第1話 期末試験
「ケンジ、あぶないっ」
「くそっ、ぎりぎりだ。ジョージ、デフレクターを」
「やってる!」
一面スペースデブリが散乱する宙域を飛行しているのは、俺、中井ケンジと仲間のクルーたちだ。地球歴2713年。既に太陽系から半径数百光年の領域に進出している人類にとって不可欠となった、宇宙船運行に必要な人材を養成すべく設立されたスペースアカデミーは、地球から150万Kmの第二ラグランジュ点と呼ばれる場所に作られた巨大宇宙都市、L2ステーションにある。アカデミーは一般の高校から大学、そして研究課程までを含めた一貫教育機関だ。俺たちは、、通称「附属高」と呼ばれている基礎課程の2年生である。
基礎課程の二年次からは、小型宇宙艇を使った操船実習が行われる。このため、それぞれの志望分野に応じた役割の学生がチームを組んで実習に臨むことになる。俺のチームはパイロットが俺と、隣にいる星野美月の二人。船の機関や様々なシステムを監視、管理しているエンジニアリング担当が、さっき後から叫んだジョージ・エイブラムスだ。メカや電子回路にはめっぽう強く、一年生にして難攻不落と言われたアカデミーのセンターコンピュータに侵入するという離れ業をやってのけた天才ハッカーでもある。
「前方、小惑星。コース変更、020、320、急いで!」
コース指示はナビゲーターの沢村ケイの仕事である。陽気でちょっと脱線気味な女子だがチームのムードメーカーだ。
「小惑星帯に突入、最適な通過経路を計算します」
この船の頭脳とも言うべき、コミュニケーション&インテリジェンス(C&I)を担当するのは、電波系女子のサムことサマンサ・エドワーズ。彼女は、その圧倒的な情報処理能力で通信や情報収集とその分析、計算などを任務とする。情報処理専門だけあって、時にはジョージの上前をはねるような凄腕ハッカーぶりを見せたりもする。そして、もう一人、縁の下の力持ち。全員の健康状態に気を配っているのがメディカル担当のマリナ・クレア。生徒会役員、成績は学年トップの秀才女子だが、心優しい、ちょっと天然系なお嬢さんだ。
今、俺たちが飛ばしているのがST1B型訓練用宇宙艇、と言っても実はシミュレータなのだが、この操船実習授業の前期末試験の真っ最中なのである。2年生の実習は主に実機を使うのだが、試験ではぎりぎりの状況を作り出すためにシミュレータを使用する。さすがに、これを実機でやるのは危険が伴うからだが、シミュレータと言えども実機と寸分違わないから油断はできない。
「皆さん、ちょっと深呼吸してください。ストレスレベルがだいぶ高くなってますから」
マリナが後ろから声をかける。
「ケンジ、今のうちに替わるわ。コントロールを渡して」
「了解。操縦系統を移行」
「移行確認。操縦を交代するわ」
美月、こいつを一言で説明するのはなかなか難しい。俺にとっては入学以来の腐れ縁とも言うべき相手なのだが、かなり取扱注意な危険物である。父親はアンリ・ガブリエル、教科書にも出てくる有名な遺伝子工学者。母親、星野美空も遺伝子工学者で、二人ともアカデミーの卒業生だ。ちなみに、両親共に我々の担任教師であるフランク・リービスとは同級生かつ遊び仲間だったらしい。一人娘のお嬢様特有のワガママな性格もさることながら、本人いわく、両親が実験で詰め込んだのだという様々な遺伝子コンポーネントが引き起こす情報氾濫のせいで、これまで友達のいない寂しい人生を送ってきたらしい。今の時代、子供の遊びもインターフェイスを使って繋がることが多い。情報共有モードというやつだが、それぞれの持っているインターフェイスコンポーネントが拡張した感覚を全員で共有しながら遊ぶわけだ。そんな時に、誰もさばけないような大量の情報を氾濫させてしまえばパニックが起きる。そんなわけで、彼女の小学校、中学校、そして附属高一年までのニックネームは「疫病神」。そのせいか、こいつの性格はすっかり破綻してしまっていた。いや、過去形にするのはまだ早いかもしれない。このチームで確かに彼女は変わった。でも、俺はあいかわらず、こいつの理不尽な態度や要求にいつも悩まされている。さておき、そんな美月がこのチームで普通にやっていられるのにはいくつかの理由がある。ひとつは不思議な話だが、なぜか俺は情報共有下で、美月の情報をうまくさばくことができるということ。もう一つは、ジョージが頑張って船のシステムを改良してくれたことだ。担任のフランク先生が彼に渡した新型のフライトコンピュータを一晩でこのST1B用に調整してしまったのもジョージである。なので、このチームが彼女にとっては今のところ唯一の居場所となっているわけだ。
