の状況を把握することで安心感を得ているのかもしれない。


「そう思って、ちょっと仕掛けを持ってきたんだ。情報共有モードにしてみてよ」

「仕掛けって?」

「ジョージ、また変なもの作ったんじゃないでしょうね」


そう言いながら、俺たちは情報共有モードに入る。そのとたんに、様々なフライトパラメータや航路図、近くを飛行している船の位置などが視界に加わった。


「え?これってどんな手品なの?」

「すごいな。訓練艇に乗ってるみたいだ」

「まぁ、民間船だから乗客が入手できる情報は少ないんだけどね。とりあえず、可能な範囲でフライトコンピュータからデータを取って出してみたんだ。あ、美月の直通回線も一部使わせてもらってる」

「あんたねぇ。先に言いなさいよ。使用料取るわよ」

「でも、この処理能力はすごいな。いったいどうやって・・」

「あんた、まさかまた・・・・」

「あ、さすがに、この船のコンピュータは無理。やったら退学ものだし・・・。ちょっと工作してみたんだ」


ジョージがポケットから小箱を取り出す。コミュニケータくらいの大きさだが、薄緑色に光っている。


「それ、コンピュータか?」

「ああ、でも、普通のコンピュータじゃないよ」

「量子演算ユニット、まさかセンターコンピュータの?」

「ミニチュア版のレプリカだけどね。でも、これ一台でST1B型宇宙艇の旧式コンピュータくらいの演算能力はあるんだ」

「もしかして、例のプロジェクト?」

「そうだよ。例のプロジェクトの試作品チップを使ってる。消費するエネルギーがずっと少ないから持ち運びもできるんだ。あくまで試作品だから、もしかしたら壊れちゃうかもしれないけど」

「でも、ST1Bのコンピュータ更新は2Aシリーズのコンピュータを使うんじゃないのか?」

「うん、基本的にはそうなんだけど、どうせなら、2Aシリーズも含めて演算能力を大幅に強化しようという話になり始めてるんだ。まだ決定じゃないんだけど、このチップを使って量子演算ユニットを置き換えれば、能力は数倍にできるからね。しかも、これなら非常用パワーでも、フル稼働できる」

「興味深い。量子ビットの多重化率がずいぶん上がっている」

「さすが、サム。そこに目をつけるとはね。多重化率を上げることで、チップの小型化と高速化、省エネを一気に全部やろうってのが、こいつのコンセプトなんだ」

「でも、最適化が難しくなる」

「そのとおり。多重化率向上で、並列演算の能力は上がるんだけど、すべての計算が並列演算向きとは限らない。最適な順序や並列度で処理をチップに振り分けることができないと演算能力が無駄になる。そのためのスケジューリングや問題の最適化が数段難しくなるんだ。プロジェクトの目下の課題は、そのためのアルゴリズムを決めることなんだよ」

「俺はコンピュータのことはよくわからんが、それって改良というよりは、完全に作り直しに近いんじゃ・・・」

「そうでもないよ。演算ユニット以外の部分は、これまでのものが使える。最適化はソフトウエアの仕事だからね。効率のいいアルゴリズムさえ見つけられれば、制御ユニットの高速化は必要ないのさ」


ジョージは楽しそうだ。1Bシリーズのコンピュータ更新プロジェクトに参加してから、ジョージはかなりの時間をそっちに使っている。授業が終わると、すぐにアカデミーの情報研究センターに行き、結構遅くまで帰ってこない毎日なのである。基礎課程の学生で、研究プロジェクトに参加できるのも異例中の異例だが、その中で、ジョージ自身が占める役割はどんどん大きくなっていっているらしい。


