第6話ふたつの棚
幡ヶ谷という地域に住んでいたことがある。渋谷区とは云ってもハイソな雰囲気はなく、高速道路が横たわっているため街の景観もよろしくなく、また民泊が点々としているということもあって治安もあまりよろしからず、どうにも好きになれない土地柄だったのだが、そんな中でも好きなスポットはいくつかあって、代々木八幡宮まで足を伸ばせば緑生い茂る鎮守の森に癒されたし、近所には立派な庭を構えたお宅もあり、年に一度雪が降った日などはその邸宅のお庭をそっと覗きこむと、普段は鬱蒼とした木々の生えた庭も別世界のようで心が躍ったものだった。
いつか庭つきの家を持ちたい……などと夢を描いて遊べば、幾分かでも心なぐさめられようというものだ。
その邸宅からしばらく行ったところに小さな図書館があり、私はいつもそこに通っていた。
図書館は古めかしくこぢんまりとしていて、都心ということもあってか訪ねてくる人もほとんどおらず、コピーを取るにも許可はいらないというので、私はせっせと古典文学全集や漢詩集、資料の数々をコピーしたものだが、その図書館にあって一番気に入っている棚があった。それは詩歌の並んだ棚で、中央公論新社の『日本の詩歌』やがずらりと並び、棚の合間合間に現代詩文庫が顔をのぞかせて、近代の詩歌はひととおり揃うという有様だった。もちろん近代以前の詩歌の本もきちんと並んでいて、近代詩歌の向かいにある棚には岩波書店の日本古典文学全集本を含め、万葉集から新古今和歌集、山家集と定番は抑えてあるし、中西進氏の『万葉の秀歌』なども収まっていた。
私はその近代詩歌の棚からしばしば詩歌の本を借りたものだが、たとえ本を借りなくとも、その棚がそこにあるというだけで妙に心が安らぎ、この図書館に寄せる信頼は厚いものとなった。積読本を家に何十冊も何百冊もお持ちの方はお分かりになると思うのだが、本を一度も開かずとも、自分の愛する類いの本がそこにあるという環境は心落ち着くものだ。この本たちがあるからここにいても大丈夫だと、まるで自分のホームグラウンドのように思える。
たった一列の棚があるだけで、こうも違うのかとも思う。もちろん、世界幻想文学大系が全巻収まった棚や、タブッキや残雪が並ぶ魅力的な海外文学の棚もいいのだけれど、詩歌の棚はひときわ輝いて見えた。幡ヶ谷という土地で再び暮らしたいとは思わない。それでももう一度あの棚の前に立って、じっくり本を眺めたいという気持ちに駆られることは未だにある。
私はそういう棚に憧れて、自室の本棚にも詩歌コーナーを作ったものの、自分で詩集を並べた棚と、図書館に置いてある、人が詩集を並べた棚というのはやはり違う。まるであの図書館の棚は私への贈り物だったのではないかという気すらしてくる。もちろん図書館は公共の施設だから、私だけでなく、図書館を利用する全ての人への贈り物なのだ。
そういう贈り物としての図書館が私にはたまらなくいとおしく思える。
そしてもうひとつ、私が忘れられない棚がある。それは自宅のリビングにあった棚で、母の仕事道具や彼女が集めたお香の数々、そしてCDが収められ、その上にはONKYOのCDコンポが置かれていた。休日になると母はよく100曲クラシックと題された、CMやドラマなどでも使われているメジャーな楽曲だけを集めたクラシックのオムニバスCDを聴いたものだった。その安っぽさに辟易していた私は、ワーグナーのワルキューレの騎行が流れればそそくさと自室に戻ったものだ。母曰く、私の体調が悪いのでかけてくれたと云うのだが、西洋近代史、それもナチスの歴史を専攻していた時期があった私は、どうしてもワーグナーが好きになれない。ワルキューレの騎行となればなおさらだ。
それでも独身時代、ローンを組んでクラシックの100枚組のレコードを買ったり、年に一二回は私たち家族を連れてクラシックのコンサートに足を運ぶ母のことだったので、そういうものに対して陰険な目を向けてしまう私の方がよほどひねくれ者なのだろう。母の思いを素直に汲んでおけばと思ってももう遅い。
また別の日には、私がプレゼントした広橋真紀子さんのジブリのピアノアレンジのCDをかけていたこともあった。母はあまり近所迷惑というものに頓着しないらしく、窓を全開にして音楽を流すので私は内心ひやひやしたものだが、吹き抜ける風とピアノの音色が心地よかったのもまたたしかだ。幸いにも苦情は受けず、また安アパートということもあって多少の生活音はお互いさまという環境だったためか、そういうものにおおらかな人が多かったのかもしれない。深夜に育ち盛りの中高生が両親と激しくバトルする声が聞こえてくることもしょっちゅうだった。
そういうわけで近所の人からすればはた迷惑だったのかもしれないが、ピアノの流れるのんびりとした休日の午後が私は好きで、その棚から香る木材の匂いと、松をイメージしたお香の良い香りが移っていることもあって、今、ふとその香りを思い出すと軽やかなピアノの音色も流れてくる。
今住んでいる場所で窓を全開にして音楽を流す度胸は私にはないので、いつもはイヤフォンをして、あるいは窓を閉ざして音楽を聴いているが、あのおおらかな時間が恋しくなることもある。
幡ヶ谷の思い出はまだまだいくつもあるが、このふたつの棚は私にとって幡ヶ谷での生活を象徴するものだった。もうあの棚たちに触れることはできないけれど、記憶の中で大切に慈しんでいたい。
2019.07
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