「最適コースを投影。小惑星帯通過まで1分20秒」
「了解。美月、このコースどおりに小惑星帯を抜けたら帰投だ」
「わかったわ。あとは任せなさい!」
この試験ではフライトコンピュータの支援を受けながらのマニュアル操縦が基本だ。細かい制御はフライトコンピュータがやってくれるので、パイロットは進路と速度だけをコントロールすればいい。一種のコンピュータゲームのようなものだが、所々に軽いトラップが仕掛けてあって、気を抜いているとコースを外してしまうから要注意だ。
「前方、ちょっと狭いよ。気をつけて」
ケイが叫ぶ。小惑星の間が微妙に狭くなっていてまっすぐ抜けられない。これがテストの課題でもある。
「大丈夫よ。任せなさいって言ってるでしょ」
まぁ、美月も決して口だけではない。同級のパイロット志望の中でも腕前はトップクラスだろう。ただ、性格がちょっと危険なだけである。
「美月、ちょっとスピードが出すぎじゃないか?」
「何言ってんのよ。これくらい大丈夫よ」
そう言うと美月は小惑星の表面ぎりぎりをかすめながら、次々と隙間を抜けていく。機外の映像や航路情報、その他様々なパラメータを直接意識に投影しているサラウンドモードでは、かなりスリリングな操縦だ。頭が小惑星をこすりそうな感覚である。とにかく一事が万事この調子の美月なのだ。まぁ、確かにこの数ヶ月の訓練、というかかなり想定外の事態もあったのだが、その時の状況に比べれば、この試験は天国に違いない。だが、それを知らない試験官の教師はさぞや肝を冷やしているだろう。減点されなければいいのだが・・・。俺は、そういう現実的な部分がどうしても気になってしまう。
「小惑星帯を離脱。管制から指示。火星軌道基地へ進路を取り、アプローチとコンタクトせよ」
「了解。コースをたのむ」
「方位、203、211へ。マップ上にコースを出すよ」
「進路変更、203,211。帰投コース」
「火星基地アプローチにコンタクト。訓練用プラットホーム、ランディングパッド12にマニュアルで着陸指示」
「ランディングパッド12、マニュアル着陸、了解」
火星基地もそうだが、太陽系内の多くの宇宙都市では、通常、自動着陸が義務づけられている。宇宙港は混雑している上、いくら巨大な宇宙都市とはいえ、宇宙船の速度では何かあったら取り返しがつかないからだ。そのため、訓練でマニュアル着陸を行う場合は、通常の宇宙港ではなく、外部の浮遊デッキである訓練用プラットホームを使用する。
「目標まで距離10万Km。速度基準点を目標に設定。2000Kまで減速」
「エンジンリバース、速度2000Kまで減速」
毎秒2000Kmの速度は、この旧式の訓練宇宙艇でも余裕で出せる速度だ。その気になれば、この艇でも光速の25%くらいまでは出すことができる。もちろん、混雑した太陽系内ではまず使うことがない。ちなみに、3000Kを越えたあたりから、速度の呼び方は光速を1とした小数にかわる。ポイント01Cが、およそ2970Km毎秒にあたる。こうした宇宙艇のエンジンは重力エンジンが主流だ。質量をつかさどるヒッグス場を制御することで機体の周囲の空間を傾けて重力場を発生させ加速するので、宇宙艇は常に自由落下状態にある。だから、加速度を感じずに急加速や減速、進路変更ができるのである。機内の重力もまた、同じ原理で制御されている。一方、宇宙港からマスドライバー、つまり電磁カタパルトで打ち出されるような場合は、同じ原理で機体や乗員の慣性質量を制御する。慣性質量を小さく出来れば急加速による加速度は緩和できる。慣性力は、ヒッグス場と素粒子の相互作用による一種の抵抗力だ。空間の粘性と言ってもいい。このため、慣性質量制御は空間粘性制御とも呼ばれている。ただ、体に感じる加速度を完全に消してしまえば、視覚との間に違和感が生じるため、いずれの場合も負担にならない程度に加速感を残すのが一般的だ。
「アプローチ信号受信。コースマップ投影」
ケイが叫ぶと同時に、サラウンド画像上に、着陸コースとその許容誤差が表示される。パイロットは表示されたコースから逸脱しないように船をコントロールしなければいけない。
「距離3万、500Kまで減速」
「エンジンリバース、速度500K」