「そう言えば・・・」


ジョージがまた口を開く。


「あっちのプロジェクトにも、顔を出せそうなんだ」

「あっちのって?」


ケイが聞く。


「ヘラクレス3のコンピュータのクローンをアカデミーで動かすってやつ。実は、このチップは、むしろそっちのために開発されているものなんだ」

「そうか、あれも動き出すんだな。作業はもう始まってるのか?」

「ハードウエアはほぼできあがっている。使っているユニットは今のバージョンだけどね。基本ソフトウエアは今週中にヘラクレス3から持ってくることになってるんだ。うまく動いたら、順次演算ユニットを新型に置き換えていく予定らしい。うまくいけば、演算能力は今のセンターコンピュータ並にできるって話だよ」


あのプロジェクトは俺も気になっている。あの時のヘラクレス3での不思議な体験の謎解きはまだできていない。たぶん美月も気になっているはずだ。俺たちが感じたあれは何だったのか。もしかしたら、答えが得られるかもしれないと期待しているわけだ。ジョージが参加しているのも好都合だ。色々と情報も得られるにちがいない。


「研究はいいけどさぁ、ジョージ、遅刻回数そろそろヤバいんじゃないの?」


いきなり突っ込みを入れたのはケイである。


「あはは、それは言いっこなしだよ」

「言いっこなしって、マジヤバいよ。研究がうまく行ったって、落第しちゃ、まずいでしょ」

「たしかに。実は終業式の日に、フランク先生にも言われた・・」

「あんたね、ただでさえ遅刻魔なんだから、気をつけないと本当に落第よ!」


美月も加わってジョージを責めたてる。たしかに、このところ、毎週一回くらいはやらかしているジョージだ。規則上は遅刻3回で欠席一回扱いだから、毎月一日から二日欠席している勘定になる。生徒の能力次第で自由にあれこれ出来るアカデミーだが、こうした基本的なことには結構厳しいのだ。天才を絵に描いたようなジョージでも、さすがに、これを続けちゃまずい。


「そういえば、パパも結構遅刻魔だったって、ママが言ってたわ」

「そうなのか?そう言えば、美月の親父さんもアカデミー歴代指折りの天才の一人なんだよな」

「天は二物を与えず。よく言ったものよね。パパも研究で夜更かしして、朝、ママが起こしに行っても全然起きなかったらしいから」


美月の親父さん、あの有名な遺伝子工学者のアンリ・ガブリエルも遅刻魔だったとは。そんな話は今初めて聞いた。いずれ、ジョージも自分の子供にこんな事を言われるのかもしれない。


「そろそろ月軌道にかかるよ」


ケイが言う。この速度だと、L2から月軌道までの110万Kmほどの距離はあっという間だ。シャトルは月軌道面に三つある宇宙都市のひとつに接近し、その指向性磁場で大きく減速して軌道を変える。月軌道の内側は混雑が激しいので、かなり速度を落とす必要がある。むしろ、ここから地球静止軌道までのほうが時間がかかるのである。前方に、ルナ・ステーション3が見えてくる。軽いショックがあって、シャトルは指向性磁場に捉えられ、一気に減速し、ステーションをかすめるように通過した。ルナ・ステーションもL2や静止軌道ステーションと同規模の巨大宇宙都市である。地球の極方向から見ると、これらのステーションは地球を取り巻く宝石のように見える。このため天使の首飾りとも呼ばれているのである。これから俺たちが向かうのは、最も内側のリング、静止軌道ステーションだ。


地球の経度で45度ごとに配置されている8基のステーションは地球近傍の宇宙都市群の中では最大の居住人口を持つ。いわば地球圏のビジネスセンターである。各ステーションを起点とする恒星間航路は、方面別に各ステーションに振り分けられていて、それぞれの恒星系群を相手にするビジネスの地球側の窓口になっている。そのため、地球の各地域との間のシャトル便の数も多いのである。俺たちは第6ステーションを経由して、日本エリアのハブ宇宙港であるフジ・スペースポートに向かうことになる。


