第5話引っ越して行ったあなた方へ
手紙の書き出しはいつも迷う。季節の挨拶からはじめるのが礼儀だけれど、去って行った人への手紙となると、自分の思いが募ってあふれるばかりで、その感傷は至って身勝手だ。私がこうして会ったこともない隣人たちへ手紙を書こうと思ったのも、彼女たちへの愛惜の気持ちを伝えたいからというよりは、自分自身への慰めに過ぎない。こうして云い訳がましいことをつらつらと書くのもなんだし、ひとまず暮秋の候、いかがお過ごしですか、と記すことにする。
暮秋の候、いかがお過ごしですか。私は一度もあなた方にお目にかかったことはありませんでしたが、どんなにあなた方に心慰められたかわかりません。あなた方というのは、おそらく幼いお嬢さんをお持ちの奥さんと、そのお母さんだったのだと思います。確かなことはわかりませんが。
あなた方が引っ越して行ったのを知ったのは、つい先日のことでした。それもあなた方が去ってしまった静けさを秋風とともに聴いたことで、ようやく気づいた次第です。
私たちの住まいは壁に隔てられ、空き地も横たわっていますが、夏の間はずいぶんとにぎやかでした。おそらくそういう作りになっているからなのでしょうが、窓を開け放ったあなた方の住まいからはしょっちゅうテレビの音が流れてきていましたし、話し声もずいぶんと鮮明に聞こえてきました。正直に申し上げれば多少迷惑さを感じていましたが、それはきっとお互い様なのでしょう。
それでも、私はどこかであなた方の賑やかな話し声に救われていた部分があったのです。病状が思わしくなくて家にいる平日の昼間、私は世間に対する後ろめたさを感じていました。同世代の若者は外で働いている時間ですし、専業主婦なら専業主婦で身分は保障されているわけです。私はいわば何の身分もなく、宙ぶらりんの状態のまま家にいて、家事はそこそここなしていましたけども、後ろめたさは常に心に抱えていたのでした。
それでも平日の昼間からあなた方の楽しげな話し声を聞いていると、不思議と「ああ、私もここにいてもいいのだ」と思えてきたのです。それは心に灯った小さな灯のようで、私は安らぎを感じました。
その灯がふっと消えてしまった寂しさは、なんと表現したらいいのでしょう。最近私はアントニオ・タブッキを読んでいますが、彼はそう、こういう感傷を「サウダージ」と記しました。私の胸に募るこのもの寂しさも「サウダージ」と呼べるのかもしれません。
あなた方が越していったのか、そうでないのか、本当のところはわかりません。なんせ一度もお会いしたことはないのですから。空き部屋になった部屋の主はあなた方ではないのかもしれません。夏になってまた窓を開け放つ日が来なければ、確かめるすべはないのです。そして来年の夏が来る頃には、私はすでにこの部屋を引き払い、別の住処にいるでしょう。
2017.11
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