「よし、美月。スラスター制御をこっちに渡せ。姿勢のコントロールは俺がやろう」
「了解。スラスターを機長席に移行、たのむわよ。きりもみはごめんだからね」
「コントロール移行確認。任せろ」
スラスターは機体の姿勢制御や速度の微調整を行うための小型エンジンである。重力エンジンは自由落下なので、機体の姿勢は関係ない。だが、着陸時は姿勢を保つ必要があるため、重力エンジンを切った後は、スラスターで最終的に着陸させなければならないのだ。
「速度50Kまで減速」
「距離1000Km・・・800・・・・600・」
「速度20Kまで減速」
「コース正常。距離300」
「速度10Kまで減速」
「距離200、距離100Kmで速度1Kまで減速を」
「了解、距離100Kmで速度1K」
目標との相対速度、秒速1Kmは、これまでの速度に比べればハエが止まりそうな速度である。しかし、最終着陸体制に入るまで1分少々しか余裕がないのだ。
「着陸準備。ジョージ、最終チェックをたのむ」
「了解。着陸前チェックリストを実行、異状なし」
「コース異常なし。距離50」
「目標、インサイト」
「確認。距離5Kmで一旦静止」
「距離5Kmで一旦静止、了解」
宇宙艇はプラットホームから5キロの位置で一旦静止する。巨大なプラットホームはこの位置からは目と鼻の先にある。大昔のヘリパッドのような円のマークと数字がついたランディングパッドと、それに囲まれるような形で駐機場が並んでいる。
「管制から最終アプローチ許可。ランディングパッド12」
「パッド12へ最終アプローチを開始。距離500mでメインエンジンをカットするわよ」
「了解。あとは任せろ」
「進入角補正、15度。メインエンジンシャットダウン」
「着陸手順を開始。姿勢は良好」
ランディングパッドまでは、あと僅か。俺はスラスターを使って減速しながら、機体の姿勢をプラットホームと平行にする。サラウンドの外部映像に重ねられている着陸点までの距離表示が、黄色に変わる。あと50mである。ここが腕の見せ所だ。着地のショックをどれだけ小さく出来るかが点数に直結する。俺は、あと10mで軽くスラスターをふかして減速する。
「10m、9,8,7・・・」
ケイが距離を読み上げてくれる。あと3m位で俺は軽くスラスターを一吹きする。機体はそのままふわりとランディングパッドの真ん中に着地した。
「着陸。係留システム作動を確認。システムをニュートラルに」
「了解。システム、ニュートラル」
「デッキコントロール、こちら訓練艇205、ランディングパッドに着陸、制御を移行します」
視野内にある表示パネルがブルーに変化する。これは、制御が機内から管制システムによる自動制御に切り替わったことを意味する。これで、試験はほぼ完了だ。このあと機体は自動的に駐機スポットまで牽引され、そこに停止する。
「駐機確認。システムチェック実行後、システムを駐機モードに移行します」
「駐機モード移行を確認。ミッション終了を報告」
さて、これにてすべて終了。あとは先生のお沙汰を待つだけである。
「よーし、全員出てこい」
アウトバンドの音声で教師の声が聞こえてくる。これは実際の音声ではなく、聴覚神経に対して、外部から送られてきた仮想音声である。この場合、信号は視覚アウトバンドと呼ばれる、可視光の少し下の赤外光を使って送られ、視神経に接続された視覚アウトバンドインターフェイスによってデコードされて聴覚に送られている。視覚や聴覚は、本来の波長域外(アウトバンド)の情報を受け取れるように拡張されていて、これは本来の感覚情報としてではなく、情報伝達用に使われているのである。これらは、現代の人間がすべて持っている機能で、人工的な遺伝子コンポーネントによって実装されている。音声や文字データのような比較的情報量が少ないものは、こうしたアウトバンド伝送を使って送られ、一方、サラウンド映像のような情報量が多いものは、ダイレクトインターフェイス(DI)と呼ばれる方式で伝送される。このDIのために、人間の体にはインターフェイスポイントと呼ばれる部分があり、そこに脳神経に繋がる情報伝達のための神経が集められている。外部からの情報は高速ネットワーク経由でDIユニットと呼ばれる機器に送られ、それがインターフェイスポイントに情報を受け渡すのである。インターフェイスポイントの場所は人によって異なるが、多くの場合、両手首や首の周囲などに作られる。腕時計やブレスレット、女性ならばネックレスといったアクセサリーをDIユニットとしていることが多いからである。こうしたインターフェイスの遺伝子は、今では親から子に受け継がれるようになっているが、生まれてくる子供のインターフェイスを変更したい場合などは、受胎前に遺伝子操作を行っておく。