「やっぱり、こっち側から見る地球はいいですね」


マリナが言う。L2ステーションは地球を挟んで太陽の反対側を地球と同じペースで公転している。そこが軌道の遠心力と、地球、太陽の重力がバランスするラグランジュ点のひとつだからだが、そのため、常に地球の夜の側を見ることになる。つまり、青い地球は決して見ることができないのだ。今、俺たちは地球の昼の側に回り込みつつある。なので、だんだん地球の昼の面、つまり青い地球が見えてくるのである。


「なんか、ほっとするなぁ。地球を見ると」

「ケンジ、あんたガラにもなくホームシックにかかってるわけ?」

「あのな、俺は純粋にこの景色が好きなんだよ。人を子供みたいに言うなよな。そういうお前こそ、パパが恋しいんじゃないのか?」

「ふん、誰があんな研究バカなんか・・・・。そもそも私が疫病神なんて呼ばれてるのは、あいつのせいなんだからね」

「お前な、親を相手にあいつ呼ばわりかよ」

「当然よ。自業自得なんだから」


しまった、ちょっと触ってはいけない部分にかすってしまったっぽい。たしかに、そういう面では美月が親を恨んでもしかたがないのだが、そこはそっとしておくべきところだ。話題を変えなきゃいかんのだが。


「そういえば、これからお世話になる美月さんの、おばあさまって、どんな方なんですか?」


マリナさん、いいタイミングで持って行ってくれましたね。ナイスです。


「おばあちゃんと言っても、母方のほうで、そんなしょっちゅう会ってる訳じゃないんだけど、私は結構好きよ。上品で優しいし」

「そうですか。お会いするのが楽しみです。あ、そうそう、お土産持ってきたんですよ。お口に合うかどうかわからないのですが」

「そんな、気を遣わなくてもいいわよ。おじいちゃんと気楽な二人暮らしで暇みたいだし、賑やかなのは嬉しいはずだから」


どうやら、美月はおばあちゃんっ子だったらしい。ちょっと突っ込みたいところだが、せっかくマリナが話をそらせてくれたのだから、ここはちょっとこらえておこう。


「なによケンジ、言いたいことがあるなら言いなさいよねっ」

「いやいや、何もないから」


危ない危ない、ちょっと顔に出てしまったみたいだ。気をつけねば。


「ところで、ケンジの家には、ご両親だけなのかな」

「あ、両親と妹の3人だよ」

「へぇ、ケンジってお兄ちゃんだったんだ。道理で面倒見がいいわけだね」

「どういう意味だよ」

「そう言う意味だけど?だって、美月の下僕が勤まるくらいだしね」


ケイの奴、また余計なことを。しかし、美月とは違う意味で、うちの妹も・・・・


「そうだ、ケンジの家にも行っていいかな? ご両親にもご挨拶したいしさ」

「両親に挨拶・・・って」

「え、いつもお世話になってま~す・・・って? やだなぁ、何を想像したのかな。何か期待した?」

「しとらん!」


まったく、こいつは暇があればこうやって、人をおちょくって遊ぶわけで。で、その結果として・・・


「あんたね、勝手に人の下僕に手を出したら許さないんだからね」


・・・と、こうなるわけだ。


「いやいや、こういうのは本人よりも家族ウケが命だから。美月も、少しおしとやかにしといたほうがいいんじゃない?」

「あんたね、喧嘩売ってるの?」

「おい、もう止めようぜ」

「ケンジ、あんたいったいどっちの味方なのよ」

「もちろんケイさんの味方よね」

「どっちでもない!どっちもごめんだ」


そういった後、しまった・・・と思ったのだが、案の定、二人から思い切り睨まれてしまった。どうも俺は、一言多いみたいだ。こいつらに口で勝てるはずがないから、余計な一言は命取りである。俺だって修羅場はごめんだ。


「それじゃ私の・・・・って、あ、冗談ですよ、もちろん」


突然、マリナが・・・・でも冗談だったんですね?マリナさん。俺は悲しいです。だが、赤くなって焦っているマリナは、なんだかかわいい。とりあえず、マリナの一言で、二人の視線が俺から逸れてくれたのは助かったのだが。


