第9話その言葉を受け止める覚悟はあるか

 結婚の挨拶のため帰省したとき、父が公募にせっせと投稿しているという話を聞いた。私が公募に精を出していたのが良いきっかけになったらしく、今では新聞の投稿欄や川柳などに応募しているらしい。

 もともと父は登山や旅行などのアウトドアが趣味で、インドア派ではないので、文章を精力的に書いていたというわけでもなく、読書家でもない。還暦を経てアウトドアの趣味を楽しめなくなりつつある今、父にとっての相棒はスマホになってしまった。日々大手ニュースサイトをチェックしているらしい。

 生来友人の乏しい父だけに、このままでは早く認知症になってしまうのではと危惧していた私にとっては、公募という趣味を見つけてくれたのが何よりもありがたいと感じる。文章の巧拙はわからないし、公募に採用されたという知らせもまだ届かないけれど、それでもこれから老いていく中で、自分の来し方を振り返るのも悪くないだろうし、それを老年に至って文章として表わすというのも、有り体に云ってしまえばよくありがちなことだが、それでも子供心にはやはりうれしいものだ。

 以前、父が私に宛てて書いたというドキュメントを貼りつけたノートをもらったことがある。気恥ずかしくてまだ読めていないのだが、元来無口な父にも語りたいことはたくさんあったのだろう。自ら進んで物事を語らない人の内面にどれほどの言葉が詰まっているのか――。

 私自身、人前ではほとんど口を開かない人間なので、想像はできるが、その言葉を受け取る勇気がなかなか出ない。


 無口な人は何を考えているのかよくわからないと云うが、父も私もそういう類いの人間で、コミュニケーションといえばもっぱら歴史や政治の話。

私が大学で史学科に入ってからは、政治的な思想の対立もあり、またより専門的な知識を得たことで、父とそういう話をすることが不得意になってしまっただけに、父との心理的距離はどんどん開くばかりだった。

 父が還暦を過ぎ、私が大学を出てからはその溝は若干埋まりつつあるものの、未だに彼の本心はよくわからないというのが正直なところだ。

その父の言葉をいつの日か受け止められる日が来るだろうか。あのノートを開く日は、父がこの世を去った後なのかもしれない。

 しかしその前に彼の言葉を聞き入れなければ、ずっと後悔することになることも目に見えている。なんとも難しい。

 かといって今の段階でノートを開いて、少しでも父に対する批判めいた考えが浮かぶようなら、今後の父との関係そのものを揺るがしかねないかもしれないし、どうしてもためらってしまう。

 パンドラの箱ともなりうるノートを渡されて以来、私はずっと記憶の片隅から追いやろうとしてきたのだが、そううまくもいかない。いつも頭のどこかにあのノートのことがあって、それを開けないもどかしさを抱きながら日々を過ごしている。


 父は高校卒業後、通信教育で大学に通いながら、地方公務員として県庁に勤め続け、今なお働いている。勤続年数を数えると、改めて父の偉大さが分かろうというものだ。所詮私はまだまだ若輩者に過ぎなくて、人生の酸いも甘いも噛み分けた父には遠く及ばない。

 しかし肉親から発せられた言葉を素直に聞く子どもなどいないように、私もまた父の言葉を受け入れるだけの器が備わってはいないのだろうと思う。

いかにも私の不徳の致すところだと云ってしまえばそれまでだ。しかし人の言葉というものは、そうたやすく軽々と扱えるものではないことは、これまでの短い人生の中で感じてきたことでもある。

 かつて祖父の放った「今日という日は二度と戻ってこん」というありきたりな言葉さえ、その後、幼少期に母に代わって私を育てた祖母が脳梗塞を患って、施設に入所するに至ってからは、私にとってあまりに重い言葉となった。

 言葉というものの重みは、何がきっかけで変化するかわからない。それが尊くもあり、また恐ろしいとも思う。長年にわたって父が秘めてきた言葉の重みを引き受けるだけの自信が私にはないし、その資格さえもあるのかどうか、まだ分からない。

 ただいくらかでも分かることは、父は家族の中で誰よりも私のことを理解していたということだ。学生時代は無口で友達もうまく作れず、大学在学中に今もなお続く持病を患い、有名大学を出ていながら、とうとうまともに社会に出ることなく専業主婦となった私を、父は心配しながらも理解してくれたはずだと信じている。家庭の事情で上京が叶わないクラスメイトもいる中で、大学進学時に地方から東京へと送り出してくれたことも、ありがたいことだと思う。

 そんな社会不適合者の私を父は決して責めようとはしなかったし、結婚の挨拶の場面でも言葉少なに祝福してくれた。こうして文字に起こして書いてみると、もっと父に感謝しなければと思わずにはいられない。せめて今からでも親孝行に努めるべきなのは明白だ。

 おそらく父が亡くなったあとに私はあのノートを開くだろう。そして遅かったと悔やんで涙するのだろう。しかし他に道はないのだ。


2020.02.09

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