「さて、結果はどうだったかな」
「最後は完璧だったよね。それに大きなミスもなかったから、減点要素はほとんどないんじゃないかな?」
ジョージが言う。
「まぁ、一つ心配があるとすれば・・・」
俺は美月の顔を見る。
「何よケンジ、何が言いたいのよ」
「いや、何でもない。美月もよくやったよ」
「当然でしょ。目が覚めるような操縦だったと言いなさいよね」
「たしかにな。目は覚めたよ」
小惑星すれすれを猛スピードですり抜けるなんてことを実機でやったら大目玉を食らうはずだ。シミュレータでの試験とはいえ、それを理由に減点されても文句を言えないことくらいは美月だってわかっているはずだ。だが、こいつの性格からして、それを俺に言われれば反発するのは目に見えている。ここは、教師に言ってもらうのが一番穏便だ。とりあえず及第点をもらえれば、多少の減点はやむを得まい。
「よし、全員座れ。これから講評を行う」
シミュレータルームから出た俺たちを待っていたのは、コワモテな雰囲気の教師。どこの学校にも一人はいる、生徒指導とかをやっているようなタイプの体育会系教師である。俺と美月、それからケイの3人、実は入学式からこの教師に目をつけられていたりする。
「その前に・・・、何か言いたいことはないか?中井」
なんで俺?何かおかしなことしましたっけ?
「いえ、特にありません」
「そうか。では、お前の評価からだ。基本的な操縦に問題はない。デブリフィールドでの回避行動はかなり際どかったが、あそこでは8割方のチームが失敗しているから、まぁ、よく出来た方だろう」
「ありがとうございます」
「パイロットとしては及第点だ。しかし、リーダーとしてはどうだ?本当に何か言うことはないのか?」
そう来たか。なんとなく言いたいことはわからないでもないのだが、俺がそれを言えないこともわかって欲しい。
「リーダーとして・・・ですか?」
「そうだ。リーダーとして今回の試験をどう評価するんだ?」
「少々改善が必要な部分はあったものの、おおむね良好ではなかったかと・・」
「なるほど。結果オーライというわけだな。さて・・・」
コワモテは全員を見回す。
「では、メンバーに聞く。リーダーは少々改善が必要な部分があったと言っているが、心当たりがある者はいるか?どうだ沢村」
「えっと、心当たりと言われても・・・」
ケイは俺の方を見てちょっと困った顔をする。
「星野、お前はどうだ」
「欲を言えばミッション遂行時間をもう少し短縮できたと思います」
「ほぉ、今でも十分速いと思うのだが、まだ速くできると?」
「もう一度トライできれば、たぶんもう少し速くなります」
「馬鹿野郎!もう少し速くならなかったら、今度は全員死ぬぞ。お前は、自分がどういう操縦をしていたか、まったく分かっていないようだな。そもそも、あの小惑星帯での操縦はなんだ。ゲームでもやってるつもりか?」
「でも、シミュレータですから」
「馬鹿者っ!、これは実機の操縦試験だ。あんなこと実機でやったら停学ものだぞ。お前はチーム全員を危険にさらしているという認識が完全に欠落しているな。それじゃ、パイロットとして失格だ」
コワモテはテーブルを叩いて烈火のごとく怒っている。さすがの美月もちょっと毒気を抜かれているようだ。
「す、すみません」
「すみませんですめばセキュリティはいらん。だいたい、普段からきちんとリーダーが締めておかんから、こういうことになるんだ。わかってるのか、中井!」
いきなり俺かよ。もちろん反論はできないのだが・・・。
「はい。以後気をつけます」
「まったく、お前らはずっとこれだ。これまで実機訓練で色々なことがあったようだが、俺に言わせれば、今お前らが生きてここにいるのは単なる幸運にすぎん。その幸運がいつまでも続くと思うなよ。その時になって悔やんでも遅いんだ。これまでにも同じようなことをやって事故を起こしたチームがいくつかある。俺たち教師はな、もうああいう思いはしたくないんだ。お前らも生きて卒業したければ、今すぐ考えを改めろ。いいな!」
「はい」