「そう言えば、ケンジの親父さんって、電子工学が専門だったよね。僕も会ってみたいな」

「ああ。でもあんまり期待しない方がいいぞ。お袋が、役に立たないガラクタばっかり作ってるって、いつも怒ってるから」

「そうなんだ。でも、この前、アカデミーのライブラリでケンジの親父さんが書いた論文を読んだんだけど、すごく興味深い内容だったよ。プロジェクトの人たちも参考にしているみたいだし」

「へぇ、そうなのか。うちの親父がそんな論文書いてたなんて知らなかったな」

「一見地味な研究なんだけど、今、情報研究センターでやってるテーマの多くに関係してる重要な基礎研究だからね。一度会って、直接話が聞きたいと思ってたのさ」


実際、親父が大学で電子工学の研究をしているのは知っていたが、俺の記憶に残っているのは、家にころがる用途不明な「発明品」、お袋言うところの「ガラクタ」とか、時々、天体望遠鏡を持って星を見に連れて行ってくれる親父の姿でしかない。美月の親父さんなんかとは比べものにならないが、それでも多少は世の中の役に立つことをしていたのだったら、悪くはない。でも、いったいどんな研究をやってたんだろうな。言われてみると少し気になる。帰ったら、ジョージに便乗して話でも聞いてみるか。いまさら直接聞ける話でもないし・・・。


そんな話をしている間に、空に見える地球はどんどん大きくなっていく。いつの間にか、ほぼ丸くなって、見慣れた青い星の姿に変わっている。前方に明るく輝く静止軌道ステーションのいくつかが見えてきた。「天使の首飾り」の一番内側のリングである。ジョージが出してくれている周囲の船の情報もどんどん増えている。


「だんだん混み合ってきたねぇ。ま、今日はナビやってるわけじゃないし、気楽なもんだけどさ」

「へぇ、いつもは仕事してるみたいな言い方じゃない?」

「してるよ。ま、ほとんどが機械と鉄砲玉みたいな誰かさんのお守りだけどねぇ」

「それ、どういう意味?あ、そうか、ケンジのことね」


いかん。どうも、さっきからこの二人は危なっかしい雰囲気だ。この調子だと先が思いやられる。結局、最後には俺のところに火の粉が降ってくるのは毎度のことだ。美月とケイ、険悪になっても、なぜか正面衝突にならないかわりに、いつの間にか矛先が俺の方に向かってくるのは納得いかん。


「皆様、当機はあと10分ほどで第6静止軌道ステーションへの最終アプローチを開始します。アプローチ開始後はシートホールドを作動させますので、お手洗いはお早めにお済ませください。またお荷物は・・・・」


アウトバンド経由のアナウンスだ。もう地球は陸地の影が見えるくらいに大きくなってきた。正面は大西洋だろうか。シャトルはこれから南米北部を横切って太平洋上、西経135度の上空、約36000Kmにある第6ステーションへ向かう。今の時間、第6ステーションはまだ未明の空にいる。直下の地上がちょうど夜明け頃の到着だろう。もちろん、ステーション自体の時間は8時間タイムゾーンだから、地上の時間とは無関係なのだが。


「第6ステーションは入学式以来ですね。なんだかずいぶん昔のような気がします」

「そうだよね。マリナともあの時にはじめて会ったんだから。私たちが遅刻してこっそり入ろうとしたら、ばったり・・・・あはは」

「あんたね、そんなことは思い出さなくていいのよ」

「まぁ、その後も俺たちは罰居残りだったしな」

「そういう、ケンジは風邪こじらせて倒れたわよね。まったくお騒がせだったわ」

「そうでした。あの時はびっくりしましたよ。ケンジ君、いきなり倒れるんだから」

「へぇ、そんな事があったのか。ケンジが風邪引くなんてね」

「意外」

「どういう意味だ、俺だって風邪くらいひくぞ」

「昔からなんとかは風邪ひかないって言うのにね」

「だから、それどういう意味だ、美月」

「そういう意味よ」

「あのな・・・・」

「それだけ元気ってことじゃないですか?」

「うん、そういうことにしておこう」


いつの間にか俺がイジられ役かよ。まぁ、確かに俺は風邪なんてめったにひかない。あの時は、たぶんその前の騒動が終わって、ほっとして気が抜けたからだろう。でも、それは美月も同じだ。こいつがピンピンしてたのは、ちょっと腹が立つ。