全員が声をそろえる。しかし、美月はちょっと不満顔だ。俺はコワモテがそれに気づかないことを祈るしかない。
「落第、再試験!と言いたいところだが、今回は大目に見てやる。あのアクロバット飛行以外の部分は、確かに優秀だった。だが、いい点はやれん。及第点ぎりぎりで我慢しろ。これに懲りたら新学期からは心を入れ替えろ。いいな」
「はい」
「よし、解散」
まぁ、予想通りの講評というかお小言だったが、やはりなんとなく後味が悪い。
「なによ。こんな点数だったらいっそ落第して試験を受け直した方がマシだわ」
美月は早速ふてくされている。
「おい、お前もちょっとは反省しろよ。減点理由はお前なんだからな」
「ケンジ、あんた何か文句でもあるの?あんなのいいがかりじゃない」
「まったく、反省って言葉を知らないよね、美月は。でもまぁ、あの言い方には私もちょっと腹立ったけどさ」
ケイが脇から入ってくる。
「でしょ。あいつ、去年から私たちを目の敵にしてるのよね」
「入学式早々、目をつけられたからな。でも、あいつが言うのも一理はあると思わないか。ぎりぎり一杯で飛んでて、もし何か不測の事態が起きたら対応できないだろう。あいつが言う幸運ってのは、そういう話なんじゃないのか?」
「そりゃそうだけどさ。シミュレータであそこまで言わなくてもいいんじゃないの?」
「いやいや、美月は実機でも油断ならないからな」
「それ、どういう意味よ。私だって実機とシミュレータの違いくらいわかってるってのよ」
「そうそう。後期の試験じゃ、非常時対処のシナリオが追加されるみたいだから、今のうちから意識しておけってことなんじゃないかな」
ジョージがフォローしてくれるのだが、美月はおさまらない。
「それなら、あんな言い方しなくてもいいじゃない」
そこへ、担任教師のフランク・リービスが現れた。
「どうした。なにやら絞られてたみたいだが?」
「あ、先生。いえ、たいしたことじゃ・・・・」
「ごまかすな。試験の様子は見ていたからな。あれじゃ文句を言われてもしかたあるまいが・・」
先生がちょっと困った顔をして言う。
「でも、先生は知ってますよね。私たちにはあれくらい余裕だってこと」
「こら、星野。それとこれとは話が違う。試験は試験だ。特に実機に入って最初の試験は基本の確認だということを忘れちゃ困るぞ。君たちが、実際にはどんな経験をしていようが、基本は基本だ」
「美月、往生際が悪いよ。そろそろあきらめたら?一回はきちんと基本が出来てることを見せてあげないと、その先が出来ても評価してもらえないのが、学校ってとこなんだしさ」
ケイがまた悟った風に言うので美月の機嫌はさらに悪化しそうだ。結果として、俺におはちが回ってくることは容易に想像できるわけで、ここはこれ以上の悪化は避けたい。
「まぁ、とりあえず君たちが落第しなかったのはよかった。そういう意味では指導教官も一蓮托生だからな」
先生は苦笑いする。まぁ、そう言われれば、俺たちはフランクには迷惑かけっぱなしだ。さすがの美月もそこは心得ている。
「すみません。でも、やっぱりちょっと悔しいです」
「まぁ、正味のところ、どうだったのかということも気になるんだが。エドワーズ、出来はどの程度だ?」
先生がサムに向かって聞く。
「コース取りの正確さは、ケンジが98.7%、美月が97.3%で、いずれも学年で上位クラスだと思います。問題とされたリスクマージンは、情報処理や操縦の反応速度などを加味して、ケンジが10.3%に対し、美月が11.5%で美月の方がまだ余裕があります。いずれも学年平均値より1シグマ以上、上だと思われます」
驚いた。サムは自分たちの試験成績も計算していたらしい。
「クレア君、君の見立てはどうかな?」
「サムの評価を支持します。ストレスレベルは、二人とも正常範囲内。美月さんのほうがケンジ君よりも少し低いくらいでした」
なんてこった。あんなに頑張っても美月の方が俺より余裕があったというのがちょっと癪に障るのだが、感覚的には俺も納得がいく。こいつが無茶をするときは、いつも驚くほどの集中力を見せるからだ。そう言う意味では、ハタから無茶に見えても、こいつが言うとおりに本人は充分に余裕があるということなのだろう。だが、それはなかなか他の教師たちには理解されない。
「ま、そのあたりの心配はしていないんだが、もうちょっと周囲の目線を気にしてもらえると指導教官としては助かるんだがな。どうだ、中井?」
え、結局俺ですか?
「はい。気をつけます」
とりあえず、ここは素直に従っておこう。だが、俺がどれだけ気をつけても、隣の鉄砲玉は簡単には止まらない。それが一番の問題なのだ。美月にとっては、俺はリーダーという名の下僕なのだから。
「メンバーのフォローもリーダーの仕事だしね。頑張ってよ、ケンジぃ」
「期待してます。ケンジ君」
ケイはともかく、マリナに期待してますなんて言われたら、こりゃ頑張るしかなさそうだが。
「ふん、ちゃんと仕事なさいよね」
こいつに言われるとなんか腹が立つ。てか、お前が言う仕事ってのは、極めて個人的な香りがするんだが・・。ともあれ、これで試験日程もすべて終了となり、俺たちは先生に挨拶すると校舎を後にした。
「とりあえず、これで前期の日程は終了だよね。明日は終業式だし、みんな夏休みはどうするのかな?」
ジョージが言う。そうだ、これから2ヶ月間の夏休み。季節のない宇宙だが、昔からの地球の習慣に従って夏休みという名前は残っている。実際は、前期と後期の間の休暇というような意味しか無い。実際、地球でも北半球は夏だが、南半球は冬なのだから。時期も微妙だ。前期と後期のカリキュラムを調整するため、休暇は8月中旬から10月中旬までで、終わった頃には、地球では秋もだいぶ深まっている。
「ケイさん的には、今のところ、これと言って予定がないのよね。そうだ。ねぇ、ケンジ、二人でどこか行こうっか?」
「おい、二人で、って何だよ」
「え、二人でってのは、そういうことじゃない」
「あ、あんたねぇ、人の下僕に手を出すのはやめなさいよね」
「おい、人聞きが悪いから、その下僕ってのはやめろって」
この二人は暇さえあればこれだ。俺のことを罪な男だと思う向きもあるかもしれないが、名誉のために言っておくならば、これは俺の責任ではない。そもそも、こいつらは俺をダシにして遊んでいるのである。
「それじゃ、皆でどこかへ行くっていうのはどうですか? 実は私も予定がないんです」
マリナは、美月とケイが一触即発になった時に、いつもこうしてうまくまとめてくれる。俺にとっては本当に女神様のような存在だ。
「それいいね。僕も実は予定がないんだ」
「私も賛成する」
ジョージとサムも話に乗ってきた。
「えー、せっかく二人で行こうと思ったのに、しょうがないなぁ。じゃ、皆で行こうか」
「あんたね。だから、勝手に決めるな!」
「まぁ、いいじゃないか、美月。せっかくだから、チーム旅行にしようぜ」
「ふん、あんたが荷物持ちならいいわよ」
「はいはい、わかったから」
「それじゃ、善は急げってことで、どこかでちょっと相談しないか?」
「いいですね。それじゃお茶でもしながら」
「よし、そうしよう」
と、なし崩しにチーム旅行が決まってしまったわけだ。まぁ、最初から無事にすむとは思っていなかったのだが、例によって神様は、そんな俺の予想を裏切らなかったのである。
さておき、それから俺たちは近くの喫茶店に入って、旅行の相談を始めた。
「で、どこへ行くんだ?」
「はいはーい。月なんかいいんじゃない?コペルニクスかティコあたりのリゾートだったら雰囲気良さそうだよ」
「おい、あそこは高級リゾートだぞ。予算的にきつくないか?」
「でも、近場だし、交通費はそれほどかからないんじゃない?」
「いや、交通費は火星あたりでも贅沢を言わなきゃ安いチケットがあるけど、ティコとかコペルニクスは滞在費が洒落にならんだろう」
「あんた、どこまで貧乏なのよ。ティコはともかく、コペルニクスあたりで文句言ってたら、地球のリゾート地なんか行けないわよ」
「そりゃ、お前はお金持ちのお嬢様だからな。こちとら、東京は下町の貧乏人の息子なんだよ。一緒にしないでくれ」