その間に、シャトルはステーションへの最終アプローチを開始する。前方に明るく光る点だったステーションが、次第にその巨大な姿を見せ始めた。やがて、シャトルはステーションからの誘導磁場に乗って減速し始める。前方にステーション内部の空洞が大きな口をあけている。その内側には無数の光。宇宙港や様々な施設の灯りだ。ここも基本構造はL2と同じだ。出発時は景色を眺める間もなく一瞬で宇宙に放り出されたのだが、到着時は充分に減速するので、ステーションの内部がよく見える。中でも大型船の埠頭やスペースガード基地の眺めは圧巻だ。恒星間航路の大型船や、スペースガードの最新鋭巡航艦は、見ているだけでもわくわくする。


「ここの混雑はL2とは比べものにならないよね」

「そりゃ、地球圏と太陽系内、恒星間の各航路が集中するからね。これだけのトラフィックはさすがにコンピュータに頼らないとさばけないから静止軌道ステーションの航法管制システムのコンピュータは、他のステーションに比べるとかなり高い性能が要求されるんだ」

「ということは、センターコンピュータ並みのものがあるのか?」

「いや、センターコンピュータとは行う演算が違うから、アーキテクチャはだいぶ違うよ。そうだね、どちらかというとヘラクレス3のコンピュータシステムに近いかな。複数のコンピュータが自律連携して全体を管制するってモデルだからね」

「じゃ、例のプロジェクトが進めば、ここのコンピュータなんかも、もっと性能が上がるってことか」

「正解。処理速度だけじゃなくて、管制処理の効率や柔軟性が大幅に上がると期待されてるんだ。たとえば、緊急事態の時に、各船の航路を瞬時に調整するとかいう処理の効率が大幅に向上すると思うよ。各船への影響を最小限にして安全を確保するというような制約条件が多いシミュレーションも瞬時にできるようになるから」

「ねぇ、そんなコンピュータが故障したらどうなるの?」

「大変なことになるだろうね。だから、何重にもシステムは多重化されているし、万一外部制御が切れた場合、どのような動きをするべきかという情報は、常時、船のフライトコンピュータに送られているので、事故の可能性はかなり低く抑えられてるんだ」

「故障ならいいけど、たとえば人為的なサボタージュなんかが起きた時はどうするんだ?」

「それも、あらかじめシミュレーションされているよ。複数のコンピュータが連携する際に、互いに異常な動きが無いかチェックしているんだ。一部のコンピュータが人為的に異常な動きをしても、残ったコンピュータがその影響を最小限に抑えるように動くようになっている。もちろん完璧というものはないから、高度なテロなんかの可能性は残るけどね。そこは、そうした事態を防ぐようにシステムの警備や機器へのアクセスコントロールなど、人間系で対処するための方策が講じられているんだ。それに今研究しているものが実用化されれば、そうした問題に対しても、より適切に対処できるようになるはずだよ」

「そんなプロジェクトに参加できるなんて、すごいですね」

「うんうん。これで遅刻魔が治ったら無敵なんだけどなぁ。残念!」

「あはは・・・」

「そろそろ到着だぞ」


前方に壁から逆さにせり出したシャトル・ベイの建物とそこから突き出した着陸デッキが見えてきた。シャトルは手前で一気に減速すると、ゆっくりとデッキへ滑り込む。ゲートまでは数分。一年半ぶりの第6ステーションである。

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