いかん。ちょっと自虐的になってきた。でも、この金銭感覚のずれを容認してしまうと、俺はあっという間に破産してしまうにちがいない。
「でも、ケンジが言うのも一理あるよね。よく考えたら私もコペルニクスはちょっと厳しいかも・・・」
「あのなぁ、言う前に考えろよ」
「いやぁ、夢は大きく・・・じゃない?」
まったく、ケイはケイでこのノリだから、こういう話になるといつも収拾がつかなくなる。
「それに、夏休みは里帰りもあるからな。春休みは帰らなかったから親と妹がうるさいんだ」
「だったら、いっそ皆で東京に遊びに行くっていうのはどうだい。僕は日本列島に行ったことがないから。サムは?」
「私も初めて。行ってみたい」
ジョージがまた余計なことを言う。
「それはいいかもしれませんね。私も東京は行ったことがないですし。でも、ケンジ君はつまらないかもしれませんが」
マリナさん、そこであんまり賛成して欲しくないのですが・・・。
「そう言えば、俺だけじゃ無くて、美月の実家もあったよな」
「そうよ、母親のね。そういえば母方のおばあちゃんにはしばらく逢ってないわ」
「だったら、東京にしようよ。ケンジの家か美月の実家に泊めてもらえば安上がりじゃない?私はそのまま札幌の家に帰れるし、ちょうどいいかも」
今度はケイが余計なことを・・・・。それに美月には反対発言を期待したのだが・・・。そういえば、こいつの両親、今はパリ住まいだったか。
「ご迷惑じゃなければいいのですが、大丈夫ですか。私も東京は一度行ってみたいと思っていたので、ケンジ君と美月さんがよかったら是非、行きたいのですが」
マリナにそう言われてしまうと、俺としては非常に断りづらい。ここは美月にちょっと頑張ってほしいのだが・・・。
「私はいいわよ。東京の家もそこそこ広いから、この人数でも大丈夫だと思うし」
「じゃ決まりっ!」
おい、俺の意見は聞かないのか?うちの家はこの人数はちょっときついのだが・・・・。
「いいですか?ケンジ君」
マリナは気を遣っているつもりだと思うのだが、俺にとってこれは、とどめの一言になるわけで・・。
「・・いいんだけど、正直、うちの家は美月のところほど広くないから、この人数はちょっと厳しいかもしれない」
「だったら、男子はケンジの家で、女子は私のところでいいんじゃない?」
「それはいい考えかもしれませんね。どうでしょう」
いかん、もうこれは完全に決まりムードだ。同時に俺はツアコン確定じゃないか。美月があちこち案内するとは考えられない。それに、もう一つ気がかりがある。東京には一悶着起こしそうなのが一人・・・。
「もちろん、問題ないよね、ケンジも」
ケイがとどめを刺しに来るわけで・・・。仕方が無い、これは覚悟を決めざるを得まい。
「じゃ、そうしよう。ジョージは俺の家に泊まって、ケイ、サム、マリナは美月のところに泊まるということで」
「日程はどうしようか」
「そういえば、そろそろ花火大会の時期ね。昔、おばあちゃんちで見たけど、あれはもう一度見たいわ」
「隅田川の花火か。いいかもしれないな。今時、本物の花火を見られるのは東京だけかもしれないから」
「だよね。よそでも花火はあるけど、全部ホログラムだし。一度本物を見てみたいと思ってたんだ」
「興味深い。楽しみ」
「本当に、楽しみですね」
結局、いつもこういうノリで物事が決まってしまう、うちのチームである。
「じゃ、ちょっと家に連絡して都合を聞いてみるよ」
「私も、おばあちゃんに連絡してみるわ」
「よろしく」
「お二人とも、よろしくお願いします」
そんな感じで、俺たちの夏のイベントがひとつ決まったのである。
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